9.11に思う
活東庵公開日:2001/10/7〜2002/1 まとめ
貿易センタービルのテロ事件に関連して、連日さまざまな報道がなされてるが、高学歴エリートの若者が多いなど、アルカイダと日本赤軍や学生運動、オウムとの近似性を指摘する声も多い。
オウムに入信した人は、サリン事件の数ヶ月後に会ったとき「上○○色村の施設に3ヶ月いた。正直、汚かったよー。みんな自己中心的な人ばかりで自分の修行する回りしか掃除しないから、あとはごみだらけでゴキブリとか走り回っているし。でも、思想はすばらしい。一度あれを知ったらやめられない」という。
かつて存在したバ○○ンガルという語学学校に勤めていた知人は、
「あそこは実は統○教会がやっているんだよね。入ってしばらくしてから初めて知った。それで悩んだ末にやめた。でも正直言って、あそこで働いている間が今までの人生の中で一番充実していた。みんなでどうやって売上のばそうか、て会社に泊まりこんだりして。気分がハイだからぜんぜん疲れなかった。あの頃は一体感があって楽しかったというのが、自分でもつらい」という。
子供の頃に新聞の「ひと」欄を読んで知った、ある被差別部落出身の女性の半生が忘れられず、成人してから訪問して話を伺ったことがある。彼女は「子供はきれいきれいで育つと弱くなる」と言った。小学生の頃から工場で働いた彼女は、世の中のさまざまな面を見た、ずるをする大人、文字が読めないため契約でだまされる人、いい面も悪い面もいっぱい見た、でもあれが一人で世の中に出て行かなければならなくなったときの免疫になった、という。
世の中の醜い面を見ないまま成人した人は、はじめて世の中の矛盾に触れたとき、はしかと同様、重症の反応を起こす場合がある気がする。かつてNGOで働いていた頃に得た感触だが、程度の軽い人はNGOなどへ回り、重い場合は宗教的な側面を持つグループへ入るような気がする。
よく、オウムの若者は涙が出るほど純粋、だの、純粋な怒りに駆られてテロに至った、などと聞くが、この手の "純粋" さにはまやかしがある。世界的に原理的な集団ができやすい傾向にある今、わかりやすい過激な主張をする組織に対して、簡単にはまらずに一歩ひいて再考する賢さと、汚くても矛盾だらけでもその”現実”(どこかにあるはずの偽の”現実”ではなく)ととことん取り組む覚悟が要る。
人に好かれる政治
執筆日:1995/4/20公開日:2003/3/19
4月17日付け東京新聞の朝刊に、「村山首相は人に好かれる政治、というが、池田隼人も佐藤栄作も、人に好かれたいなどという薄気味悪いことは言わずに、政治をこなした」とあった。
考えてみれば「人から好かれる農業をしたい」とか「人から好かれるXX(職業)をしたい」と最近よく耳にする。しかし祖父母の人生を見ていると、人から好かれるうんぬんの前に、漁業をしたり内職をしたりしていた。昔の人はたいてい、純粋に”その仕事”をしていたように思う。
友人とこの話をしつつ、「祖父母の世代の人、て、”本当の友だちがほしい”とか、考えてもいなかったように感じるんだよね。畑を借りている田舎のおじいさんお婆さんたちを見ていても、よくお互いふらりと行き来したり集まったりしているけれど、本当の友人云々よりも、同じ共同体で子供の頃からずっと一緒という人たちの中で、ときに助け合ったり、ときに反目したりすることもあった、同じ時代を生きてきた同輩(はらから)、みたいな感じがあるんだよね」と言うと、
「そうだね。今の人が言う”人から好かれたい”、て、積極的なものよりも、まわりからいじめられたくない、ていう感じがあるよね」と言っていた。
銃乱射事件の母親
活東庵公開日:2003.7.22 「」内執筆日:1999/5/30
「今日NHK特集で、学校への銃乱射事件を起こした少年の母親へのインタビューを報道していた。以前CBSでも、凶悪犯罪で子供がつかまった両親が、その後、子供から拒絶されても面会に通いつづけ、今では家族全員で一生刑務所を出られない少年と面会時間を過ごし、両親・兄弟の絆が深まった話を放送していたが、今回の彼女も逃げずに、マスコミを通じて謝罪を繰り返し、その町に住みつづけている。少年と面会し、再婚の夫とも別れず、弟や妹も少年に愛していると電話で伝え、少年のほうも親兄弟にそう告げる。もちろん、町の人の中には出ていってほしいと思う人などさまざまで、共犯の少年の両親は沈黙を守り、人々の反感を買って町から出ていった。しかし、こうしたアメリカ人の強さは何だろう。日本ではほとんど聞かないケースだ。
彼女はときどき、神様、これ以上の重荷を背負わせないでください、もう耐えられません、と祈る、そういうときは二人の子供の眼を見、愛をくれる人々のことを思い出し、生きる力を得るという。」
上の文章を書いたのは4年前。そして今回の長崎の事件。思い出したのは、ジェフリー・ダーマーの父親の手記。そしてNew York Timesにのっていたアメリカの犯罪調査。
調査によれば、快楽殺人犯の家庭には共通点があるという。上昇志向の強い”中の下”クラスの白人家庭が多く、両親は祖父母の世代よりはステップアップしているが、ステップアップ以前の家族や自らの人生の過去を否定的に見ていて子供たちには語らず、子供にはさらに上のクラスへのステップアップを望んでいる。
ダーマーの父親は、息子が大量殺人でつかまるまで、まったく気づかなかった。そして彼がつかまってから、はじめて考え始めた。本の内容はとても真摯で、いろいろ考えさせられる。その点、この父親は正面から運命を受け止め、責任をとったと言える。
本の中でもっとも印象に残っているのは、この父親が人間関係が苦手だったと語っている点。化学(だったか物理か、失念)の研究者だった彼は、人間関係は予想がつかないぐちゃぐちゃしたところがあり、そうした予定調和の成り立たない世界が苦手だったという。化学は化学式通りに結果が出る。出ない場合は原因があり、それをつきとめればよい。ところが家庭は予定調和の世界からはずれていたので苦手だった、それで家庭に問題が起きると化学式の世界に逃げていた、という。
本では妻(ダーマーの母親)がかなりエキセントリックで気分屋だったことがちらりと出てくる。長崎以外の重大事件でも、(おそらく人付き合いが下手だから)仕事一本の父親と、いつも何かにせきたてられているようで立ち話もできない、遊びや余分な部分がなくあまり人と付き合わない母親の話を聞く。
両親があまり人付き合いをしたがらない点も気になるが、過去を語らない、という指摘も気になる。これが、オウムなどの新興宗教に走ったり、「私の前世、てXXなんです」という類の話にはまる若者を生み出している一因のような気がする。
人間には、学校での成績、会社名、役職名、といった今現在のこの世での位置を示す横糸と、自分がどこから来てどこへつながってゆくのか、といった時空での位置を示す縦糸が必要で、この両方が存在して初めて、座標軸のように自分の立つ位置が定まるのだと思う。その縦糸が現代の立身出世型社会、競争社会では非常に弱っている。それを補うために「私の前世、てXXなんです」という話にすがるのだろう。
なぜ語らないのか。アイヌのユーカラのような豊穣な言語で、自分たちの両親、祖父母、そして先祖の物語を。沖縄と津軽に書いた話にもつながるが、むしろマイノリティーのほうがそれをきちんとやっているケースが多い気がする。
もう一つ、指摘しておきたいのは、こうした過去の否定は、弱さの否定にもつながっているだろう点。弱さを認めず受け入れない、常に上昇することを要求する世界では、うまくいかない、傷づいたときにどう対処するか、その対処機能がうまく備わっていない。期待に添えなかった者は落伍者の烙印を押され、厄介者になるしかない。
追記:
この銃乱射事件の母親の姿に、一神教社会の人間の持つ強さを感じさせられた。いつもはこの欄で、多神教的アニミズムの考え方の良さを書いているが、周囲に合わせる感のある多神教的社会では、全世界から孤立しても自己の信念を貫く強さは持ちにくい。それは逆境にあったとき、特に強く現われる。社会が求めるから謝罪するのか、己の信念、神との契約に基づいて謝罪するのかは大きく異なるし、その後の持ちこたえ方も異なるだろう。相手との関係で決めていると「どこまで謝ればいいのか」ということになり、今の日本と周辺諸国との関係のように”損した気分”に陥ったりしてくる。あるいは、周囲からそれは間違っている、と言われても、信念を貫く場合の強さにも関わってくる。一神教には一神教の強さ(良さ)がある。
イラク戦争前に思う
活東庵公開日:2003.3.19
イラク問題がついに戦争になりそうだが、簡単に。
日本はアメリカ全面支持を表明したが、開戦になった場合、いっときは良く見えても、5年10年の長い目で見た場合に、ひょっとすると負け組にくみすることになったのかもしれない。万が一大統領へのテロなど非常事態が発生した場合、世界は急速に騒がしくなるだろうし、日本の立場は確実に悪化する。
もう一つ。反戦運動がさかんになっているが、特に日本国内の場合、言論統制が始まったとしたら、そのほとんどは散り散りになるだろう。いざ統制が始まった場合、それでもやれる人がどれくらいいるのだろうか。うっかり参加してしまった人はどうなるのか。いや、いざ統制が始まったら、逆にそちらに流れが変わり、むしろ戦前以上にきゅうくつな社会になりそうな気がする。
(祖父がシベリア出兵から第二次大戦まで一貫して反戦論者だったため、投獄、特高に見張られるなど家族は大変な苦労をした。ヒューマニズムからの反戦というより、当時欧米の雑誌に触れる機会が多かったため、向こうの情報を見てこれでは勝てないと判断したからだったが。そういう時代が来ないことを祈る。)
(いずれWebも統制されるかもしれない。歴史からいって、そういうものだ。)
とにかく、今回のイラク問題には、10年前のクウェート侵攻のときとまったく異なり、本能的にやばい気がする。アメリカが力を持てば世界が一元監視下に、そしてそれがおかしくなれば各民族が民族に対抗し世界がちりぢりに。
それでも明確に反対を表明したところは、まだ救いがありそうな気がするが、追随した日本は、火中の栗を拾うようなことにならなければいいが。
そしてこうした予感がすべてはずれると、いいのだが。
農地解放の記憶から
活東庵公開日:2003.4.16
サイトに載せるため、就農者訪問の記録や農家の話をまとめながら感じたのだが、地方の人と話していると、農地解放の影響は大きかった、と感じされられることが多い。農地解放のおかげで、小作していた土地が自分の土地になり、登記簿を見たら8.5畝のところに今まで1反の小作料を支払わされていた、マッカーサー様様だ、という話も聞く。
無声映画を見ていても、戦前に作られたものは当時の価値観が反映されているし、ロケで撮られた作品の場合は、耕地整理される以前の田畑のようすや、農家、町並みを見ることができる。そうした映像を見ると、今では化石やジョークと化した社会主義、共産主義だが、実際に必要とされた時代も確実にあったのだ、という気が強くする。
第二次大戦後のアメリカの政策は、それなりに意味があった。おそらくこのような大戦争を再び引き越すことがないよう、当時のアメリカは非常に慎重に調査して政策を行ったのだろう。ドイツに対しても同様で、たとえば第一次大戦後のような過大な債務を第二次大戦後に課すことはなかった。
一方、現在のイラクに対しては、社会や人に対する扱いがかなりないがしろになっている。あの粗雑さでは、不満や、なんのためのサダム政権排除だったのか、という疑念が今後あがってくるだろう。
世界大戦は総力戦だったから、東京大空襲はもとより、重慶、ロンドン、ベルリンなど皆お互いに空襲していたし、一般市民も攻撃していた。しかし今の社会においてバグダットにピンポイント攻撃するということは、現在のニューヨークや東京、北京に対してそれを行う、ということと同じことになるはず。いくら怪しい設備や工場だけだ、といっても、ニューヨーカーや東京に住む人が「じゃあ安心だ」なんて思うだろうか?絶対にとばっちりは受けるし、誤爆があったら大騒ぎになる。おそらく先進国の大都市に対してピンポイント攻撃はできないし、やらない。このへんにも粗さを感じる。だんだんアメリカに楯突く国は攻撃される、という感じになってきている。
追記:
アメリカの行動に対して、日本は言いたいことを言えずに同調せざるをえず、お金をむしとられるだけ、という論もあるが、忘れてはならないのは、日本は敗戦国だということ。古代社会ならひどい目にあった”敗戦”という事態も、第二次大戦後ではかなり寛大に扱われた。むしろ戦後のほうが明るくなり、人も元気になって一生懸命働く雰囲気ですらあった。
敗戦直後はそのシナリオではなかったと思うが、思いもよらず経済復興したので、アメリカ側にも、そうだ、金づるにしよう(言葉が悪ければ、寛大に復興を助けた分、その分は返してもらおう)、という発想が生まれたのだろう。特に戦後生まれ世代は忘れがちだが、日本は基本的に敗戦国。だから強く出られないのは当然で、むしろこの程度で済んでいるとすら言える。
一方、歴史的に見ても、永遠にその関係が続くことはない。ただ、いつそうでなくなるのかは、自覚にかかっているのかも。自分でいろいろやるには、手間、お金、何より覚悟がいる。決して、ナショナリスティックになって、アメリカその他と敵対するということではないのだが、混同する人も出てきそうだし。
当然、軍備も避けて通れない話になってくるが、一つ言えるのは、たぶん日本人は自分自身を信用していない、できないのだろう、ということ。防衛目的にせよ軍隊を持つということは、どの国もやっていることで、即軍国主義と直結することでは決してないと思うが、別にリベラル、左翼系でなくてもどこか不安があるこの感じは、おそらく軍隊を持ったら、そこが暴走しはじめても、自分たちには止められないだろうと、どこか思っているからではないか。
