雑感  よもやま話
  1. 年を取る
  2. 本当の姿
  3. 薄幸ヒロインもの無声映画
  4. ウミウ
  5. 海外郵便事情
  6. キリスト教アラカルト
  7. ストーカー
  8. 最近なんだかなと思うこと
  9. 少子高齢化
  10. ガンジーの嫌いなインド人
  11. 言える人言えない人
  12. 君が代
  13. 最近の若者
  14. 洪水
  15. 車内バトルその1
  16. 車内バトルその2
  17. 大学講師のつぶやき
  18. 高尾山修行場の洞窟
  19. B型
  20. 最近の話題(国会図書館/秋田事件/ネット旋風)
  1. かはずのたわごと 2006/9
  2. シミュレーション
  3. 検索エンジン
  4. 彼岸
  5. 子供の頃
  6. 高尾山琵琶滝
  7. 煽られやすい人々
  8. ホメオパシー
  9. WBC
  10. 指の腱を切った
  11. 都市対抗
  12. ガラパゴズでいいかも
  13. 足を怪我した
  14. 足を怪我して見えたこと
  15. きついようだけど・・・弱者の横着
  16. 手紙
2015年7月以降は過去ログページにまとめて掲載
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(2007年5月以降)

年を取る

執筆日:1999/6/18公開日:2003/3/19

 就農した友人が電話で
「以前は田舎で眠るように死んでもいいと思っていた。でも今は、借りているこの田舎家は、今住むにはいい家だけど、年取るときついぞ、トイレも困るぞ、アクセスも大変だぞ、と思うようになった」と言う。
「私もかつては四国遍路で野垂れ死にでもかまわない気がしていたけれど、確かにそれはちょっと、と思うようになってきた」と言うと
「つまりそれが年を取ったということかな。昔はそれだけ死や老いをリアリティをもって考えられなかったのよ」と彼女。

 その数日後、農業専門学校で一緒だったカナダの同期生と学校の先生宅を訪ねた。年配の先生は、日英の戦友会の人達が、40年たってはじめて交流しはじめた、今ではお互い本国を訪ね合ったりしている、昔は考えられなかった、という話をした。カナダの女性は
「戦争したのに行き来しはじめるなんて、信じられない」と笑ったが、私は何かわかる気がした。
 あの戦争すら知らない人の増えている中で、彼ら同士は当時敵味方だったとはいえ、確実に同時代を行きぬいた、共に過ごしたはらから(同輩)なのだ。私自身も過去を振り返るとき、喧嘩別れした人を思い出すときがある。相手がどうあれ、自分が確実にそのときを生きた証でもある。
 先生は「40年たったからそうなった」とおっしゃる。それも年を取った、ということだろう。

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本当の姿

執筆日:1997/9/19公開日:2003/3/19

 久しぶりに会った知人が
「この前会った時暗かったから正直会うのがちょっと怖かった。でも、今日話してとても楽しかった。何かふっきれたようだね」と手紙に書いてきた。
 この感じはわかるが、自分としてはそう大きく変わったとも思わない。むしろ自分を内側から見ていると、私は常に同じと思う。

 以前、教会学校で、1年生のときは努めてよく話すようにしていたのが、2年3年となるにつれ、慣れてきて面倒になったというのもあり、あまりしゃべらず挨拶もそこそこにしていたら(挨拶すると会話が始まってしまう)、大学生のリーダーらが
「あの子変わったね」と言っているのが聞こえた。
 そのとき、心の中で考えていることはまったく同じ、それは書き留めていることを2年前と今とを比べても証明できるのに、外に示す態度でそんなに違って見えるのか、と驚いた。
 逆に大学のとき、急に思い立ってささいなことでも「ありがとう」と言うように実行していたら、「XXさんがすてきに変わった」とクラスノートに書かれた。このときも、あれー、中で考えていることはまったく変わっていないのに、みんな外の態度で判断するんだ、と感じた。いい人になったと誤解され、いい人を保つのに苦しくなることが予想されたので、「ありがとう」はやめることにした。

 本当のその人の姿、とは何なのか。他人にとっては、実際に対人関係で現れる部分が本当の姿だ。心の中でこう考えていると言っても、実践を伴わなければ意味がない、ととる。しかし、自分自身にとっては異なる。心の中で考えていることが、こういう態度を取ろう、とか、それはやめよう、と決めている。自分にとってはやはり、表面ではないコアの部分が本当の姿だ。

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薄幸ヒロインもの無声映画

執筆日:1999/4/11公開日:2003/3/19

 薄倖の母もの映画を二本だてで見た。無声映画なので、当然戦前の作。その感想を。

 ある女性がお手伝いに行った先のお坊ちゃんの子を産み、郷里へ帰る。しかしふがいない兄と鬼の兄嫁の家にいたたまれず、我が子を託して東京に女工として働きに行き、送金を続けるが悲惨な職場環境にさいごは結核で死亡する、というあらすじ。
 描きようによっては理不尽な社会に翻弄されるヒロインに涙できそうだが、どうも同情する気になれないヒロインだった。

 まず兄嫁は鬼の設定で(無声のため、解説で入る文字にも鬼とある)、表情豊かに鬼らしく熱演しているが、相手の男から養育費を取るべきだ、という彼女は正しい。身を引く主人公は美化されているが、それならその覚悟で子供を育てるべき。養育費はとらない、自分は働かない、相手の名も「それだけは」と言わない、それで「黙って置いてください」では、やはり虫が良すぎる。兄嫁によるいびりのように描かれているが、兄嫁もしゃかしゃか農作業などで働き主婦もこなし子供も育てているところへ、夫の妹が子連れでころがりこんで働きもしない、となりゃそりゃ妻は怒るだろう。
 またこのヒロインには、彼女にほれている地元の青年がいる。でも彼女は奉公へ行くときも戻ってきてからも、彼には一顧だにしない。そして死の間際に、彼に「我が子を頼みます」と託すのだが、これも他人の子を託すなんて虫がいい気がした。しかもそれまで一顧だにしなかった男に。ほれているのをわかっていたなら、けっこうずるい。
 女工長も鬼のように描かれているが、我が子が病気の手紙をしょっちゅうもらって仕事が手につかない彼女に「ちゃんと仕事して」と言うのは当然。むしろこんな女工ばかり集まっている中、よくなんとかまとめているよな、と同情してしまう。
 子供を手元におくべきではなかったかとか、ちゃんとお金が使われているかなぜ自分で調べないのかなど、いろいろ判断ミスの多いヒロインだが、最大のものは、「これ以上無理をして働いたら死んでしまう」と医者にとめられても、「生きている間はあの子のために送金しなければ、働かせてください」と言うところ。昔なら涙を誘う場面なのだろうが、正直この女ばかかと思った。自分が死んで送金が止まるほうが、よほど長期的に見て子供にとってマイナスだろうに、当座の増収のために体を壊す選択をするなんて。

 誠実で思いやりのある女性かもしれないが、はっきり言って愚直な勤勉さだと思った。こうした自分で確認する批判精神のない勤勉さが、戦争に一路邁進を助長する原動力につながったのではないか、とすら考えた。

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ウミウ

執筆日:1998/6/19公開日:2003/3/20

 夏の夕暮れ、ゆりかもめを終点で降りて、東雲のほうへ歩いていると、右手のほうから黒い大型の鳥がV字編成を組み、後方へ飛んでいった。渡り鳥か、と思っていると、また十数羽から成るV字体が、前方から来るのが見えた。
 あれ、と思って空を見上げると、あちこちにV字体が飛んでいた。首の長いかなり大型の鳥で、鴨や雁のたぐいではない。ときには一列だったり、一羽はぐれているのもおり、また追いついて編成に混じったり、気楽なほうがいいのかそのまま編成のそばを一羽で飛びつづけたりしている。3羽くらいで飛んでいるのもいる。とにかくかなりの数の鳥が、東京湾と造成地の上を飛んで行く。大空を次から次へとゆくさまは雄大で、人間の営みにかかわらず、太古から連綿と続く世界の存在を感じた。

 翌日、気になって鳥類研究所へ聞いてみた。おそらくウミウかカワウで、ねぐらへ戻るところだろう、という。
 山など自然の多いところでこれを見たら、さほど感動しなかっただろう。大都会のまん中、ビルや高速道路の上をゆく姿を見たから、何かを感じた。どんなに世の中が変わっても、決して変わらないものもある。

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海外郵便事情

フォーラム書込み日:2001/5/26公開日:2003/3/20

 日本から海外、特に途上国へ手紙を出した場合、レスポンスが悪いとよく聞きますが、これには途中で切手をとられるなどの手紙の紛失だけでなく、以下の事情があると思われます。

1.個別配達システムのない国も多い。
  都市部ならまだしも、地方の場合はP.O.Boxのある町までゆくだけでも大変なようです。町へ出かけた同じ村の人が好意で持ってきてくれる場合でも、村の有力者に読まれるから危険、という話も聞きます(スリランカの人から)。

2.国際郵便の切手代が日本の経済感覚で4〜5000円以上する場合がある(かつて、1970、80年代の中国)。
  こうした場合、手紙を受け取っても気楽に返事を書けないようです。

3.英語で書く場合、筆記体だと手紙を読めないケースが多い。
  ということは、住所もブロック体のほうが無難なのではないかと思います。アメリカに駐在した知人の話では、アメリカの小学校でも筆記体を教えなくなっているそうです(州によって異なる)。これはタイプ、パソコンの普及によるものでしょう。日本でも草書体は絶滅に近いですしね。

 途上国在住の人の話では、検閲のある国の場合、検閲したあと何となく(特に引っかかったとかでなくても、単に怠慢で)そのままほっておかれていることも多いのでは、と言っていました。

 逆に途上国などから発送する場合は、駐在員やNGOのスタッフは外に出る人がいると託して、相手国内から出してもらっているようです。

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キリスト教アラカルト

活東庵公開日:2003/3/20

 イスラム原理主義は有名だが、キリスト教にも原理運動があることを知ったのは、十数年前のことだった。

 正月などに鎌倉や明治神宮などへ行くとよく、「悔い改めよ」などと聖書の言葉の書かれたプラカードを持った人が立っており、スピーカーで説教を流しているのを目にすることがある。あれは一体なんだろうと、キリスト教関係のNGOに手伝いに行ったついでに聞いてみた。そこの人は、詳しくはわからないが、キリスト教新聞の人だったらわかるかもしれない、と教えてくれた。
 それで今度はキリスト教新聞に聞いてみると、
「ああ、あれはグローマンさん」と言う。グローマンさん、とは何か聞くと、なんでもアメリカの宣教師で日本で布教活動を行っている(あるいは行っていた?)人で、グローマン派と呼ばれるプロテスタントの一派だ、とのことだった。聖書を文字通り解釈する宗派で、一種の原理主義だと言う。全国津々浦々、特に田舎に行くとよく目にする、黒地に白または黄色い文字で「悔い改めよ」だの「私はよみがえりであり命である」などの聖句の書かれた看板も、グローマンさんに共鳴した学生たちが貼ったものだとの話だった。

 キリスト教といえば、すでに成熟した宗教というイメージも強く、親族にもキリスト教信者が多く慣れ親しんできたので、原理と聞いて驚いた。原理主義が多いのはアメリカで、過激なカトリックの一派は、中絶を行う医師や病院を爆破するテロ活動を行って一時期問題になった。

 ところで、日本最大のプロテスタント集団は日本キリスト教団である。ここは民族系のプロテスタント集団だ、と誇る牧師さんもいる。いわゆるメソジスト派など欧米の宗派が開いた集団は、向こうの出先機関のようなところがあり、日本人向けのキリスト教になっていない、日本キリスト教団は純粋に日本人が作った教団でお金も日本で集めているから紐付きでなくて良い、という。
 一方日本キリスト教団は太平洋戦争のとき、軍部によって日本のプロテスタント宗派が無理やり一つにまとめられて生まれた集団の名残だ、宗派はあまり関係なくさまざまな系統が入り混じっている、XX派に属さない単立もあれば福音派もあり、洗礼の方法一つ取っても頭に水を垂らす通常のプロテスタント形式から全身を浸すものまでさまざま、ごちゃごちゃになっている、という牧師さんもいる。

 日本に渡ってきたキリスト教は、欧米経由のためバタくさくなっている、という人は多い。クリスマス(キリストの誕生日)が12月25日になったのは、ゲルマン民族を勧誘するために彼らの冬至祭を取り入れたからだと言われており、カトリック以前の古い宗派や(マロン派やコプト教会など)、カトリックやプロテスタント経由でない宗派(アルメニア教会、東方教会)は、クリスマスが1月6日だったり7日だったりする。ハロウィーンなどはどう考えても元のキリスト教とは関係なく、欧米版お盆の習俗がキリスト教化したものに思える。だから、日本のキリスト教も日本人にあった、日本化したものであっていいはずだ、と言う牧師さんは多い(信者獲得のためだが)。実際、日本のキリスト教会にもっとも人が集まるのは、クリスマスでもイースターでもなく、11月第一週に行われる永眠者記念礼拝だという(要するにお盆、先祖崇拝を好む日本人にあっている)。

