神保町裏通り食堂
執筆日:2003/1/21公開日:2003/3/19
神保町界隈は、表通りだけでなく、一本も二本も中に入った通り、さらにその脇に入った通りにも、食堂がある。その大半は、古くからやっている地元の食堂だ。
そうした食堂の一つに、D食堂という中華料理屋がある。やっているんだかいないんだか、店なんだか普通の家なんだか、わからないくらい商売っ気のない外見で、何とか定食いくらの張り紙に、やっとそれと知ることができる。お昼どきには、サラリーマンが2、3人、連れ立って出入りしているので、どうやら結構入っているらしい、ともわかる。
ある日の2時頃、すでに昼食タイムをはずれていたが、それでもばらばらと人がいた。若く見える店のおかみさんが、注文をさばきレジをつとめながら、高校野球で流れる応援歌について薀蓄をたれているおじさんの話相手をしていた。そこへ、つなぎ服を着た別の商店主が入ってきた。
「最近、景気、どう?」
「よくないねえ」とおかみ。
「人入んないの?」
「人は入るよ。でも一人あたりの単価が減ったね」
「今度神保町の駅前あたりでビラまこうか?」
「いいよ、N大の学生とか来るようになったら、困るから」
「そうだね」と地元商店主たち。
「裏の出版社がひいきにしてくれて、この前も週刊誌の人が二十人ほど入ったんだけど、そんなに飲まないねえ」
「そうか」
最近おしゃれな店が増えた神保町で、この店は作業着姿でも、気兼ねなくくつろげる雰囲気がある。地元の人やサラリーマンのおやじさんたちの、数少ないオアシスのようだった。
下の谷商店街
公開日:2003/7/7
世田谷には谷、つまり沢のつく地名が多い。それだけ川が多く、東京湾方向か多摩川に流れている。世田谷や杉並のくるま道はたいてい、尾根道か谷底の道だ。尾根道のほうが大きい通りが多く、甲州街道、国道3号(玉川通り)、井の頭通り、みな基本的に尾根道である。谷底の道は梅が丘通りや、無名だがくるまがよく通る細い道が多い。南北に縦断しようとすると丘越え谷越えになり、自転車なんかだと重労働だ。
三軒茶屋の北には川が2つ流れていて、池尻大橋の手前で合流している。目黒川に流れ込む烏山川と上北沢周辺で消滅する北沢川で、川の間はちょっとした小山になっている。
この烏山川沿い、ちょうど三軒茶屋から三宿にかけての裏手にあたる谷底をくるま道が走っている。国道3号が通る尾根も高いので、南北の高台からぐっと落ち込んだ地形だ。くるま道にはちらほらお店も立ち並び、これはいまどき、どこにでもありそうな住宅街の中の商店街。ここで紹介したいのは、この道ではない。さらに谷底のくるま道から北へ平行して分かれる道があり、ここが、最近見つけた異空間なのだ。
夕方4時ころ、この下の谷商店街に迷い込む。道幅は4メートルほどの細い路地で、両側に昭和30年代風の店が立ち並ぶ。八百屋あり、魚屋あり、酒屋あり、豆腐屋あり。お店のおばさんたちが表に出てエプロン姿で立ち話している。その光景は、井戸端会議という言葉がまだ生きていた時代のようだ。昼下がりに迷い込めば、表に椅子を出してじいさんが道行く人を眺めている。店はどこもシャッターが下りずに開いているので、けっこう買い物にくる客もいるのだろう。きわめつけは、街灯についた商店街の名を記す看板のレタリング。高度成長期前後頃の懐かしいフォントで「下の谷商店街」と書かれている。また、この名前もいい。
商店街の蕎麦屋で遅い昼食をとる。おばさんグループがいたり、地元商店主風の一人客がいたり、なじみ客らしい背広姿の外回りの男性が入ってきたりで、けっこう賑わっている。若者の街三軒茶屋のすぐ裏に、こんな面白いところがあるとは思いもよらなかった。
追記:東京には谷が多い。渋谷、四谷、茗荷谷など、古い地下鉄は浅く作ってあるので、みな谷と名のつくところでは表に出てきている。特に渋谷などは地上3階に地下鉄の駅がある。それでも青山あたりにゆけば十分地下にもぐる。つまり渋谷はそれだけ谷が深い。確か東京で一番海抜が低いのは渋谷で、海抜0メートル以下だと聞いた。
