- 読書/映画感想
辺境に映る日本
福間良明著 柏書房公開日:2003/10/19
全体を通して読むべきだが、特にアイヌ民族に関する章は考えさせる記述が多い(金田一氏と知里真志保氏のスタンスについてなど)。マイノリティーとの関わり方は、自分がどのように自己のアイデンティティーを定めているかを反映していると思う。膨大な資料、専門的で一般書としては読みづらいかもしれないが、がんばって読むと一貫した志が伝わってきて、ある種の感動がある。
神話と日本人の心
河合隼雄著 岩波書店公開日:2003/10/19
日本神話を解説した本で、わかりやすい。日本神話に興味がなくても惹かれる内容。偏狭なナショナリズムではなく「開かれたアイデンティティー」を求めて神話を解読しルーツを探索しているとのことだが、こうした作業は必ず将来につながる。“国”や社会の進むべき道を考える場合、政治や経済政策も重要だが、こうした学問からのアプローチも地味だがとても重要だ。
サンカ生活体験記
八切止夫著 作品社公開日:2003/10/19
かなり特殊な内容で、トンデモ本の一種に入るかもしれない。サンカは謎の多い漂泊民、著者はその末裔で一時期サンカの家庭に預けられたときの記録を残している。どこまでが本当かと引く部分もあるが、昭和30年代までこのような社会が日本に存在していたことは事実だろう(小学生の頃、「私たちの東京都」という社会科読本に隅田川などの船上生活者のことが載っていた。船の見分け方など具体的な記述で、S40年代にもまだそうした生活があったのだろう)。
「あとがき」にもあるように、社会全体が均一化されつつある今、逆に中心には飲み込まれない“周縁”を無理に作り出そうとする動きがないわけでもない。そしてその心性は非常にわかる気がする。すべてが中心化された社会では生きにくい。どの個々人もすべてが中心とピッタリ合致することはまずない。程度の差はあれ、中心に収斂され得ない部分が存在するはずで、そこを引き受けてくれる周縁部分が社会のどこかに存在しないと窒息する。
ここでも何回か書いているが、アイデンティティーは高度情報化社会では非常に重要になる。軍事力、経済力が力関係を決めた時代が続いたが、これからはアイデンティティーの強さも重要になってくるだろう。自分は何者かはっきり主張できない人々は、主張の強い人に押し切られたり、その空洞の部分に原理や宗教がつけこむことになる。
<民が代>斉唱
鄭暎惠著 岩波書店公開日:2003/11/23(国民国家の終焉)
国と個人の関係が問われ始めている。経済のグローバル化と、難民の世紀と言われる現状とがある。国は誰を構成員として成り立つのか。土地、国土は誰のものか。先住する人のものか、移民にも権利があるのか。
アイデンティティを何に求めるか、21世紀に入るにあたって、その重要性を指摘する人も多かった。時代の変化に敏感な人々が指摘するそれは、今後、具体的に何を意味することになるのか。
鄭暎惠氏が著書「<民が代>斉唱」(岩波書店)で多重国籍をその解答の一つとしてあげている。この本の、特に10章とあとがきは多くの示唆に富む。
いずれにせよ、国民国家の終焉はあちこちで言われ始めている。いわゆる”お金儲けの本”でも、PT(永遠の旅行者)が新しい生き方として(国民国家から自由に生きる手段として)紹介されはじめている。つまり、民族(マイノリティ)の問題からも、経済的な理由からも、国民国家から抜け出そうとする動きは、今後さらに大きくなる可能性が高い。
本当にそうした、自分にとって住みよい土地を求めて自由に国家間を移動する社会がくるのか、それともいったん民族大移動のような大混乱に陥り、結果的に世界中の人に総背番号をふる一元化された巨大監視組織を呼び寄せることになるのかは、わからない。
多重国籍については、まだよく理解できない点が多い。農業のような土地に縛られる職業はなかなか難しいように思う。また、普段生活する場所(地域社会)の機能の保ち方も気になる。単に良い場所を求めて移動し続ける人ばかりが増えると、最終的にはどの国も荒廃してしまう危険があるように感じる。
ただ、もう現状では、今の状況の変化(イラク、アフガニスタンも含めて)に対応しきれなくなりつつあることは、ほぼ間違いない。
そして、こうしたことを考えるときに、常に頭に入れておきたい、と思うのは、新しい考え方が出てきたとしても、それでパラダイス(もうこれ以上何も修正する必要のない、皆が幸せに生きられる段階としての世界)が来るわけでは、決してない、ということ。今まで、そうだったためしはない。ただ、前の枠組みではもう現状に対応できないから、前の考え方よりは、新しい考え方のほうが現状に合っている、則した対応ができる、(つまり、まだまし)というだけだ。
資本主義、民主主義、社会主義、いろいろな考え方が社会の現状をより良くしようと出てきた。民族自決(国民国家)もその一つ。ただどの考え方も、その当時の問題を解決するために必要な部分があり、重要な役割は果たした。社会主義も、その考え方での国造りには問題があったが、当時の資本主義諸国に危機感を与え、修正資本主義をもたらした。
つまり、新しい考え方が出てきて、皆がその方向に動き始めたとしても(熱い運動があったとしても)、どこかで「これも絶対ではない、これからも今までどおり、現状と照らし合わせつつ、修正してゆく必要がある」と考える部分が必要だ。そうすればその新思考を絶対視して、そのために粛清が起きたり排除が起きるような危険も、ある程度緩和されるだろう。
ところで、こう考えてくると、年金も何も、日本が滅んだら終わりだよね、妙な政権がクーデターでも起こして乗っ取ったら、全部チャラにされてしまうだろうし、と思えてくる。
グロテスク
桐野夏生著公開日:2004/1/9(ワタシを認めてもらいたい人々)
図書館で予約待ちが500人、というヒット作「グロテスク」をどんなものか、と思い、読んでみた。東電女子社員殺人事件とオウムが素材になっていることは一目瞭然、確かにこういうのありだよな、という話が続く(ただ当事者家族にはきついだろうなあ。断り書きはあるが)。そのうち、あることを思い出していた。
たまに情報交換のような形で会うだけの人が、その分野の才能あるかもしれないね、と言っただけで、いきなり詳細な履歴書、職歴書をメール添付で送ってきて「どうかな」と言う。有名大学、大企業2社の経歴が誇らしげに並ぶそれが、現在派遣をやっている30代後半の彼女の心の支えになっていることは明らかだった。
あるいはグループの一員として知っている程度の人が、40代半ばを過ぎた今、自分にあっている仕事を探している、と今までやってきた仕事など人生の軌跡と、この時人にこう誉めてもらった、ああ言ってもらった、と羅列した長文メールをやはりいきなり送ってきた。その後彼女は占いで次の職種を決めたという。こうしたことが、たまにある。特に深い知り合いでもないのに、「私、てこういう人なの」というメッセージを一方的に送ってくる。いや、むしろ深い知り合いではないからこそなのかもしれない。
そこから感じるのは、「ワタシヲミトメテ、ワタシヲスゴイトイッテ、ワタシヲホメテ」という彼女らの心の叫びだ。そして自分探し、ワタシに何ができるの、どういう才能があるの?という迷い。御宣託、啓示を待っているようでもある。でも、儀礼的にほめてもその心の空洞は埋まらないだろうし、御宣託係、誉め役を演じるのもちと重たい。こちらもカウンセラーではないし、さっさとその役は降りることにした。(逆にこれをやれる人が、新興宗教を始めて”教祖”となるのでは?それを待っている人は大勢いる)
そうした羅列を見ていると、そうでなくて自分が何をし何を考えたか、そしてこれから何をすると考えるかではないのか、という気がするのだが。中には生年月日から住所氏名本籍その他個人情報丸出しで送ってくる人もおり、よく知らない人にこうした行動に出る、というのは危険な気もするのだが。このへん、「グロテスク」の大会社社員で売春婦の女性に通じる”なんであなたがよく知らない私にいきなりそこまでさらす?まあいいけど、でもなんか変だよ”、といった頓珍漢な印象を受ける。例に出した両者とも、普段からちょっと変わった人なのではなく、むしろ堅い仕事を堅実にこなすまじめに見える人たちだ。だからこそ、そのギャップと空洞にたじろぐ。
今、こうしたワタシヲミトメテモライタイ人々が気になっている。いつの世も人は自分を認めてもらいたいものだが、今のそれはうしろ向きで寂しい感じだ。給料や経歴で自他を比べ、心密かに勝敗を図る感じは高度成長期もあったろうし今の中国人にもあるが、何か当時や今の中国人のような明るさ、たくましさがない。あくまで自分の位置確認の目安の一つに過ぎない”他人の評価”が絶対的な目的にすりかわってきていて、自立の方向ではなく依存の方向に向かっているようだ。これも一種のランナウェイで、日本社会が煮詰まってきているのかなと感じる。
そしてこの心性は、阪大付属小学校事件のような、社会に対する一種の個人テロにも確実につながっている。
追記
グロテスクを読んでこの事件に興味がわき、東電OL殺人事件のルポも読んでみた。根本的な疑問として、この人は本当に経済が好きだったのだろうか、というのがある。大学で専攻し会社で研究所に勤め論文も書いていたのだから、ある程度は持続できる程度の興味はあったのだろうが・・・。本当に気になって仕方ないなら、留学候補に漏れようが左遷されようが、あるテーマが頭の中をぐるぐる回り続け、何かの形でかかわり続けざるを得なくなると思うのだが。
誉められたくて、スゴイと言ってもらいたくて、やっていたのだろうか。もしそうだとしたら、そうした研究を参考にしても大丈夫だろうか。つまり、ちゃんと現実を反映し、分析して解を見出そうと作成されたものなのだろうか。もし賞取りの小手先が器用で、それが評価されてしまうのだとしたら、経済分析もやばいぞ、とそちらのほうも気になる。
ところで慰め役、誉め役を降りたのは、彼女たちにとって真に認めてもらいたい相手は必ず別に存在するはずだからだ。その人から認められない限り、たとえ世界中の人が讃えてもその空洞は埋まらない。兄と比べられ続けた妹カレン・カーペンターのように。実際にその人から誉められるか、その人は認めてくれなくてもこうだからいい、と自らが思うようにならなければ、だめだと思う。