みな仕事には一生懸命で、家族や会社(昔は地域)など狭い社会でこつこつ生活している人たちが多く、あまり政治などには興味を持たず、いつのまにか気がついたら、そんな感じの社会になっていた、「え、あれ、て治安維持法だったの?」みたいな。そうなってから疑問を持ったり反対しても骨が折れるし、下手すると危険でもあるので、まあいいか、まわりもそんな感じで大丈夫そうだし、てな感じでどんどんいってしまう。
「雰囲気で決める」、まわりの人たちの言動を見てそれに合わせて決めてゆくタイプの日本人には、いったん暴走しはじめた権力に対するチェック能力がないというか、抵抗力が弱い。そこが欠点だ。
生活保護
活東庵公開日:2003.10.15
既成の勤め人人生に別れを告げ、面白い生き方をしている知人がいる。先日訪ねたとき、ふとしたことから年金の話になった。かつて新卒で入った会社を辞めて以来、国民年金もずっと納めていない、そんな余裕ないし大してもらえないから、という。「でも、年取ったらどうするの?」と聞いたら、「いざとなったら生活保護でもいいかな、と思って」と言う。そのときはへえ、そんな考え方もあるのか、と思った。
それから数ヵ月後、リストラにあって求職中の知人と会った。彼女は時間があるので某市の公民館活動に参加するようになり、最初はイベントに参加する側だったが、今では職員と一緒に企画を手伝っている。それで初めてわかったのだが、常連メンバーの中に何人か生活保護を受けている人がいる、という。
古典的な、母子家庭やお父さんが病気で働けないといったケースではなく、皆独り者で、特に二十代の若者が数人いるのには驚いたそうだ。「一人はいわゆる引きこもり。で一人住まい」というので「親はどうしているの」と聞くと「知らない。でも精神科でこういう理由で働けないとか診断書もらうと生活保護がもらえるらしいよ」そして別の一人は全然元気、海外旅行も行っているし飲み歩いたり友達のところに泊めてもらったり、それでも満額近く出てけっこうお金持っている、不思議だよねー、でも若いからそういう生活が成り立つんだよ、友達が結婚してくるとそう簡単に泊めてくれなくなるよ、という。
彼らの特徴は人生悟ったようなことをすぐ言う、何かというと「人生、てのはこういうもんだよ」みたいなことを言うので、あんたらには言われたくない、と思うのだそうだ。
山谷だので野宿している人のほうが余程生活保護を必要としているのではないか、と思うが、生活保護を申請してもなかなか認められないと聞く。海外旅行も認められないはずだ、と言うと、知人もTVで生活保護を申請しても月3万しかもらえず1日1食で過ごすお婆さんの話を見たという。
「そういう話も聞くよね。でも旅行に行った、て聞くよ。なんかノウハウがあるみたいなんだよね。こうすれば貰えるとか、そういう情報のネットワークがあるみたいなのよ」。
そして、その”老後は生活保護で”派の話に、満額出たら月10万になる、掛け金全然払わないで10万もらえるんだったらちょろいもんだよね、求職中で国民年金払っている身からすると頭にくる話だけどさ、と言っていた。
大学で教えている別の知人からも、今大学の講師の時給がどんどん下がっていて、子供を持つ同僚はついに生活保護を申請することにした、と言っていた、と聞いた。(ある高校教諭にこの話をしたら、大学の非常勤講師は中学高校の先生に比べて立場が弱く、今組合を作る話が出ている、と聞いた。)
このところ急に生活保護の話を耳にするようになった。これが緊急避難的に利用され、その間建て直しをはかり、立ち直ったらまた自分でやってゆくような制度ならよいが、(大学講師の例は別として)働く能力、体力があるのに利用するなどの話を聞くと、なんか納得がいかない。
働かずに寄生する人が増えてゆく社会は、少子化以上に不健全な気がする。
元ハゲタカファンド氏の夢
活東庵公開日:2004.1.9
定期的に集まるグループの一人が、海外赴任から帰国後、会社を辞めハゲタカファンドに入ったらしい、との噂を風の便りに聞いた。その彼が久しぶりに忘年会に来る、という。
忘年会の当日、なぜか中堅サラリーマンの男性諸氏はドタキャンの連続、来たのは自由業の男性と女性のみ。噂の本人は皆に会えると思ったのに、とがっかりした様子。
ハゲタカファンドに入ったんだって?あこぎに儲けてる、て噂だよ、と、その手の競争と無関係に生きている者は臆面なく聞ける。
「いや、今は再生ファンドです」と氏。なんだ、ハゲタカファンドじゃなかったんだ、「いや、前は本当にハゲタカにいたんですよ」
まだ40代前半の彼は、
「でもそれでもたぶん、みんな(普通のサラリーマン)が貰っている給料の3倍は貰っていると思います。ただ、全然休みがとれなくて。土日もずっと出ているし、今日もさっきまで会社でした。夏休みも冬休みもない、すごい働いているんですよ」
「日本は税金高いでしょ。特に稼げば稼ぐほどそうなってゆく。だから香港に移ろうかと思って今調べているんです」
「子供は中学からアメリカで教育しています。日本の私立に入れたけどよくない。子供は海外で育ったようなものだし、向こうのほうがあっているみたいで、もう日本には帰ってこないと思う」と森永卓郎氏の著書や「窒息するオフィス」(岩波)にあるような内容を地でゆく話をする。その他、再生対象になるような会社の社長の特徴だのをいろいろしゃべっていた。
ところで元ハゲタカファンド氏には夢があるという。
「もう子供も自立しているしね、あとは自分がやりたいことにお金使おうかなあ、と思って。僕には夢があるんです。今リストラなんかでお父さんに仕事がなくなったりして、高校に通えなくなったり、大学に進めなくなったりしている子供たちがいるでしょ。そういう子供たちをアメリカにホームステイさせてやりたいんです。自分の子供がアメリカにホームステイしたら、ものすごくしっかりして戻ってきたんですよ。そうしたチャンスをそういう子供たちにも与えてやりたいなあ、て」
意地悪い見方をすれば「そのリストラや倒産のきっかけを作ったのはあんたでしょうが」と言えなくないが、もはや彼云々のレベルの話ではなく、とにかく今、社会が急速に変質しつつある。良いか悪いかよりもまず、その現実がある。森永氏が書いているように、高度情報化社会やグローバル化が進むにつれ、仕事のある人とない人の差がものすごく大きくなる。農産物ならさほど出ない作り手による差が、サービス産業だとものすごく開いてしまう。
学生の頃、スポーツを見ながら、なぜある選手は1億円もらえ、一方で百万二百万円代の二軍選手がいるのか不思議だった。たしかに差はあるが、1億と百万もの差だろうか?と思ったものだ。才能や、努力するかしないかといった能力には、確かに個人差がある。しかし、そこまで増幅して解釈するのは人間だけだ。動物にも個体差はあるが、彼らの生涯、そこまで差は出ない。その差は人がそう望むから、作られる。
確かに、お金を払うレベルの仕事と、払う気にならないレベルの仕事の違いはある。たいていの人が、少しでもよい医者にかかりたいと思い、よりよい建築家に家を建ててもらいたい、よりよいデザイナーに、よりよいXXに、となってゆく。情報の入手が簡単になり、交通手段、流通手段の発達が、かつての社会に比べそれを可能にしてゆく。よく言われているように、情報入手選択能力に長けネットワーク力に強い人が勝者になる新しい社会に移行しつつあり、新しい階級社会ができつつあるのかもしれない。
それにしても、と思う。リストラされたお父さんと、元ハゲタカファンド氏と、どれほどの差があるのだろう。そこまで差がつくほどのことなのだろうか、という根本的な疑問は残る。ただ、現状の社会システムでは、その差がアンプのように増幅され、極端な結果となって出てきている。
もう一つ、この新しい高度情報化社会は、下手するとランナウェイに陥りやすい側面がある気がする。ランナウェイとは、あるヘラジカの群れのメスが角の大きいオスばかりを好む傾向があり、その好みが暴走した結果、異常に角の大きいシカばかりになって群れが全滅した、などの現象を言うが、この話はまた別の月にでも書いてみたい。
人から後ろ指さされる人になる
活東庵公開日:2004/4/20
ある有名な作家は、子供の頃、母親からつねづね「人から後ろ指さされる人になりなさい」と言われたという。何かをやろうとする人は必ず周りから何か言われる、でも言っている人たちは自分では何もしない人達、だから人から何か言われる人、後ろ指さされる人になりなさい、後ろ指さす人になってはいけない、と言われ、深く印象に残ったという。以降座右の銘にしている、という話だった。
イラクで人質になった人たちも、その仕事に意義があると思うなら、臆することはない、続ければいい。「迷惑だ」という政府関係者の意見は、あくまでその立場からの都合の表明にすぎない。中国人、ロシア人労働者も「お金稼げるから」と誘拐から釈放された後もイラクに留まっているし、残りたい発言もそうおかしいとは思わない。特にジャーナリストなら山を狙うのは当然で、リスクはわかっているだろうし、戦場で亡くなった記者やカメラマンは大勢いる。(安田氏の東京新聞のストリートチルドレンのルポは良かったと思う。)
一方、政府が100%国民を守る(守れる)ということもありえないわけで、場合によっては身代金も払わない、要求も呑まない、という判断もありえる。それはそれで仕方ない、国家とはそういうものだから。かつてのからゆきさんも、100%大日本帝国に守ってもらえるとは思っていなかったろう。他国に比べ国力が強い状態にあり、その国にとって重要な人物であれば守られる比率はかなり高まるが、それでも100%はないだろうし、国が混乱状態ならばゼロに近づく(敗戦時の引き上げを考えよ)。
今回の件の報道で気になったこと:
1.当初、さらわれた人達はお金儲けに行ったわけではない、と強調するメディアが幾つかあり、違和感があった。目的がお金儲けだろうが、NGOだろうが、ジャーナリズムだろうが、誘拐されたなら等しく扱うべきではないか?この当初の報道から受けた印象が、一般の人達の反感を強めた一因になった気がする。私も最初の印象から、元々この欄ではNGO批判を書こうと思っていた。しかし風向きが180度変わったので今はその時期ではなく、やめる。NGO活動にも言いたいことは多いが(基本的にあぶく産業だとは思っている)。
2.この一連の騒ぎ、なんか学校みたいだな、と思った。あるいは政府と国民(お上とたみ)の関係が、親子のようでもある。儒教的国家、東アジアの特徴かもしれない。韓国、中国にもその雰囲気がある。お上がいちいち口出しする。過保護に、ちゃんと言うこと聞きなさい、という。
3.今回の件、もしナガランドあたりで拘束されていたら、反政府Undergroundsが日本政府に何か要求しても、へ?て感じだろうしニュースバリューもなく、一部でやっぱ危険だよねで終わり、当人的にも政府はなかなか動かず解決は長引くだろうが、バッシングもなかったろう。他地域で起きたなら、特に民間人の場合は、企業人なら企業が主体になるだろうし、個人なら国にかけあうしかないだろうが、おそらくそう熱心には動いてもらえずほっておかれるだろう。今回お金をかけて早期解決したのは、人質のためというより他の絡み(アメリカ、自衛隊)のためなので、お金がかかったことに罪悪感を感じる必要も特にないと思う。
いい目的悪い目的/国家は誰が必要か:
突然、文春問題に絡むが、良いジャーナリズム、俗悪で悪いジャーナリズム、という区分けがなされ、それに対してそういった線引きは危険だ、悪いものも残すべきだ、戦前の言論統制もエログロを口実に始まった、という意見があがった。私もこれは基本的には賛成で、政府がモラルを言い出したときはろくなことがない気がしている。”清潔な帝国”を口にする当人たちが一番腐敗している、という顛倒はナチスからオ○ムまでよくある話だ(四人組もそうだった気が・・・)。
そして今回、人道支援という良い目的、お金儲けという(悪い)目的との区別が一部メディアでなされ、政府を支持する良い国民、反政府の主張を唱える(悪い)国民、という区分けが政府からなされた。
ところで、国は誰が必要としたのか、王は誰が必要としたのか。政権によっては「あんたは良い国民だから必要、あんたは悪い国民だからいらない」と言う可能性がある。でも本筋なら、この国土に生まれたから生きているわけで、要るとか要らないとか言われる筋合いはないはず。一方、国のない民族は大変だ。各地で山岳地帯や島嶼部に残る少数民族や、植民地を見ればわかる。国はなくとも”のんびり争わずに暮らす平和な人達”を望む生き方もあるだろうが、普通は周りがほっておかないのでどんどん棲家を奪われる。群れを作るほうが有利なのは生物社会を見てもそうで、その場合集団利益の追求も必要になる。
さて、先に100%国が国民を守ることはありえない、と書いた。ということはこちらも100%滅私奉公である必要もないわけになる。道路もダムも必要だし、外交も必要だからかなりの程度協力するが、一種の契約というか、ここは違うと思ったり、反政府とまではいかなくとも自分が生きやすい政府を選択したり作ったりするのもありだとは思う。
国は土地(国土)と直結している。だからたまたまそこに住んでいる人で違う人たち(考えが違う、民族が違う、宗教が違うなど)がいると、もめることになる。昔は移動手段も情報伝達手段もアナログだったから土地と国が直結して当然だったが、もしインターネットのプロバイダーのように私はnifty、あなたはocn、というように国が重複して存在する、国が選べるとしたら???