大垣行き夜行列車
執筆日:1992/8公開日:2003/3/25
いまでは座席指定券がないと乗れなくなった、かの有名な東京駅23時42分発快速大垣行きだが、かつては指定券がなかった。それで夏休みなどは熾烈な座席争いが起きた。
夜9時についたが、すでに乗車口の印からかなりの人が並んでいる。後ろに並んだ男の子二人連れ、はじめはアジアではやっているドラえもんの話をしていたが、これから訪ねて行く先に電話をするのに、一人で行くか二人で行くかでもめはじめた。背の高いほうは、荷物が心配だからどちらか一人が行くべきだと言い、太り気味のほうは二人で行くべきだ、三人で話さないと決められないことだから、と言う。二人とも譲らず、太り気味のほうが
「もういいよ、疲れたよ。この先思いやられるからもう帰るよ」と言い出した。すると背の高いほうは焦りはじめ、
「わかったよ、二人で行こう。でも、荷物のけられて詰められたら、すなおに後ろに並ぶんだよ」とさかんに言う。
「なんでそんな警戒すんだよ。誰もそんなことしないよ。そんなこと、今まであった?」
「あった。特に一人で旅行していると」
二人は電話に行き、戻ってきたが荷物はそのままでその後ろに人が並んでいた。
「ほれみろ。大丈夫じゃん」
「うん、今回は大丈夫だったけど、大阪じゃこうはいかないの」
「ここは東京だよ」
「関西の人は図々しいから指定席用の短い列に並んで、自由席に割り込んだりするの。荷物おいておくと、その間に割り込まれて、どんどん後ろに下げられるの」
並んでいる位置は後ろのほうだったが、ぎりぎりバンド風3人組が座るボックスの残り1座席にもぐりこめた。座れなかったひとたちは、雑誌なんかをしいて座り場所を確保している。
バンドの一人がシャツを着替え始める。「恥ずかしー」ともう一人、でも当人はタオルを肩にかけ上手に着替え、
「な、あんまり恥ずかしくないだろ」しばらく3人でしゃべっていたが、そのうち口を開けてカーカー寝てしまう。
やはり学生や若者が多く、はしゃいでよくしゃべっており、社会人と学生混成グループの社会人が何度かうるさいぞ、と注意していた。トランプをして騒いでいるのもいたが、その社会人によれば、去年はマージャンやっているのもいたそうだ。家族連れもおり、子供はぐっすり寝ている。こういう状況や座席では、子供のほうがよく眠れるのだろう。
さすがに2時をまわると静かになってくるが、それでもときどき思い出したようにしゃべりだすグループがいる。
大垣から在来線に乗り換えるときも、みなダッシュしている。追い越そうとした際に荷物がぶつかったとかで、皮ジャンでバチバチに決めている兄ちゃんと学生二人連れがけんかを始めるしですごかった。このときはなぜ走るのかよくわからずに、皆が走っているので走ったが、早く並べば網干行きに座って乗れるのだった。
大垣行き夜行列車その2
執筆日:1994/12公開日:2003/3/29
1時間半前に行ったが、すでにかなり並んでいる。東南アジア系のいでたちで長髪を後ろに束ね、ドロドロに汚れた足にサンダルばきの男性の後ろに並ぶ。真冬に素足は見ていて寒いが、本人は気にしていないようだった。
乗車が始まり、ぎりぎり座れた。一緒のボックスは若い女の子二人連れとケースを持った男性。なんとなく、話し始める。男性は京都の大学院生、資料を取りに東京に来たという。女の子たちは中学時代の友人で、一人は高校生、もう一人は本人いわく、良く言えばフリーター、悪く言えばプータ。静岡の人たちで、夜行で東京に来て1日遊んだ後、夜行で青森の祖母のところへ行き、2、3泊、再び夜行で東京に来て1日遊び、そしてこれから静岡に戻るのだ、と言っていた。「夜行続きですごい強行軍」と言いつつも結構元気にしゃべっている。そして3時過ぎに下車していった。
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