ロスト・メモリーズ
活東庵公開日:2004.3.19
ここしばらく北朝鮮関連のニュース、朝鮮中央TVもの(面白かった、正式に契約して毎日数分でも流したらいいのに)、脱北者がらみのルポもほとんど報じられず、残念だったが、今日やっと北京訪問が報じられた。やはり隣4軒(ロシアも入れれば5軒)は引っ越すわけにゆかない近所だから、好き嫌いはぬきにしてつきあい続けなければならない。
冬ソナ人気に、かつて韓国に興味を持てば笑われたことを思うと隔世の感だが、当時笑った面々が今の冬ソナ人気支えている世代のはず、と思うと複雑だ(まさか当時笑ったアンタ、ヨン様しとらんだろうね?)。まったく皆移り気だと思うし、ここからもいかに”輿論”なるものが移り気で不確かなものかがよくわかる。それに振り回されていると、大損することになる。自分のポリシー貫いていたほうが、よほど確実だ。
ところで、冬ソナ人気に「日韓もこれからよい時代が・・・」と思う向きには、伊藤博文が殺されていなかったら、という設定の「ロスト・メモリーズ」を後ろ向きながら薦める。なぜ後ろ向きかと言うと、脚本にかなり無理があるので映画としては二流だからだが(問題の高句麗がらみ、というのは面白い)、植民地になるということがどういうことで、韓国人が日本人をどう見ているか多少見える。主役の友人の日本人も悪役ではなく、人情のある普通の存在として描かれており、このため成熟した普遍的なテーマとなってはいる。この友人だが敵同士になる、というのが民族、国家の現実だろう。これは平和になればなくなる、とか、共生すれば乗り越えられる、というものではなく、絶対になくならないものだ。映画K.T.にあった「友人かもしれない。でも仲間じゃないかもしれない」というセリフは真実を突く。感覚が似ているから、Koreanとは友だちになりやすい。もしかしたらルーツも同一かもしれない。でも国が分かれて千数百年だか数千年だかきている以上、利害が対立すれば必ずそれぞれの陣営に分かれて騒ぐことになる。戦争や争いがどうこう言うが、それは種としての生存本能として当然ともいえる。韓国人は日本人になれないし、日本人は韓国人になれない。どんなに相手の文化に理解がある人でも、全面的に相手から受け入れられることはない(お互いに)。敵になる日もある。友だちである日もある。
追記:前から気になっていたことに、よく進歩的マスコミなんかで、韓国・朝鮮系の人の名を漢字表記で現地音読みのルビをふる、というのがある。中国人はそのままで日本語読みが多い。私は文字をそれぞれの国で母国語読みするのは仕方ないと思っている。韓国・朝鮮語や中国語をやっている人ならともかく、普通の人は漢字で示されたら現地音読みできない。逆もそうだろう。英語だってバッハBachはバックだし、ドイツ人やフランス人、ポーランド人の名前を英語風に読んでいる。ヨハネ・パウロ2世は、アメリカの新聞ではジョン・ポール2世だ。文字をそれぞれの母国語で読まれたくない場合は、音のみをとるほうがベターだ。漢字ではなく音を優先させたいのなら、アメリカ人やドイツ人、インドネシア人に対するように、漢字は書かずに片仮名かローマ字で表記すればよい。ここへきて、週刊誌なんかでは韓国人の名を漢字ではなく、片仮名で表記するケースが増えてきたが、韓国・朝鮮系については音優先とするなら、そのほうがよい。漢字で書くから混乱するし、右系が不満を感じたりすることになる。ところでこうなった背景には、漢字のない韓国人名が増えていることも関係しているだろう(北朝鮮はハングル表記のみで漢字がわからないため、昔もよくオリンピックの記事なんかで片仮名表記を見かけた)。また韓国で日本人名を日本語の音読みにするのも、単に漢字の読めない世代が増えているからだろう。ふと、韓国宛の郵便物はいつまで漢字の住所で届くのか、と気になる。
再追記:新聞は字数制限があるから、漢字を使いたがるのもわからないでもない。そういえば韓国語を学んでいた頃、韓国の新聞が漢字を使わなくなり、でもすべてハングル表記だと字数をとるため、略語を使うと聞いた。日本でアメリカを米と略すように、たとえば韓国式略語では東京をトッキョと表記する。トウキョウはハングル4文字だがトッキョだと2文字。トッキョは勿論、東京という漢字の韓国音読み(トンギョン)ではない。当時それを聞いて、トッキョ、ていかにも韓国らしい音だよね、と知人と笑ってしまった。
グッバイ、レーニン
活東庵公開日:2004.5.30
2ヶ月ほど前に見た映画だが、スマッシュヒットの作品。特に東ドイツ崩壊後、東独がまだ存在することを母親に証明するために作成されるインチキニュースが秀逸。”共和国”という自称が何やらまだ存在する某国を思い起こさせるが、ベルリンの壁崩壊で行き来が自由になった場面について、「人間的な生活を求めて西側から東側に押し寄せる難民を受け入れることに決定」と報道するあたりが白眉だ。こじつけだがアナウンサー役も、そしておそらく作者も崩壊した社会主義が持っていた夢を語っている。その夢は実現が難しい。おそらく政治的にも、宗教集団でも、この世に形のあるものとして実在させることは不可能だろう。そうしようとすると、ある種の強制が出てくる。個々の心の中、回りとの具体的な人間関係としてしか、存在させることができないのではないか(抽象的な大集団ではなく)。社会主義が夢だった時代の最後を知っているだけに、心に残る映画だった。
小津映画とシルミド
活東庵公開日:2004.7.8
戦前の小津作品に「東京の女」というのがある。岡田嘉子主演、田中絹代助演、両方とも若い頃を見るのは初めてだったので、岡田嘉子はきれいな人だったんだ(ソ連亡命のイメージが強かったのでアングラ女優系かと思っていた)、田中絹代は美人女優と想像していたが、むしろ隣のミヨちゃんタイプに近いな、と思った。ストーリーは田中絹代の恋人役大学生のお姉さんが、実はよからぬ仕事で家計を支え学費を出していたことがわかり、大学生が自殺してしまう、というもの。このよからぬ仕事、というのが、カフェの女給、しかもそれは表向きで、ある主義の人達の集まるところだった。無声映画、しかも戦前作品なのでそこはぼかされていて出ない。弁士もわざとその部分のみ省略した。でも、田中絹代がひそひそと耳に入れる言葉は大体予想がつく。「あの人、アカなんですって」
清楚で可憐な田中絹代が、そう言うとまるで疫病神でも見るかのように顔を歪めてさっと身を引く。戦前はまさにこういう感じだったんでしょうなあ。小津映画に出てくる人はいい人が多い。多少こずるかったりもするが、悪人ではない小市民だ。そうした人々が、可憐な田中絹代が、本人そのつもりなくても、いつのまにか排斥する側にいる。
話変わってシルミド。最近流行の韓流映画、かつ話題作なので観客、しかも女性客が多い。大作で実話に基づくだけに説得力抜群、周りの女性客は皆グスグスもらい泣き。しかし、彼女たちの鼻をすする音を聞いたとたん、なんとなく冷めてしまった。彼女たちはなるほど、こうした映画や文学作品では泣くだろう。でも現実にスティグマを背負った者が目の前にいたときに、この映画を見て感動したからと、態度が変わるだろうか。おそらくそれは、ない。そうしているつもりは本人意識的になくても、きっと排斥する側に立っている。
さいご、金日成の首から韓国大統領府へ矛先を変えた特攻隊が歌う歌は北韓の歌。これを見ていると、社会主義国、資本主義国というくくりはあまり意味をなさないことがよくわかる。X主義だろうと、集団利益の犠牲になる個人は出てくる。そのことを感動的に描ける人がいれば、泣いてもらえる。そしてそのあとも、また出る。ずっと。
追記: それにしても、韓国も日本とメンタリティーがよく似ているねー。ウェットで家族で泣けて、その”とき”の秩序に異議を唱えるものを嫌う。実は主義主張の内容が問題なのではないのだろう、といつも思う。その”とき”、皆が興奮していること、○と決まったことに、ちょっと待て、と言われることを非常に嫌う。というか、怯える。
内心、東アジアに真のレジスタンスは存在しない、できない気がしている(異民族支配に対する抵抗は、異民族に対してはレジスタンスだが同族内では花丸の行為でニュアンスが異なる)。
何が非国民か、というのは難しい。大体、そういう区分けができるのか。祖父もエンサイクロペディアの訳に事典を造語して当て、日本で最初の百科事典の初代編集長をつとめ世に出した人だ。十分日本の文化に貢献していると言える。文化や経済がらみだと、潮流に乗らなくても非国民呼ばわりされないが、戦争がらみだとされる感はある。
”地方で何が起きているか”−シンセミア、映画「下妻物語」
活東庵公開日:2004.7.8
−この題、シンセミアを紹介する新聞書評にあった言葉です。両方に通じるものがある気がするので使いました−
両方とも、むちゃ面白い。シンセミアは暴力的との話もあるが、大河になっている。この若さで破綻なく、過去から現在へつなげて今の時代を描けているから、たいした才能。しかもほぼ全編東北弁で会話が進む。これだけ、いわゆる”素朴で人の良い田舎者”のイメージのためでなく、人生すべてを描写するために東北弁が使われたことはなかったのではないか?東北弁で謀議もはかれば、色恋も語り、事件も起こる。骨太の物語、壮大な叙事詩は、衰弱した中央よりも、周辺に芽生えている感がある(音楽シーンを見ていても同様)。
下妻物語は文句なく面白い。立ち見券待ちもずらりと並ぶ盛況、深田恭子の筋金入りロリータぶりはかわいいというよりも格好よく、土屋アンナの実はお嬢レディースぶりは格好いいというよりもかわいい。演出もテンポよく、伝説のレディースにはアニメを使用するアイデア、配役、かなりの部分監督の力量の勝利(脚本も中島哲也監督だし)という気がする。最近話題の脚本家宮藤官九郎は、男同士を描く場面は活き活きしているのだが、女性がステレオタイプで、実はあまり面白くない。おいてきぼり感があって、いまいちのめり込めないのだ。この監督は今後要チェックという気がする。
追記:2005.1.8
「新潮」12月号天皇小説について解説した評論に「シンセミア」も分析されている。この評論自体力作だが、シンセミアにこうした側面があったとは気付かなかった。「シンセミア」の作者は現在別作品で芥川賞にノミネートされている。−芥川賞受賞-2005.1.14
ゴー外!