滅びにいたる門は広い
活東庵公開日:2004/5/30
ベルリンの壁崩壊を扱ったスマッシュヒットの映画「グッバイ!レーニン」には、東独時代を懐かしむ中高年の姿が出てくる。知人が最近出した北朝鮮関連本(著者は韓国人だが実質責任持って調べて書いているのは日本人、韓国人名で出したほうが信憑性ありげで売れるとする出版社の戦略だろう)にも、韓国在住の脱北者の中に、数は少ないが北を懐かしむ人がいることが記されている。理由に、北では言われたことをただやっていればよかったが、南では自分で考えて目標をたてなければならず、何に向かって頑張ればよいのかわからない、とあった。
こういう人、て意外に多いのでは。オ○ム事件のときも、知り合いの女性に「ああいう風に何をやればいいか、ほかから決めてもらって自分は考えないですんだら、楽でいいだろうなあ、と思う」と言う人がいた。私は目隠しされてどこへ行くかわからないような状態は怖くてとてもついていけない、と感じるが、それでもあまり人のことは言えない。
この女性や脱北者が特別に依頼心が強く特殊なのではない。社会主義建設も高度成長期も、戦争すらも(戦争が始まると精神病が減るという)ある意味外から与えられた目的に向かってあまり考えずに(つまり悩まずに)邁進できる状態だった、そして多くの人がそれに乗っかった。小さいレベルでは、とにかく受験に頑張る、いい点を取ることを目的化しそれだけに集中する、などのこともあげられる(これは私もやったなー、終わった後非常にむなしかったが)。何かに邁進するのが問題なのではない。どこへ行くか自分では検証しないまま、偉い人が言っているから、みんなやっているから、とただついていくことが問題なのだ。滅びにいたる門は広い。この聖句を戒めとしている。
煽られやすい人々
活東庵公開日:2004.7.8
先日会った知人から、台湾のアーメイ(阿美)ちゃんの中国公演が最近もまた中止になったと聞いた。その理由が、例のインターネットの掲示板だという。中国の一部の若者たちが猛烈なアーメイ批判をしたらしい(彼女は台湾国歌を歌ったりしている)。
日本の人質バッシングにしてもそうだが、ネットの掲示板で騒いでいるのはごく一部の可能性が非常に高い。特に2チャンネルあたりだとあの独特の用語(age、sage、逝きます、厨房等々)を違和感なく使いこなせる人は、人口比としてそうは多くないと思う(ログ見ているだけの人は多いだろうが)。
しかし騒ぐ人の声は大きい。アーメイちゃんにしてもファンの数のほうが多いだろうが、こういう結果になる。煽りが簡単に可能になる社会は危ない気がする。中国はその度合いが今激しく出ているが、ネットの普及しているところはどこもその危険性はある。ネット情報を裏もとらず、鵜呑みにして熱くなり、興奮して口角泡飛ばしている中国の若者の映像を見ていると、ここにも、本当に自分で考えてしゃべっているのか、他人の言葉を借りてきて興奮のあまり自分の言葉の気になってしゃべっているだけなのか、当人がわからなくなっている人がいる、といういつもの思いが頭をもたげる。
戦争中の雰囲気、オ○ムだのにはまって語る人、全共闘運動に夢中になってしゃべる人を見ると、いつもその疑問が頭をよぎる。
以前、全共闘運動を知っている人が「いやー、あの頃は彼らは若いなりに、世の中にとって大事な問題、根本的なことに問題を投げかけていたと僕は思うんだよね」と肯定的に話すのを聞いて、本当にそうだろうか、という思いが離れなかった。世の中がその方向だから雰囲気に飲み込まれ一緒に熱く同じ言葉を語っていただけではないのか。
祖父は戦前、戦争反対やマルクスの著作翻訳のかどで何度か逮捕されたため、戦争中の配給でも嫌がらせを受けたという。それが、戦争が終わると労働争議がさかんになり、世の中左の考えが流行になると、アカだなんだと批判していた近所のおじさんたちが「共産党万歳」と言うようになったので、子供心に随分みんな現金だな、と思ってみていた、と父が語っていた。皆戦争が終わると、「実はあの戦争はいやだった」等々言いだす。しかし、その最中にそういうことを言うと批判される。この感じは中国映画「生きる」にも出ている。映画はそうした制度や主義が変わっても、それに翻弄されながら生きる庶民の”たくましさ”を肯定的に描いていたが、ここにも「実は嫌だった」派がいる、と言えなくもない。そういう描き方もできる。
皆がAと言っているときにAと言うのはたやすい。そして、滅びにいたる門は広い。
追記:
その後7月、阿美ちゃんの北京公演が実現した。すると今度は台湾の副総統が「愛国心に欠ける」と彼女を批判した。阿美ちゃんは先住民族ピュマ族の歌姫。代理で叩かれている感じ、そして真の思いは。
ところで、中国に留学していた知人がかつて語っていたが、中央民族学院の人達と知り合いになったとき、彼らは「私たちは歌っていればいいんです、踊っていればいいんです、でも政治やっちゃいけないんです」と言っていたという。中国人(漢民族)の友人たちにそのことを問うと、「でもあの人たち、人の頭の皮はぐんですよ、人の骨で楽器作るんですよ」と対等なんてとんでもない、生理的に受け入れられない、という感じだったそうだ。
この話を中国ファンにしたところ、一瞬絶句したあとどっちの気持ちもわかる、と言った。
糾弾と”はまり”の関係
活東庵公開日:2004.8.4
大学卒業後、定期的に会っている知人がいる。卒業から数年たったある日、いつものように待ち合わせの飲み屋に入ってきた知人は、「ごめんねー、たばこ吸うようになっちゃったんだ」と言いつつタバコに火をつけた。そしてある差別問題について語りだした。それについて書かれた本を読み涙が出るほど感動した、いまそうした研究会に入っている、この差別問題をどう思うか、知らないは許されない、「現実に問題はあるんだよ」と詰問口調で言った。そこで、そちらが10年後も同じことを語っているか、まずはそれを見せてもらうよ、と言った。他人に要求するからには、それくらいは当然だ。責任ある言葉を語ってもらいたい。予想どおり、次に再会したときにはあまり語らなくなり、さらに1,2年で研究会もやめていた。理由は何か言っていたが、覚えていない。
興奮して熱く語る人、安易に他人を糾弾する人を見ても、その熱を信用しないことにしている。本当に長く”活動”を続ける人は、自分は正しい正しいと言って回ることはあまりない。一人でも続ける人だったりする。一時的に酔って興奮している人は借り物の言葉だから、しばらくすると憑き物が落ちたようになる。
友だち作りを口実にグループに入ることを勧めたり、お金のことを言い出すとカルトか新興宗教、なんちゃらセミナーかなと思うのと同様、糾弾が始まると、今何かにはまっている状態なんだねあなたは、と感じる。はまってもいいが、やるからには責任もってもらいたい。責任もつということは状況が変わっても貫くか、やめるなら(それまで他人に強要があったりなど迷惑かけたなら)それまでを謝るということ。でないと、糾弾を受けた側はどうなる?
いっとき興奮して糾弾していた人はその後”転向”したとき、たいてい黙って転向している。”総括”もお詫びの言葉もない。言葉でなじるくらいならまだしも(それだって通常の状態だったら、かなり失礼だが)、戦前や文化大革命、学生運動などで興奮した人達に自己批判を迫られ、職を失ったり、自殺に追い込まれたり、時になぶり殺しにあった人たちは、黙って転向されたのでは浮かばれない。
そしてもう一つ、指摘しておきたいのは、その時代に丸とされる、あるいはその場の雰囲気の多数派を占める”正義”の側に身をおくことは実に心地よいことだ、ということ。大手をふって、お墨付きで他人をいじめられる。たとえ元々は問題意識から始まったことであっても、糾弾が始まったら、それはその運動が変質してしまったと解釈していい。そのときそれを指摘しても「そうではない」と言い張るだろうが、確実に攻撃を楽しいと思う部分、興奮している部分が奥底にある。言っている言葉に真実を感じているなら、興奮が冷めたり状況が変わったとたん、憑き物が落ちたようになるはずがない。正論を口にしつつ、公認された残虐性を発揮する興奮した人々を見ていると、煽られやすいということはいかに危険なことか、そしてくどいようだが”滅びにいたる門は広い”、と思ってしまう。
祖父の戦争中の日記から
活東庵公開日:2004.8.4
小学生のとき、何かの拍子に「特高みたいだね」と言ったら、誰も知らなかった。中学に入っても同様で、「特高、て何?」と聞かれ、「だから戦前、特別高等警察と言って」と解説しなければならなかった。
祖父はクリスチャンで旧社会党系の知己も多かった。シベリア出兵以降戦争反対その他で何度かつかまっている。戦争中は家を出ると角の電信柱のところに特高が隠れて様子を見張っていた、外に出ると特高に尾行された、という話を子供の頃からよく聞いた。
戦争中に祖父が書いた日記があると聞き、見ることができた。灯火管制下、空襲警報の鳴る中、町内会の人たちから「早く灯り消してくださーい」とせかされる中、毎日ぎりぎりまで書いていたという。特高のイメージや、戦争が始まる前は7人だった家族が、戦争が終わると3人に減っていた(正確には叔父が一人チモールから復員したのだが、すぐに栄養失調で亡くなったので、その時点で3人)状況から、暗い感じを予想していたのだが、思いのほか淡々としている。空襲警報下、電車もよく動かない中、しょっちゅうあちこち出歩いているし、親戚だの知人だのがほぼ毎日のように食事に来たり風呂に入りに来たり、泊まっていったりしている。その人間関係や親戚づきあいの濃さは、とても現代の比ではなく、死を間近にすることも多いのに、これだけ濃いつきあいがあれば支えられるだろうなあ、と思う。
毎日いつ空襲警報が鳴ったかの記録も克明につけている。出版社に勤めたりなどで、情報(噂も含め)にアクセスする機会があったためか、大本営発表はこうだが実はこうで、の話も多い。海軍は陸軍が勝手に始めた戦争だ、東条のいふことなど誰が聞くもんか、等々言っている、陸海の喧嘩でサイパンが見殺しになった、など陸海軍の不仲の話はよく出てくる。四十四年七月廿日には敗戦後の経済を研究していた渡辺鉄蔵など経済研究會の連中が引っ張られたとの記述。四十五年二月には、レイテの戦争は始めから補給がつかず数日にして将兵は木の葉などを食って戦ったさうだ、無謀な戦争をしているものだ、とある。この戦争は負け戦と最初から言っており、「愚かに始まった戦争が愚かに終わる」と敗戦直前に書いている。一般には日本は必ず勝つと信じている人もいたろうが、東京大空襲以降は負け戦を予想している人も多かったようで、四十五年六月には、国鉄の杓子定規の対応に「こんなんだから日本は負けるんだ」と憤慨した老婆に回りにいる者がみな共鳴した、との記述もある。
今回は日記の合間あいまにある詩のようなものを紹介する。
毎日のようにある空襲警報の記録が、具体的な損害の記述と共に記され始めた一九四五年
二月十七日
二千年長き歴史に我等?の
最後の時に生れ来しとは。
大地と共に栄えん神國の
亡び行くをばまのあたりに見る。
二月廿二日
愛国を賈物にせるともがらは
遂に國をば亡ぼしにけり。
幾たびか言はざりしことか愚かなる
ともがら國を亡ぼしにけり。
かくすればかくなるべしと知りながら
かくなり行くを見つつすべなし。
三月十二日
神風に百万人が
焼け出され
神風が江戸を
半分焼掃ひ
神風に江戸は
半分焼野原
神風のお陰で
おれも罹災民
神風め今度ハ
敵に組したり
ところで、敗戦後しばらくして、特高が家に来てしばらくしゃべっていった、という記述がある。戦争も終わり、何を話したのだろう?
戦争1.2.3
活東庵公開日:2004.9.19
・戦争その1
戦争は絶対いけない、という単純な言い方はしたくないが、行使するかどうかはかなり吟味する必要がある。いろいろな意味で高くつくからだ。
最近の中国の反日騒ぎでも、あの教条的で寛容性のない抗議の様子には異様な感じを受けるが、一方、そういう言質をとられるようなことをしたことも事実だ。”愛国”のはずが、なぜ孫子の代まで重荷を負わせるようなことになったのか。
・戦争その2:北オセチアのチェチェン勢力による学校テロ事件から
こういう事件を見ていると、戦争はプロに限定する国際協定のようなものを結ぶ必要があるのではないかと思う。中世や近世の戦争は、基本的にプロ集団が広い土地でXXの会戦を行うものだったはず。民間人や非戦闘員は関係なかった(あくまで基本的に、だが)。おそらく、暗黙のそうした協定が中世、近世のヨーロッパ社会や日本でもあったのではないか。ただ、劣るとする異民族への攻撃は、古代から非戦闘員も含めて殺戮していたと思う。これは同じ社会を構成する人々、国々、という認識がなかったからだろう。
今、世界は探検しつくされ、まったく見知らぬ国や土地、社会が地球上に存在するわけではない。どの土地にも国境が引かれ、ほとんどの国が国連に加盟している。同じ社会の構成メンバーなのだから、同じルールを適用することが可能なはずだ。
民間人が武器を手にするのは(強盗やマフィアでない限り)自分たちの存在が脅かされる場合だろう。今回のチェチェン絡みの事件でも、学校占拠事件はさかんに報道されているのに対し、一説に8万人殺されていると言われる第一次チェチェン紛争、10万人殺されていると言われる第二次チェチェン紛争はほとんど報道されていない。これはフェアではない。映像の力は強いから、数百人の学校テロは多くの人の記憶に残り、かなりの一般人が虐殺された紛争はなかなか伝わらず、人の心に残らない。
(これは、9.11の遺族のその後を描くドキュメンタリー報道はあっても、アフガンやイラクの空爆遺族のその後を描く”感動”ドキュメンタリー番組やドラマがないことでも言える。)
そこで、国際協定その2、紛争、戦闘が起きたら必ずジャーナリストを入れる。右も左も反対も賛成も。当事国は報道管制をひくだろうが、それを突破できるような形がほしい。言い分があちこちで報道され、まずは聞いてもらえれば、テロの動機はかなり減ってくるはず。報道の重要性を考えても、イラクに入ったさまざまなジャーナリストに対して、迷惑かける云々としか言えない人々には疑問。
・戦争その3
戦争はプロの手に、でもう一つ。中世近世まではプロが行っていた戦争行為が、近代の国では国民皆兵で皆が関わることになった。この発想で言えば、他の分野で、たとえば外交なんかで、国民全員が強制的に外交官にさせられ、一人一殺の代わりに、一人あたり2人親日的な中国人の友人を作る、とかそういうことになってもいい筈。でもそういう考え、動きはない(高度成長がちょっとそうだったかな。強制ではないが、物作り、商売の分野において、皆が物作って海外で売ってお金稼ぐ、みたいな)。
外交がプロが担うものなら、戦争もやりたい人、プロに任せては。そして戦争はあくまでいくつかあるオプションの一つ、という位置づけ。国全体が巻き込まれる全面戦争ではなく、他の活動はそのまま維持しつつ、必要な場合に限定戦争を選択するオプションがある。外交官が戦争の指揮をとるわけにはゆかないように、軍人も戦争だけのプロだから外交や政治には参加しない。する場合はきちんとその資格をとって、外交官試験に受かるとか、選挙で選ばれるとかして参加する。
と、こういう感じになればいいのだけど、でも日本に限らず、世界中で古代から軍人政権はすぐに作られる。なし崩しになる。やはり暴力には弱いか。武力が強いか。
思想と刑事事件のマークの違い