追記:
 知人に、田舎の実家にグローマン派の例の黒地に黄色い文字で記された聖句の看板を貼られた人がいる。彼女に「どうやって貼られるの?」と尋ねたところ、何の断りもなく、いつのまにか貼られていた、という。通常、看板を貼る場合、その家にいくばくかのお金を払うものだが、当然お金は支払われていない。「じゃ剥がしたの?」ときくと、そのままになっている、という。なぜ剥がさないの、ときくと、気持ち悪いし誰が貼ったのかわからないし何となく・・・とのことだった。
 今まで、「貼ってもいいですか?」みたいな断りがいちおうあって、地方の人だから人が良く「ああいいよ」みたいな感じで貼ってあるのかな、と思っていたが、勝手に貼ってゆくものらしい。

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ストーカー

執筆日:2000/5/10公開日:2003/3/21

 以前勤めていた会社に、難関国立大生の息子を持つ同僚がいた。ある日彼女から、パソコンでパスワードを解除するなどして、強制的に中身を読む方法を知らないか、と尋ねられた。当時はまだMS-DOS時代、一太郎などもバージョン3か4、表計算のロータスだろうがデータベースの桐だろうが、要するにほとんどすべてがテキストベースで保存されており、つまりテキストで覗けさえすれば、ソフトが何だろうがパスワードがかかっていようが、簡単に中身を見ることができた。
「できるけど、何に使うんですか?」
「息子がね、映画のサークルに入ってシナリオ書いているらしいんだけど、どうせ大したもの書いていないと思うんだけど、どういうものを書いているのか、見てみたいのよ。でも一太郎で見ようとしても、パスワードがかかっていて見られないの」
 彼女はこれまでにも、なかなかすさまじい話をしていた。息子がうちを出る、と言い出したとき、自宅から大学へ通えるはずなのに、とまずそこで大騒ぎがあった。しかし息子は下宿生活を決行した。すると彼女は、合鍵を作ってしょっちゅう息子の下宿へ行っては、掃除、買い物をするようになった。「この前、息子の部屋に行ったら、また汚くしていたから、きれいに整理してきてあげたの。なんかわけのわからないビデオがいっぱいあったから、全部捨てたのよね。そうしたら息子が、勝手に捨てた、て私のことを怒るの」
「そのシナリオを見る件、息子さん、同意しているんですか?」と私は聞いた。
「ううん、どうせ見せて、て言っても、断られるから聞いていない」
「ほっといたほうがいいですよ」と私は言った。
 彼女はまた他の人に聞きに行った。

 その後、ストーカーの存在が話題になるようになり、その”愛情”の対象への執着などについて耳にするにつけ、彼女のことを思い出す。ストーカーになった人達は、ひょっとして母親からそうした監視のような愛されかたをしてきたのではないか、と思うのだ。そしてそれが”愛情”だと学習してしまったのではないか、という気がする。

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最近なんだかなと思うこと

活東庵公開日:2004.11.22

 NGOや環境等の活動に参加する人達と語る機会が何度かあった。活動の始まった80年代、NGOやフォーラムの主力メンバーは皆20代。それが今や30代後半から40代半ば、やはり年取ったかと感じることも多い。そうした感想を何点か。
1.今はフリーライターをしている人が多い。しかし基本的にライターだけで食べている人は一人で、他の仕事もこなし収入的にはそちらがメインの人も多い。活動に関わった後、NGO関連で就職しなかった人の一つの帰結の形か。
2.私もその手の発言をしがちなので自戒をこめた内容になるが、”まだ今みたいに流行っていない頃XXをやった”と自慢気に話す人が多い。その手の語りを聞くと自意識の高さが鼻につき、そんなにマイナーであること、て大事?と皮肉の一つも言いたくなる。一般的には、流行して参加者が増えたほうがレベルがあがり、だからスポーツでも学問でも裾野を広げる活動に熱心だ。流行っていないときに手を出す少数派(良く言えば感度の高い人、悪く言えば変人)は貴重ではあるが、繋ぐ役割、橋渡し期間だろう。(自分も含めた)変人はバランス感覚ないことが多いから、なかなか多数に伝わるものを持てず、大概ミーハーも参加し始めた頃に始めた中から優秀な才能が現れる。自慢と回顧で終わらず、バプテスマのヨハネと自覚して橋渡しに徹するのも役立ち方の一つかもしれない。
3.問題(少数民族、環境etc)に興味を持ち始めたばかりの人を見下した発言を無考えに発し、気になる。これは、難民救援型NGOで働いていた頃にも感じた。わかっている人わかっていない人、と分類したリ、”集会のフリートークで参加者から”感動した”の類のレベルの低い意見が出てどうしようと思った”と言うなど、自分達の問題意識の高さに対する特権意識のようなものを感じる。一般の人に知ってもらいたいから集会開くのであって、その相手のことをそう言うようでは、いずれ向こうから願い下げされる日が来ると思う。
4.背景説明などでも、あくまで説の一つに過ぎないことを、断定的に言う。以前、この手の人達と集まるともっと自由闊達に意見が飛び交う雰囲気だったのだが。全共闘世代と80年代NGO走り世代との違いに、単純な二項対立や一刀両断な物言いはしない点があったと個人的に思うが、やはり年取ったか。異議に対する許容度が大幅に低下しつつある。実生活ではまだまだ組織に取り込まれていないつもりでも、思考は完全に守りに入っている。

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少子高齢化

活東庵公開日:2005.6.20

 大学の先輩何人かと、年に1,2度会う機会がある。たまたま、みな某有名外資系企業に勤める女性たちで、その企業で働く他の女性たちも呼ばれてワイワイ話す。つまり私一人が同窓のよしみで呼ばれているだけで、勤務先が異なる部外者だ。
 集まるメンバーはほとんどが独身(最近やっと一人結婚したが)、高給取りの彼女らは総じて気が強く意気軒昂だ。

 お店へ行っても、何かで店側のサービスに問題があると、店の人を怒鳴るときがある。それが、何に対してなぜ怒っているのか、私にも理解できないようなささいな(と私には感じられるのだが)ことが多い。
 おそらく彼女らも、仕事でそれをやられているのだろう、とは思うが。JRの脱線事故ではないが、ちょっと遅れただけで、物凄く怒る人も多い。そういう人もどこかで働いているわけで、その仕事ぶりや提供するサービスに対してガンガンやられているのだろう。日本全体がそういう雰囲気なのかもしれない。それはさておき。

 彼女たちの不満は、まず、所得に対する税金が高すぎること。
「扶養家族のいる人なんてさあ、配偶者控除だの子供の控除だのいろいろあるじゃん?あたしたちなんてさあ、何にもないんだよね」
「地方税なんて学校の設備だの公園だの老人医療だのに使われているわけでしょ。子供がいなけりゃ使わないところばかりで不公平だよ。もっと働く独身者が楽しめる夜間フィットネスとかに使うべきだよ。それが控除もなく、税金ばかりがっぽりとられてさあ、そういう子供だの老人だの、税金払わない、扶養のいる人たちのためのところに回っているんだよ。働く独身者に愛の手を!て言いたいよ」
 こちらは、この集まりのメンバーの中では一人年収も異なり、税金もあまり払っていないので、この手の話題は少々苦手だが、それにしても、税金にはもともと、所得の再分配の役割もあるのではなかったか?
 彼女たちは、年金にしても、最初から国の制度をあてにしていない。あてにせず、自分で民間の個人年金に加入したり、マンション投資その他に運用する資金をちゃんと持っている(ちなみに彼女らは地方出身者がほとんどで、パラサイトでもない。実家は他の兄弟が継いでいたりする)。セーフティーネットはいらない(と今のところ思える状況にある)人々は、こうした相互扶助制度からぬけたがっている。そしてセーフティーネットを必要とする低所得者層や、子供や老人など”弱者”を抱える人たちが、国の制度をあてにしている。でも、子供も社会の再生に必要な資源なわけだし、老人は今まで社会を支えてきた人たちなわけで・・・。

「この前さあ、母校のセミナーで、(TVの討論番組の司会などで有名な)T.S.の公開討論でホリエモンとか来ていたわけよ。T.S.、てばかな女が好きじゃん。T.S.が司会に連れてきた女が、いかにも彼がすきそうな、ばかな女なわけ。ホリエモンに対しても『えー、ホリエモンさーん、何とかかんとかですかあ?』(とわざと可愛い子ぶった声をだし)とか言っちゃってさあ、わかるでしょ。ホリエモンも一言話して、あ、こいつばかだな、てわかったみたいで、もうそれ以降その女のことは全く見向きもしなかった」
「それは人選ミスだよねー。でもT.S.とか、てそういう感じだよね」
と他の女性たち。
 まあ、確かにあの世代やその直下の全共闘は、リベラルだが男尊女卑を引きずっている世代だ。しかし、あまり”ばかな女””ばかな女”と連発されると、かえって反撥してしまう。いいじゃん、ばかな女でも、そういう女を必要とする人もいるわけで、だから司会にも選ばれたわけで。嫌だったら聞きに行かなければいい。それに、そういう人のほうが、ミスると、反論を許さぬ論理的攻撃的口調で追い詰めるタイプより、司会として、しまりはなくても安心できると判断されたのかもしれない。

 ところでメンバーの一人は待機に入っている。復帰の見込みのない待機で、要するにリストラだとも聞いたが、当人は戻るつもりでいる。つなぎで働いている同業の某日本企業の女性社員たちについて、
「全然レベルが違うんだよね。自分で考える訓練を受けていない、ていうか、そういう機会を与えられなかったからだろうけど、言われたことをただこなしている、ていう感じなんだよね。仕事に対する姿勢が全然違うよ」と評する。そしてやはり某外資はすごい、とみなで納得、何だか飲み屋のおやじたちに似てくる。
 待機に入った人はさらに
「日本のメーカーのシステムエンジニアなんかもさあ、チェックしないとミスがあったりするじゃん?あとでわかって修正に時間かかったりで、後処理が大変、ていうか信用できない、ていうか、レベル低いんだよね」
すると、メンバーの中で一番仕事ができる(と私が見ている)女性が
「チェックするのは当然だよ。それで向こうのスキルもわかるし、スキルの問題でなく、こっちの理解と向こうの理解が違うのかもしれないし、最初のうちは必ずチェックすべきだよ」
「そうか、チェックすべきだったのか・・・」
「当たり前だよ!横着しちゃだめだよ。前メーカーの男の子から、『あなたははじめて僕たちを人間として扱ってくれました』て言われたことあるんだよ。大体うちの会社のSEは、設計だけ組んで後はぶん投げて自分は左団扇でメーカーの人間を奴隷みたいにこき使う奴が多すぎるんだよ」

 日本の会社でも女性を重用しようという米本社の方針の一環として、最近重役に抜擢された女性がいる。この仕事の出来る女性はその人と同期とかの話で、
「最近XXさんすごく太った」
「え、そうなの?このところ会う機会ないから、今の状況知らないんだ」
と他の人たち、唯一子供のいるメンバーが
「そうお?そうでもないわよ。以前とそんなに変わらない」
「いや、絶対太った。縦横同じ。あれはストレス太りだ」
「へえー」
「だから大袈裟だ、てば。そんなじゃないわよ」

 みなと別れたあと、何となく疲れた、と思いつつ、こういう人たちが母親にならなくて良かったのかも、と、ふと思ってしまった・・・。いや、なれないと言うべきか。物理的に世話すべき”弱者”を抱えていては”仕事の出来る人”にはなれない、という意味からも(世話人こみで抱え自分は稼ぎに特化なら別)、こうした効率と結果最優先で余裕のない精神状況で育てられる子供も受難、という意味からも。

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ガンジーの嫌いなインド人

活東庵公開日:2005.7.20

 先日、ヒンディーを学ぶ人たちとインド人宅を訪問する機会があった。中国人や韓国人とはこれまでも話す機会があったが、インド人と政治的な話をするのは初めて。日本語のよくできる人だったので、会話は日本語。
 そのインド人いわく、「インド人はガンジーのことはあまり好きでない、はっきり言って海外では有名ですが、普通のインド人は嫌いですよ」と言う。理由は、彼がいなければもっと早く独立できた、彼のやり方でなければ、パキスタンとバングラデシュが分かれることはなかった、と言う。「非暴力なんて非現実的ですよ。非暴力で交渉していたからパキスタンが分離してしまった。彼のせいでそうなった。弱い人はだめ。インド人はそう思っています」
 意見を聞いたことのあるインド人の数が少ないため、一般的なことはわからないが、意外に彼らは力信仰なのでは、と感じることがある。プライドと忸怩たる思いをかかえているようだ。