活東庵公開日:2004.9.19
しごくまっとうなこと書いている。以前、薬害エイズ問題から”あやまってよ厚生省”運動の後、運動やっていた人々は日常に戻るべきだ、と言ったとき、すごくまともなこと言ってるな、と思った。私もNGOにいた頃、似たようなことを感じたからだ。しかし運動やっていた若者やリベラル系から反発され、その後右のように言われ始めたが(薬害エイズの頃はむしろ左のように語られていなかったか?)、これを見ると右とも距離がある。普通、何かのシンパになると、その悪い部分にはどうしても目をつぶりがちになり批判を控えるが、それがなく、おかしいことをおかしい、と言えるだけなのかも。バランス、というのもわかる。ある勢力がメジャーな場合はそちらを叩くべき、という感性。そして現政権のあざといまでのマスコミ操作について(これは他でも結構書かれてはいるが)、大手マスコミがあからさまに書かない部分をはっきり書いていて、なるほど、と思うと同時に大丈夫?と一抹の不安も。(言論統制の怖さは聞いているので−過去ログ煽られやすい人々、祖父の戦争中の日記から)
華氏911
活東庵公開日:2004.9.19
これもしごくまっとうなことを言っている。映画評などで、すでに結論を決めて作られたドキュメンタリー、あまりに作り方があざとくレベルが低い、という意見がほとんどだったので、期待していなかったのだが、この程度なら逆バイアスのかかったニュース、報道その他沢山あるじゃない。ほとんどのTV報道、新聞報道、特に大手のものは、同様にレベルが低いことになる。イラク戦争関連だけでなく、少数民族がらみのものでも旅行番組やグルメ番組なんかで、きれいきれいに(その”国”にとって口当たりよく)描いているものをよく目にするし。むしろ華氏911のような視点からの報道もどんどんなされて良い。大統領選挙や石油利権絡みについてはよくわからないが、報道されない米軍の棺、イラク民間人に死傷者が多く出ている、空爆にあったような(!)過疎の田舎町の貧しい青年が”愛国”の戦争に志願し支えている、これらを伝えるだけでも重要だし、言葉よりも映像を交えた映画は雄弁だ。
それにしても、アメリカの地方も”空爆にあったような"過疎なのか。世界中で毎週100万単位で人々が地方から都会に流れている、というのは本当なんだな。
最近見た芝居から-2004.10
活東庵公開日:2004.10.18
今年見た中で一番良かった舞台は、大川興行の「Show the Black!」。メジャーでなくても良い舞台をやっている人々はちゃんといる。
青い鳥「シンデレラ」
かつて話題を呼んだ同劇団の舞台の再演もの。80年代の言葉遊び芝居を彷彿とさせ、異形の行列や既存の童話の解釈しなおし等々に、そうそう、サブカルチャー全盛の雰囲気、てこんなだったなあ、と懐かしいが、今となっては少々古い。あの頃は、破壊したり異議を唱える対象があっただけ、明るかったというか甘えていた、と感じる。
阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史は結構よいと思うのだが、あまりに露悪的との批判も多い。しかし、こうした芝居を見ると、長塚は今を捉えてる、と改めて思う。第二次小劇場ブームの80年代−90年代はじめは、長塚的世界はありえなかったろう。今の若者はきついと思う。廃墟、残骸の中から立ち上がるトコロを見い出さねばならない。
鳥○実
最近回りで話題にあがり、気になった。渋谷公会堂も若者でいっぱい、しかも男の子が多い。一人で来ている人もいるが、大抵は友だち連れ。ひょっとして自分がこの会場の最高齢?と思えるくらい、客層若かった。内容のコメントは避けるが、やばいネタに結構受けがいい。やはり重慶のサッカー場のブーイング騒ぎに頭に来ている人も多いか。若者のプチナショナリズム、右傾化が言われていることを、多少実感した。こうしたもやもや感に対して、道筋をつける冷静な思想が出てこないと、興奮した何かに絡めとられる人々が続出する可能性があるかも。
宝塚
今年見たのはスサノオ、オペラ座の怪人、月組の新トップお披露目公演の3本。フォーラムに書き込もうかと思ったが、辛口で煙たがられても嫌なのでこちらに。
スサノオ:はっきり言って駄作。新感線のアテルイはエンターテインメントとしても上位の出来だったが、こちらは脚本が悪すぎ。こうストレートに主義主張を生煮えのまま出すんだったら、別に演劇でなくてもよいんでないの?評論か時事エッセイにすれば?
オペラ座の怪人:この解釈の場合(純粋で性格破綻していない青年ファントム)、これだけ人殺してたら、やっぱやばくないか?最後泣いている人たち(観客)に結構違和感。某会議室で「地下にくるやつを考え無しに殺したり」「ファントムにはこれまたかっこいい手下が多数?、最初はファントムの脳内妄想かと思ってたのですが」「まとめ:一番の怪人は息子をこんなところで育てたおとうさん」とおちゃらけながらも本質突いて書いていた人がいたが、コアファンから反論されていた。でも、このとうりと思う。主役が見た目格好いいから許されているだけで、たとえ親の愛云々の複線があったとしても作品的には問題あり。元の公演では、手下は地下に住み着いた浮浪者だったそうだが、その設定なら納得、おそらくファントム自身も元の設定では性格破綻者、それでも愛に触れて最後に人間味を見せる、というものだったはず。そこが崩れて最初から親の愛を求めるまっとうで純粋な青年となっては、”それならこれだけ人を殺してはおかしいのでは”と思えてしまう。宝塚の限界か。蛇足ながらオペラ座のプリマも、声量と演技力からみればトップ娘役でなくカルロッタ役の人のままでよい、と思える。これもビジュアル重視ですべてが決まる宝塚の限界。(ちなみに、他のバージョンのオペラ座の怪人は見たことないため、比較はしていません)
月組の新トップお披露目公演:はっきり言って学芸会のようだった。脚本が悪いか、演出が悪いか、出演者の力量不足か判別不明。おそらくすべて。
なんだか、相対的に最近の宝塚のレベルは落ちている気がする(特に芝居)。なぜこんな内容を敢えてここに載せたかと言うと、宝塚は宝塚で頑張ってほしいため。
日展
活東庵公開日:2004.11.22
毎年秋になると日展に行く。特に習慣づけたわけでもないが、何となく十数年前から、秋になれば上野に出かけるようになった。入場料が手ごろな割には良い作品が多いこともあるし、高名画家や美術館等を冠にした展覧会のように並ぶことなく、適度に混雑した美術好きの集まる会場の雰囲気が好きというのもある。日展に来て作品に囲まれ、集う人々の熱気の中にいると、世の中で何が起きていても、一方では真善美を地道に紡ぐ人々がおり、それを求める心も健在なのだ、と思う。
特に美術に詳しいわけではないが、何年も通っていると前年心に留めた作風の作品が、今年もまた出ていることに気付くようになる。毎年春の川べを描く人、林の奥の家を描く人、冬の雪山、早春の田畑、待春、陶土といったテーマ、あるいは安曇野、最上川といった特定地域を描き続ける人々がいる。必ず壊れた人形をモチーフにシュールな作品を出す人もいる。
こうした十数年前からなじみの作品群に加えて、ここ数年、新しく目に留まる作品も出てきた。雨の街、道路、街中の一画を静物画のように切り取って描く人々である。やはりテーマ、こだわりはあるようで、昨年雨の街を描き目にとまった人は、今年もまた雨の街を描いている。
今年は、あれ、と思った作品の作者名を見ると、女性であることが多かった。その半数近くは女性の作品だったように思う。彫刻にもなかなか凄みのある作品があり、見ると女性だった。数年前から気になる幻想的な絵を描く人も女性だ。
会場に来る人は老若男女偏りがない。気に入った作品の絵葉書を買ってゆく人も多い。私も保存用とちょっとした際の使用用に毎年購入している。これが全作品あるわけではなく、作者が委託した作品のみなのだが、探した作品の絵葉書が見当たらず、この点を確認している人も多い。ある若いカップルの女の子が「『第三倉庫』ないかな、あと自転車のやつ」と言っていた。”自転車”は他の若い子も探していた。私も麻袋4つで倉庫を描いた作品と、風化をテーマに自転車を描いた作品は気になっていたので、できれば欲しかったのだが、どの売り場にもなかった。作っていないのかもしれないし、最終日前日で売り切れていたのかもしれない。来年は早めにいかないと、と思った。
草の乱
活東庵公開日:2005.1.8
映画そのものは史実を忠実になぞった感じで面白味に欠けるが、当時のようすはよく出ている。村人役のエキストラもよい表情の人が多い。見ていてきだみのるの「きちがい部落」を映画化した渋谷監督作品を思い出した(閉鎖的な山村で凛として生きる淡島千景が印象的)。
ところで、この当時の状況は今の中国の農村によく似ている。役人による勝手な取立て、お上と癒着した高利貸し、それに対しやむにやまれず立ち上がる農民、そして熱意ばかりが空回りし準備不足による徹底的な敗北。
この後、一つの価値観に統一された軍国主義の社会が来たが、それは一部のプランナーだけによるものではなく、それに生きがいを求め自ら進んで参加した人々もその到来を誘ったのだろう。そう考えると、今中国各地で起きている地方の騒乱や陳情団の行方は結構気になる。
シベリア少女鉄道
活東庵公開日:2005.1.8