活東庵公開日:2004.11.22
戦前の特高ではないが、思想で問題ありと判断されると徹底的にマークされる。現在でも同様で、全共闘世代のある有機農家は、かつて学生運動をしていた関係で偽名で部屋を借りたことがあり、寄り合いで意見を言ったところ大家からずばり本名で呼ばれた、よく町に「防犯委員」とか札が掛かっている家があるが、あれは一つの町に何人と決められている任命制でその大家もそうだった、警察とつながりその情報網はすごい、皆思想チェックされているよという。イラク絡みの反戦集会などでは私服刑事も大勢来ているとも聞く。その熱意でもって、サイコパスやシリアルキラー、御礼参りタイプやストーカーを逐一追ってほしい気もするのだが、それはまずない。爆破事件やハイジャック、リンチ殺人を起こしたような人達はともかく、何も事件は起こしていないのに思想的に問題ありとされると要注意人物となり張られる。おそらく一度マークされると、その政治政体が変わるまで一生続くのだろう。一方刑事事件関係だと(特定個人を狙うケースにすべて対応するのは難しいかもしれないが)、不特定多数が対象となりうるケースでもいつまでも徹底して張られることはない。人権もあるだろうが、それを言ったら思想関係には人権はないのか、ということになる。いつもこの違い(はっきり言ってダブルスタンダード)が気になる。思想による殺人は万単位で可能で、個人的欲望による殺人はせいぜい数十人か最大百数十人、という解釈もあるだろうが、結局、国家に対する”危険”と、個人や社会に対する危険とでは、はなから重要度が違う、ということか。本当に守らなければならないものは、何と見ているか、何となく見えてくる。松代大本営的発想だが。
引き返す能力
活東庵公開日:2005.1.8
近年のさまざまな法案とその立法化の裏にはこれこれこうした意味がある、だまされるな、戦前に戻るな、という声を聞く。おそらくその通りなのだろう。どちらかといえば、そうしたことには敏感なほうだと思うが、でもすべてを読み取るのは難しい。仕事もあり忙しいというのもあるし、もともと何でも見抜けるほど特別頭がよいわけでもない。頭の切れる複数が細心の注意で準備した事柄を、個人で見抜くのはなかなか大変だ。
そこで思うには、最初の段階で鋭く見抜く能力も大事だが、それ以上に引き返す能力、途中で修正する能力というのも大事ではないか。これこれの法案が通ったらそうも言っていられないのかもしれないが、確かにおかしくなってきたと誰もが感じるとき、もし多数が「やはりこれは悪法だよ」と修正を求める運動を始める、それが古いなら最低動かなくなる、勝手を始める、となれば違うかもしれない。いったん動き出した路線は(外圧がない限り)自分で止めたり修正できないほうが、見抜く能力云々よりも問題のような気がする。特高も軍隊も、結局は個々人が参加しているものだし。
上に厚く下に薄い
活東庵公開日:2005.1.8
中小企業の多い某業界では、リストラや早期退職制度などで賃金の高い世代に早く辞めてもらいたいが、退職金が怖くてそれができない、それで上に厚く下に薄い賃金形態になっている、という話をよく耳にする。大企業なら退職金制度を血も涙もなくいじれるだろうが、顔の見える中小ではそうもゆかない、というのだ。そのため、社員は高年齢、若者はバイト、請負、派遣ばかりになる。
80年代はいったん企業勤めをした後、個人の選択でそうした働き方をする人達がいたが、今の二十代は有名大学出身で就職希望でもそうした働き方をせざるを得ない(前の会社には国立T大出身の若い派遣社員がいた)。
忘年会でこの話になり、上の世代は少し賃下げして若者に回すべきだよと言ったところ、全共闘世代とその十歳下あたりの人達からは「子会社に出向という形で手取りが3分の一減った」「(NTT)民営化で3分の一減った」、みんな減ってるよ、と言われた。
たまたま周りがそうなのか全体にそうなのかはわからないが、どうも昨今、今さえどうにかやり過ごせればそれでいいや、後のことは考えたくない余裕もない、という発想が多い気がする。”市場原理”優先のせいで、今負けたら百年先を見据えた計どころか明日そのものがない環境になりつつあるためなのだろうが、雇用、年金もそうだし、公害、温暖化にしても資源の問題にしても、荒れた感じでどうにかならないか、という気持ちだ。
何だかそろそろ、この嫌な感じから徐々にフェードアウトしたい気分になってくる。
民事不介入の原則
活東庵公開日:2005.2.20
よく事件が起こると、前から警察に言っていたのに、民事不介入で相手にしてもらえなかった、起きるべくして起きてしまった、という周囲の人の声が報道される。当事者はずっと不安な状況で過ごしてきたわけで、警察など、どこかに解決してもらえたら、とすがる思いなのだろう。一方、民事不介入というのは、実はとても大事なことだったのではないかと思う。最近様々な事件から、もっと警察に介入してほしい、という声が大きくなりつつあるが、かなり危険をはらむことではないか。今の警察が悪い、というのではないが(企業やNGOその他と比べ特別良いとも悪いとも思わない。いずれも組織の弊害も利点もある)、呼び水になる可能性はある。
個人の問題解決能力や家庭や地域の自浄力、修復力が確実に落ちている。一方、社会不満のはけ口としての特定個人に対する異常に執着した怒りや不特定多数に対する暴力、だまされるほうがトロいとする詐欺的風潮にさらされやすくなり、個人では予防も対処もしきれなくなりつつあることも事実。
以前のように政府や企業や資本家が悪いとすれば事足りる状況でもなく、家庭が悪いのか社会が悪いのか、被害者は被害者、加害者も子供の頃いじめを受けた、社会への仕返しだと被害者、どこを責めてもみなキャンキャン言う。どの家庭も被害者にはなりたくないし加害者も出したくなく、個人も同様で甘くみられつけこまれたくない一方、強く出すぎて加害者呼ばわりされるのも不快でみなキリキリしている。これは引きこもりや労働環境、少子化、年金問題などにも関連するが、諸悪の根源がはっきりしないから、とりあえず戦後リベラルの風潮が叩かれてはいる。でもきっと、戦後リベラルが潰え去っても、解決しないだろう。
何となく、解決の手がかりは見えてはいるのだが、でもそれは自分自身を振り返り生き方を少し変えることになるから、手をつけられないでいる(年金改革のように)。
テロやる奴はやっぱだめ
活東庵公開日:2005.2.20
最近首相の言葉から浜口雄幸のことが話題になり、テレビでやっていた彼の略歴を見て思った、”テロやる奴はやっぱだめ”。
浜口雄幸タイプの人は絶対にテロはやらない。一方、会社、学校での色々な出来事を思い返しても、テロ(会社や学校ではテロのようなこと、だが)をやる人は、基本的にディクテータータイプだ、とずっと感じてきた。言っていることや、義憤を感じている内容は正しくても、テロでそれを通すということ自体が基本的に専制君主タイプなのだ。だからビンラディンも赤軍もオウムもだめ。専制君主に君臨されてしまったら、逆鱗に触れないようにどこかでびくびくしなければならなくなる。それなら、多少腐っていても自由な自立した世界のほうがいい。
黙っていると・・・
活東庵公開日:2005.2.20
「ある日の翻訳室」にも書いたことだが、欠席裁判により同僚を辞めさせる申し入れを行うことになった際、有効に反論できないでいると、「ではこの人も賛成してくれたので」と賛成側にカウントされてしまった。これは日本社会のあちこちにある。ましてや黙っていると、パニックになってあせっている人達や、それを困ったこととして早く解決して安定したい人達は、解決策の賛成側に(勝手になのだが)カウントして「全員の総意」ということにしてしまう。さまざまな法律も、第二次大戦あたりのことも、そういう部分が結構あったのではないか。明確にはりきって賛成していた人達もいただろうが、何かどうもおかしいと感じつつ、危ないから言えないということ以前に、まずその”何かどうも”をうまく言語化できず、まるめこまれたというか、一種横着して従ってしまったというか。日ごろから考えをまとめる訓練をしておくのも、(危険がある場合に明示するかどうかは、また別の問題として)誤りにまきこまれないために大事かもしれない。
昔の社会も残酷だった
活東庵公開日:2005.3.20
『東京の下層社会』という本がある。下谷など、戦前の東京にかなりのスラムがあったことが記されているが、なかでも埼玉での製糸工場における女工虐待のようすは猟奇的ですらある。新聞社に駆け込んで助かった女工の聞き取りでは淡々と語られているが、死体は無造作に樽に投げ込まれ、要するにゴミ扱いだった。今でいう性的虐待もあるが、マスコミの発達していなかった昔は、この手の話はあちこちであったのだろう。古い映画や物語でいう、”ご主人のお手がついて”なども、セクハラ、場合によっては強姦事件なのだろうが、当時は”病気になった”とか”両親を亡くして”といった類の不幸の味付けの一つだったり、主人公の美人度を示すエピソード的役割でしかない。
林芙美子や寺田寅彦は十代二十代はじめのごく若い頃、すでに社会の暗い面を捉えた作品を書いていた、今の同年代よりも数倍大人だった、とはよく言われるが、特に”紀州”という乞食の兄弟の話は印象的だ。ほかにも、親に死なれ親戚をたらい回しになった、みなぎりぎりで生きているから、あ、この家には長くいちゃいけないな、というのが子供心にわかり、それとなく去る、行く宛はあったりなかったり、という話を七十代、八十代の人から聞くことがある。
つまり、人間は昔も残酷だった。今様々な事件がおき、人の心はどうなっているのか、と言われているが、大なり小なり、昔からあった。シリアルキラーも青髭公の昔からいた。昔はヨーロッパも公開処刑だったし、日本ではさらし首を眼にした。旅人に死刑囚の首を引かせる刑もあった。貧しくても人々が助け合って暮らしていた暖かい社会、というのも、一時的に飢饉もなく平和が続き、村がそういう状況になることもあっただろうが、永遠ではなく、基本的にはぎりぎりのところで生きてゆくことが多かった、というのが実情だろう。
昔の人は人情に厚かった、というのは幻想に近いと思う。人間は元から残酷な面も、人情に厚い面も、持っている。昔は報道されなかっただけか、それを異常なこと、残酷なことと思っていなかったかだ。今は平穏なので、どちらも極端な形で現れずに済んでいる。ぎりぎりの生活に戻ったら、人情に厚い面も残酷な面も、再び色濃く出るだろう。
Variety(異種株)は大切に
活東庵公開日:2005.3.20
少数派の意見、マイノリティーの言っていることは、必ずしも常に正しいとは限らない。マイノリティーだからと聖域化するナイーブな思考も好きになれないが、それでも少数派は大事と思う。
たとえば稲など、現在の状況ではある種のタネがもっとも有用性が高い、ということがある。でもそれはあくまで現時点で人々の好む米のタイプ、気候などにマッチしている、というだけで、全稲田の耕地面積にそのタネばかりを植えていると、平均気温が2度上昇しただけで全滅する可能性がある。
全面積その稲を植えたほうが、現状では効率100%かもしれない。でも、変化した場合に対応できなくなる。多少非効率であっても、他のタネも細々と栽培し続ける必要がある(また、すべての人がそのタイプの米を食べたがるというのでもなかったり、地域によって多少気候が異なる、というのもある)。
たとえば、第二次大戦中に、戦争に負けた場合の経済を研究している人々がいた。戦争末期にはどんどん検挙されていた。挙国一致、負けると考えるから負けるんだ、というタイプの人から見ると、生理的に許せないかもしれないが、そういうタイプの人が生息する余裕、許容度は残しておいたほうがよい。状況が変化したとき、その集団が変化に対応できる芽が、そこから芽生える可能性がある。積極的に評価する必要はない。確信する人は、不遇の時代でも続けるものだから。
いわゆる東京裁判
活東庵公開日:2005.7.20
最近話題のこのお題について。TVタックルを見ていて、正直西尾氏の言っていることのほうがわかる気がした。戦時中の理解について、少数の人が命じ、他の人はみな強制されただけの被害者、というのは、どうも・・・。何度か書いたが、祖父が反戦論者だったため、特高に見張られたり尾行されただけでなく、近所の人たちからも嫌味を言われたり配給で嫌がらせされた話を聞いているので、余計にそう思う。一般市民と指導者は共犯関係にあるし、それはどの国でも、中国でも北朝鮮でも、はっきり言ってそうだ。番組を見ながら、リベラルが評価を落としたのは、自分を高所に置いた”糾弾”をやったからではないか、という思いがよぎった。
東京裁判は勝者による敗者の裁きでまともな裁判ではない、と言えばそうだが、戦争に負けるとはそういうことだろうし、形としての決着をつけて収める必要はある。次へ進むためにも。地鎮祭のようなもので。戦犯が真の悪人で彼らだけが悪いとは思わないが、上に立つ人には特権も責任もある。文化大革命やポルポト時代にしてもそうだが、関わった人全員を罰することは物理的にも不可能だ。”ナチスのせい”、”指導者が過ちを犯し、一般の人は被害者”、”四人組のせい”というのはまったくの方便だが、次へ進むためにはそうやって収めるしかない。ただそれを本気にして、糾弾したり逆迫害をする、というのは、どうも・・・。
ところで、以前永尾カルビ氏の著書を読んでいたとき、正確なフレーズは失念したが、”罪悪感を植えつけるのは人を支配する最も効果的な方法だ”というようなことを書いていて、なるほどと思った。いつまで中国や韓国に謝り続けるのか、という不満を述べる人には、このへんの不安があるからだろう。
また、自傷行為や暴力行為など問題行動を起こす子供に対して、よく、”自分を愛することができて初めて他人を愛することができる”というフレーズが使われる。この理屈でゆくと、日本を悪く言う人は、他国をほめていても、実は本当には関われていないことになる。
権勢を誇った自慢げな”愛国”は、何か違う気がする。一方、日本の悪口ばかり言ってアジアをほめてばかりいる人も不愉快だ。まともに誇りを失わずに行く道は、どこにあるか。
一億総XXという形容の危険
活東庵公開日:2005.9.26
選挙も終わり、最近ようやく、自民が大勝したというが実際の得票率は半分以下、自民公明以外が半分以上をとっていた云々(小選挙区の場合)と言われるようになった。これは当初の大勝騒ぎから落ち着きを取り戻し、冷静な見方になったわけで、よかったし、これから書きたい内容の必要性も減るのだが、やはり載せることにする。
選挙直後は勝ちすぎだ、みんななぜ自民に入れたのか、という雰囲気が強かった。確かに刺客は続々当選したが、落選した郵政反対派もかなり近い得票数を取っていたことが多かったし、民主との競合箇所でもそうだったところも多い。私も今回は反発してかなり強烈な反対政党に入れたし、一億総与党みたいに言われたら嫌だな、そうじゃない人も多いんだから、と思った。
そこで思うのが、よくマスコミで使われる”一億総XX”という形容の危険性である。一見すると、大半の人がXXなように見えるかもしれないが、実はそうでない人も結構いる。十人中九人が同じ意見だと、残りの一人は友人と飲んだときや会社のシマでは一人だけの意見で、圧倒的少数派を感じるかもしれないが、それでも一億の十分の一なら一千万人いることになる。かなりの数である。百人中一人でも、全体でいえば百万人いる。やはりかなりの人数(全員抹殺するには不可能な人数)がいることになる。