 ところで、学校で使った歴史地図帳を見ると、インド亜大陸は東インド会社の時代まで大陸全体が統一されたことがない。ムガール帝国時代も、南部にマイソール王国など複数の別の王国があった。つまり、現在のインドの範囲は東インド会社を引き継いだ形なわけで、植民地の境界線を継いだことになる。清が実質的に現在の中華人民共和国の範囲をほぼ支配していた中国に対し、その点が異なる。
 ムガール帝国にしても北部のみ、それ以前のどの時代もインド亜大陸統一王朝がなかったにもかかわらず、なぜインド人がパキスタンもバングラデシュもインドの一部だと主張するのか、その根拠がよくわからない。彼らなりの理由、根拠があると思うのでいずれはっきりさせたいとは思うが、歴史的経緯から見ても中国とはかなり異なる国だ。まとまりがあるのかまとまれるのか、インド人としてのアイデンティティーをどこに見ているのか。ただ、”血”を大事にする東アジアと異なり、アーリア系の彼らは異民族を含めた帝国をドライに支配するのは得意そうな気もする。

 余談だが、ヒンディーを学ぶ人はサリーなど衣装が好き、踊りが好き、”巡礼系なんです”とヒンドゥーの祭りやアシュラムへ行くなどの人がほとんど。いわゆる”ファン”が学ぶ、少し前の中国語や韓国語に似ている。ビジネスや利害から学ぶ人も増えると、見方にバランスがとれてくる。

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言える人言えない人

活東庵公開日:2005.7.20

先日、飲み会で痴漢の話になった。飲み仲間の男性諸氏は、電車内で痴漢と間違われぬよう、いかに苦心しているか語る。そして、冤罪は論外として、女性の中にも「この手誰の手ですか」と自分で解決する人と言えない人といるよね、なんで言わないの、どんどん言えば減るんじゃないの、と口々に言う。私も車内トラブルは痴漢に限らず言うほうなので、痴漢被害にあっているのを見た場合、高校生以下なら助けるが、OLの場合だと実は内心、自分で何とかしろよ、と思う部分がある。
 山口県の高校での爆弾事件や、両親殺害事件など、最近の中高生が突然切れる事件にしても、からかわれた内容が嫌だ、親の命令が嫌だ、ということを言えないまま、いきなり殺害をはかる。「何で言わないんだろうね」と全共闘世代系の飲み仲間も不思議がる。主張することによって発生する波風よりも、一気に殺害してしまったほうが面倒でない感じがある。
 支配被支配の関係に陥り、殺害に至る事件も多い。外から見れば数人の女友だちの関係が、実は一人の女性が他を支配しており、相互殺人をさせた事件、あるいはカップルの男性が女性の一族を心理的に支配してほとんど殺害してしまった事件(これも当人は手を下さず相互殺人をさせている)を見ても、支配する側に立つ人と、言いなりになる人との関係に陥りやすいパターンがある。性格なのか何なのか、最近気になることの一つだ。戦時中、あるいは文革中のような雰囲気になったときの関係にも、確実に関わる内容だと思う。

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君が代

活東庵公開日:2005.7.20

 中国が反日教育を進めて、戦争体験世代でない若い世代が、実体験からではなく頭での理解から人工的な”愛国心”を燃やした結果、日本は悪だから成敗して当然だ、という雰囲気になる可能性がある。その場合、レジスタンスは当然すぎるほど当然になってくるが(AA諸国のレジスタンスを褒める立場の人も、これには異議はないはず)、その場合、日の丸はシンボルになりうるが、君が代はどうもなあ・・・というのがある。何だかレジスタンス・ソングにならない。本当に危機的な状況になったときに、フランス国歌や中国国歌のような曲が出てくるのだろうか。
 ところで義勇軍行進曲だが、元になった中国映画を見たときにいい曲だな、と思った。映画そのものは一般に言われているような、バリバリの抗日映画ではない。基本はハイソ女性と貧しいが溌剌とした女性の間で揺れる文弱男の恋愛映画で、前半はむしろデカダンスの雰囲気すら漂う。さいご抗日運動に身を投じた溌剌女性が義勇軍行進曲の流れる中、民衆とともに進む場面で終わる。反日というより、当時の中国人へのメッセージで、そこから自然に歌われるようになったのだろう。

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最近の若者

活東庵公開日:2005.9.1

 新卒で入社した会社の同期何人かで集まった。同じ会社に勤め続けているのは一人だけで、あとは別の職場で仕事を続けている。
「最近の若い子が考えていることがよくわからなくて」と一人が言うと、みな頷く。私が
「変にプライド高い人多いよね」と言うと「そうそう!」と彼女ら、「なんか仕事中のミスを注意するのが難しい、ていうか、ものすごく傷ついたり、逆に切れたり恨まれかねなかったり」
 学校の先生から聞いた話を思い出した。最近の大学では、学生による先生の評価をアンケートにとったりしている。大学に残って講師をやっている友人は、悪い点数をつけた学生から「殺意を感じました」と書かれたことがあるという。べつの私立高校の教諭からは、私立の中学高校の先生は、常に2ちゃんねるなどで自分の名前を検索してチェックしている、という話を聞いた。たいてい生徒が何か書いており、自分も書かれているが自分はそう悪く書かれていない、でも数学や英語など受験に直結する教科の先生は、ちょっと気に入らないことがあるとボロクソに書かれてかわいそうだ、あのインターネット、ていうのか?あれは本当ひどいよね、と年配のその先生は言っていた。
 この話を皆にすると、その雰囲気は通じるものがある、わかる、と言う。
「でも会社はまだ入るときスクリーニングされているから、ましなんじゃないの?」と言うと、 専門学校の先生になった人が
「いやー、うちなんか生徒選べないからさあ、何でも入れちゃって、『さあ、授業始めるよー』て言っても教室の壁ひたすら蹴り続けている奴とかいたりして、頭のおかしいのが多いよ。無視して授業始めるけどね」

 昨今の自傷行為も他傷行為も、高いプライドを回りに支えてもらえず、それを埋め合わせるために行なっている。掲示板やブログという手段は、その簡便な捌け口になっている。

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洪水

活東庵公開日:2005.10.22

 世界中で、ハリケーンだの異常気象だので洪水が起きているが、洪水というと、吉野川流域の村で生まれ育ったという大学の先輩の話を思い出す。
 昭和三十年代生まれの彼女の村では、子供の頃台風が来ると必ず洪水になったと言う。村で「大水が出るぞお」と声がかかると、家族みなで一階の荷物を二階にあげる。畳もあげた。二階に物を持ってゆくと、すでに蛇が避難していて、とぐろを巻いていることもままあった。そういうときは「お兄ちゃん、蛇がいるよお」と言うと、兄貴がしっしっと隅に追いやってくれた。最後に一階は柱だけ残して、土壁をすべてぶち抜いた。そうすれば家が流されることはなかった。昭和四十年代頃まで、そうして川と付き合ってきたという。それが治水工事がなされた後は水が出なくなり、一階をぶちぬくこともなくなり、今風の家を建てるようになった。
「動物、てさあ、水が出るのを事前に察知するんだよね。蛇だのねずみだのが、大水の前にはさー、といなくなるの。でもときどき逃げ遅れるのがいて、水嵩が増す中、人家めざして泳いでくる蛇がいるんだよね。そしたらさあ、また悪い奴がいて、同級の男の子たちなんか、そういう蛇めがけて紐に石を結えて投げるんだよ。うまく巻きつくと沈んじゃう。祟られるよー」

 一階の土壁をぶちぬいて洪水をやり過ごす生き方、川とのつきあい方は、そのままの形で今の時代に蘇らせることは無理でも、大切な発想かもしれない。

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車内バトルその1

活東庵公開日:2005.10.22

 数年前、満員の通勤電車内でのこと。足を踏まれたのでふりかえると、酔ったおじさんが「なんだよその眼は」とどついた。別に睨んだつもりはないのに変なこと言うので、「人の足踏んでおいてよく言うよ」と答えたところ、「なんだと!それだけ気が強い、てことはお前日本人じゃないな。朝鮮人か!」「凄めばびびるとでも思ってるのかよ」(と頭にきた私)、するとおやじは急に周囲に対して「これだけ気が強い、てことは、僕はこの人は日本人じゃないと思うんですよね」と愚痴りだした。周りはよくも悪くもトラブルとはかかわらない。がしかしこのときは正義の味方君がいて、「大丈夫ですか?」と聞いてきた。私はあまり助けられたり同情されるのが好きではないので、「一人で対応できるから大丈夫だよ。あんたの助けはいらない」と言ったところ、正義の味方君はおやじのほうへ向かい、何やらなだめる調子で話しかけ始めた。その効あってか、酔っ払いおやじは去り際、「今度もし会ったときは平和にお茶でも飲みましょう」と陽気に片手を挙げて降りていった。妙なおやじだった。
 ところで、以前にもこうした際にお前XX人か、と言われたことがある。何かそうした発想があるのだろうか、関係ない気がするけど。英字雑誌を読んでいただけで中国人ですか、というのもあるが、私は日本人です。

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車内バトルその2

活東庵公開日:2005.10.22

 新卒で入社した会社の同期が昼休みにしてくれた話。
「この前バスに乗ったら、子供がチョロチョロ走り回っているのよね。バスが揺れると周りの人にぶつかってみんな迷惑そうだったし、親が注意しないから、その子に
『ちゃんと座っていなさい』て注意したの。それでもやめないから、ぱちんて叩いて
『皆に迷惑だから座りなさい』て言ったら、その親が怒って
『子供だから言ってもわからないんです』てケンケン言うのよ。変な親だなー、て思って
『あなたねえ、犬の子だってしつけりゃ言うこと聞くんだよ。言ってもわからないんじゃ、あんたの子供は犬以下だね』て言ったら、車内は大爆笑、拍手が起こった」
「それでどうなったの?」普段からはっきり物を言う彼女を恐れている同期の一人が冷ややかに聞く。
「やっぱ子供、てわかるんだよ。『あ、僕のことでお母さんが何か言われてる』て感じたみたい。しゅんとなって母親の隣に座ったまま、一歩も動かなかった」と得意げな彼女。
「でその母親は?」
「眼つりあげてヒクヒクしていたけれど、何も言わなかった。当たり前じゃない、言い返せるわけないでしょ」背の高い彼女は、低い声でクールに話す。
 私も爆笑したが、笑わない人もいた。その彼女もアメリカ人と結婚して、今では子供がいる。

 ところで、永井荷風の「断腸亭日乗」にも、銀座のレストランで傍若無人に走り回る子供についての記述がある(昭和八年十月二十四日)。猿のごとく走り回り、ナイフで壁を叩き、父母と見ゆる者制止もせず為すがままにして愧ずる様子もなし、とある。思うに、いつの世も一定のパーセンテージでこの手の人はいたのだろう。荷風も「今の世の親たちは小児のしつけ方にはまったく頓着せざる如し」と書いてはいるが、戦前だろうが明治だろうが、江戸、室町、縄文にだっていたのだろう。そしてその手の人間を再生産している。絶滅しない、ということは、だからといってホームレスになったり食い扶持もなく飢え死にするほどのこともない、ということだ。そこそこ働けて、結婚して子供も育てられる。多少迷惑でも、まあその程度、社会的には許容範囲内であるらしい。

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大学講師のつぶやき

活東庵公開日:2006.2.26

 大学で教える友人たちと集まった際、聞いた話。彼女らが言うには、一芸入試はだめ。そりゃスポーツでは全国大会X位かもしれないが、英語で原書を読もうというレベルの学生と、関係代名詞もよくわからない学生を同じクラスで教えるのは無理がある。
 また、学生の学力は確かに落ちているという。今彼女が教えている大学のレベルでは、さすがに受験勉強をして入っているので受験科目については詳しいが、常識部分がすっぽり抜け落ちている学生も多い。たとえば日本史をやっている学生は世界史をまったく知らない、世界史で入った学生は、わざわざ勉強しなくても身についていそうな常識的な日本史の出来事をまったく知らない。昔に比べ、特別学ばなくとも日常生活で身についた雑学を得にくい社会、教育システムになっているのではないか、という。
 さらに「来年からゆとり教育の子供たちが大学受験の年齢になるのよねー。今ですらこうなのに、あたしどうなるのかと思って」「あたしも!あれ相当ひどいらしいわよ。高校の先生やっている友達に言わせると」「1972年に小学生中学生だった年代が最もいい教育受けていたんだって。それ以降はがた落ち。でもあの後また教育要領が変わったでしょ。だから今の小学生はいいらしい」「その子達が大学に入ってくるまで、しばらく大変だよね」「そうよね。講義の内容も相当変えないといけなくなるんじゃないか、て今から戦々恐々としているわよ」