最近若者に人気の劇団ということでチェック。確かに客席は若者だらけ、こちらがあまり面白く感じない場面にもよく笑う笑う。ビデオを多用しており、これがなるほどという興味深い使われ方をしていた。緊急手術など緊迫した場面になると、登場人物それぞれについて別々のビデオ画像が同時に流れ、どの人物もそのビデオの内容に沿ったセリフを吐くようになる。会話はかみ合ったりかみ合わなかったり。舞台で繰り広げられる場面と10近いビデオ画面を同時に見なければならないのでせわしないが、客は大笑いしている。この手法により、誰もが各自の個人的シチューエーションから得た言葉を発するものなのだ、そうした言葉しか発せられないものなのだ、ということを如実に実感させされる。
『虚無と距離』
中沢けい 新潮12月号活東庵公開日:2005.1.8
新聞コラムでこの評論が紹介され興味を持った。羽田圭介、金原ひとみ、綿矢りさらの作品を生み出す背景に関する示唆に富む分析だ。共同体からの解放、個へと解体されることによる、羽田の名づける”黒冷水”の”発見”。古い世代はおそらくフィクションだ、現代の病理だ等言うだろう。しかし中沢氏は、飢えや貧困はその存在を隠す役割を果たすだろうが、元から存在していた、社会病理でもゆがみでもない、と言い切る。そして綿矢はそれを蹴飛ばすという大胆な方法を発見したとユーモラスに解説する。いったん遠くへ行くが、決して消えたわけではない。この評論やこれらの作品は、人間存在の根本に関わる重要な内容と感じた。半村良の「葛飾物語」なども好きなのだが、こうした存在にも目をそらすわけにはいかないのだ。
新生OSK
活東庵公開日:2005.2.20
1月に関西へ行った際、OSKの若手公演を見てきた。桐生麻耶が主演ときいて、これは見逃せない、と弁天町に新しくできた世界館へ行ったのだが、やはり華があってよい。歌はどうかと思っていたが、リズム感がかなりあり、ロック調もばりばり歌えそう。宝塚に比べてお金がないが、小劇場からも良い役者や劇作家が育っていることだし、めげずにスターになってほしい。素材はいい。芹まちかによるショーとその振り付けも、少ない人数にも関わらず、舞台が賑やかで充実していた。
信長と日本人
秋山駿著 飛鳥新社活東庵公開日:2005.3.20
重要なことをいろいろ述べている。読みこなせていないので、再読する必要があるが、言葉の持つ力の重要性を様々な方向から言っている。「言語化できない人がその表現手段として犯罪を起こす」「日本にも『戦争と平和』のような文学が生まれるべきだ」「日本人は、アメリカでも誰でもいい、指をさして恨め」等々。
ある一つの方向に走り出すとき、必ず言葉が使われる。それは、スローガンだったりするのだが、皆同じことを口にするようになる。文化大革命のような意図的なものだけでなく、会社や学校など、ある集団がある方向に向かうとき、その集団内の”輿論”が急速に一つにまとまり、集団内の大多数が皆同じ言葉を吐くようになる。これも一種の言語化だ。言葉によって方向付けがされる。
だから言葉は大事だ。さまざまな運動や活動と同じくらいに。
中国や韓国とのことも、もっと考えるべきなのだろう。先の戦争のことも。タブーを設け思考停止をしないで、思いを言語化する。
対岸の彼女
角田光代 文藝春秋社活東庵公開日:2005.9.26
言わずと知れた今年のベストセラーの一だが、読んでいて"この感じ、この感じ"という家族状況、"友人"関係がしんしんと伝わってくる。過去の記憶をすりかえる母親、それに違和感を覚える主人公、昭和40年代以降の母親たちは多かれ少なかれ、この類似ではなかったか。
立川の連続幼女誘拐殺害事件、神戸の某事件が起きたとき、当時五十歳前後の母親だった同僚が「両者ともおじいさんやお婆さんが好きだったのよね。なぜかしら」と言った。
私は「それはわかる気がする。私も祖父母のほうが確かに生きている気がして好きだ」と言うと、「うちの子たちもそう言うのよね。どうして?」と彼女。
「あの世代の人たちは見栄張って周りを気にする感じがない。生きるためにいろいろな職業について、他人をきょろきょろ気にする暇もなくひたすら生きてきた。根本的に価値観がうちの親の世代以下とは異なる気がする。今の(1995年当時)50代以下はサラリーマンの価値観がほとんどで、いったん会社を辞めたら終わり、とかレールを外れたら終わり、という感覚が強い。70代以上は生業も生き方も多様で、サラリーマンやその主婦感覚とは全然違う価値観で生きている。だからだよ」と答えた。すると全共闘世代の彼女は「私たちの世代、て嘘が多いのよね」と呟いた。
いや、彼女の世代だけではない、そのちょっと上から下が皆そうなのだ、と私は感じる。
少子化が言われているが、働き続けながら子供を産める社会を、そのためには斯く斯く云々の政策を、と言われているが、それは違う、もっと根本的な問題だ、という気がする。子供を欲しがらない人々は(よく女が責められるが、何度も言うように悪い女が増えている、ということは悪い男も増えている、ということ)、心のどこかで悲しみの輪を再生したくない、という気持ちがあるのではないか。
児童文学などを見ても、戦前や戦後まもない頃のものは、生活は過酷でも情は豊かで、良い友や兄弟、家族、近所の某がおり、心から泣いたり笑ったり感謝したりするときがあった。今の子供に、本当に心から笑える状況があるのだろうか。
あるいは、人は歳を取り死が近づくと、若い頃の思い出が鮮明に浮かぶという。竹馬との友の思い出や、遊び道具から手作りした思い出、家族と囲炉裏を囲んだ夜の思い出が蘇る、とよく聞く。今の子供は、一人でテレビゲームに費やした時間と日々を思い出すのだろうか。あまりに寂しいじゃないか。
基本的に映画もテレビもゲームもディズニーランドもシミュレーションだと感じていて、そうしたシミュレーションにはまり夢中になるということは、生が希薄になることとつながるような気がする。
親がその子供時代を楽しそうに語るほど、自分の子供時代は楽しいものじゃなかった、そうやって子供に語れる子供時代が、自分にはないなあと思うと寂しい、と言う40代の人は多い。別に遊ばなかったわけではない。彼女らも私も、子供の頃はおそらく今の子供とは比べ物にならないくらい、外遊びをしていた。
(80年代までは家の前の公園で夕方遅くまで遊ぶ子供の声が聞こえていたが、10年以上前から聞かなくなった。近くに小学校があり子供はいるので、今の子は外遊びをしなくなったと実感する)。
それでも、思う、特別に過酷だったわけでも嫌な思い出があるわけでもないが、あの特別に楽しくもなかった子供時代を、また繰り返すのか、あの道を再び繰り返すのか、と漠然と思う人は結構多いと思う。「日本の家庭、てなんか楽しくないよね」「途上国ならもっと気楽に子育てできて、子育ても楽しいと思うけど」と言う人が結構いる、ということが、その証左だと思う。
またあの繰り返しか、そこを抜けても今いるここか、それ以下かもしれない、という感じ。本の終わりはもう少し希望の片鱗を匂わせているが、そんなことを、あれこれ考えさせられてしまった。
野川
古井由吉著 講談社活東庵公開日:2005.9.26
老境について書かれた小説。理由はうまく説明できないが、しみじみと迫るものがある。さほど親しいわけではなかったが、学生時代から旧知だった知人の死を描いた部分など、特に。ほとんどの小説は図書館で借りて一読すれば終わり(ベストセラーものはたいていそう)だが、これは一読して買おう、何度も読み直す本だ、と直感した。自分もそろそろ老いについて考える歳になった、ということもあるが、漂う情感、いやそれだけでなく、おそらく社会全体が黄昏の空気に包まれるだろうことを予感する中、彼の書く小説が非常に気になるのだ。今後注目だと思う。
同人誌「OHKSH(オークシュ)」
活東庵公開日:2005.9.26
周りに同人やっている人が結構いるのか、ときどき勝手に「読んでね」とくれることがある。大抵はどうしようもない代物で、コメントする気にもなれずそのままうっちゃっているが、一つ、注目している同人誌がある。まだ準備号しか出ていないが、OHKSH(オークシュ)だ。基本的にメンバーがよく、すでに三田文学や評論の新人賞をとった人もいるが、そうしたメンバー以外にも、今回の準備号で成長 著しい人もおり、大いに期待している。神話系に特異の語りの才能を見せるSKさん、現代社会の不安を描くのがうまいOY君。ここに某同人誌初登場で暴力的な内容を扱い非難轟々だったTM君も四国から参加したら、最高なのだが。みな書くのをやめずに続けてほしい。
ドラマ「ドラゴン桜」と「女王の教室」
活東庵公開日:2005.9.26
両方とも初回からほぼ全回見る。ドラマを1クルー続けて見たのは久しぶり。両者とも、似非人道主義や平等主義に異を唱える方向の作品で、特に女王はその破壊度が強く毒も強いが、思わず快哉してしまう部分も。ドラゴンは見ていて元気になる部分がある。東大を受けようとはさすがに思わないが、何かをやる気にさせる力がある。女王は、日テレのサイトに小学生からの書き込みが多く、そのほとんどが、まだ世の大人たちの多くがこんな酷い内容の番組を9時代に流すなんてと生理的な拒否反応を示す中、女教師真矢を支持する内容だったという。ここでも”嘘くささ”への反撃がある。ただ、両者とも、最後にドラゴンと真矢の意志を継ぐのが、元は人道平和平等を口にし彼らと対立するリベラル系教師だということ。そのときの空気でどちらにでも流れるデモシカ系教師は、両方で問題外扱い、空気を規定する役割しか担っていない。これも面白いと思った。