一億総XXという形容をつけると、実際はそうではないのに、なんとなくそういう雰囲気になってしまう。そこが怖い。今回、実は得票率は連立与党とそれ以外がほぼ同数だったいう分析が多勢を占めてきてよかったが、これが80%対20%、90%対10%、いやもっと”圧倒的多数対圧倒的少数”になったとしても、”一億総XX”という形容は避けてもらいたい、と思う。
なぜ大和
活東庵公開日:2005.10.22
子供の頃、児童館で「父が語る太平洋戦争」というシリーズ本を見つけた。夕方の黄色い光が館の部屋に差し込んでくるまで、次々と夢中になって読んでいった記憶がある。アッツ島玉砕もサイパンもこのシリーズで知った。中に戦艦大和の最期、戦艦武蔵の最期もあった。どちらの本だったか、甲板で少年兵が撃たれ、お腹から溢れ出てくるぬらぬらしたはらわたを懸命に中へ押し込もうとしている場面があった。
その後、宇宙戦艦大和が流行った。なぜ撃沈された船が威風堂々とした存在として蘇るのか、不思議だった。
レイテ戦記を読んだときに、戦艦武蔵の撃沈の場面で、この少年兵の話が出ていた。渡辺清氏の「海ゆかば水漬く死体」からの引用だった。おそらくシリーズ本のあの部分の元本はこれだったのだろう。
レイテ戦記にせよ、太平洋戦争について記した本を読んでいると、戦艦大和や戦艦武蔵は当時すでに時代遅れだった、巨艦主義の時代は終わり航空戦の時代に入っていた、また戦艦大和は大きすぎたためか、砲の命中精度が低く、性能に問題があった、等々の話が出てくる。
そしてまた今大和が復活している。漫画になったり、プラモデルになったり、博物館もできている。別に戦争復活がどうのこうのではなく、なぜ当時すでに時代遅れだった、ひょっとして戦艦としての性能もまずかったかもしれない大和が、象徴のように蘇るのか、それが不思議な気がする。(どうせならまだ、木ではなく鉄でできていたら強敵だったと言われた零戦のほうがよいのでは。)なんか無用の長物、White elephant を崇めているようで、その心理が気になる。
追記: 戦艦大和には吉田満氏の「戦艦大和ノ最期」という美文調の作品がある。文章としては非常に美しく、この作品の影響も結構あるかもしれない。この本自体は良いので持っているが、残念なことに最近の講談社版なので仮名は旧仮名でも漢字が今の字体。北洋社版は漢字も旧字で、味があってよい。旧字体版がほしいが、今では古本でないと手に入らないだろう。
ただし美文と現実評価は別問題。先の戦争も、最後の頃は美学になってしまったと書いていた人がいたが(あれこれ本を読んでいたのでどの本か失念、次回書くときには原典明らかできると思う)、この辺が精神論から滅びの美学に魅入られやすい人の多いが故の弱点かも。
追記2:10/25付東京新聞の記事によると、アメリカの日本アニメファンは3世代に分かれ、第一世代が鉄腕アトムで少数、第二世代が宇宙戦艦大和や超時空要塞マクロスなどで現在秋葉原などに来ている、第三世代が今現在のアニメファンで若く大勢いる、とのこと。宇宙”戦艦大和”に夢中になるアメリカ人がいる、というのが不思議、というか面白いというか。いいのかなと思うが、内容は”大東亜”戦争とは関係ないし、そこまで見てもいないだろうし、いいのだろう。
闇化
活東庵公開日:2005.11.23
あるイスラム系の国から近年帰国した知人に会った。ここ数年、経済成長の著しいその国は、首都は一新され80年代の面影はない。首都のみならず、地方都市でもスラムは取り壊され強制移転が行われた。東京はまだいい、まだ昔のものが残っている、東京がましに見えるほど人工的な都市になっている、という。
一見経済成長を謳歌しているかに見えるが、人口の6割を占めるマジョリティが優遇され、少数派の中国系インド系は実質的に公的機関の上部から排除されている。中国系は自力で学校を建て教育しているが、政府補助もなく資金不足で学校の床がぬけ先生が亡くなったりしている。インド系はもともとプランテーションのために連れてこられた人々であり、既にスタートラインそのものが劣悪で最貧下層だ。マジョリティは住宅購入にもニ割引きなど数々の優遇策を受けている。(ただし、別の知人からは、その国の前首相で当該政策を推進した人物自身はインド系と聞いた。)
さらに、近年急速にイスラム色を強めている。80年代に訪問した際には国立大学の女学生はスカーフをしていなかったが、今では全員被っている。社会もイスラム化しつつあり、マジョリティ民族であるということはイコールイスラム教徒を意味する。マジョリティ民族と結婚するマイノリティは、イスラム教徒にならなければならないが、離婚してイスラム教徒をやめたい場合、死刑になる州もある。ただ、イスラム法に引っかかる部分に関する批判や論議は、現在はタブーであり、当地の社会学系の学者も口をつぐむ。80年代前後に起こった民主化運動が弾圧され、トラウマになっている、というのもある。また、現在経済状況がよいので一般のマジョリティに不満はない。ただ、相当強権的に政策批判、宗教批判を抑え込んでいる感じがあり、地下では矛盾がたまりつつあるのではないか、このままでよいのか、そのうち何かあるのではないか、そうした不安を感じるという。
その国はたまたま訪問したため、国やイスラムに関する予備知識があまりなかった。そこで帰国後日本人研究者の手による本をあれこれ読んだ。しかし(マジョリティ優遇政策は有名だが)強権による高度成長とイスラム化に伴う陰の部分に触れた本はない。そうしたことを書くと再入国できない、という問題もある(研究者にとっては致命的)。またイスラム教国で問題になった本を翻訳して暗殺された研究者のこともあり(犯人はまだ捕まっておらず未解決)、批判的なことを書きにくい状況もあると見ている、と語った。
話を聞き、マイノリティの問題はともかく、マジョリティがよいと思ってその政権を選択しているのなら、外の人がとやかく言うことではないのではないか、その国の当事者たちの問題ではないか、と少々意地の悪い質問をしてみた。
するとその人は、国連の人権委員会の内情を担当者から聞いたことがあるが、世界の200カ国以上が人権宣言を採択する中、イスラム系の国はそこから抜け落ちている、それらの国についても論議に登るが、そうした国々からはイスラム法に詳しいウラマーたちが代表で出ており、イスラム法に絡む部分が話題になると一斉に批判や攻撃を加え議論にならない、議論の内容を報告書にまとめることもできない、外部に報告できず議論もできず、一種タブー化されつつある、という。それで気になるのだ、と言った。
そして、今フランスの暴動が問題になっているが、それを受けてイギリス政府ではお互いの宗教を批判しあうことはやめましょう、という法律を作ろうとしており、それに対して有名なコメディアンなどが議論を封じる法律を作ってはいけない、と反対している。自分も、議論を封じるべきではないと思う、と語った。
その後、以前その国を研究で訪れたことのある別の知人に話を聞いたところ(ただし、80年代のため現状はフォローしていないと本人も語る)、
一.言論の自由については、大多数の途上国で制限されていると見てよい、ただし各国では経済発展と平和の維持が最優先事項となっており、ある程度までは致し方ない部分もあるのではと思う
ニ.イスラム法においても人権は尊重されている、ただ国連その他で論じられる際、その議論が西欧的な人権概念にもとづくため「ムスリムの多い国では人権が尊重されない」とみなされがちになる
三.政権は選挙で選ばれた政権であり、その選択をしたのが国民であるということを忘れるべきではない、勿論マジョリティによる恣意的な言論の自由の抑圧を肯定するわけではないが、結局その国に住みその国の行く末に自分の人生がかかっている人々が決めることではないか、外からふらっとたまに行く人間にできることは、ささやかながら手助けすることぐらいだろう
と言っており、こうした見方は一般的だろう。(以前、カンボジア難民救援活動に参加した際、難民Aさんが日本国籍を取得したことについて、難民Bさんが「Aは日本国籍とってから変わった。今までどおり活動には参加してくれるが、どこか人ごとになった。結局その社会(カンボジア社会)で生きてゆくつもりの人間でないと、本気になって考えられなくなるのだろう」と語っていたことを今でも覚えている。)
それをふまえた上で書くが、この話を語ってくれた人の感じる漠然とした危機感は、私も非常に気になるものがあった。一般に批判を許さない雰囲気ができて触らぬ神に祟りなし、といった状態になると(”闇化”する、と言ってもよい)、そこがいつのまにやら負のエネルギーを溜めこみ、暴走するか、あるとき一気に暴発する。戦前の日本も似たような状況があり、オウムも事件が発覚する前は批判には過敏になり、内外の批判者の抹殺を図ったり、TV局に忍び込んだりTVの映像にサブリミナル効果を忍ばせたりしていた(TV関連の細かい事件の後追がないが、目的が気になった)。個人レベルでは、親が子供部屋に入れなくなりそこで監禁が行われたり大量のビデオがため込まれ犯罪の引き金になるケースも、同様のアンタッチャブルな部分を作ってしまい闇化することによると思う。今では世界的にイスラム原理系の過激派が問題になりつつあるが、どの宗教でも原理にはそうした批判を禁じる部分がある(キリスト教にも原理はある)。
イスラム教そのものは十数世紀も続いている宗教なので、一般の人々が信仰して生活に支障をきたすようなマイナスの宗教とは思えない。なじみがないだけで、キリスト教や仏教と同じ普通の宗教と思う。ただ、イスラムに関わる問題が、原理的なものが絡むことによってタブー視され議論されにくくなる状況が世界中に起こると、闇化して、そこから負のエネルギーが発生するのではないかという気がする。
その人は「いずれまたテロが起こるんじゃないか。それは日本かもしれないし、海外で日本人が大勢死ぬような事態かもしれない。おかしな言い方だが、そうなって初めて日本人もイスラムに眼を向けるのでは」と言った。日本人の眼を覚ますためにテロを望む、というのは顛倒した言い方で好きになれないが、イスラムが今後世界情勢に関わるキーファクターになることは間違いない。
女系
活東庵公開日:2005.11.23
天皇制について女性天皇を認めるかどうか議論されている。そもそも、それは国が決めることなのか、という根本的な疑問がある。跡取りをどうするか、という問題は、あの一族が決めるべきことではないのか。うちはキリスト教系だったこともあり、父はよく天皇は全国の神社の神官の親玉のような存在だ、と言っていた。現在は国を象徴する立場にもあるが、神道の祭司である部分もある。そのへんはいわゆる普通の”王室”とは異なると思う。沖縄のノロや青森のイタコが女性でなければならないように、神社の神主は男性でなければならない、というようなことがあるなら(神道は詳しくないのでよくわからないが)それはそれでいいではないか、という気がする。
ところで、若干議論はずれるが、インドのインディラガンディー、スリランカのバンダラナイケ、フィリピンのアキノ、と出てきたとき、南インドやフィリピンはヨーロッパと同じ階級制社会だから可能なんだな、と考えたことがある。ヨーロッパでも女王は抵抗ないようだが、それは身分の低い男が上に立つよりも、身分の高い女が上に立つほうが、下が納得して動くからだろう(身分の高い男がベストなのはいうまでもない)。東アジアは、日本韓国、(毛沢東がなんと言おうと)歴史的に女帝が出ても永続せず後世の評価も低く雌鳥が鳴くと国が乱れる等等言う中国も含め、男ばかりだが、身分の高い女が上に立つよりは、身分が低くても実力のある男が上に立ったほうが下が納得して動くからだろう。現在、多少元首相の娘が活躍しているが、あくまで担がれた飾りの人が多い。
さらに女系を認めると、外国人と結婚した場合どうなるかという問題がある。イギリスはアン女王の子供が皆早死にしたあと、ドイツから招いた。外国系でも身分が高いほうが国内の低い人よりもよい、という社会ならそれでよいが(ベルバラでも、ヨーロッパ貴族たちは国内の平民より外国の貴族とつきあったり結婚している)、日本はどうだろうか。ひょっとして韓国あたりならルーツから納得する可能性もあるが(それでも反対する人はいるだろう)、人種が違うとなるとかなり問題になるかもしれない。
天皇家は国の成り立ちに関わる部分を今も残し継いでいると思うので、根本に近づく部分をいじる場合は、祭祀の部分も含めかなり明らかにして問題がないことを確認してから変えたほうがよいような気がする。それも当事者の意見優先で。
ところで、エチオピア人は今はどう思っているのだろう。個人的には世界最古の王朝を廃してしまって、勿体ないことをしたように思うのだが。
中世
活東庵公開日:2006.5.20
大学時代の同級で、今後重要な仕事をすると期待している研究者がいる。今までの人生で出会った人の中で、もっとも優秀な人だと内心思っているが、その彼女が教職課程で教育実習を行ったときの話。
高校生から中世とは何ですか、と聞かれ、彼女は暗黒の中に豆電球が灯っているようなものだ、と答えたという。豆電球のあかりは電球に近いところがもっとも明るく、その周囲へゆくほど届く光が弱くなる。あるところはまったく当たらず、あるところは二重に光が当たっている。豆電球はそれぞれ王国や封建諸侯で、その統治の影響力は近いところほど強く、遠くへゆくほど弱くなる。二重に間接統治を受ける地域もあれば、人が住んで生活していても統治を受けないところもある。
そう説明すると、とてもわかりやすい、と好評だったという。
さて、現在の竹島の問題、近代国民国家以前なら、周囲の曖昧な地域だったのだろう。それが19世紀後半から世界中でファジーな土地に対して領有宣言がなされ、国境線がカクカクと引かれていった。
今の世界の枠組みでは難しいが、曖昧に残してもよい土地もあるのではないか。今は一寸の土地でも誰のもの、それも唯一一人の誰のものと決まっているが、かつての入会地のような存在を認める枠組みになってもよいのでは。さらに世界のどこかにアジールがあってもよい、とも思っている。
共謀罪
活東庵公開日:2006.5.20
問題になっている”共謀罪”、今の政権が悪用することはないだろうが、その後どのような政権が出てくるかわからない、そのとき恣意的に利用される可能性がある、などなど反対意見が多いが、東京新聞5月18日付けの「こちら特報部」の記事がもっとも的を得ているかもしれない。テロ組織や暴力団などしっかりした犯罪組織から密告する奴が出てくるとは思えない、とはもっともだと思う。脇の甘い市民社会向けになり、ノルマ稼ぎに利用される可能性が高い、というシナリオも大いにありえる。そして市民の間にも警察依存が高まり、なんでも取り締まってほしい、という風潮がこうした法案を通りやすくする状況を支えているという。
たしかに「民事不介入だから」と立ち入らない警察の態度に(特に事件が起きた場合)批判は多いが、以前から、本来は警察はそのほうが良いのではないか、と感じていた。民事に介入するようになるほうが、怖い。
ただ、今の世の中、自力で解決する能力がものすごく落ちている。家族や親族、近所や地域で団結する力も弱いし、ストーカーなど変な人も多い。加害者自体孤立しており、その家族も歪んでいて外からの働きかけによる修正能力が乏しい。(mixiで何百人とかメル友とか)”お友だち”はいても、真のよりどころとなるつながりはない。