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高尾山修行場の洞窟

活東庵公開日:2006.5.20

 ある冬の晴れた日、久しぶりに高尾山に出かけた。高尾は子供の頃から登り慣れた山で、いくつか頂上へ向かうコースがあるが、登りは急だが距離の短い琵琶滝コース、帰りは展望のよい稲荷山コースをよく利用していた。
 さて、いつものように琵琶滝コースに入る。このコースは、ちょっと行ったところにお寺がある。滝修行をするところだが、その手前には弘法大師を祀った洞窟があり、ろうそくがともされていた。
 弘法大師か、四国遍路も回ったことだし、拝んでゆくか、と洞窟へ下りてゆくと、洞窟の中にものすごい量のお供えが所狭しと並んでいた。りんご、みかん、そしてなぜかチヂミ、ハングル文字のパッケージのお菓子などもある。洞窟は2つあるが、奥の洞窟も同じ状態で、その前に中年女性が二人、向かい合って立っていた。一人が首を垂れ、何事か祈っている。もう一人は、赤青黄緑白色の五本の旗を持ち、その旗で祈っている女性の体をなでながら、やはり何事か呟いていた。韓国人か、ここは在日の人達のムータン信仰の場となっているのだろうか。以前はそうでなかったはずだ。誰か願を掛けたら実現し、口コミで広がるなどしたのだろうか。
 弘法大師像は奥の洞窟にあるので、真剣に祈っている二人の邪魔にならないよう、お賽銭をしておまいりをすませた。大師像にもたくさんのお供えがされていた。
 本道に戻る右脇に注意書きがあり、見ると、お供え物は残さず持ち帰るよう、と日本語とハングルで書かれていた。
 稲荷山コースを下り、高尾山口駅で電車を待っていると、別の韓国人中年おばさん3人づれがいた。彼女らも琵琶滝コースの洞窟が目的だったのだろうか?
 ずっと気になっている。

追記:その後、ここは仏教の修行場だということがわかりました。詳しくはこちら

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B型

活東庵公開日:2006.7.10

・大学の体育局のバスケ部で本当にあった話。いちおう、大学一部リーグで、全国大会優勝チームのキャプテンやインターハイ出場者など、実業団の引きのあった人もいるチームの話である。

 練習試合をするため、コーチがメンバーの力を考え、均等に分けた2チームを作った。試合が始まると、なぜか片方のチームだけどんどん点が入ってゆく。結局大差がつき、これには皆不思議がった。
「えー、なんでー、AさんにはBさんでしょ、CさんにはDさんでしょ、そんな差はないはずなのに」
 そのとき、キャプテンだった華僑の先輩が
「わかった!勝ったほうは全員B型だ!」と言い出した。「みんな自分がボールを持ったら絶対放さない。ほかの人には渡さないで、自分でドリブルしたりしてシュートまでもってゆく。打つ本数が全然違う。それがたまたまみんな入ったから、調子に乗ってどんどん入れて点差がついた。負けたほうはM(中学の全国大会優勝チームのキャプテンだった人で、一番うまい)もA型でしょ、ほかもA型かO型じゃない。パスをぐるぐる回してばかりで、誰も打たない。トップのMも、あまり自分で打たないじゃない」
 サッカーのワールドカップ日本戦を見ながら、このときのことを思い出していた。

追記:高校時代の恩師は、「どんなにドリブルがうまくても最終的にシュートに結びつかなければ意味がないんだ」とよく言っていた。
 世界大会で何度も優勝した頃の女子バレーの全日本エース(そういえばあのチームもレギュラーは多民族だったな)白井貴子が「バレーなんて下手だっていいんです。点さえ取れればいいんですよ」と雑誌で語っていたことが、球技の真髄を示しているようで印象に残っている。

・前にも一度書いたことのある話だが、過去ログに残さなかったので、再度アップ。
 献血ルームの前を通ると、たいていA型やO型は大ピンチで、AB型がその次くらい、B型は必要、と最低緊急度のことが多い。以前、周りで「B型は献血する人が多いのかね、それとも怪我や病気をあまりしないのだろうか」と話題になった。ためしに献血ルームの人に聞いてみると、Aは人数が多いから常に少ない、ABは人数が少ないからやはり確保が難しい、というだけであってどの血液型も常に必要としています、という答え。
 その後も献血ルームの前を通るたびに注意してみているが、やはりAやOより緊急度が低いことが多いようだ。なぜだろう?

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最近の話題から(国会図書館/秋田事件/ネット)

活東庵公開日:2006.7.10

・最近国会図書館を使う機会があったが、少し前の新聞に、行政改革による民営化や大学の独立採算制などの一環として、国会図書館の予算も削減されるという話がのっていた。このため、出版されたすべての本や雑誌を収集しきれなくなる可能性があるという。
 これはまずいのではないか。ちょうど探していたものが、終戦直後の特殊な雑誌だったのだが、国会図書館には保存されており、さすがだな、と思ったところだ。こういうところでお金をけちるのは、あとあと後悔することになると思う。

・秋田の小学生殺害事件、真相はともかく、容疑者とされる人に対する、高校時代の卒業文集の寄せ書きは酷い。もし彼女が犯人なら、これを書いた人たちは殺人者を作った一端を担った責任があるのでは、と感じる。集団を頼みにすると、自分のしていることについて鈍感になる人が多い。

・東京新聞の「ネット旋風」の連載記事は時宜にかない興味深かった。インターネットが席捲し、広告収入の形態も変わり、既存メディアには逆風が吹き始めているアメリカの状況が取材されている。
 東京新聞には「こちら特報部」など、後から掘り下げた記事も多い。長い目で見た取材記事は、普通の人にはなかなか書けない。
 また、インターネットを発表の場にする人は増えているとはいえ、全員ではない。何かすぐれたことをしている人や組織がサイトを持っていたとしても、表現下手のしょぼいサイトだった場合(結構ある)、よく知るためには直接取材する必要がでてくる。Wikipediaなども、IT関連なら実際に携わっている人からどんどん書き込みがあるだろうが、たとえば農業などの場合、知識だけの人は書き込むだろうが、実際に経験している農家がどのくらい書き込むだろうか、という疑問はある。脱サラ有機農業系の人は元ホワイトカラーでおしゃべり好き、主張好きで書き込むかもしれないが、代々農家の人が積極的に書き込むか、というと、あまり期待できない気がする。
 おそらくインターネットから抜け落ちる世界はたくさん出てくる。やはり専門の記者はいる。各新聞社のニュースを並列してアクセス回数を誇るGoogleなどは、本当は著作権的な使用料を払うべきだと思う。彼ら専門記者がいなくなれば、並列もできなくなるのだから。

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かわずのたはごと

活東庵公開日:2006.9.20

・CDTVをいつも見て思うのだが・・・登場する歌手はみな最初、判を押したように、「CDTVをごらんの皆様こんばんわ。XXです」と名乗る。アルバム紹介のときは最後に必ず「それではちょっとづつですが、どうぞ!」(”ちょこっとづつ”その他表現にはバリエーションあり、内容は同じ)で締める。
 必ず毎回見ているわけではないが、見た中でこのワンパターンのフレーズを言わなかったのはDragon Ashのみ。ロック系もヒップホップ系も出演する。お前ら反骨のロッカーだろ、と突っ込みたくなる。

・今年春まで3年間、シニアボランティアとして農業技術指導でアジアの国に滞在した人から聞いた話。
 報告のため、毎年日本に戻るのだが、J☆CAの事務所に行くと、前回いた人がおらず、ほとんど入れ替わっている。説明会でもそうだったが、アウトソーシングとかで職員ではなく、派遣の若者がそうした事務や案内を行っているという。
 経費節約なのだろうが、効率やコスト最重視の思想を持つ団体が開発援助を行ってよいのか、という根本的な疑問が浮かぶ。そもそもそういう弱い立場、使い捨ての対象にされている日本の若者から”開発援助”すべきじゃないのか、と思えてくる。

・日ごろから疑問に思っていること:その1
 外で弁当を食べると蟻がついてくることがある。それを会社など別の場所で気づいてはたき落とした場合、蟻は自分の巣穴に戻れるものなのだろうか?犬はかなり長距離戻るが、蟻はどのくらい戻れるものなのだろうか。それも自力歩行で来たのでない場合・・・

・日ごろから疑問に思っていること:その2
 太陽はずっと地球に注ぎ続けている。
 ソバ蒔き用に確保してある土地に雑草が生えた。除草しようと思いつつ、待てよと思った。植物は土からの栄養だけでなく太陽エネルギーも光合成で取り込んでいる。ある程度成長したところで鋤きこんだほうがその土地にとっての(そして地球全体にとっての)エネルギー量は増えるのではないか?そう考えたのだ。
 太陽光線は何億年も前から地球に注いできた。その間ずっと熱を得ているし、生物が発生し植物などでも取り込むようになっている。地球の総エネルギー量は、原初よりも増えているのだろうか、そして植物などにより、さらに取り込めるようになっているのだろうか?
 長年気になっている。

・思考は耕作に似ている。 一気に達することはないが、絶えず本を読み話を聞き経験を積み考え続けてゆくうちに、徐々に深耕され、練れてくるところが似ている。

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シミュレーション

活東庵公開日:2006.12.10

 以前たまごっちが流行ったとき、同じたまごっちを複数並べて、どれもみな、まったく同時刻に飼育を開始し、同時刻に餌やりをし、同時刻に遊んでやる、と完全に同じ育て方をした場合、性格に差が出るのだろうか、それとも何かランダム値処理のようなことをしていて、偶然の要素も入れているのだろうか、と考えたことがある。元々プログラマーなので、あの手のゲームを見ると、どうしてもそうした動き方や設計が気になるのだ。そしてなんとなく、ゲームの攻略、と言っても、あるデザイナーかSE、プログラマーが設計した世界の範囲内なんだよな、その手のひらの上で遊んでいるだけなんだよね、という気が強くする。
 そしてつい最近発売されたWii。テニスやりたきゃ実際にやりゃいいじゃん、と思ってしまう。みんなシミュレーションが大好きだ。流行のリアルな 3D CG ソフトも、いかにリアルに見せるかが肝要。でもあくまでもシミュレーションはシミュレーション、どんなに本物そっくりに近づけても、本物では絶対ない。でもみんな、出来るだけ似せよう似せようとし、見るほうも似ていれば似ているほど、すげえ、となる。
 実はディズニーランドもシミュレーションだと思っている。というか、DLに友達と行ったとき、初めてシミュレーションの世界を意識した。そのとき入ったジャングルクルーズに、これってニューギニアかアマゾンをイメージしたシミュレーションだ、と感じたのだ。本物のニューギニアに行ったほうが、確実に面白いに違いない、とも。(結局DLにはこのとき1回しか行っていない)

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検索エンジン

活東庵公開日:2007.2.11

 グーグル革命、などと云われており、TVで報道もされているが、グーグルの検索機能には若干疑問がある。というのは、「リンクのあるのが良いサイト」というのも基準の一つに採用しており、上位下位を決めているとよく聞く。サイトを運営しアクセス解析を行っているのでよくわかるのだが、自分から見ても初期の頃作成したしょぼい内容が、たまたまとある公共機関で子供向けに紹介されているためと思うが、(ある国名を入れると)googleの検索上位にランクされる。その後作成した、この部分よりも内容的にはるかに充実したものは、上位に出ない。以前は出ていたが、サイトを引っ越したとき、いくつかのところとリンク切れになったためと思われる。
 さらに、この内容に関しては具体的に書くが、マザーテレサのボランティア体験記を載せているのだが、Googleで検索すると、このサイトのページが、まったく関係ない見知らぬ人のボランティア募集ページの、一段下がったサブとして表示されてしまっている。同じNiftyで、HTTPサーバが同一、途中までドメインが一緒だから、という安易なバグだと思うが、そのページを宣伝したり薦めているわけでもないので、大迷惑である。

 ちなみに、Yahooで検索すると、どれも納得の行く結果が出ている(つまり適当に作ったものは下位に、興味のある人に自分が持つ内容をできるだけ伝えようと力を入れて作成したものは上位にくる)。
 今はサイトも膨大に増えたので、すべて人力でチェックしているのかどうか、わからないが、以前は人が見てチェックしている、という話だったし、仕事でも基本的にYahooで検索して、だめな場合にGoogleを使っている。別にYahooの回し者ではないが、NHK特集を見て一言言いたくなった。
(ところで、このサイト内にも、検索robotよけして、わざと検索で来ないようにしているページもある。そういうページもネットにはある)

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彼岸

活東庵公開日:2007.3.25

 田舎では、彼岸になるとお互い訪問しあって、仏様に手を合わせ、しばらく雑談してゆく。
「今日も彼岸の人が来てくれたが、戦争行っていた人が生き残っていて、今戻ってきても、何もわからないだろう、て話していたんだ。それくらい、ここらも変わった。戦時中はみな草葺だった。本当は萱だが、少ないから小麦のカラも使って葺いた。道も今みたいに舗装されていなかったしまっすぐじゃなかった。戦時中だけじゃない、戦後しばらくまでずっとそうだった。
 東京出た人が何十年ぶりかに戻ってきたが、みんな家を建て替えちゃって、どのうちだかわかんね、て。それでタクシーの運転手さんに怒られた、て、自分のうちくらい、覚えとけ、て。でも、そのくらい変わった。
 ここも何回か建て替えた。最初小さい草葺だったのが、瓦の平屋、そして今みたいなニ階建て。みんな変わった。ここからも戦争に出たが、そういう人が現地で生き残っていて、戻ってきても、何もかもすっかり変わったから、わからないだろう」