ただ、つくづく思うのは、昔の学校、て、そして途上国の学校、て、基本的に純粋に勉強を教えるところではなかった(ない)か?外で過酷な現実があり、それが学校へ行けば勉強ができる、友達もいる、という。ところが今の日本では、学校で過酷な現実を教えようと真矢やドラゴンが必死になっている。なんか変ではある。過酷な現実は、現実そのものから教わるべきもののような気がする。またそれは、もしほかが代替するなら、学校だけではなく、家庭でも教えるべきことのような気がする。別にわざといじめて鍛えるやり方はとらずとも、ルールは守る、とか、世の中こうだよ、と。
『民間防衛』
活東庵公開日:2006.3.16
『民間防衛』というスイス政府が発行し、スイス国内の各家庭に配布されている本がある(日本語訳は原書房から出版)。心構え、有事に備え蓄えるべき食糧や医療品、救急医療、戦争状態になった場合のシミュレーションによる例示とその具体的な対応策などで構成され、前文には次のようにある。
「スイスは、侵略を行うなどという夢想を決して持ってはいない。しかし、生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国によって踏みにじられることは断じて欲しない」
「将来われわれに何が起こるかは、誰にもわからない」「われわれの平和な生活をその手中に握っている強大国が、理性的であり賢明であることを、心から希望する。しかし、希望を確実な事実であるとみることは、常軌を逸した錯誤であろう」
「戦争は、心理戦の形態をとるようになり、誘惑から脅迫に至る、あらゆる種類の圧力を並べ立てて、最終的には、国民の抵抗意思を崩してしまおうとする」「われわれの記憶に残っているところでも幾つかの例があげられるが、ある国のごときは、防衛の態度を何ら示さないうちに敗北し、占領されてしまった。なぜかと言えば、それは、その国民の魂が、利害関係のある「友人」と称する者の演説にここちよく酔わされて、少しずつ眠り込んでしまったためである」
おそらくナチスや旧共産主義国家のたくみな宣伝に対する反省や警戒があるためと思うが、こうしたメディアをも利用した宣伝をいかに読み取り、抵抗力を養うかについても力説している。S国タンカーがT国潜水艦によって撃沈された、ではじまる具体的なシミュレーションを展開して、それに対するメディアの反応とその読み取り方、侵略を意図する側のたくみな宣伝および極右の主張の例(「敗北主義−それは猫なで声で最も崇高な感情に訴える」とする一方、「心理的国土防衛に専心するあまり、政治的過激主義に陥ることのないよう用心しなければならない」と説く)、真にレジスタンスを担いうる勢力の見分け方、その失脚を狙った謀略の例、一時的に占領された場合のレジスタンスの展開の仕方、など、非常に具体的である。興味深いのは、レジスタンス活動と、レジスタンス活動としての軍事行動を峻別していることだ。レジスタンス活動としての軍事行動はプロにまかせるべきであり、民間人は関わらないよう説いている。一例として、ある村で酔っ払った占領軍兵士により教会が荒らされた、それに対し怒りにかられたある村民が兵士の一人を射殺した、その報復として村民の虐殺が始まったというシミュレーションを示し、「これら犠牲者の血は無益に流されてしまった(中略)。われわれの力を浪費しないようにしよう。われわれの勇気を無駄に使わないようにしよう。待ちに待つことが大切だということを、だれもが理解せねばならない」と結んでいる。
賛否両論あるだろうが、日本では一般にタブーのように扱われ思考停止に近い状況にある事柄について、一方語る人はタブーに真っ向から挑戦する意気込みで語るためいきおい過激になりがちな内容について、こうして包み隠さずとりあげられていることが新鮮だ。ただ、独立自尊の精神の強い民族と、お上にぺこぺこしがちな東アジアとでは、こうしたものを配布した場合、ニュアンスがまったく異なってくるだろう、という感じはある。おそらく漠然と義務化され相互監視もあるだろうし、自衛というよりは「言われたからやったんだ」という人が多いだろう。
『大本営参謀の情報戦記』
堀栄三著 文春文庫庵公開日:2006.4.20
前回中国にマイナスの内容を書いたので、バランスをとって今回はアメリカに関わる内容とする。
この本を読むと、どの国も”したたか”だと感じる。日本にとっては正義の味方のように感じている人も多いアメリカだが(特に敗戦直後に小学生として戦後教育を受けた世代にとっては一種理想の国だろう)、大正10年からアメリカは日米戦の準備を進めていたという海兵隊少佐の証言があり、真珠湾攻撃にトルーマンも実は喜んだという。最近出た毛沢東の伝記でも、毛沢東は日中戦争を国民党を駆逐する良い機会、と実は喜んだとある。それぞれ様々な計算、利害があり、単純にはゆかない。
フィリピン戦に関する部分でも、米軍が故意に偽札をまぜた紙幣をばらまきインフレを極端な起こした、日本軍は銃火のみだが米軍は経済と民心も利用した、一筋縄ではゆかない狡猾な戦法を実施した、とある。
航空戦での戦果の過大報告と、それによる甚大な判断の誤りに関する言及があるが、昨年読んだ太平洋戦争関連本で、第一次大戦時にイギリス軍でも戦果の過大報告があり、それにより重大な判断の誤りを招いたことから、第三者による戦果の確認を徹底するようになった、という内容を読んだ記憶がある(時間ができたらその本を確認し、題名を載せたい)。
蛇足だが、民間人をおいて逃げ出したのも、関東軍だけでなく、ドイツ軍にもあったことが『ベルリン崩壊』に出てくる。(この本については後日改めて書く予定だが)おそらく、こうしたことはこれまで古今東西で何度も起きていたことだろう。”国”の軍隊、というのは、基本的にそういうものなのかもしれない。あまり信用したり、忠誠を誓うのもむなしい可能性がある。もちろん、ばらばらで良いわけはないが、”お上の言うことだから”という盲信もまずい気がする。(なかにし礼の『赤い月』の特に上巻は、国に捨てられる状況がどういうものか、よく描かれている。)
さらに、本書でも精神主義の誇張の弊害が記されているが、ドイツ末期でも同じく神がかり的になったり、”新兵器”を待ち望みそれで一発逆転できるはず、という期待を一般人が語り合う部分が『ベルリン崩壊』に出てくる(ドイツの場合、原爆開発を急いでいたからあながち嘘でもないだろうが)。やはり、どの国も末期症状は似てくるようだ。
日本人の欠点を嘆いたり、他国をどうこう言う前に、状況が悪化すると、そうしたことが誰にでも起こりうる、だからそれを防ぐにはどうしたらよいか、という方向に向かうべきだろう。
著者は冷静に当時を振り返り、書いており、寺本中将の「軍人には軍事研究という大変な任務があったのに、権力の椅子をほしがって政治介入という玩具に夢中になりだした」という言葉も含め、言っていることや引用している内容は含蓄に富む。
『だますアメリカだまされる日本』(原田武史、筑摩)に書かれた内容、アメリカ論も一読に値する。
漫画『嫌韓流』
活東庵公開日:2006.5.20
”中国/韓国 ”のほうに載せています。こちら→漫画『嫌韓流』
『逝きし世の面影』
渡辺京三著 平凡社ライブラリー庵公開日:2006.8.27
”歴史・地方・農業 ”のほうに載せています。こちら→有機、江戸時代、そして従征日記
『中国人の99.99%は日本が嫌い』
若宮清著 ブックマン社庵公開日:2006.7.10
”中国/韓国 ”のほうに載せています。こちら→『中国人の99.99%は日本が嫌い』
『中国人と日本人』
日中出版庵公開日:2006.8.05
”中国/韓国 ”のほうに載せています。こちら→『中国人と日本人』日中出版
『同日同刻』
山田風太郎著公開日:2006.10.31
昭和16年12月8日前後と、20年8月15日前後について、さまざまな同時代の記録を集めた内容。これを読むと、日本は調子に乗りすぎたのだ、とつくづく思う。日清日露で勝利した、その程度でよい気になりすぎたのだ。それで百年植民地経営をしているイギリスや国土も資源も生産力も巨大なアメリカに比べ、軍艦の製造トン数を低く落とされたことを不満に思うなど、自惚れてしまった。石油をとめられたなどによる、やむにやまれぬ戦争というが、そういう状況にしたのは自分かもしれない。今の北某国のように。確かにそっちは既に植民地を持っているではないか、核を持っているではないか、というのは理屈として通るが、一方まだ持っていないところも多く、そこは草刈場か人質だ。東アジアはプライドや面子、恥の意識が行動を決断する重要要素になっているのかもしれない。現実には割りに合わなくても。
ところで、ここに収集されている原爆の状況は悲惨を極める。下の『戦争と罪責』の中国人捕虜の話と合わせて読むとよいかもしれない。
『戦争と罪責』
野田正彰著 岩波書店庵公開日:2006.10.31
”中国/韓国 ”のほうに載せています。こちら→『戦争と罪責』
『インドの時代』
中島岳志著 新潮社公開日:2006.10.31
現在のインドの状況がよくわかる本。もはや”インド的混沌”とは無縁の無菌化された都市生活を送るインドの中産階級と、その精神的ストレスに悩むようすが報告されている。ヒンドゥー教にも原理のような極右がおり、歴史的事実丸無視のトンデモ本や主張がなされ、支持を集めているという。それによれば、パキスタンやバングラデシュはもとより、ミャンマーまでインド領ということになっているらしい。なぜミャンマーが?支配した事実はないのでは。常々思うのだが、各民族や国が主張する領土はその民族や国の最大版図をもとにしていることが多く、それぞれタイムラグがあるので、地球がいくつあっても足りない総面積になる。