地域、親戚どころか家族までもが解体され、一人一人が孤立している状況の今、警察の介入が良いか悪いかは別にしても、これまでとは違ったやり方で統治される社会がくるのかもしれない。
今まで官民一体で、核家族、個人主義、一人でも生きられる社会を推進してきた。個々がばらばらになるまで嬉々として解体してきた。一人暮らしでも近所づきあい親戚づきあいがなくても十分生きていかれる社会、一言も会話せずとも買い物できる社会が実現した。シャッター商店街と郊外大型店の隆盛、地方の消滅も同じ方向にある。
脳内スタンス
活東庵公開日:2006.9.20
80年代に通った中国語学校の入り口には、毛沢東の肖像画が掲げられていた。台湾からの留学生が、その学校に発音指導のバイトに行った際の話をしてくれた。友人は、留学先の大学の教授から、中国語のバイトがあると紹介されて行ったという。
「そうしたら毛沢東の肖像画が掛っている。私足が震えたね。もう台湾へ帰れないと思ったよ。先生には悪いけど1回でやめたよ」当時はまだ、台湾の空港で簡体字の辞書を持ち込むと没収され、大陸の空港で繁体字の辞書を持ち込むと没収される時代だった。
私は彼女の話を聞きながら、それまで気にもかけていなかった毛沢東の肖像画が、急に気になりだした。あれは御真影ではないのか。マルクスの肖像画、レーニンの肖像画、北朝鮮の金日成や金正日の肖像画、それらを部屋の前面中央、目線より高く掲げることは、御真影を掲げることと同じではないのか。彼らの言葉をプレートで掲げることは、教育勅語を掲げることと同じではないのか。なぜリベラルな人の集まるこういうところで、皆そのことを問題にしないのだろう。戦前戦時中の御真影崇拝や教育勅語の強要は問題にするのに。
わかっているのに目をつぶっているのではない、と感じた。そういう冷徹な思考の人もごく一部いるだろう。でも大多数は本当に気づいていない。気にもしていない。私もそれまで気にならなかったように。
最近亡くなった作家、米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の中に、レーニンの記録映画を一緒に見ていたソビエト学校同級のギリシャ系の少女が、「レーニン、ていい生活してたのね」とぽつりと呟くのを聞き逃さなかった場面がある。彼女は”脳内スタンス”によっては、見逃すものがあることを彼女から学んだ、と書いている。
今は違うでしょ
活東庵公開日:2006.9.20
カルカッタ(現コルカタ)のマザーテレサの施設でボランティアをしていたときのこと。
親しくなったフランス人女性とアジアのキリスト教の話をしていた。戦前の日本の話になり、祖父の話をしながら、戦前キリスト教徒は肩身が狭かった、特に自由主義で戦争反対の立場だったので密告されたり投獄されたり、尾行がついたり配給で嫌がらせを受けたりいろいろあった、と話した。話しながら、結構熱く語っていたと思う。
彼女はうなづきつつ、最後に
「でも今は違うでしょ」と静かに言った。「おじいさんの時代は大変だった。でも、今の日本は信仰の自由があるでしょう」
彼女の冷静な言葉に、まず、自らそういう目にあったかのように語ったことを恥じた。次に、常に変化する現状を踏まえつつ議論、評価する、現実的な視点を見た。
このことは、歴史問題を語るときに、絡めてよい視点だと思う。それは、絡めることによってチャラにする、黙らせる、ということではない。だからこそ、過去を恐れずに直視する必要があるし、むしろ、できる、しやすいと思う。
間違わなかったの不明
活東庵公開日:2006.9.20
『東北学』vol.3の赤坂憲雄、鶴見俊輔、加藤典洋の鼎談で加藤氏が、戦後の思想は吉田満も吉本隆明、橋川文三も戦時下の日本で「間違った」上に戦後の経験を積み上げようとしたことにある。では、当時日本の軍国主義の本質を正しく見抜いていた人達はダメだったのか。そうではないが、ダメさがあるとしたら、間違わなかった人たちは戦後、その明視、洞察を無邪気に誇ったことにある。その「正しさ」に普遍性はない。当時の民衆は戦争の性格を見誤ってもしょうがないという動かしがたさがあった、なんらかの特権に恵まれていた人々だけが例外的に正しい洞察を手にすることができた。普遍性はむしろ間違うことのほうにあった、そのことに後ろめたさを見る必要があった、と語っている。
戦後、戦時中に間違った人のほうが思索を深め、正しかった人達の思想は今ひとつぱっとしなかった(そして昨今の右の巻き返しにもつながる)状況を解説する言葉として印象に残った。
祖父の1945年5月4日の日記に、「ベルリンは二日に陥落したよし。又ゲッペルスは自殺したよし。赤軍ベルリン突入は二十二日、陥落は餘りに早い。國民がナチスを離れてる証拠。ムッソリニを人民が早速殺したのも彼を悪んでゐた証拠だ。獨裁者共の末路醜態なり。十七年も前か、下中が『平凡』を出すとて知人を上野精養軒に招いて意見を聞いたことがあった。その折、高畠素之がムッソリニをほめるから、あれはごろつきだといったことがある。さあどうですといひたい高畠は今やない。」とある。
物理的にいろいろあったから”さあどうです”と言う気持ちはわかる。が。
なんらかの特権に恵まれていた人々だけが正しい洞察を手にすることができた、という部分は賛成しかねるが(それなら政治や軍部の中枢にいた人はもっと詳しい実情や情報を手に入れることができたはずで、それでも戦争派と交渉派といたわけだから、結局は分析力や判断力とともに、主義、スタンスによる気がする)、間違わなかった人たちにダメさがあるとしたら、その明視、洞察を無邪気に誇ったことにある、という部分は引っ掛かる。今、リベラル系がよく考え、反省する必要のある言葉だと思う。
遊就館
活東庵公開日:2006.10.31
話題になっている靖国神社へ行ってきた(例の核実験の前)。近い親族に靖国に入っている人がいないため、初めて。遊就館も見たが、展示内容についてはあの程度なら本でも沢山出ているし、雑誌などでもその手の論はよく見る。もっとすごいかと予想していたためかもしれないが、別にいいんじゃないか、と思った。強制しているわけではないし、その論に反対の人たちが批判してやめさせるのは、逆がおかしいのと同様、おかしいと思う。いずれにせよ、ここをやめさせても、必ずほかで出てくる。どの論にせよ、非合法化にしても、はまる人は必ずどこかで見つけてきて、はまる。
遊就館は一次資料が満載。特に映像資料は興味深い。当時の映像で、プロパガンダだが、それでも貴重だ。プロパガンダでも何でもいいから、当時の映像(ニュース映画、宣伝映画)をどんどん流すところがあってよいと思う。中国での日本軍を描いたニュース映画を見ていると、畑に日本兵が散っている様子が出てくる。穂を見ていると、アワや高黍(コウリャン)だ。穂苅されている畑も、刈り取り前の畑もある。ここで戦闘があったら荒らされて収穫はだめだろうな、と思う。最後のほうで、子供らにまんじゅうを配ったり、食糧を配給している映像と”シナの人々を助ける日本軍”といったナレーションの場面がある。シナの人々から感謝され云々とあるが、無表情で機械的に日の丸の旗を振る中国人たちの様子に、感謝なんかしてないよ、と思う。なんとなくチベットを解放する何とか軍の宣伝映画を思い出す。
一方、入ってすぐに、あの戦争は自尊自衛の戦争だった、という4,50分くらいの映像もある。ときどき、この手のものを見聞きすると”不愉快で”あるいは”気持ち悪くなって”「途中で出ちゃった」と自慢げにいう人がいるが、私はちゃんと見聞きしたほうが良いと思っている。
戦車、戦闘機、高角砲、銃といった兵器の実物も豊富。戦友会などによる寄付も多いようだ。さっさと見る予定だったのが、閉館ぎりぎりまでいても時間が足りず、個人の持ち物などは詳細に見ている余裕がなかった。
ところで、首相による靖国参拝が問題にされる。公人の立場で云々が取りざたされるが、首相は外国の要求に屈せず靖国に行くものだ、となった場合、たまたま厳格なクリスチャンや(あまりありえなくはあるが)イスラム教徒の首相が誕生した場合、どうなるのだろう、と思う。彼らは、外国に屈する以前に、宗教的に参拝できない。
もう一点、前首相にしろ、参拝にこだわる人は、首相になる以前から靖国に参拝していたのだろうか、首相でなくなってからも参拝し続けるのだろうか、と以前から気になっている。もし首相になるかなり前から信条的に定期的に靖国にお参りしており、首相でなくなってからもお参りし続ける人なら、確かに信仰上の問題、ということになる。
靖国で会おう、と戦場で誓い合って亡くなった人もおり、靖国をなくすのは反対だが、一方、明治以降の日本国が関わった戦争で亡くなった人は全員、機械的に合祀なのだろうか?という問題と、宗教や信条の異なる人も行かれる施設もあったほうがよいのでは(首相の参拝はそれぞれ個人でどっちにするか選択可能)という問題はある。つまり信じる人は自由に信じてお参りし、そうでない人への押し付けもない。A級戦犯をどうするかは、靖国の神主と氏子が決めればいい。
正社員
活東庵公開日:2006.12.10
国民年金基金では、たとえば月4万強で月7万、6万強で10万もらえる(加入年齢にもよる、また現在の加入は率が下がっている)。一方、社保庁のサイトで年金シミューレーションをしてみると、正社員で月40万、50万、60万でもそこまでもらえない。会社の負担分を差し引いても、国民年金基金のほうが得なのだ。正社員とは一体何なのか?厚生省、社保庁、労働基準監督署に電話で聞いてみた。
すると法律上、正社員、契約社員、バイト、パートの定義が決められているわけではないという。各会社が慣習的に区分けしているだけで、雇用期間が1年だの短期のものを契約、1日や週での実働時間が短いものをパートやバイトということが多い、正社員は定年までの長期が多い、ただし法律でそう決まっているのではないという。年金も健康保険も、正規従業員の何割以上の時間数を働いている人なら皆適用される性質のもので、これは法律で定めらており、正社員だから適用されパートだから適用されない、というものではない。
いちおう定年までが前提の正社員も簡単に首切りできるようになれば、あまり正社員メリットはないのでは。そう言うと、まず社会的信用がある、また国民年金基金は定額なのでインフレになってもその額のままだが、厚生年金は物価スライドなので、インフレになっても大丈夫と言われた。なんとなく、すっきりしない感じはある。請負(個人事業)は悪いように言われているが、やりようによっては税金をまったく払わないですむので(よって住民税もなし、国保も安くなる)、税額も固定、年金額も月給額で固定の正社員よりも、得のような気がしなくもない。
イラン油田開発中止
活東庵公開日:2006.12.10
12/10東京新聞特報面のデスクメモによれば、”イランでの自主開発油田も事実上中国に売り渡した”とある。アメリカを気にかけているうちにこうなったのかと思うが、アメリカの力は落ちている。戦後4,50年は確かに日本が攻撃されたら守れただろうが、今後実力的にその力が続くとは限らない。時がたてばたつほど、ずるずる下がってゆく気がする。それなら防衛省というのもわからなくもない。以前も書いたが(「農地解放の記憶から」の「追記」3段落目)、軍隊を持つことはどの国もやっていることで、即軍国主義と直結することでは決してないと思うが、別にリベラルでなくてもどこか不安を感じるのは、おそらく軍隊を持ったら、そこが暴走しはじめても、自分たちには止められないだろう、とどこか感じているからではないのか。つまり、日本人自身が自分を信用していない、できない。「雰囲気で決める」、まわりの言動を見て合わせてゆくタイプが多いので、いったん暴走しはじめた力に対するチェック能力に乏しく、抵抗力が弱い。
リベラル系は単純に護憲、戦争反対を唱え続けるよりも、多くの人が納得しやすい論陣を立て直すべきときだと感じる。
記者1
活東庵公開日:2007.2.11
New York Times に Nicholas D. Kristif という記者がいる。朝日の縮刷版で読んでいるが、アジアアフリカの現状レポートをメインで書いている。昨年11月には、チャドの現状を伝える記事を書いた。スーダンが支援するアラブ兵らが、黒人のダジョ族を迫害している内容である。すると「国内問題にもっと力を入れろ」という批判の手紙を読者からもらったようで、翌週、そうした手紙を受けたことを書きつつ、「マルグリット、ハリマの話を聞きたまえ」と、アラブ兵らはお前ら黒人は猿と同じだ、と言いつつ拉致輪姦、殺害をやり放題に行っている記事を書き、自分には関係ない、とするのは見殺しにすることと同じだとしている。さらにその翌週も、同じテーマを続けているのを見て、その頑固、一徹ぶりが気に入っている。
記者2
記者は時代と状況によっては命がけだ。政府がぶれたときに警鐘を鳴らすべきと人はいう。しかし、戦後から80年代くらいまでの全体が左よりの時代は、やりやすかっただろうが(逆にそのほうが受けた)、全体が政府よりのときに、おかしい、というのは至難の技だ。物理的に危険にもなってくるし、商品として売っているものである以上、売り上げにも絡むとなるとさらに難しい。安全なところからいろいろ言うのは簡単だが、そう言う人は自分がやれるのか。
東京新聞が今年から中国でタブーに近い題材をテーマに書いている。前回はAIDS村、今回は中卒で下崗させられた人達がさらに上海万博で追いやられる話だ。中国人にもそうした問題を扱う人はいる。AIDS問題を扱う年老いた女性医師(今軟禁されている)のような人もいる。でも大多数は、お上がやるな、と言ったら黙って従う。なかったことにするし、見ない。それに疑問の声をあげる人のことを「特殊な人達」と言う。従順でないと協調性のない問題人物とみなす雰囲気は、日本と同じものを感じるし、東アジアの特性かなあと思う。
思うに、そういう人達には、戦前の日本を批判する資格はない。今、お上の言っていることに従って問題を見ない人達は、戦前の日本に生まれていたら、絶対当時の大多数の日本人と同様に振舞ったはず。自分にできないことを言うのはおかしい。
ところで最近、朝日や岩波といったところへの攻撃が強まっているので、逆に応援しようかと思っている。今までは礼賛者にまかせていたけどね。
消費期限
活東庵公開日:2007.2.11
以前は乳製品会社、最近は菓子会社の消費期限切れ問題が取りざたされているが、東京新聞で大野和興氏が、消費期限を守らないことに批判が集中したが、逆に「さすが老舗、食の職人が健在だったのか」と感動した、と書いている。私も実は、消費期限で機械的に決めるのはどうか、という気がしていた。確かに、気温や状況によっては、期限を過ぎても大丈夫だったり、期限内でもだめな場合があると思うからだ。
以前、とある観光地へ知人と旅行し、喫茶店に入った。あまり人のいない観光地で、店にも客はいなかった。知人がケーキを注文し、食べようとしたときにカビが生えている、と騒ぎ出した。主人はお詫びを言いつつ、「おかしいですね、賞味期限内だし、冷蔵庫に入っていたのに、どうしたんでしょう」と言った。しかし、実際カビは生えている。