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子供の頃

活東庵公開日:2007.4.20

 子供の頃の親や先生の対応はとても重要だと思う。その後に大きな影響を与える。いじめで自殺した子供についての連載記事を読んでも、こういう先生の言動や学校の対応では、壊れてしまう子供が出てくるだろう、とつくづく思う。余談だが、最近のいじめは人格の破壊を目的としていると感じる。これは以前、小学校の先生をしている友人から、「最近の子供は、元から物が豊かに与えられているせいか、破壊願望が強いのよね。何でも壊したがって、壊すことに情熱持っているような子供が多い」と話していたことにも関連する。彼女は物理的な物の破壊を問題としていたが、人の破壊に暗い情熱を燃やす者もいるだろう。

 小学生のとき、夏休みに体験したことを発表する時間があった。ある男の子が、広島へゆき、原爆記念館を訪れたときの話をした。彼は、「すごいんだよ、今でも電車のホームの周りに一杯死体や骸骨があるんだ」と語った。すでに昭和四十年代である。今から思えば、原爆記念館で見た写真があまりに強烈だったため、その写真を今、現実に見た光景と、子供特有のリアリティでもって感じたが故の言葉だったのだろう。でも、そのときはみな、へえー、と目を丸くして聞き入り、先生も”そんなはずありません”などと水をさすようなことを言わなかった。
 私はあまりに印象が強烈だったため、この話を家に帰ってから家族にも話した。それをじっと聞いていた父は、聞き終わった後、「そうか。今でもそういうことがあるかもしれないね」と言った。父も本当は広島駅の周囲に今はもう死体などないことを重々承知していたことだろう。
 私は、頭から否定せず、子供のリアリティを大切にした当時の先生や父に感謝している。ちなみにこの話をした少年は、当時から頭のいい子でその後東大に入り大手企業に就職した。

 もう一つ、似たような体験がある。秋の虫の鳴き声にはどんなものがあるか、という問いに、みなリーリーと鳴くこおろぎだの、スイッチョとなくウマオイだのリーンリーンと鳴く鈴虫だのを挙げた。私も手を挙げて、ヒーヒーと鳴くこおろぎがいる、と言った。みな笑ったが、先生は「ヒーヒー鳴くこおろぎがいるの?」と聞いたので、リーリー鳴くのもいるがヒーヒーと聞こえる鳴き方をするのもいる、と答えた。先生は「そういうこおろぎもいるかもしれないわね」と言った。
 帰り道、そのヒーヒー聞こえる鳴き方をするこおろぎの声が聞こえてきた。いつも一緒に帰る近所の友達に、「ほら、あれだよ」と言うと、彼女も「確かにヒーヒー聞こえるよ」と言った。
 常識的な範疇と異なるから、と頭ごなしに否定することのなかった、当時の先生と友達の反応に、今でも感謝している。ちなみに、この先生と原爆記念館の先生とは別の先生である。小中学生時代、転校も多かったが、先生には恵まれていたと思う。

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高尾山琵琶滝

活東庵公開日:2007.6.15

 以前ここにも書いたことがあるが(こちら、なおこの時点ではムータン信仰かと思ったが、これから書くように、ここは仏教系らしい)、高尾山の琵琶滝には、韓国人が大勢やってくる。私も、たくさんお供え物をして、五色の旗を持って祈っているのを見かけたことがある。
 先日、飲み屋で隣になった人達が、修行の話をしていた。高尾山の話が出たので、思わず、琵琶滝について聞いてみた。中心になっている男性が師匠格のようで、彼もよく琵琶滝に修行に行くという。
「あそこは仏教の修行場になっている」というので
「あそこにたくさん韓国の人たちも来ていますよね、なぜですか?」と尋ねてみたところ
「そうそう、大勢来るよ。関東では高尾山と三峰神社のある御岳山が霊験あらたかな修行場で、大勢やってくる。韓国の人も多いし、台湾、中国からも来るよ。あそこは仏教の修行場で宗派は問わないからね、何宗の人が来てもいい。日本人もいろんな宗派の人が来て修行している。韓国人も、キリスト教や儒教も多いらしいが、仏教徒も多いからね、ちゃんとお寺で発行した証明書みないなものを持って来ていて、自分らが修行していると、証明書見せながら身振り手振りで『怪しい者じゃないから入れてくれ』、て頼んでくるから、こっちも、ああ、どうぞどうぞ、て開けるんだよ」という。
 五色の旗について聞いてみると
「そうそう、持っているよね、なんでもあれは青は水、白は天、緑は木、黄色は大地を表すとかで(筆者注:おそらく赤は火か?)、何やら唱えて最初につかんだ旗がその人の旗だ、とかいうものらしい。やらせてもらったら、黄色い旗だった」
 高尾山の裏側の蛇滝が神道の修行場になっている、という。

 それにしても韓国からわざわざやってくる、というのは大したものだ。
 圏央道ができて、万が一滝が枯れたりしたら、韓国人たちもさぞかしがっかりすることだろう。

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煽られやすい人々

活東庵公開日:2007.12.22

 会社にいるとさまざまな出来事が起こる。だから面白くもあるが、最近、ライバル(もしくは邪魔な人)を追い出すにはどうするか、ということで、周囲の人間を情報操作し彼らを使って追い出す、という手法を立て続けに見た。
 最初に見たのは、イギリス人とアメリカ人だったため、さすが違うな、こういう陥れ方があったか、と思ったものだが、よく見ると日本人でも使っている。どこかにマニュアルでも出回っているのか、と思ったくらい、よく似ており、同じパターンの展開になる。人間のやることは古今東西同じなのかもしれない。ごく普通の若い女性が別の女性を追い出す目的でやっているのを見ると、本能的な部分があり、先天的にこうした人心掌握術に長けた人がいるとは思う。

 典型的な例として、やはりそのイギリス人とアメリカ人バトルが最適と思うので、経緯をかいつまんで記すと(詳細はこちら)、以前勤務していた某部署では、元記者のアメリカ人の老人が長老格として君臨していた。元記者だけあって、文章の質もよく、クライアントからも「次回も是非彼で」と指名されるほどだった。
 そこへコンピューターサイエンスが専攻で、日本のメーカー勤務経験もあり、日本語もうまいイギリス人の中年男性が入ってきた。彼は自分に自信があるため、また会社への仕事の依頼もIT関連が増えていたこともあり、自分がこの部屋のリーダーになるべきだ、と考えた。一方、アメリカ人の老人は人の下につくことを好まず、わが道を行くタイプだった。このため、イギリス人は彼を部署改革の邪魔になる、と考えた。

 老人は第二次世界大戦に従軍経験があり、従軍記者として日本に進駐、その後気に入って日本に住み着いたパターンの人だった。太平洋戦争にこだわりがあり、神田の古本屋街が好きで、先の大戦関連の本を執筆しているという彼は、あまり自分からは話さず、積極的に皆の輪にも加わらず、多少謎めいた部分もあった(今考えると、皆が彼の話を積極的に聞かなかっただけかもしれない)。特に誰かとトラブったり嫌われている、というわけではない一方、特別皆と仲がいいというわけでもなかった。
 イギリス人はそうした彼について、「あの人は変わっている、人付き合いも悪く何を考えているかわからない、過去のことも語りたがらない、あれは何か隠している」と評した。一方、老人に対してわざと挑発的な態度をとって彼を怒らせ、その様子を見た周囲の人が怖がったり、確かに変な人かもと思うようになっていった。それは、もともとあった老人と周囲との微妙な距離を巧みにイギリス人がとらえ、人々の恐怖心に訴えかけて皆が彼に不信感と恐怖を抱くよう仕向けているように感じられた。そして次第に、老人に敢えて話しかける人はいなくなった。

 ついにある日、皆が老人のようすや最近の部屋の雰囲気について愚痴っている際、おそらくそのタイミングを利用してイギリス人が勝負に出た。皆に自分と老人のどちらかを選ばなくてはならない、部長を呼んできて決着つけよう、と言う。このとき老人はいなかった。私を含め数人が「Choose、選ぶ、というのはおかしい」「欠席裁判はフェアではない」と言ったが、残りの大多数が彼を支持した。部長が呼ばれ、彼が指名した人たちが、彼に促されたり誘導されたりして次々と老人に対する不満を口にする。
 皆、これまで老人が神田で集めてきた大量の私物の辞書類を長年使わせてもらっていたり、部屋で使うコーヒーメーカーや飴を入れるガラス壷をプレゼントされると「thank you」と微笑み、彼となごやかにやってきた人たちばかりだ。
「プルーフも勉強になったし、辞書を使わせてもらったし、いろいろ世話になったこともあったよ。みんなだって "thank you ○○さん" とか "How kind you are" とか言ってたじゃない。それが今は悪口ばかり言っている。なんかおかしい」と私は言った。この頃には皆興奮状態になっていて、老人の擁護をするのは私一人になっていた。皆一斉にエー、と声をあげ、
「これを悪口ととるなんて」「あなたの人の見方とあたしのとは随分違う」「なんか無理してバランスとろう、バランスとろう、としている」「みんなの意見に一人でわざと反対している」とわあわあ言った。その様子に”集団ヒステリー”という言葉が思い浮かんだ。これはもう、この勢いを止めることは不可能だな、と思った。何かがおかしいのだが、それを明確にして説得できるだけの力がない。無力感を感じた。

 結局老人は雰囲気を察知したのか、自分から辞職願を出した。理由は太平洋戦争本の執筆に集中するためだった。皆、「本を書いている、というのは本当かしら」とも言っていたが、私は実際ABC会館の図書室に出向いて、アメリカ国内で出版されている本の総目録を見て、本当に彼の本が出版されていることを確認している。

 この例は一つの典型になっている。
ある(攻撃的な)人物AがBを排除したいと思い、そのBを孤立させやすい人物と判断した場合、必ずとる手法は、”Bの悪い評判を流す”、というものだ。それも悪口とはとられない巧みな表現をする。その際、必ず
●皆の”恐怖心に訴える”、という手法をとる。
そして、
●”情報が一方(A)からしか入らないようにして、もう一方(B)からの情報の流れを遮断する”。

 ここで重要なのは、こういうとき、大多数の人は、そのAからの情報が本当かどうか、直接Bに尋ねることをしない。すでにこの段階では、Bは怖い人、ということになっている。それで敢えて話しかける人もいない。個人的には、ここが一番問題だと思っている。

 こうしたことを仕掛ける人は、良い悪いはともかく明確な理由がある。ポジションを得るため、もしくは自分を守るため、が圧倒的に多い(特に会社の場合)。彼彼女はそのために周りを利用する。対立者の悪い噂を流すのだが、対立者が周囲と親交が少ない場合、この手法は非常に効果的だ。鉄則1は”恐怖心に訴える”ことで、このことにより聞いた人の大半(おそらく90%以上)は対立者と関わろうとしなくなる。また、彼彼女はBにもともと情報発信能力があまりないことを知っている。また、ほとんどの人がBに直接話しかけて確認しないことも知っている。そこで、さらにBの孤立化をはかって、Bの声が皆の耳に届かないようにする、つまり鉄則2、”Bからの情報を遮断する”。

 これが可能なのは、大多数の人が、人から聞いた噂の裏をとらずにそのまま信じてしまうからだ。別のケースでは、ある女性が別の女性の噂を広めて辞めさせたのだが、グループに最後まで「なんでそんなにBさんのことを悪く言うの?」「彼女はそんな人じゃないと思う」と言っている人がいた。それをどう言いくるめたのか、最後の一人まで「えー、ほんと怖いね」「そんな人だとは思わなかった」と言うようになったのは、なかなか圧巻だった。その際も、最後の一人を含め、誰一人Bに直接話しかけて情報の裏をとっていない。

 前回、木地屋について調べている、と書いたが、そうした研究書を読んでいると、「木地屋は周囲の村人とあまり付き合いがなく、いつとはなくやってきて小屋掛けし、風俗習慣も異なっていたので素性の知れない風来坊と蔑まれたり気味悪がられた」という記述が出てくる。あまりつきあいがないと、悪く言われたり、怖がられたりしやすい。木地屋だけでなく、朝鮮人や外国人も同様だろう。関東大震災のとき、朝鮮人が井戸に毒を投げ込むとの噂から大勢虐殺された話などは、それが最も悪い形で出た例だ(こうした噂が出ること自体、自分たちに負い目があることを暗に認めている。つまり悪い噂の元には、逆の何かが存在する場合がある)。ナチスの「共産主義者のせいだ」も同様。沖縄返還時の政府の裏金の動きをスクープした記者が女性関係の噂で封じ込められたのも同様。いじめ関連の本にも出ていたが、特にクラス全員が一人をいじめている場合、皆、相手がこうだからだ、とまるで自分たちが被害者のような言い方をする、論理が転倒している、加害者なのに心理的には被害者意識になっているから反省させることが難しい、と指摘していたが、この話も何か通じるものがある。