著者も後書きなどで書いているが、貧しいが精神的に豊かなインド人、という一時代前のバックパッカー的視点、ステレオタイプ化した視点にずっと違和感があったという。ヒンディー語の得意な著者はヒンディーによる一次資料を駆使して、現在のインドはそうした位置からすでに大きくずれていることを示している。
『ジャングルの子』
ザビーネ・キューグラー著 早川書房公開日:2006.12.10
ニューギニアのファユ族の中で家族とともに暮らし、成長したドイツ人女性の実話。物怖じせず、ファユ族の子供たちとまったく同様に遊びまわりジャングルを知り尽くす彼女自身も魅力的だが、両親の子育て態度にも感心する。他人を笑ったりいたずらが過ぎると、食事とともに外に放り出す。ジャングルの中でもそうした子育てを自然に貫ける強さに、日本の家族に欠けているものを感じる。両親のファユ族との付き合い方も見事だ。言葉の聞き取り調査の手伝いに興味を示さない現地スタッフに、怒ったり、「だからXX人はだめなんだ」とすぐ悪口を言うのではなく、どうしたらその重要性がわかってもらえるか考える。そして良い方法を思いつき、やってみると、確かに彼は重要性を理解し協力的になるのだ。この手の、どうしたらわかってもらえるか、といつも考え、自分の力で危機を乗り越え信頼を得てゆく部分が随所に出てくる。
ところで、ファユ族では長年”戦争”が続いていた。ファユ族は4つの支族に分かれ、お互い抗争し続けていたため、人口もどんどん減り、かつては栄えた文化も衰退しつつあった。この白人一家が来たとき、実は彼ら自身も”戦争”はやめたい、と思っていた(酋長自らそう語る場面がある)。でも、やられたらやり返すことが正義とされる文化だったこともあり、止められなかった。A村の誰かが殺されたら、相手のところに乗り込み殺しに行く。相手方では新たに殺されたことになるので、またA村に殺しにゆく必要が出てくる。
幼女から中学生頃まで過ごしたザビーネは、当初村の子供たちがまったく笑わず、遊びもせず、いつも何かに警戒していることに気づく。遊びを教えてゆくうちに、子供たちも遊んだり笑うようになるが、結局”戦争”で村が攻撃されることに常に怯えていることを知る。ザビーネの父親が、そうした部族間の”戦争”をやめるよう働きかけ、最終的に終結するのだが、この「実は皆も内心やめたがっていた」(でもきっかけがないため、やめるにやめられないできた)という点がとても興味深かった。これは国単位でもある話だ。
また、歴史が語られない文化は確実に衰退しつつある状況にある、という話も興味深かった。父親は、ある老人からファユ族の由来を聞きだす。そのとき、老人の孫でザビーネの親友の男の子も一緒だったのだが、彼は初めておじいさんからそういう話を聞いたという。ファユ族の社会では、戦争が原因か人口減が原因か、とにかく歴史や過去を物語る力が衰退しつつあったのだ。現在では”戦争”が終結し、怯えて暮らす必要もなくなり、人口も増え寿命も伸び子供も学校で学ぶようになり、ファユ族の暮らしは良くなっている。自分の歴史を知らない、親も語らない(語れない)というのは文化状況としてかなりまずい状況を示していたことが、このエピソードからもよくわかる。集団単位が数百人規模だと、こうした話がわかりやすく現れるが、巨大な社会の日本でも、実は当てはまることだと思う。
『南京事件の日々』と『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
大月書店公開日:2006.12.10
”中国/韓国 ”のほうに載せています。こちら→南京事件
『自壊する帝国』と『千年、働いてきました』
公開日:2007.2.11
自壊する帝国(佐藤優、新潮社)と千年、働いてきました(野村進、角川書店)から考えたこと。それぞれ内容が異なり、個別に気になる良い部分もあるのだが(千年、の家訓など)ここでは一点、外国との付き合い方について。
『自壊する帝国』を読むと、なじみのなかったロシア人を、急にわかりやすく感じる。佐藤氏がロシアを理解し、彼らの見方から物事を見られるためだろう。その点だけでも、読む価値がある。
『千年、働いてきました』にも、中国はカネでは動かない、志で動く、という社長が出てくる。著者は、中国に進出したものの身ぐるみ剥がされ、ほうほうの体で戻ってきた会社や個人の取材をしたことが何度もあるため、容易には信じられない、と書いているが、中国で植林事業を行っていると、カネでは動かない、志で動く中国人に出会う体験がしばしばあると社長はいう。本人が、茫洋とした、愚直な話ばかりするが原理原則を曲げない人のようで、そういうタイプのほうがかの地では信頼はされるであろう、と著者も書いているが、せっかく育った木を薪にしてしまう地元民に、憤慨落胆するより、薪ではなく育てたほうが現金収入にも未来にもつながると伝えるべきだと社長は言い、「人間の欲というものをちゃんと認めたうえで、環境問題に取り組んだほうがいいんですよ」という。
この社長も、中国人を理解し、その見方がわかる、できる一人なのだろう。こういう人達を見ていると、必ず相互理解の糸口はあると思えてくる。
宮沢賢治と新美南吉
公開日:2007.2.11
宮沢賢治は、危険な思想を内包しているのではないか、という指摘がある。伊坂幸太郎の『魔王』(講談社)などもその流れにあるだろう。
以前、全集を読んだとき、ペンネンネネムの話にはついていけない感を覚えた。そこまでの自己犠牲は、やりたい人は勝手にやったらよいが、人に勧めたり強要はできないと感じたのだ。
ただ、賢治の動物の出てくる物語、特に狐の出てくる雪渡り、茨海(ばらうみ)小学校はすばらしいと思う。風の又三郎や虔十公園林も。なめとこ山の熊、どんぐりと山猫、解釈が難しいが貝の火あたり。自然に動物と人が往還している(又三郎や虔十は人の話で貝の火は動物だけで完結した話だが)。
茨海小学校は突然終わる。狐の校長先生が突然立ち上がって、「ではさようなら」と言う。風の又三郎の元になったのでは、と感じている遠野物語のサムトの婆の話も前後関係、説明が一切ないまま、ぶつりと終わる。神隠しにあった女が突然老いさらばえて戻ってきた、再び跡を留めず失せた、其日は風の烈しく吹く日だった、「されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰って来さうな日なりと云ふ」。又三郎もあまり説明のないまま、突然来て突然去ってゆく。
この突然終わる感じが昔から気になっている。また気に入ってもいる。この世で起きるできごとは、すっきり説明のついた、わかりやすい形で提示されることはないからだ。起承転結はあとから人が補ってつける。見える部分は、あくまで唐突だ。
人と動物が往還する話は、新美南吉にもよいものがある。賢治では人の世界と動物の世界がそれぞれ独立して存在し、ときどき交流がある感じだが、南吉では動物側がもっと人間よりになっている。ごんぎつねも良いが、南吉の場合は、おじいさんのランプや鯛造じいさんの死など、人だけの話に良い作品が多い。南吉のほうが、社会観に普遍性がある。
ところで鯛造じいさんの死は未完のまま終わる。この未完、というところがこの作品の魅力にもなっているのだが、やはり突然の終了である。この続きがどうなるのか、子供の頃からとても気になる。
狐の話その2:知里幸恵『アイヌ神謡集』
公開日:2007.3.25
前回、宮沢賢治は動物の出てくる物語にすばらしいものが多く、新美南吉は人間onlyの話に良い作品が多い、と書いた。賢治には「雪渡り」、「茨海(ばらうみ)小学校」、南吉には「ごんぎつね」、「てぶくろをかいに」という狐が主人公の作品がある。賢治の場合は人の世界と動物の世界がそれぞれ独立して存在し、動物側は人に従属せず主体性をもって自由に人と交際し、場合によっては自らの意思で人との交際を断ち切ったり人を利用したりもするのに対し、南吉の作品では動物側がもっと人間社会に寄った、依存(従属)した形になっている。
どちらかというと無愛想な、賢治の動物もののほうが好きなのだが(人だけの話では南吉のほうによいものが多い)、さらに賢治の上をゆく作品がある。
知里幸恵の『アイヌ神謡集』に出てくる狐は、人間社会からまったく別個の存在として活動しており、人としゃべろう、とか、交際しよう、などと希望するようすもなく、独自に生きている。
「ある日海辺へ食物を拾いに出かけました/石の中ちゃらちゃら/木片の中ちゃらちゃら/行きながら」と狐は一人語る。そして人間の生活を垣間見て(実は幻)撹乱され、結局エサ取りに失敗して連れ合いに怒られつつふて寝した、と一人語る。アイヌ神謡集では、ふくろうやうさぎ、蛙も一人語る。人間に媚びるようすもなく、しかし人を観察し、語る。この妙に擬人化されていない一人語りが、とても気になっている。ここに一つ、まだあまり使い古されていない表現の泉が湧き出ている気がする。
『小児科を救え!』
千葉智子/堀切和雄著 ユビキタ・スタジオ 公開日:2007.4.20
小児科医が減っていると言われているが、小児科そのものをめざしたい人が急減しているわけではないことがわかる。使う薬の量を基準にした診療報酬の低さ(大人に比べ、どうしてもそうなる。時給1500円だという)、大人に比べ手間がかかる(点滴の時間も長くかかるし、注射の際にも、注射する人のほかに抑えたりあやす人がいるなど、人手もかかる)から採算に合わず、閉鎖する病院も出てきている。また夜昼なくやってくる患者に対応するという激務と、比較的女医さんも多いため結婚出産でやめることもあり、さらに負担が多くなってゆく悪循環がある。このため、辞めていったり、新人研修のとき、めざしたいけどあきらめる人も出てくる。訴訟リスクも他より多い。