これは60代、70代の人にも結構ある。もともと冷蔵庫のない生活を知っているせいか、逆に冷蔵庫信仰が烈しく、冷蔵庫に入れておけば何でも大丈夫と思って長期入れっぱなしにしている。腐っている、だの、かびが生えているだの、いうと「おかしいね。ずっと冷蔵庫に入っていたのよ」と平気で言う。知人の家に言っても、同様の会話が娘や息子たちと親の間でかわされている。「冷蔵庫に入れたって腐るんだからさあ、ときどき整理しなきゃ」と子供らは呆れ顔で片付けている。
大野氏は昔は五感で判断した、いまはコンピュータ数値で制御されるという。でもそのコンピュータ数値も怪しいのだ。というのは、前回のシミュレーションでも書いたが、プログラムを作っているのは人間なので、自然界のすべての要素、パラメータを網羅して組み込んでいるとはとても考えられないからだ。あくまでいかに近似値により近づけるか、でしかない。
ある程度決まりは必要だが、絶対視も危険だと思う。
健康食データ捏造事件
活東庵公開日:2007.2.11
この騒ぎに、『ルイチェンコ学説の興亡』という本をふと思い出した。学生時代に読んだ本で、まだベルリンの壁が崩れていない頃、ソビエト連邦という国家が存在した頃に出版され、スターリン時代のトンデモ科学について告発した本である。
学説の内容はあまり覚えていないが、確か亀からウサギが生まれることがあるとか、トンデモ本系統の内容で、その実験に成功したと主張するルイチェンコがスターリンの覚えめでたく、その周りの御用学者もこれを支持、反対派は当時冷や飯を食った、という話だった。訳者だか、さいごに解説を書いた日本人科学者は冷静に「科学の実験は”追試が効くか”ということがまず大前提にある、しかもある一定条件下なら誰がやっても同じ結果が出る、というものでなければいけない」と記していた。
今回はスターリンではなく、視聴率(や関係業界)が暴君だったのかもしれないが、そうであって欲しいものを見ようとする受け手に合わせたものを提供するものなら、ファンタジーなわけで、科学やドキュメンタリーとは違う。
グローバル化
活東庵公開日:2007.2.11
グローバル化に関する報道を見ると、企業に雇われて働くタイプの仕事を求めて人が移動し、企業に雇われて働くタイプの人材を求めて企業が移動している。東欧の人材を求めて日本企業が入り、人が足りなくなると現地のルーマニア側が(ルーマニアから企業が去らないように)中国人を連れてくる。中世以前のような、何とか族の大移動ではなく、賃金と能力によって個別に移動している。民族も多少かかわるが、基本的にはいくらで働くか、どのスキルがあるか、だ。
翻訳でも、世界展開している会社は、ワールドサーバー化して世界各地の人を登録する。それぞれX語とX語がどの程度でき、単価はいくらか登録する。複数言語登録する人もあり、下訳程度でよい単価の安い仕事は、母国語でない人でもアサイン可能、最後のチェックだけ母国語の人が行うことで全体の単価を抑えることができる。
つまり、移動手段や通信技術が発達した今、どの業界でも世界中の人がライバルたりえるのだ。
専門職のダウングレードと企業官僚の増加
活東庵公開日:2007.3.25
今の格差社会の状況を、すでに1996年にデビッド・M・ゴードンが『分断されるアメリカ』に書いている。単純労働だけでなく、プログラマーなど専門職でも賃金圧縮が進んでいる、その一方、雇用者を管理する企業官僚の数が増え、彼らの賃金は大幅に増加している、という。賃金圧縮の原因は、技能のミスマッチとグローバリゼーションにあるとし、努力不足や無能と被害者を責め、移民への怒りを招き、外国の脅威という不安を煽り立てる。管理される側はブルーカラーもホワイトカラーも、管理と懲罰によって実質賃金が低下し、不安定になっている。一方、管理する側と、医師や弁護士(独立業の専門職だからだろうか?)の賃金は上昇している。
1970年代の景気回復のため、74年9月のカンファレンス・ボードで、そうしたムチ戦略に企業戦略が転換したが、労働組合も報道機関も、この転換を見逃した。
その結果、最低賃金の低落、労働組合の弱体化、使い捨て労働者の出現となり、生活の質低下と社会問題につながっている。労働長官(ロバート・ライシュ)ですら、労働市場全体に広がりつつある寒々とした空気について「どんな職務についているかに関わらず、不安の程度は非常に高い」「安全な人などどこにもいないのだ」と語っている。
著者は、こうしたロー・ロードをハイ・ロードに乗り換えるべきだ、として、最低賃金の引き上げ、労働者の発言強化、フレキシブルだが使い捨てでない労働者、協調的労働現場を実現するための企業へのインセンティブ、協調のための訓練と支援をあげているが、果たして・・・。
この本に「企業官僚」という言葉が出てきたが、いわゆる通常の"官僚"、行政職員も、広い意味では地域や国の管理職。人を管理する側は高給に傾きがちで安定し、何かを産み出す側は管理される側に回りやすく、給与を抑えられポジションも不安定となりやすい。それは地主と小作の時代から変わらない。翻訳業でも、安定を望む男性翻訳者は他の翻訳者やレビューア、在宅勤務者を管理する側に回りたがるようになる。そうすれば、自分は最後まで残る人になれるし、パフォーマンスに応じて給与を等級付ける役割も回ってくる。当然自分への評価は棚上げ、というか対象外。ないわけではないが(もっと上から、とか)なんか違う。
どうもこの管理する側、官僚や企業官僚が肥え太る体制が気に入らない。だいたい、最近の正社員は管理関係の仕事をすることが多く、物作りをする人、従来の労働者や事務員、営業などは非正規雇用となりつつある(別の言い方をすれば、管理の仕事をする人のみが正社員として残り、何かを作る側は派遣や請負になりつつある)。
やはり、新しいマルクスは必要かもしれない。
アルメニア人ジャーナリスト
活東庵公開日:2007.3.25
Whoやノイバウテンにアルメニアに関する曲がある。不協音の多いノイバウテンにしては美しい曲なので、学生時代気になり、少し調べてみたことがあった。そしてオスマン・トルコでのアルメニア人虐殺の話を知ったのだが、最近トルコでアルメニア人ジャーナリストが殺された。
トルコでは虐殺は否定されており、虐殺を認める言動は罪にあたる中、彼はアルメニア人のための新聞を出して虐殺を追及していた。その一方、フランスで可決された、逆に、トルコによるアルメニア人虐殺を否定すると処罰する法案に対しても、反対していた。そういう、強制的な縛りを与えるのはよくないとしていたようだ。バランスのとれた感覚の人だったのだと思う。
特待生
活東庵公開日:2007.4.20
野球特待生が問題になったが、勉強ではよく聞く話だ。
会社で同期だった関東近県から来た知人は、もともと野球で有名だった私立の出身で、同県出身の同期の話では
「Mちゃんはねえ、まず野球で有名になった私立がその知名度をバネに、今度は進学校を目指す目的で作った特進クラスの特待生だったんだよね。特進クラス、て、地元中学の頭のいい子を授業料タダでもいいからうち来てくれ、て頼んで来てもらった子達を集めたクラスだよ。それまで東京の有名大学に受かる人なんていないような学校だったからさあ、彼女が現役でW大とJ大に合格した、てんで、卒業時に全校生徒の前で話したらしいよ」。
その彼女、Mちゃんはその後総合職となり、同期女性でただ一人、今でも会社に残ってばりばり働いている。
今回は高野連が認めていないから問題になったのだろう。他の分野ではよくある話ではある。
不安感について
活東庵公開日:2007.4.20
最近、不安にかられている人が多いな、と感じる経験が何度かあった。誰かが不安を口にすると、それが伝染するように周りに広がってゆき、直接対象にあたって確かめることもなく、自己パニックのような過剰な不安をことさら口にする人が出てきて、内輪で集団ヒステリーのようになってゆく。この場合、明確な意図があって人々の不安をかきたてる人が存在する場合と、もともとそうした意図が誰かやどこかにあったわけではないが、状況的にそうなってゆく場合とがある。
昔の社会でもこうしたことはあったとは思うが、何か今の人たちを見ていると、自分の判断に自信がなく、誰かがマイナスなことを口にすると、それが不安感をあおり、パニックになったり、攻撃的な言動になったりする。
茨城や群馬で畑を借りているが、農家の人たちは、人によるものの、「それはそういう(皆が言っているような)ことではない」「その人は、そういう人ではない」と自分で判断した言葉を言って、周りの噂話に乗らない人が必ずいる。以前は職場にも、そうした自分で判断する人達がいて、それぞれもっと独自だったような気がするのだが、最近はすぐに不安が伝染してパニックのようになりやすい集団が多い。
さらに大きな規模でこうしたことが起こった場合、かなり病的な社会に陥る危険性を感じる。実は、最近の子供たちの間のいじめも、こうした不安や集団ヒステリーに陥りやすい状況によるもののような気がする。もっと自分で確認をとり、簡単に他者の判断に乗らない独自の人が増えたほうがよい。
プラスの話が伝染しにくいのは、すでに個々人の内面に不安感が広がっており、巣食っているからだろう。だからマイナスの話に反応しやすくなり、自分の身を守るためとか被害を受けているのはこちらだと思いつつ、攻撃的になる。戦後や今の中国でイケイケドンドンでいかれたのは、逆に人々の内面に希望が広がっており、プラスの話に反応しやすかったためだ。
自分で実際に確かめ、裏をとり、自分で判断する重要性を、最近つくづく感じでいる。
8月/パール判事
活東庵公開日:2007.9.7
8月になると第二次世界大戦に関する報道が多くなる。8月だけでいいのか、という批判もあるが、それでもよいから続けるべきだと思う。いずれ戦争の記憶のある人がいなくなったとき、8月ですら特集しなくなるときが来るからだ。
NHK特集で東京裁判を扱っていたが、パール判事をとりあげた回について。
彼を日本人に好意的で味方してくれた人、ととる人もいるようだが、裁判期間中、膨大な量の国際法関連の文書を読み込んだ結果、当時の時点では「人道に対する罪」で起訴することは不可、との判断を下した判事であることがわかる。欧米に対する反感もあったかもしれないが、基本は詳細に資料にあたった結果で、いかにも理屈っぽいインド人らしい人だ。欧米系も、東アジア系に比べれば情(や感情)よりも理論を重んじるほうだが、彼らは戦略も混じるので、その点からだんだんに理論より離れてゆく。この裁判でも、ドイツ相手のニュルンベルグ裁判の流れを継承できるか、その結果を台無しにしてしまうかが最重要課題になってゆく。
さらにパール判事は、意見が孤立し、やめさせるべきだと圧力を受けてもめげない。そのめげなさが、自分の意見の主張をしつづける際に、気後れすることなく他人への説得を伴う、という点も、いかにも他人の意向を気にせずマイペースで進むインド人らしいと感じた。つまり主張は変えないものの、どうせわかってもらえないから、と他人への働きかけをあきらめてしまうタイプではない。その結果、東京裁判ではパール判事の主張に耳を傾ける判事も出、パール判事へ同調はしないものの、主流派とも見解をわかつ別の意見を付記する判事も何人か出た。
途中からパール判事に同調した判事に、オランダのレーリンク判事がいる(ただし、すべての見解で一致したわけではなく、彼独自の見解を提出)。当時、オランダの主要な判事でナチスに協力しなかった人材は皆無に等しかったことから、若いレーリンク判事が東京裁判の判事として選ばれた。彼はナチスに対するレジスタンスを行っている。ファッショに対する”まつろわぬ民”だった者は、”ファッショに対する正しい戦い”に対しても、自分の判断で動く”まつろわぬ民”となった、という点が面白い。
このほか、映画のTokko、ヒロシマナガサキ、陸にあがった軍艦も良かった。Tokkoやヒロシマナガサキはすでに多くの人が書いているが、丹念に体験者の証言を集め、余計な情をからめずに綴る。証言をただつなげているようだが、注意深い編集がなされている。Tokkoは当時の宣伝ポスター(社会主義国のプロパガンダのよう)やアニメーションをからめ、当時の雰囲気が自然と伝わる。音響効果もセンスがよい。特攻機に撃沈された軍艦に乗っていた年老いた元アメリカ兵らが、「アメリカにもあれくらいやる奴はいるよ」「もし自分たちが追い込まれて、そういう立場に立ったら、やっぱりやったと思う」と語っていた。わけのわからない、狂信的な行為とはとっていない。ヒロシマナガサキは、体験者の語る内容が圧倒的。
陸にあがった軍艦は、30代になってから召集される、とはこういう感じなのか、ということがしみじみわかる。10代の志願兵の若者が、中年のシナリオ書きや仕立て屋だのの上官になる。キーキー鳴る木製戦車相手の爆弾攻撃練習だの、部屋の中で行う甲板拭きのしごきの場面だの、妙に印象に残る場面がある。
水木しげるの戦争体験をドラマ化したNHK作品も良かった。主人公をしごく軍曹についても、一方的な悪役ではない。「水木さんの気持ちはそう単純なものではありませんよ。もっとこう、もやもやした複雑なものがありますよ」(正確な言い回しは忘れた)というようなことを語る場面がある。誰しも、一方的な悪人だったり、良い役だったり、と単純に分かれるものではない。鬼瓦のような軍曹がさいご、自分の分も百歳まで生きろ、と言う。
忍び寄る貧困
活東庵公開日:2007.10.9
最近、さまざまな面で社会が綻びつつあると指摘されている。
訴訟の増加や、軽い症状でも救急医療や夜間診療を利用する人が増えたことによる、産婦人科や小児科のシステムの崩壊。
医療費の不払い、給食費の不払い、救急車の安易な利用などが増加しつつあることによる、公共サービス維持の困難。
言葉は悪いが、利用する側が自分で自分の首を絞めている感がある。ただ、そうした安易な利用や踏み倒しをする人と、本当に必要としている人はまったく別人なので、一概に”庶民/市民/人民”が悪いと一括りにはできないが。
新聞テレビ、ドキュメントなどを読むと、生活形態の変化、特に貧困が絡む要因も大きいと感じる。妊娠しても検診を受けない人の増加(とそれによる受入拒否の増加)、共働きの増加による夜間診療に来る子供の増加を見ていると、発想を根本的に変えてシステムを作り直したほうがよい気がする。
たとえば開発援助では、支援対象のスラムなどの実態を調べ、それに即したサービスの提供を考える。昼間働いている子供が多い地域では、昼間の学校を作っても意味がない。そこで夜間学級を作る。
今の日本でも、通常サービスの提供のためのマーケティングではなく、はっきり言って貧困層への支援としてその受け手についてそうした調査を行い、現状に即したものに作り変えるべき段階に、すでに入っているのではないか。生活の厳しい共働き世帯が増えたなら、そういう人たちを対象とした、緊急でない夜間医療サービスが必要になってくる。戦前のセツルメント(隣保館)や海外のスラムで活動するNGOなどは、そうした発想で事業を行っている。それと同じ視点が、日本でも必要とされ始めている。認めたくない人も多いだろうが。
今後、貧困は必ず重要なテーマになるだろう。近年、子供の虐待や育児放棄が話題になっているが、社会活動家だった毎日新聞記者をテーマにした本『路地裏の社会史』(木村和世著、昭和堂発行)に、戦前の大阪のスラムでは捨て子(特に金にならない男児)が多かったことが記されており、なんだか最近の状況と当時の社会は似ているなと感じた。こうした問題と貧困には相関関係がある。単に、わがままな若者が増えたとかそうした問題ではなく、確実に貧困が関わっている。
あれは一体何だったのだろう?