 つくづく思うのは、情報の裏をとることの重要さ。必ず、その情報は双方向から見ているものなのか、逆側の声は聞こえているか、確認したほうがいい。また、恐怖に訴える形で誰かを非難している声を、それもしつこく何度も繰り返されるのを聞いたら、注意したほうがよい。
 それにしても、人間関係とは脆いものだと感じる。アメリカ老人も、もともと特に誰かとトラブったり嫌われている、というわけではなかった。イギリス人が来るまでは、飲み会などの集まりは出席を断っていたが、結構和気藹々とやっていた。それがあっけなく崩れたのだから。ただ、この騒動で彼が辞めたあと、彼と個人的に文通を始めた人が何人かいる。あとで平静な心を取り戻したわけだが、いずれ辞める必要はあったにせよ、長年勤めた人に対してあの辞めさせ方はなかったと今でも思う。雰囲気や勢いに流されない、踏ん張れる心が必要だと思う。
 ちょうど、カルト判定基準の一つに「友達作りを言い出すとあやしい」「お金のことを言い出すとおかしい」があるように、「一方的に入ってくる情報はおかしい」「恐怖心を煽る噂はおかしい」と感づくべきだ。そして「逆の声は聞こえるか」と常に確認すべきだ。

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ホメオパシー

活東庵公開日:2009.1.31

 マザーテレサがカルカッタ(現コルカタ)で活動を行っていた頃、マザーハウスで数ヶ月、ボランティア活動に参加したことがある。さらに続けてNGOの紹介で、近郊の農村にもしばらく滞在した。
 そのとき、疲労から帯状疱疹にかかったのだが、村の医者は留守だった。そこで滞在先の農家の女の子がHomeopatheticの医者へ行こうという。当時はどういう医術がよくわからなかったのだが、室内に入ると18世紀頃のかつらをつけたヨーロッパ人の医者の肖像がかかっていた。女の子が症状を説明すると、後ろにびっしり並んだ薬棚から仁丹のような粒を何種類も出してきて、水に溶かして飲むように言われた。さらに同じ処方の薬を砂糖と一緒に紙にくるみ、4,5袋持たせてくれた。どの病気でも一律2Rsだと言っていた(当時のレートは1ルピー=約12円。インド人の平均日収は20Rs、それを下回る人も多いと言われていた)。
 女の子の話では、Homeopatheticの医者は貧しい人々が頼りにする医者で、この医術はだんだんに良くしてゆくもので時間がかかる、緊急に良くしたい場合は勧められない、と言う。
 その後、隣駅に近代西洋医学の病院があるからそこへ行こう、ということになり、通常の治療を受け薬をもらったのだが(帰国後東京女子医大で英語で書いてもらった診断書を見せたところ、この診断で正しい、処方も正しいと言っていた)、なぜインドの農村に18世紀頃のヨーロッパ人の肖像のかかったHomeopatheticという医術の医者がいるのか、なんとなく気になっていた。
 インドには伝統医学のアユルヴェーダがある。カルカッタに戻ったときも、私の病気を聞いて心配してくれた日本人夫妻がアユルヴェーダの医者へ連れていってくれた。インド文学の研究で滞在している人たちなので、西洋医学よりもアユルヴェーダのほうが信頼できるとの価値観があって、自分たちも病気になるとそこへ薬をもらいに行っていた。しかし、まともなアユルヴェーダの薬は結構高い(とても2Rsというわけにはいかない)。
 インドの農村にも浸透している、安価で貧しい人々が頼りにしている、というHomeopatheticとは一体何なのか?

 先日、たまたまニュースステーションを見ていたら、癌治療のコーディネーターの特集をやっていた。彼は家族の多くを癌で亡くしたことから患者と医者をつなぐコーディネーターの活動を始めた人で、相談してくる患者の状態に応じてさまざまな医術を紹介していた。日々更新される最新の治療法の情報にも詳しく、癌治療は日進月歩、半年生きられれば新しい治療法が出てくる可能性もある、だからあきらめないでほしい、と語っていた。
 そんな彼が、ある女性患者に対してホメオパシーを勧めた。あれ?ホメオパシー、てインドの農村で仁丹のような薬をもらったあれじゃないか、日本にもホメオパシーの医者がいるのか、と驚く。登場した医者はホメオパシーの医者というよりも、近代医学の医者でホメオパシーもやっている人のようだったが、植物や鉱物から抽出した成分を患者に合わせて処方するのだと言う。
 処方された女性は癌が進行してほとんど横たわったままで起き上がれないくらいに衰弱していたのだが、数ヵ月後再取材すると、歩いて普通に家事をこなしていた。彼女はホメオパシーは効く、体調もよく普通に生活できるようになった、癌はなくならないがこのまま共存して生きてゆければよいと思っている、というようなことを語っていた。やはり仁丹のような薬を飲んでいた。
 この特集は決してホメオパシーの特集ではなく、あくまでさまざまな治療法のある癌という病気について、患者と医者の橋渡しをしている人の話だったのだが、ここでホメオパシーが出てくるとは、という感じだ。

 当時、藪とも思わなかったが、本当に効くのかな、という気持ちは正直あった。しかし、悪い部分を攻撃する、という治療法のほかに、体質を変える、という治療法があっても確かによい。ホメオパシーには免疫力を高める働きがあると言っていた。
 あの18世紀頃のかつらをかぶった西洋人が創始者なのだろうか?なぜその治療法がインドの名もない農村に伝わっているのか?興味はつきない。

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WBC

活東庵公開日:2009.3.25

 最近久しぶりに大学野球を見に行ったりしているが、今回WBCの盛り上がりはすごかった。
 今の職場は昼休みが基本的に1時から2時頃のため、23日の韓国との決勝で、2時過ぎに3対3になったところまでは知っていた。
 戻って仕事を始めると、突然斜め後ろのほうで
「やった!」と声。
「点入ったみたい」「みんなケータイで見てるんだ」とほかの人。
 しばらくして今度は別の一角から数人の拍手が聞こえてきた。
「試合終わった」「勝った」と周りの人たち。
「みんなそんなに野球好きだったの?」とオフィスの女性トップの不思議そうな声。確かに外資系オフィスで、そんな感じなかったので面白かった。

 個人的には中学高校大学とバスケをやっていたので、プレーするならバスケだが(というかそれしかできない)、見るのは昔からバレーや高校野球のほうが好きだった。バスケやサッカーは、常に動いていてせわしない感じがあるが、バレーや野球は待ちの部分がある。逆に自分がプレーするぶんには、バレーや卓球よりバスケのほうが走り続けるので運動量も多く、爽快感というか”運動した”充実感はある。

 バスケやサッカーのようなスポーツは、身体能力で決まる部分がかなり大きいと感じる。ドリブルなど技術を云々したりもするが、20代前半で世界トップクラスになれるスポーツは、基本的に技術というより身体能力だと思う(さらに10代でトップになれるスポーツなど、コメンテーターが技術についていくら語っても、所詮そういうスポーツだよ、と思ってしまう)。
 野球は技術の要素もかなり大きいので、持って生まれた身体能力だけでなく努力でカバーできる部分があるように感じる。投手の配球など詰め将棋のようだし、技や経験も動員して勝負する感じが東洋っぽい。
 また高校野球にあるようなガチガチのチームプレーが可能な一方、一対一の要素もある。これも剣道その他何とか道的だ。
 バレーも野球も、試合での運動量よりも、試合でよいプレーをするために普段の練習で鍛錬しているタイプのスポーツで、そこもなんとなく東洋的に感じる。
 戦前から早慶戦だの甲子園をやっていたから、戦後アメリカの影響で広まったわけでもなく、もともと合っていたのではと思う。

 今回キューバに2勝し、アメリカにも勝ったし、決勝は5度目の韓国だったので、試合前、まあもし負けてもそこそこ満足、よくやったよ、と思っていた。韓国の監督も人格者に見えた。

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指の腱を切った

活東庵公開日:2009.3.25

 先月末、畑で鎌を使って作業中、左手中指を切った。以前にも切ったことがあるが、指が上に上がらない場合、腱を切っている可能性が高いから大変だ、といわれたことがある。今回、確かめてみると、あがらない。
 土曜の午後で、近くの薬局に行くと「このあたりは外科がないんですよね」と言う。B市中心までゆけば外科があるが、午後はやっていない。あとは隣のM市か、その先の別のM市まで行けば大きい病院があるという。
 作業が押し迫っていたので、出血もそうひどくないし、とまずは作業を続けることにした。夕方、M市に寄ることも考えたが、途中寄るくらいなら東京まで戻ってからでもいいか、と思う。

 痛みもひどくないので、そのまま東京に戻る。考えてみれば、子供のころは近所に何軒か個人の専門外科病院があった。小学校の友人もみな、盲腸などの簡単な手術は近所の外科でやってもらっていた。
 それがいつのまにか、K外科もE病院もS外科も、クリニックになったりなくなってしまった。KもSも腕はいい、と地元では評判だったのだが。
 翌日曜、区の休日夜間診療案内に電話で聞いてみる。
「こういう怪我、て微妙ですよね。命に別状はないし、土日に病院に行っていいのか、行くとコンビニ診療になるのか」と言うと、対応した保健婦さんは
「感染が心配なんですよね。手術は月曜になると思いますが、できれば土日にいったんみてもらったほうがよいと思う。近くの外科を案内します」
と言われ、区内の何軒かを紹介してくれる。

 うち1軒はかつてのKやEよりは遠いが、割と近く、検診などで行ったこともある病院の整形外科なので、電話してみると、症状を聞いて
「それは絶対腱が切れてるなあ。手の腱をつなぐのは特殊でうちではできない。形成外科か手の整形外科になるんですよね」と言われた。

 そこで都の24時間医療機関案内(ひまわり)に電話で聞いてみる。手の整形が可能かどうかまではわからないが、土日診療している整形外科の案内ならできる、と何軒が紹介してくれるが、どこも自宅から遠い。なお、大規模病院の紹介は電話の案内では行っていない。
 ネットの「ひまわり」のページには病院も載っている。整形外科にいちいち手の腱をつなげるか確認するのも面倒なので、形成外科のあるところで自宅に近いところに目星をつける。

 そこそこ時間もたってしまい、もう月曜でいいや、と月曜に隣の区の総合病院へ。
 そこにはたまたま、運のよいことに手が専門の整形外科の先生がおり、月曜に診療に来ていた。やはり腱が切れている、と手術室を予約して、午後手術することに。手術台に乗って、上から例の強力なライトに照らされる、本格的な手術室を初めて体験。1時間ほどで終了。

 先生の話では、鎌で切ったのは(都会の病院なので)珍しいが、中指の腱は空手などでよく切る、人の顔を殴って相手の歯でこぶしを傷つけて切るケースもときどきあるという。人の口は結構汚く、かなり高い確率で感染する、DVなどで殴って自分が怪我して来る人もいる、最初は転んだとか否定しているが、培養するとどう見ても人の口にいる菌が出てくるからわかってしまう、またそういう怪我は刃物で切ったようにきれいでないので縫合も結構大変だそうだ。
 この手の傷の緊急度について聞いてみると、縫合は週明けでもかまわないが、感染が心配だから、今は怪我をしたらまず水でよく洗い流してほしい、という。日本の水はきれいなので、まず水で泥を洗い流し、消毒液も細胞を傷つけたりするので最初は極力使用しない、というのが主流になっているらしい。
 近所の外科が減っている話では、厚生省の政策で個人の外科病院が意図的に統廃合された、との話だったが、厚生省は何を意図したのだろう?