一般では、救急でもないのにコンビニのような感覚で病院の夜間救急外来を利用する親に対する批判も強い。核家族化がすすみ、ちょっとした熱でも「一晩様子をみて」など親にアドバイスできる人もいないため、不安で病院にくる人が多くなった、また共稼ぎの人も多く、夜しか来られない人が増えたこともある。
そうした現状に対し、ある女医がインタビューに答えて語るには、これだけ生活全体が二十四時間化した今、「最近の若い人は」と言っている場合ではない、病院や医療者側も変わってゆく必要がある、「救急とは何ぞや」と啓蒙しても、初めての子供は初めての子供だから親は不安にもなるだろう、しかも一人っ子が多いからその子の経験が最初で最後という人も増えている、そういう人達を相手に啓蒙しても限度があり、救急の数を減らすことにはならない、小児科は夜間診療が必要な科なのだと割り切って、人員とお金を配分してゆくべきだ、という。
この発想の転換は重要かもしれない。そのためにも、夜間診療を昼の医者の当直だけに頼らず、人を配置して過労を防ぎ、診療報酬制にも手を入れる必要があると感じた。
また、別の医者がインタビューで、夜間の患者が増えていることについて、社会全体の不安が強くなってきている、ということもある、漠然とした不安感を持つ人が増え、夜に不安が強くなり病院にやってくるのではないか、不安を持つ人にとって、特に夜は不安が強くなる時間帯ですから、と語っているのも、引っ掛かる。
なお、著者は小児科医だった父親を過労で亡くした、小児科医の女性と、東京新聞に印象的なエッセイを連載していた、難病の子供を持つライターの男性。
『戦争という仕事』
内山節著 信濃毎日新聞社 公開日:2007.6.21
題名がいまいちで、反戦ものと思われそうだが、基本的に生き方を問うている本。使っている言葉、表現は平易でわかりやすいが、かなり哲学的な内容。何度も読み直したい本だが、ここでは1つだけ。
「資本主義ほど効率的な経済システムをほかに知らない」と資本主義を支持したケインズは、資本主義は必ず人間を頽廃させ、社会を頽廃させると予感していたという。資本主義が効率的なのは貨幣を交換手段に用いるからだが、やがてその貨幣が経済の目的になり、そうなると真面目に農業をしたり物づくりをするよりも、投機的な活動のほうが手っ取り早くなってゆく。この風潮がひろがると、人間も社会も頽廃してゆく。そこでケインズは、国家による経済活動への介入を求めた。しかし、国家の政策によって頽廃を遅らせることはできても、解決にはならないだろう、と資本主義の未来に対しては悲観的だったという。
なにやら、”1000年働いてきた”組織をも投機の対象にする、今の状況を連想させる言葉である。
ケインズは、「ソ連の実験は必ず失敗するだろう」と言いつつ、ソ連にかすかな期待を抱いていたそうだ。内山氏は、資本主義と社会主義はいわば時代の双生児で、まったく異質の社会同士ではなかったとしている。煮詰まってきている資本主義に対するものとして、都市に対する村、自然の中で「おのずから」働き生きることを語っている。ある意味平凡で結局そこか、という感じはするし、社会主義が出てきたときのような興奮、歓喜が湧き上がるべくもないが、やはり結局はそうなのだろう。声高な興奮した声よりも、静かに続く声なのだろう。
『キャプテン』
公開日:2007.9.7
マイナー映画だが、ちばあきお原作の漫画キャプテンが映画化され、公開されている。当時、『キャプテン』と、主人公谷口君が高校に進んだ『プレーボール』の大ファンで、全巻そろえていた。イチロー選手や新庄選手も、子供の頃にこの漫画を読んで野球を始めたそうだが、野球に限らず、運動部をやっている中高生には通じるものがある。
中学高校大学とバスケ部だったが、夏の練習がきつく、毎日、今日こそは部活やめてやる、と荷物をすべて持ち帰っては、丸井キャプテン下での夏合宿のくだりを読み返した。そして、1年生が「なにも(ボールなんか)とれなくたっていいよな」と言ったり、泣いている場面に「そうなんだよなあ」と慰められた。別にそれで苦しさがなくなるわけではないのだが、なんとなく落ち着き、結局部活辞めると上級生に対して言い出す勇気もなく、翌日また練習に出かけた。
キャプテンやプレーボールでは、東京の下町の様子が描かれている。どことなくほのぼのした魅力があり、地名からあたりをつけて、荒川をはさんだ四ツ木、墨田、東墨田周辺を見に行ったことがある。京成線の当時の四ツ木駅は、プレーボールに出てくる駅そっくりだったし、墨田区側では、当時の区議会議員のポスターに”イガラシ”と片仮名で書かれているものがあり、ひょっとしてここから命名?と思ったものだ。
荒川沿いの高い堤防わきの家々の前には、物干し竿の掛かった棒が立ち並ぶ。キャプテンでは、イガラシ君が洗濯板でユニフォームを洗っている場面があるが、今ではちょっとありえないだろう。
プレーボールは未完と言われている。
急にばたばたと終了し、単行本で買った巻末で原作者のちばあきお氏が、もともとラグビー(だったかアメフトだったか?今手元にないので確認できないが)漫画を描く予定だったのが、資料収集に時間がかかり、とりあえず野球ではじめた、いわばつなぎだった、というようなことを書いており、当時それを読んで、なんとなく裏切られた気がしたものだ。
その後しばらくして、ちばあきお氏が自殺したことを新聞で知った。
映画キャプテンでは、谷口君も、丸井、イガラシも、漫画のイメージそっくりの子供が演じている。丸井君など、漫画の丸井を実際にしたら、こういう子しかありえないよなあ、というはまりぶり。イガラシ君も、漫画よりは幾分格好良いが、イメージ的にはそっくりで、こういうちょっと小生意気なガキはその辺にいそうだ。敵役の佐野投手もよい。原作ではチビだが、格好良いほうが納得。お父さん役の筧利夫も、原作のイメージとは異なるが、腕の立つ大工の棟梁として存在感抜群。
映画では、大筋は変えないものの、原作では説明不足の部分や、漫画的に誇張され現実にはありえないだろう、という部分を、結構細かくいじっている。サブや、野球部顧問の若い女教師など、原作にないキャラも出てくる。それでも原作の雰囲気を壊さず、かえってわかりやすくなっている。脚本が良くできているのかもしれない。もちろん、良い脚本の前には、魅力的な原作ありきだが。
できれば、まったく同じメンバーでドラマでも見てみたい気がする。でも、視聴率的には厳しいだろうなあ・・・。丸井もイガラシも佐野君も、もっと見たいし、プレーボール編の墨谷高校で田所らとがんばる谷口君も見てみたいのだが。
雑穀を旅する
(歴史文化ライブラリー233) 吉川弘文館 増田昭子著 公開日:2007.10.9
最近、雑穀栽培に興味のある人/自治体が増えているようで、当サイトの雑穀ページの訪問者も増加しており、種の入手方法などの問い合わせも頻繁に来るようになりました。
専門書でもよい本を見つけましたので、併せて参考にされるとよいかと思います。最近(2007年)出版されたこの本は、全国各地での伝統的な雑穀栽培/食べ方についてフィールドワークに基づく記録から、岩手県農業研究センター、岩手大学農学部、東京学芸大学による在来種の種保存の取り組み、ベストアメニティ/三井物産戦略研究所のかかわる日本雑穀協会に関する記述まで、全体像を網羅しています。
出版社は専門書の多い、いわゆる”硬い”出版社ですが、読みやすく書かれています。
レジスタンスとは−『せめて一時間だけでも』
慶應義塾大学出版会 ペーター・シュナイダー著 公開日:2007.12.1
『せめて一時間だけでも』(慶應義塾大学出版会 ペーター・シュナイダー著)という、ナチス政権下のドイツで、1943年から終戦まで、収容所送りを逃れ潜伏生活を送ったユダヤ人音楽家の記録を、本人から聞き取って綴った本がある。訳者の八木輝明氏によれば、海外に脱出せず収容所送りを逃れるために第三帝国内で地下に潜伏する道を選んだ人は1万2000人から1万5000人、うち終戦時まで生き延びたのは3500人から4000人だったという。
しかし、その可能性に賭ける人々がいた、ということは、生き延びられるかもしれない、と考える根拠もあった、ということになる。実際、ごく普通のドイツ人が宿や職などを提供して助けた。長期間ずっと匿う、ということはなく、宿は次々変わる。みな、できる範囲のことを無理せずやって助けた。援助を受ける側(ユダヤ人)もそれを承知の上で、しがみつくことなく、次々状況に合わせて対応してゆく。この感じは、インド、カルカッタでマザーテレサのボランティアをしていたときの印象と共通するものがあり、ある日本女性が言った「白人さんははっきりしているな。できることはできる、できないことはできへん、とはっきり言うしな。でも決して冷たかないで。助けてくれるときは日本人よりよほど頼りになるしな」という言葉を思い出す。
本の中に出てくるエピソードで
「市電に乗っていた労働者が、「お座んなさい、お年のお星様!」と言って、ユダヤの星をつけた老婆に席をゆずった時、一人のナチ党員がそれを見咎めた。それに対し労働者は「オレの座る場所はオレが決めるからいいのさ!」とだけ答えた」
というものがある。
このほか、主人公が逮捕され、釈放後に工場に戻り、そのときの話を同僚たちに話す場面がある。このとき
「彼らは何もいわず、一見無表情に話をきいていた。しかし彼らの態度から、コンラートが受けた仕打ちを許しがたく思ってくれているのがあきらかに見てとれた。みな自分なりのやり方で(中略)辛い体験を早く忘れるよう気遣ってくれた。」