活東庵公開日:2007.12.1
そのときのマナー、モラルの基準からみると、逸脱している印象があり、世間からバッシングを受ける、ということがままある。最近では相撲だのボクシングだのでごちゃごちゃしているが、正直なぜあそこまで叩くのかよくわからないことも多い。反則なら出場停止だの処分すりゃいいだけだろう、それだけだよ、個人的なことはほっとけよ、という気がするのだが。
かつて男子バレーが金メダルをとった後、人気が沸騰し、マスコミへの露出も多くなった。すると急に”アマチュア違反”問題が起こり、「松平一家」という(監督を中心にした)呼称も「暴力団のようだ」と叩かれ、かなりバッシングされていた。今の基準なら何も問題ない、他愛ない程度だったと思うが、当時は監督も選手たちも、悪いことをしたかのようだった印象がある。
一昔前の、サッチー騒動だの、ときどき起こる週刊誌の女優へのバッシング(裕○奈江とかあったな)などもわけわからない。そういえば最近、ある舞台の配役に彼女の名を見つけて、よく辞めなかったな、と懐かしく思い、逆に応援したくなった。
アグネス論争などもその傾向があったと思うが、あれで子育て中の女優が子連れで仕事しやすくなるとか、逆にしにくくなるとか、何か”成果”はあったのだろうか。それとも言葉の消費だけで、文化的な衣をまとってはいるものの、単に違和感を感じる人へのバッシングだったのだろうか。
あとから思い出すと、あれって一体何だったのだろう、ということが多い。
ベルリンの壁が崩れるまでは、あの壁を越えようとして多くの人が命を落とした。当時そういうことをしようとするのはいけないこと、殺されても当然のことだった。それが今は普通に越えている。
今の中朝国境の脱北者などもそうだろう。当局に責められるだけでなく、戻された場合、周りの目も厳しいだろうが。
あるいは、周り全体がある考えで固まっているときに、それに対する異議を唱えた場合も、通常、周りの目は厳しい。単に和を乱すというよりも、そういうことを言ったりやったりすること自体、おかしい、悪だ、という感じになる。状況によっては口による非難だけでなく、身体的危害を受けることすらある。
それが状況、善悪の基準が変われば、壁を越えようが、逆の思想を持とうが、まったくお咎めなしになる。逆にそっちが主流になったりする。
なんでそんなことで責められたのか、拷問を受けたり、殺されたりしたのか、となる。あれは一体何だったのだろう、と思う。
個人にできることは、直接知らないこと、自分で裏をとっていないことに対しては、周囲の言葉だけで判断して他人に「石を投げない」。それしかないと思う。
アダム・スミスの「国富論」
活東庵公開日:2007.12.22
以前、格差社会関連について書いたときに何度か「新しいマルクスが必要だ」と書いた。
「共産主義が出てきたのは、資本家が働き手を酷く搾取する状況が発生したからで、資本主義の側もそれに危機を感じ、修正資本主義を出して状況を改善した。そのため、共産主義国や、資本主義国でも60年代から70年代頃は、働き手が優遇されていた。それが制度疲労を起こしたこともあり、行き過ぎ、悪平等として競争社会(グローバリゼーションも広い意味での競争社会のことだと思う)が奨励されるようになった。物を作ったり、サービスを実際に行う側ではなく、管理したり、その周りで投資する側が潤う時代になってきたが、この状況がさらに進むようであれば、再びマルクスのような新しい思想が、必ず必要になってくる。」
そうしたら、12月14日と21日付けの東京新聞で吉田司氏が、アダム・スミスについて言及していた。小さな政府を主張した自由主義経済学の始祖アダム・スミスは、貧困層を作り出す国家の過大な収奪(大きな政府)に反対した、また万物を金銭に交換可能だとする市場主義原理のもたらす腐敗を激しく批判していたという。
内山節は「資本主義ほど効率的な経済システムをほかに知らない」と資本主義を支持したケインズは、資本主義は必ず人間を頽廃させ、社会を頽廃させると予感していたと書いていた。資本主義が効率的なのは貨幣を交換手段に用いるからだが、やがてその貨幣が経済の目的になり、そうなると真面目に農業をしたり物づくりをするよりも、投機的な活動のほうが手っ取り早くなってゆく。この風潮がひろがると、人間も社会も頽廃してゆく。そこでケインズは、国家による経済活動への介入を求めた。しかし、国家の政策によって頽廃を遅らせることはできても、解決にはならないだろう、と資本主義の未来に対しては悲観的だったという。
吉田司氏は「”反逆の論理”として、いまマルクスよりもアダム・スミスが新しい」と結んでいた。奇しくもアダム・スミスやケインズのような資本主義の大御所が現在の状況を予言し批判している。確かにマルクスより、このへんに突破口のがありそうな気が、新しいマルクスはこのあたりから出現しそうな予感が、直感的にする。
裁判員制度
活東庵公開日:2008.6.25
来年から裁判員制度が始まるという。
積極的に参加したい人など、ほとんどいないのではないか。しかも、民意を反映させるためなどと説明されているが、参加義務があるのは、窃盗や詐欺など軽犯罪ではなく、死刑の関わる重大事件だという。
国民の義務は、徴兵のない今、納税と教育だけのはずだ。さらに裁判員に参加せよ、断るなら罰金というのは、憲法違反ではないのか?
もし裁判官の仕事も義務として担うよういうなら、他の公務員の職業もすべて参加義務を作ってはどうだ。外交官、徴税官、年金業務、その他その他すべて国民も参加させてはどうか。そうすれば、外交政策にも徴税にも民意が反映されるようになる。
専門性が必要だというなら、裁判員制度のように、わかりやすくパワポなどを作って説明してほしい。そうすれば、こちらも外交知識や税務知識を得られるし、詳しくなれる。
結構本気で、もし裁判員制度が強制的に開始されるなら、裁判員だけでなく、国が行うすべての業務に参加制度を設け、選べるようにしてはどうか、と考えている。
集中豪雨型
活東庵公開日:2008.6.25
近年、気象の集中豪雨も凶暴化しているが、さまざまな報道に対する反応も集中豪雨型となり極端になっている。最近ではイタリアの聖堂への落書き騒動があったが、これまでもちょっとしたことでのバッシングがしょっちゅうある。おそらく2ちゃんねるその他有名ブログなどでさかんに書き込まれて煽られ、対応を迫る雰囲気が醸成され、それに引きずられる形で謝罪したり自粛したり解雇したり、という流れなのだろう。
ひとしきり騒ぎ、原因とみなされる人が完膚なきまでに叩きのめされると、急に潮が引いたように話題に上らなくなる。
冷静に考えれば注意程度で済むようなことでも、批判を浴びせる側はかなりヒステリックになっている。サドの心理状態で、とことん相手を追い詰め破壊したら急に冷めて去ってゆく。
この感じ、いじめに似ていなくもない。全員対個人のいじめに苦しみつつも解決できずに大人になった世代が、人口に占める割合として増えるにつれ、社会全体レベルでの集団対個人のバッシングが安易に起こりやすくなっている。
昔ながらの投書や集会などの手段では、とてもここまで広範囲に大人数を動かすことはできないだろう。ネットやメールが普及して初めて可能になった形態だ。
韓国の牛肉輸入反対デモや中国の愛国デモを見ても、やむにやまれぬといより、ネットやメールでの呼びかけに手軽に参加するノリと、言葉は悪いが軽い破壊願望を感じる。
韓国の牛肉輸入反対デモは真摯な心情から出ているとは思うが、ではどうしたらよいか、安易に政権を倒せとして大丈夫か、という疑問がある。中国政府はネット世論をかなり気にしているようだが(中国だけでなく世界中でそうだろう)、こうした反対デモやバッシングは、今話題のことへの反応のみに終始し、長期展望や代替案がない。反対や阻止ばかりで、ではどうしたら良いかが無く、破壊が多い。
明治時代、八幡製鉄所に土地を売った農民の子孫の老人が、平成になって高炉の取り壊しの話を聞いたとき「100年もたなかったな」と笑ったという。
里山を破壊して30年たてばゴーストタウンかスラムになるような街づくりをしたり、安易にペットを輸入販売し結果野山に放すことになり社会的に高くついたりなどと、何か同じものを感じる。
近代化によって社会の変化が早くなり、ただでさえ目先の利益に流されやすく子々孫々連綿と続く持続型社会を守る思考ができなくなりつつあるところへ、ネット社会の実現によって、騒動は大勢を巻きこんでたちまち増幅され、その場しのぎの場当たり的反応が多くなり、長期的にじっくり考えて対応することが難しくなっている。
ミセスワタナベ
活東庵公開日:2008.10.14
東京新聞の木村太郎のコラム(10月11日夕刊)に、ミセスワタナベがアイスランド経済を破綻させた、と欧米で言われている話が載っていた。
ミセスワタナベとはファイナンシャルタイムズの命名で、特定の個人ではなく、外為取引をさかんに行っていた日本の主婦たちを指すという。全体で数十兆円のお金が動き、世界の市場を荒らし回って恐れられていると言われている。
行っているのは、各国通貨の金利差で儲けるキャリートレイドといわれる手法で、手持ち金額の何十倍もの金額を動かせる。
そこで金利の高いアイスランドが格好のターゲットとなった。アイスランドは人口わずか30万。実力以上に資金が流入、通貨、賃金、不動産、何もかも高騰した。そこへ格付け会社がアイスランドの評価を下げたことにより一斉にミセスワタナベの資金が引き上げ、さらに金融危機が起こって経済が破綻、全銀行が国有化された。
この話に、本当にミセスワタナベだけなのかという疑問は若干あるものの、まず、人口の多い国の一般人が一斉に流行に乗った場合の影響の大きさと危険性を感じた。
前科は多数ある。最近もバナナダイエット騒ぎがあるし、ナタデココが流行ったときも、注文があいつぎ催促されたフィリピン側は新たに工場を建てたが、できあがった頃にはブームが収束していて負債だけが残ったという話がある。
それ以降、一過性のブームには注文が相次いでも何とかしてくれと頼まれても応じないようにしている、皆飽きっぽくブームはすぐに終了するから、と言う商社の話も聞いた。
当人たち個人個人は、少額の運用や、ちょっとした希望、要求なだけで他人に迷惑をかける気持ちは毛頭ないはず。しかし、同じことをやる人が非常に多数になってくると、回りに与える影響が大きすぎる。(日本や中国で起こるブームは影響大で危険だな)
そして次に、素人が手持ちの何十倍もの金を動かすことができ、そしてそれが世界経済に影響(それも危険な)を与えるほどの規模になることが許されていること自体、何か信じられない。
今の経済はそんな設計になっているのだろうか。これがプログラムなら、設計ミス、バグではないか。
いわゆるヘッジファンドも、巨額を動かして原油でも金属でも、実際の需要と供給で決まる価格とはまるでかけ離れた価格にしてしまう。そしてそれが、実際の需要、必要な人が払う価格になってしまっている。
これもおかしくないか?
最近の経済の話は、こうした実際とは違う、あくまで帳簿上というか仮定の話を、実際にあるかのように扱う話が多すぎる。
たとえば、株をいくらで買う、というときには実際にお金がやりとりされている。その後、株がいくらに上がったというのは、あくまで帳簿上の話でしかなく、だから今何千万何億持っていると言っても、実際にその時点で換金していなければ幻想でしかないとすらいえる。実際の事柄であるのは、株を買う際に払った金額だけだ。
逆に株が下がったというのも帳簿上だけの話で、換金してはじめて買ったときとの差額、損が明確になる。
素人による気まぐれな売買を一国の経済に影響させてしまうことを許す設計、ヘッジファンドや銀行その他金融機関による金融バブルの肥大化を許してしまう設計が、そもそもおかしい気がする。
そしてその元凶は、帳簿上など仮定の話が多すぎる点にある気がする。あくまで経済素人の直感でしかないが。
韓国有名女優の訃報
活東庵公開日:2008.10.14
韓国の有名女優がネットでの誹謗中傷が原因で自殺したと報じられた。
この話に既視感と、ついに、という感じがある。
韓国では以前、牛肉輸入反対デモへの参加がネットやメールで呼びかけられ、多数が応じ日々増えていった様子が報道された。日本でも市民の力、と良いことのように報じられていたが、何となく違和感と危険さを感じている。なぜなのかは、うまく説明できないのだが。
ただこれは、韓国だからというのではなく、韓国であれ日本であれアメリカであれ、ネットやメールでの呼びかけにあっさりと多数が応じてしまう状況、手軽感、何かそうした感じに対する本能的な忌避感があるからだ。
日本でもいじめなどで、メールや学校裏サイトなどで事実と異なる噂を流され、不登校や転校に追い詰められる話をよく聞く。
職場でも、最近、周りの人、特に若い人がメールやサイトなどの噂を、あまりに素直に信じ込み、裏をとろうとすらしないと感じることが多い。あまりに素直で、なぜもう一方の当事者の言い分を聞いてみよう、逆側の話も聞いてみようと思わないのだろう、と不思議になるほどだ。そうは言っているけど、実際はどうなのだろうかと疑問を持ったり、ちょっと待てよと思わないのだろうか?一人くらい、あまのじゃくな奴がいても良さそうなものだが。
疑いを抱かず素直で、誰かの煽りに深い考えもなく乗り、誰かを傷つけてもそんなつもりじゃなかったし、と気づかない。なにやら不気味だ。
この手の話は、流すほうも流すほうだが、信じるほうも信じるほうだ、という気が以前からしている。
騒ぐ人が少数だとスルーする人も多いが、多数になってくると「皆が言っているからきっとそうだ」と確変する人がどんどん増えてゆく。特に東アジア系はその傾向が強いと思う。
小学生のとき、国語の時間に先生がある質問をした。確か主人公に笛が聞こえたか聞こえなかったか、聞いて挙手させた時だったと思う。最初先生は
「聞こえなかったと思う人」と尋ねた。クラスの大多数が勢いよく手を上げ、それを見てそれまで手をあげていなかった子達もばらばらと手をあげはじめた。クラスで一番頭の良い、その後東大や御茶ノ水に進んだT君やKさんも、ほぼ全員が手をあげているようすを見て、ついにおずおずと手を上げた。
文脈から見て、主人公が聞こえていたことは明々白々だった。
私はそれを見て、あーあ手をあげちゃった、聞こえていたと正解していたはずなのに、きっと回りの自信ありげなようすを見て、自分の出した答えに自信を失ったのだな、と感じた。
続いて先生が
「聞こえたと思う人」と聞いた。私は勢いよく手をあげた。一人だった。先生は
「そうですね、ここはこうこうだから聞こえていました」とおっしゃった。
先生は、最後になって急に自信を失い、おずおず手をあげた人たちのことも見てわかっていたと思う。読解力には問題なく、間違えたのは別の要因だと。
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