 近所にちょっとした外科や病院がなくなったおかげで、不便になった。家族も、犬にかまれたとか、少々傷が深くて出血が止まらず、ちょっと縫ってもらえれば助かる、というようなときに簡単にかかれるところがなくなった、という。遠くの総合病院に行かざるを得ないが、行けば「大病院に来る必要もない患者が押しかける」とか「コンビニ受診」とか言われかねない。昔のように、そうしたちょっとした外科があると安心なのだが。

 小児科の医者をやっている知人は、傷(というか縫合した痕)を見て、「これは重症だから大病院に行ってもコンビニ受診だの言われないよ」と言っていたが、そうした判断も難しい。みな近所に適当なところがなく心配だから、病院に押しかけるのだと感じた。

 ところで、最近の不況で農業が注目されているが、農作業は結構怪我が多い。私は機械は使わず、鎌と鍬、マンノウくらいなので、1反の畑を十数年やっていて手を二回切った程度だが(それでも2回とも縫った)、就農準備校でよくある怪我の話を聞いたことがある。
 電動草刈機で小石だのをはねて目をやられたり、あるいは草刈機を使っている人のそばによって突然話かけると、相手は振り返りながら自然と草刈機も自分の前に移動させることになるので、足首をやられることが多いという。電動草刈機を使っている人のそばで話かけてはいけない、ということは鉄則。
 ハウスの中で手押しのトラクターを使っての事故も結構ある。ハウスの端でうっかりバックさせるモードで動かすと、逃げ場がなく太ももをざっくりやられて大怪我になる。ハウスの中でのバックモードは要注意である。
 堆肥の切り替えしなどによく使うフォークだが、慣れていないと、自分の足を突き刺すことがある。細いので貫通し、感染して膿むことが多い。
 堆肥や飼料つくりのためトウモロコシなどを細かくチップに砕く機械があるが、あれで指や下手すると腕を巻き込まれて失う事故がときどきある。
 その他、トラクターの扱いに慣れない人が、斜面で横転して下敷きになることもある。これも結構多いようで、飛び降りて助かった、という横転事故は、新規就農した知人たちからも結構きいた。
 その他、怪我ではないが、ぎっくり腰をやる人も多い。すらりとした体形の人に腰を痛める人が多く、男性でも結構やっている。見た目によい体形と、実用的な体形は異なる、とつくづく感じる。私は、先に就農した人のぎっくり腰を随分見ているので、30キロの米袋など、重いものを持ち上げるときは必ず腰を落として持ち上げるようにしている。おかげで腰はまだやられていない。

 農業機械による事故は大怪我につながることも多く、準備校の先生は、怪我で就農をあきらめた人も結構いるはずだ、みな途中で辞めたりあきらめた話はしないので、表にはあまり出てこないが、と言っていた。

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都市対抗

活東庵公開日:2009.9.26

 先日、初めて都市対抗なるものを見に行った。なんでも各企業が数千人、1万何千人単位で動員をかけている、という。

 東京ドームに入ると高校野球や大学野球同様、ブラバンとチアが応援しているのだが、屋内のためか音が響いてものすごい騒音状態。ヤマハ対日産の試合の途中だったが、両社とも内野からアルプスにあたるところまで応援団がほぼびっしり、日産は外野にも入っている。会社ごとに同じ色のシャツを着たり、団扇を振ってブラバンに合わせて応援している。

 続いて日立対NTT、日立はオレンジ色、NTTは青のシャツを着た応援団が続々入ってくる。外野に座っていたのだが、係員が来て「これから日立の応援団が外野にも入ってくると予想されます。そうした中での観戦を望まれないお客様は、NTT側に移動されることをお勧めします。ただ、NTT側もおそらく外野まで応援団が入ると思われますが」と外野に座っている一般客にアナウンスして回っていた。ほぼスコアボードに近いところにいたので、別にいいや、とそのまま座っていると、試合が始まってからもどんどん入ってきて、ついに周囲にもオレンジ軍団がちらほら座るようになった。
 見ると、NTT側外野にも、同じくらい青軍団が座っている。それがブラバンの応援に合わせて、NTTだの日立だの一斉に声を出したり歌ったりするので、ものすごい音量だ。ビール嬢も行き来して、周りは飲み会状態、部下の若者が上司と思われる人のために食べ物を買いに走り回ったりしている。でもなんか女性社員も一緒で、結構楽しそうだったりする。会社一体感を味わういいチャンス、という感じ、なんでも水戸だか日立からバスを数十台連ねて来ているグループもあるという。東京事務所ののぼり旗の立っている一画もある。

 NTTはミュージカルナンバーも演奏し、ブラバンの音も洗練されている。会社の歌もやっていて、NTT!NTT!叫ぶ曲が結構耳に残る。日立はもとは慶応の応援歌(これは日産もやっていた)を演奏したり、甲子園っぽい。ウェーブもやっていて、走り回る旗に合わせて周囲の人たちもウワーと立ち上がる。

 こんな世界があったとは。今まで、朝体操をしたり社長の訓示があるような、いわゆる日本企業っぽい会社にお世話になったことがなかったので、結構新鮮で面白かった。どちらの試合も、外野一般席に白人の客がいて(それぞれ別人)、応援の様子をカメラやビデオに録っていた。アメリカの球場とは、まったく雰囲気が異なるのでは。
 社会人野球は日産野球部の休部で話題になったが、今でこの盛り上がりなら、都市対抗がもっと花形だった頃はどんな感じだったのだろう、と思ってしまう。

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ガラパゴズでいいかも

活東庵公開日:2009.11.1

 オリンピック種目から野球とソフトがはずれ、ゴルフと6人制ラグビーが採用された。五輪復活をめざす声もあるが、別に野球がオリンピック種目でなくてもよいと思う。
 世界にはオリンピック競技でなくとも、一部の国で絶大な人気のある競技は多い。アメリカンフットボールもそうだし、インドやパキスタンはオリンピックではさっぱりだが(実際国民もほとんど興味がない)、運動能力がなかったりスポーツに興味がないわけではなく、たとえばクリケットの選手は国民的大スターだ。日本でも駅伝などオリンピックや世界選手権とは無関係に盛り上がっている。
 グローバル化が言われる中で独自路線を行くと、ガラパゴス化と揶揄されるが、何でもかでも世界に合わせたり、世界で通用させる必要などないと思う。オリンピックに拘らず、独自路線で楽しんでいる国も多いわけで、自分たちが好きな競技で勝手に盛り上がれるほうが健全で強い気がする。
 大体最近のオリンピックはつまらない。どうでもいい細かい種目も多く、金メダル数稼ぎに使われている。テニスやサッカーなどはオリンピック金メダルと聞いても、グランドスラムで優勝した人には劣るよね、ワールドカップでは何位なの、という感じがある。既に権威のあるプロのトーナメントや試合が存在する競技は、正直オリンピックは添え物で、ゴルフもそうなる可能性高い。
 そもそもオリンピックはアマチュアの祭典のはずで、トラック競技と水泳、体操程度で十分。それならお金のない国でも開催可能になり、南米初にどころかアフリカ初も可能になり、世界中で持ち回り可能になる。

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足を怪我した

活東庵公開日:2010.2.8

 正月早々、自転車が滑ったのを止めようとして左足の甲を怪我した。このため、しばらく二本松葉杖状態になってしまった。
 体の他の部分は元気なのに、怪我をしたのが足の甲のため自足で歩けず、長距離移動も難しい。

 こうなってはじめて、歩いて5分程度のところにまだ店がある、ということがなんと便利なことか気がついた。幸い、生鮮食品を扱うスーパーだけでなく、本屋も食堂も薬局もやっている。商店街には花屋、酒屋、文房具屋、ボタン店、電気屋などもある。今までは仕事帰りにターミナル駅の大きな本屋に寄っていたのだが、近所の本屋でも雑誌やはやりの本は置いてあり、電車に乗らなくても買うことができた。

 昔は買物というと近所の商店街だったが、最近は都心に出たついでに買うことも多い。ただ、遠くから大勢客を集めるタイプの大型店は、基本的に健常者でないと行きにくい。二本松葉杖では、ちょっとした階段もきついからだ。
 これは年をとって足が悪くなったとき、歩いて行ける範囲に店がないと大変だろうなあ、としみじみ感じた。さらに地方住まいでは、村によろずやがなく、車で何分のところの郊外型店舗がある場合、怪我や病気をしたり、車に乗れない高齢者になると買い物に行かれなくなる。

 ただ、元気なときは、賑やかで品揃えの良い、日常(ケ)型よりはハレ型の店に行きたい。以前は近所で買っていた服地やボタンや家電製品なども、結局有名店や量販店へ行くことが多い。

 これは簡単に移動できるようになった、交通手段を使っての長距離移動が当たり前になったためでもあるのだろう。
 健康なら誰でも簡単に行かれるようになった一方、体が弱ってきた場合に簡単でなく大変である。(本当に困ったらネット直販になるのだろうが、実物を見て買いたいのでやっていない。)

足を怪我した・その2

 松葉杖で出歩いていると、いろいろなことに気がつく。移動がゆっくりになるので、たとえば盛り土の公園では、尾根道の境石の間に配水管があることに気がつき、こうして処理する必要があるのか、などなどあれこれ考える。

 最大の発見は、おばあさんたちだ。今までは単に散歩したり買い物に出歩いている人たちとしてしか見ていなかったが、公園のベンチで休み休み移動していると、頻繁に彼女たちから声をかけられるようになった。

 「どうしたの?」「あたしもどこそこが痛くて」と声をかけてくる。ひとしきりおしゃべりをして、こうして松葉杖でも出歩いている人がいるんだから、あたしもがんばらなきゃね、といった内容に落ち着いて去ってゆく。84歳だの90歳だの、結構年配の人も多い。90歳の人は、踏み台に乗って何かを取ろうとしたら落ちて腰を痛めた、体を動かしたほうがいい、と思って散歩している、と言う。84歳の人は膝が悪く階段の上り下りができない、買い物する人はあたししかいないからこうして毎日買い物に出るが、ゆっくりゆっくり歩くので大仕事だ、と言っていた。
 休みついでに背伸びなどストレッチや体操をしていると、「それ体にいいの?」と声をかけてくるおばあさんもいる。
 骨を丈夫にするには太陽にあたったほうがいいと看護婦さんも言っていたので出歩くようにしている、特に10時から午後2時までの光がいいらしい、カルシウムは食べるだけではだめで太陽にあたらないと骨にならないそうだ、などと話す。

 彼女らは話好きだ。話し相手がほしいのか、時間があるからか、こちらが怪我をして時間もありそうで話しかけやすく見えるためか、自然に話しかけてくる。せかせか歩いていると、おばあさんたちと話すこともないが、その穏やかな感じは暖かく、貴重だ。それだけで十分この世に必要な人たちだ。

 怪我をすると、今まで見えなかったものが見えてくる。

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足を怪我して見えたこと

 足を怪我したことは前々回に書いたが、ある会合に出席する必要があり、松葉杖で行くと、足の怪我の話で大盛り上がり。参加者はみな、「今の時代、結構譲ってくれない、て話よ」「そうそう、バレエのお稽古で足骨折した同僚が通勤ラッシュを避ける時間帯に出勤したい、て言ったら仕事ほされそうになったの。それで仕方なくラッシュ時間に来ているけど、誰も譲ってくれないって」「みんな自分のことで手一杯だよねー。電車の中とか、今ギスギスしているもん」「派遣切りとかで人のことまでかまってられないのよ」という方向に話が進んでゆく。
 いや、私の体験ではちょっと違うんですけど。このときは、盛り上がる大勢に、それも楽しそうな様子に「いや、違う!」と声高に言うのも面倒なので(まあ、その手の話の流れなどどうでもいい、というのもある)そのまま放置したが、ここでその「ちょっと違う」話を書こうと思う。

 まだ両松葉杖のころ、どうしても出ないとまずい用事があり、電車を4回乗り継ぐ必要があった。このときは優先席そばに立つと必ず譲られた。優先席の人でなくてもすぐに肩を叩いて譲ろうとしてくれるおばさんがいる。優先席近くでなくても、(すぐ乗り換えるので扉脇に立っていたが)普通席のサラリーマンのおじさんが呼んでくれる。
 松葉杖になって気づいたが、電車の駅停車時間は結構短い。電車が動いているうちから立つのは松葉杖では不安だし、奥に座るとそこから立ち上がって出てゆくまでに時間がかかり、出られない可能性もある。そこで扉近くに立ったりするので、断るケースもあったが、基本的にまだまだみな親切だと感じた。
 さらにこの日、帰りに近くのスーパーで買い物をしているときのこと。松葉杖が倒れないように、体で押さえながら買ったものを袋に詰めていると、その様子が入れにくそうに見えたのだろう、同じ台にいた若い女の子が「袋詰め、しましょうか?」とさりげなく声をかけてくれた。私が逆だったら、声かけるだろうか?多分、気にはなるけど、かけるまでには至らない。若いのに偉い子だなあ、と感心してしまう。

 片松葉杖になると、普通席そばでは必ず譲られるわけではなくなるが、優先席そばではやはり優先される。松葉杖を使っているときは最初、新宿や渋谷のような人ごみはどうか、と思ったが、出てみると逆にみな避けてくれ、健常なときよりも人にぶつからない。健常だと、結構向こうから来る人も避けずに(お前が避けろよという感じで)ぶつかってくる奴も多いが(ということはこちらもぎりぎりまでわざと避けないでいることも多いことがばれるが)、松葉杖だとそれがない。
 一度、携帯をいじっていて本当に前方を見ていなかった(らしい)後ろから来たおじさんとぶつかったことがある。いつもだと「チっ」と舌打ちされたりで謝られることなどまずないが、このときは、最初キっとこちらを見たおやじ、松葉杖を見て急に「あっ、すみません、すみません」と焦ってあやまった。うーん、なんだか水戸黄門の印籠のようだ・・・。

 松葉杖もとれ、杖になると、急に優先度が下がった感あり。杖をついている人は多い。特に老人はよくついている。でも誰も譲らない。それと同じで、優先席そばでもまず譲られず、歩けば人もぶつかってくる(もちろん、積極的にぶつかってくるわけではないが・・・)。
 もともと席には座らないたちなので(運動部時代、ジャンプ力を高めるために電車やバスの中で爪先立ちをしていたのがそのまま続いている)、今までは乗車する際に席を求めて目をきょろきょろさせたことがなかった。今回、こういう状況できょろきょろさせるようになって初めて気づいたが、足の弱い人は動作も遅い、というか俊敏に動けない。乗車する際、席に座りたい人はきょろきょろしてさっと走り寄る。本当に足の弱い人は負けてしまう。うーん、この状況は問題だ・・・。優先席も、何で健常者が座っているんだよ、と思うことがある。割と平気で若者やおばさん、おじさんが座る。松葉杖など、あきらかな人にはみなゆずるが、老人や杖には譲らない。

 話変わって、横断歩道。国道XX号や環状線のような大通りは、信号も長いし、短くても中央分離帯があり、足が遅くてもそこで待ち、2回に分けて渡ることができる。
 問題なのは、半端な大通り。片道2車線くらいでXX通りと地名がついている感じの通りだ。結構信号の短い横断歩道が多い。先日、信号を渡りきれずに、お年寄りが交通事故にあうケースの多い通りの話をTVでやっていたが、「点滅し始めたら渡らないように」と言っていた。
 しかし、近所のとある通りの信号は、青になったとたんに渡りはじめても、すぐに点滅が始まり、健常者のスピードで渡り終えるころには赤になる。しかも、車の往来は激しい。両松葉杖だと逆に、急ぐときは振り子のようにしゃかしゃか行けるが、片松葉杖や杖だと急ぎたくでも急げない。渡りきる前に赤になった!一度、一緒に渡る中におばあさんがいたが、やはり彼女も間に合わなかった。T字路にある信号のため、歩行者の信号が赤になっても、自動車の信号がすぐに青に変わるわけではないようだが、それにしてもこの信号の長さは疑問。高齢化で足の弱い人も増えるだろうし、こういう長さの信号はまだまだ多いのでは、という気がする。一方、信号を長くすると、車も困るだろうが・・・。

足を怪我して見えたこと その2

 まだ両松葉杖のころ、リハビリを兼ねて近所の公園を散歩するようにしていた。ベンチで足を動かしたりしていると、おばあさんが寄ってくる。そこでさまざまな話を聞いた。

 一番驚いたのが、いま84歳というおばあさんが、今から4,5年前(ということは80歳前後のときになる)、駐車場の出入り口にある鎖につまづいて足首を骨折した、でも寝たきりになるのが怖かったから翌日から歩いた、と言う。
「えー、痛くなかったですか」と言うと、ギブスで固めていたから大丈夫、病院はさすがにタクシーで行ったが、家の中、ゴミだし、歩いて5分くらいのところは松葉杖も極力使わず歩くようにした、とにかく、ここで寝込んだら寝たきりになる、とそのほうで頭がいっぱいだったから必死だった、という。
 小柄な人で、ギブスをした足でも男物の長靴に入った、それで歩いたから周りはほとんど気づかなかった、という。完全な骨折だったのかひびだったのかはわからないが、とにかくすごい。今も毎日、聞くとかなりの距離になる地点間を歩いて足が衰えないようにしている、と言っていた。

 おばあさんたちの骨折や打ち身原因で、一番よく聞いたのは、高いところにある何かをとろうとして、台に乗り、バランスを崩して倒れた、というもの。なんで急にバランス崩したかわからない、でもそれで腰を打ち、以来腰が痛く椎間板何とかに診断されただの、手を骨折しただの、聞く。

 このほか周りでも、骨折経験のある人は結構多い。手のように完全に固定できるところは、骨がくっついたあとギブスを取ると、すっかり細くなってしまい、リハビリが大変だった、という話を3人ほどから聞いた。若い人だが、関節が完全に元通りに動くようになるまで5ヶ月かかった、という人もいた。また、自転車で走っているときに突き出ていた何かで足をざっくり切り、1ヶ月半両松葉杖で足をつけなかったことがある、という若い女性は、片足だけ細くなり、最初は関節も動かず、リハビリが死ぬ思いだった、と言う。
 それが怖くてちょろちょろ足を動かしていたのだが、おかげで足首の関節も固まらず筋肉も落ちなかった反面、その代わり治りが遅れたかな、とも思う。足の甲の、両側から腱で引く箇所だったので、くっつきにくい。ずれたら手術だと言っていたが、ボルトを入れたことのある人は「あれは大変だから入れずにすむなら入れないほうが絶対いい」という。

 変わった話では、あるおばあさんは若いころ、千葉の花畑で、散策路に敷かれた緑の敷物(滑り止めの穴のあいたタイプ)にハイヒールの踵をとられて転倒、足の指を二本骨折したことがあるという。連休で病院が休みだったため、近所の整骨院に行った、すると「うちは固めません、固めたいなら病院へ行ってください」と言われた、どういう方法でもよかったのでそこで直した、布でまいた患部にスポイトのようなもので焼酎を注ぎ、それで冷やすようにした、という。具体的な方法はそれ以上はよくわからないが、数年前、なべのふたを足の上に落とし、感じから足の指を骨折したな、と思ったが、病院には行かず、当時のことを思い出してダンボールで添え木をして焼酎で冷やして自力で直した、2ヶ月か3ヶ月で治ったと言っていた。
 いろいろな人がいるものだ。

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きついようだけど・・・弱者の横着

活東庵公開日:2010.9.24

 最近、自転車と歩行者の事故が増えている。自転車に乗る人は昔から大勢いたと思うので、ここへ来て問題になるのは歩行者に年寄りが増えたためだろうか。周囲でも年配者は「最近の自転車、本当怖いよ」と言う。横丁から減速せずピュッと出てくる、歩行者がいるのによけようとしない、後ろから無言(無音)でいきなり脇を通り過ぎようとする。女性や爺さんに多いという。ということは最近の乗り方にも問題があるのか。

 ところで以前から、運動能力のない人が自転車で無理をすることには疑問を感じていた。
 下町に住んでいた頃、0m地帯では橋が太鼓橋になっていることが多い。スーパーで買った荷物を前かごにも後ろの荷台にも大量に積んで、よろよろと橋を上り下りするおばさんをよく見かけた。ある日、橋の下り坂で「きゃあ、よけてえ」と叫びつつ爆走してくる大荷物おばさんがいた。自分が荷物積んで走ってんだろ、お前がよけろよ、と正直カチンとくる。腕力不足で重い荷物をコントロールできないなら荷物を減らし、身にあった分だけ運べばよいのに。
 何年か前、横断歩道で信号待ちしていたときのこと。一緒に待っていた前かごに子供を積んだ若い女性の自転車が、何かの拍子に傾きはじめた(もともと停止状態)。いったん傾きだすと、幼児とはいえ彼女の腕力では元に戻す力がないようで、足のふんばりも効かず、あれよあれよという間に横倒しになった。子供はヘルメットを被ってはいたが、当然大泣き。周りも最初唖然、次に大丈夫?と駆け寄る。それにしても、なんて非力なんだ・・・と正直思ってしまった。こういう人が子供積んで走って、とっさの場合に大丈夫なのだろうか?狭い道で車の隣で倒れ始めたらどうするんだ、あるいは身体能力の落ちた年寄りと出会頭になったらよけられないぞ、きっと(よけたら自分が転びそう)。
 以前、前と後ろに子供を積んでトラックの脇を走っていた女性がトラックに巻き込まれひき逃げされた事件があった。その後トラックの運転手はつかまり、かなりマスコミにバッシングされたのだが、当時から疑問のある後味の悪い事件だった。確かにひき逃げは悪いが、日ごろ前後に子供を積んだ自転車がすぐよろけるのを見かけるので、おそらくトラックの風圧にバランスを崩して車に巻き込まれたのだろう、この運転手も不運だったな、と感じた。母子に同情する人が多かったので、ひねくれ者の私は余計運転手のことを思い、脇見運転でもなんでもないのに災難だと思った。きつい言い方になるが、運動能力の低い人が無理した自転車の乗り方をするのは、はた迷惑ですらある。

 大体女性は運動能力の低い人が多い。ターミナル駅など混んだところでも、周りの状況を考えずいきなり立ち止まり後ろの人と突き当たる、周囲を考えずカートを後ろに引いて周りが足に引っ掛ける(本人は携帯片手にメール打ってたりする)、傘や日傘が顔に当たる、ほとんど女性だ。横着なこともあるとは思うが、確実に敏捷性に欠ける。はなはだしくは前から歩いてくるのに全くよけないのも女が多いが、今では「よけるだけの運動能力ないんだねー」と考えることにしている。
 一時期、ベビーカーを押して無理に駆け込もうとして、車が電車にはさまれる事故が相次いだが、これなんかも自分の身体能力を無視した結果だ。駆け込み成功させるだけの脚力ないならやるなよ、電車も止まり迷惑だぞと思う。

 人とぶつかってばかりに聞こえるかもしれないが、男性にはそうぶつからない。やはり敏捷によける。目の前を横切る場合も、男性は自他の距離とスピードを瞬時に判断してぶつからない位置を横切ってゆくが、おばさんや若い女は近距離でいきなり曲がるなど、こちらがスピードをゆるめないといけない位置を横切る。曲がったのはそっちだろう、いい加減にせいよ、とぶちきれそうになる。カートも、男子は混雑したところでは脇に引いてる人が多い。後ろゴロゴロのKYは残念ながら女に多い。
 対行者をよけきれない、横切る位置が甘い、駆け込みきれず挟まってしまう、などはそれが可能か不可能かの判断能力が弱いこともあると思う。

 同僚何人かでお昼に行ったとき、女性専用車の話になった。「女の人、て足の弱い人多いじゃない。だから専用車、てやなんだよね」と一人が言い出した。「電車がガタ、て揺れるとすぐに周りがよろよろするでしょ。一人がよろけると周りも支えきれなくて一斉にドー、て動いて、また揺れると今度は逆にドー、て動いて」(みな笑う)「それを私が止めてる、みたいなことが何度もあって、なんで私が?はあ?て思っちゃう。よろけながらもメールとか打ってるのもいるし。だから最近専用車避けてるんだよね」
 一見おしゃれな人が結構タフなことを言うので面白かったが、わかる気がした。確かに電車が揺れるたびに足元の動く人が多い。ヒールを履く人が多いせいもあると思うが。ちなみに私は、揺れて人がよりかかってきたときには、専用車だろうがなんだろうが、さっと避けることにしている。なんかうまくよけられたときは快感で、自分でも意地悪だなあと思う。

 バイクの場合、自力で起こせないバイクに乗ることはできない。自転車も、自力でコントロールできない重さの荷物を載せて事故が起きた場合、相手が歩行者だろうが車だろうが、自転車側にも責任を問うべきと思う。さらに今後、歩行者に年寄りが増えれば自転車側の責任も大きくなる。とっさの判断能力など、さらに身体能力も必要になってくる。
 誤解を恐れず言うなら、いきなり立ち止まる、カートゴロゴロ、ベビーカー駆け込み、よろけつつメール打ち続ける行動に、弱者の横着を感じる。周りが注意してくれるはず、よけたり発車遅らせたり、私じゃなくて回りがなんとかしてくれる、というような。そういう人が自転車に乗るのはこわい。自分の運動能力を見極め、それにみあった行動をとるか、判断能力、身体能力鍛えるかしてほしい。

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手紙

 ほぼ1年前の昨年正月頃、昔の写真や手紙類を整理した。そのとき、2004年頃を境に急に手紙の量が減ることに気がついた。
 メールを使い始めたのはパソコン通信時代からなので1990年代だが、その頃はまだまだ、手紙や葉書をよく書いていたし受け取っていた。
 それが2004年を境に一気に手紙の量が減ってゆく。自分自身の交友範囲の影響もあると思うが、あきらかに知人とのやりとり手段がメール主体に変わった。

 今手紙をもらったり書いたりすると、なんとなく”おおごと”感がある。でも手紙はいい。葉書や封書の色や大きさ、それぞれ視覚的にも異なるし、基本的に手書きなので規格化されたフォント文字とは違う。メールもPCにとってあるものの、題名が無味乾燥にずらりと並び、いちいちファイルをクリックして開けるなど、なんとなく見やすくない。
 手紙はよい文化だったと思うが、返信しやすさからメールを好む人が増え、特別な感じのときでないと使いにくくなってしまった。
 いまや電話ですら疎まれ気味で、都合のよい時間に見られるメールにしてくれ、という人も多い。でも直接声が聞け、話せる電話もいいものだ。ときどきメールはやめてしまい、私と連絡とりたいなら電話か手紙にしてください、と周囲に伝えたくなる。

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