主人公のコンラートは、筆者に対し、「自分の経験した限りでは、第三帝国であんなにも喧伝された反ユダヤ主義は、誰にでも深く浸透していたと主張する気にはとてもなれない」と語っている。
この本の中では繰り返し、
「ナチスに従うか、死を覚悟して抵抗するかの二者択一は、あまりにも乱暴な分け方である」「自分の生命を危険にさらさなくとも、なんらかの行動をすることができたのだ」ということを述べている。
「市民に英雄行為を要求することはできない」。ただ、上の市電の労働者のような「”異なるドイツ人”の事例は、ヒトラーに抵抗して命を失ったレジスタンスやヒトラー暗殺未遂の男たちの物語より、ナチス共犯者たちの自画像を脅かし続けることだろう」。
”自分の生命を危険にさらさなくとも、できることはある。”
『いのちの食べ方』
公開日:2007.12.1
人間の食料がいかに作られているか、大規模栽培、システマチックな屠殺風景などを延々映像で伝える映画。余計なナレーションや音楽を排した、非常に優れたルポルタージュだと思うが、農業の実態は結構知っていたので、まあこういうものだろう、むしろその農業技術の高さ、機械化のすごさに感心してしまった。ここまでやられたら、日本の平野の少ない(あってもあの規模には負ける)山間地の多い傾斜地農業ではとても太刀打ちできない、と痛感する。農薬付けだろうがなんだろうが、ここまでやらないと今の人口は維持できないだろうし、いやなら江戸時代レベルの生活と人口に戻るしかないだろうし。
あまりにドライな屠殺風景に隣の人が息を呑む声を聞き、アジア学院にいたとき、食堂担当の長期ボランティアだった男の子の言った言葉を思い出した。彼は、短期ボランティアで来ていた某女子大のひとたちについて、
「食堂は、鶏をさばく必要があるじゃない。彼女たち、それを見て
『えー、残酷ー』とか『汚い』とか言うんだよな。あの残酷、とか汚い、ていうのが差別の感覚につながっていくんだろうと思った。でもあいつら、肉食わねえか、ていうと食うんだよ。汚いとか、残酷とか言っていたくせにさ」
彼は被差別民の問題に興味があり、調べている人だった。
ちなみに私も食堂担当で、鶏の解体くらい簡単にできる。たぬきあたりまでなら免許不要だろうが、豚や牛は免許を持っていないと解体できない。
『サンガイシー』
公開日:2007.12.1
中国の慰安婦だった人たちへの聞き取りルポルタージュ。監督は中国人だが、告発調ではない。むしろ淡々としている。元日本軍兵士の話も、内容への評価を示さずそのまま使っている。あったかなかったか(特にシステムとして公然と)の真偽はともかく、こうした体験をした人たちがいる事実は厳然としてあり、その後地域社会で差別された事実もやはり厳然としてある。何度か、同じ境遇の若い農村の娘らの身代わりになったというサンガイシー(山西一の美人の呼称)に聖性を感じる。
満州引き上げの記録を読んでいたとき(題名を思い出せない)、日本人グループの中に霞がかかったような美少女がいた、ソ連軍が来て女を出せ(でないと全員皆殺しだったか詳細は覚えていない)、といわれ、その少女ともう一人が日本人グループを救うために差し出された。その後街で彼女が、腰の周りに膿がこびりついた姿で老婆のようによたよたと歩いている姿を見かけた、という。当時少年で彼女にあこがれていた、という筆者はショックだったようだが、でも、誰も(並みの人では)彼女を救えない。
『大地に生きる』
清水精一 同朋園出版部 1934年 公開日:2008.7.28
サンカ関連本は玉石混交だが、この本は大正時代から昭和初期にかけて、サンカ共同体の一員となった実体験を記しており、貴重な記録である。
著者はいいところの坊ちゃんだったが、生きる意味や今で言う自分探しのような感じで禅の修業を行い、さらにサンカの集団に加わった。
この本には、具体的な日常生活の知恵がそこここに描かれている。
たとえば、サンカの少女から盥を作ってくれ、と言われた著者が戸惑っていると、少女は地面に穴を掘って油紙を敷き、水を入れて即席の盥を作って見せた。冬季の地ごたつの作り方や(原始的なオンドルで、枯葉などで地面を焼いた後に天幕を張ると一晩暖かく寝ることができる)風呂の入り
方(これは他の本にも記述が多い)、乞食狩りに会い身一つで逃げたときの飯の炊き方などもある。
彼の参加した集団は、300人ほどのメンバーで構成される大家族制に近いもので、川漁や箕作りなどの生業ではなく、乞食で生計をたてている集団だった。乞食の稼ぎはチャン(リーダー)のおっ母(妻)に渡すが、腹がすいたときだけは自由に食べてよい、私有は認めないわけではないが微弱である、など原始共産制に似た味わいがある。年寄りの面倒も家族単位でなく集団全体の相互扶助。日用必需品はまとめて買うため、商人は300人分を現金で買ってくれるので良い得意先だという。
ほのぼのとしているように見えても、最低限の生活のため、病めば死ぬ、平素は頑強だが病めば必ず死ぬ面もある。腐ったものを食べても中毒せず(逆を言えば中毒する人は淘汰されている)、夜は蚤をさけるため真冬でも裸体に布を巻いて寝る。
いかにも高等遊民的インテリの感想も処々に見られる。
”労働の価値も価値観も等しく扱われない限り、こうした団体は成立しない。知識が発達し個の世界が鮮明になると個と全の調和が破れがちになる”
”なぜ一般の人は憂鬱なのか。我と他の間に不知不識の大きな壁を作って自らこもるからではないか。その壁を打ち壊すと我他合一の自由人として朗らかなる境地が体験される。一茶も一つ家の中に壁を作って弟といがみあった。”
サンカに加わったばかりで寒くて眠れなかったとき、老婆から
「生身の暖かいことを味はわねばだめだぞ」「一体人間は冷たいのか暖かいのか、どうだ」「生きて居るのになぜ冷たいっていうのかい」と言われる。
さらに、乞食をすればもらうための技巧が生まれることが恐ろしくなり、乞食すらせず拾って食べるようになる話が出てくる。臭く腐ったものもおいしいという。禅の師匠、桃水禅師も同様だったと書き、小屋で寝ず大地で蓆をかぶってねる。大地が冷たいというものに大地の温かみがわかるか、それで天地の温かみがわかるか、人間の温かみがわかるか、と書く。
しかし社会は大きく変化しつつあり、自由にさまよう民の生活は社会的に許容されなくなりつつあった。集団の行く末を案じた著者は、チャンや集団のメンバーを説得して定住をめざし、六甲の西北に2000坪の畑と3000坪の果樹園を得て、原始共同体のような同朋園の運営をはじめる。3ヶ月の蓄えを用意し、3ヶ月たてば野菜ができる、野菜を食べながら馬鈴薯を作り、馬鈴薯を食べながら粟を作り甘藷を作り陸稲を作り、3年後には水田を得た。農園、養鶏、果樹園の複合農業による自給生活という、何やら武者小路実篤の新しい村や60年代学生運動以降の有機農業による共同体の走りのようだ。
彼は最後は、教誨師となって人生を終えたという。
アーミッシュ、かつての社会主義のソルホーズコホーズ、人民公社。
世界中に見果てぬ夢のように、(政治が介在してもその一方で確実に)原始共同体的集団への憧れ、願望がある。
エゴ、自我によって成立させることが至難の桃源郷でもある。
『中国低層訪談録』
廖亦武 集広舎 公開日:2008.8.21
北京オリンピックがどうやら無事終わろうとしているが(8/21)、オリンピックがらみ等々で、今年に入ってから中国は基本的に強権国家だなとつくづく感じさせられた。
チベットや新疆での暴動。聖火リレーから開会式にいたるまで。労働者らの強制退去や古い家屋の取り壊し。どうも真実を隠した過剰な演出は感動を削ぐ。
中国シンパは、日本もかつては同様だった等々言うが、その同様だった状況に異を唱えおかしいと、水俣だのを当初から問題視し続けた勇気ある人々がいただろう。なぜおかしいものはおかしい、とはっきり言ってまずいのか。これだから心情サヨクはだめなんだ、左翼をだめにしたのは物分りの良い八方美人、御用学者的御大や”紳士”面の奴らだよ、と言いたくなる。
表題の本だが、あまりこうした本を褒めると、著者に対して権力から圧力がかかりそうで心配ではある。しかし日本語訳はもちろん、世界各国ですでに訳され出版されている本なので、知っている人も多いと思う。
中国にも売血村のAIS患者を支援する老女医や反骨のジャーナリストなど、勇気ある人々はいる。著者はそうした活動家ではなく、笙を吹く詩人で政治を云々するわけではない(が政治的な意味から投獄された経験がある)。
本の内容は、単に成都とその近郷の市井の人々へのインタビュー集である。これが現時点の世相と普遍的な人間性の、珠玉の切り取りになっている。地味な職業の人々や辛い立場の人々(それは貧乏だったり、政治的に迫害される立場だったり、時代に翻弄された人生だったり、冤罪だったり、人によりさまざまだが)に対するインタビューだが、遠慮や甘さはなく、正直に辛らつなことも言って話を引き出している。
反中国の人が好みそうな内容ではあるが(そこしか見ない人も外国にはいるだろう)、これだけ貶められたり裏切られたり、迫害されても生きてゆく姿、会社のチンケなトラブルとは比較にならない運命を背負わされて生きる姿に、普遍的な感慨を覚える。
死体処理の職人やチャルメラ吹きの老人、便所掃除の老人に対するインタビューは、政治性とは別な、単独でもみごとなものだが、一方、彼のような辛い人生を味わった人でなければ絶対ここまで聞きだせないだろうという、彼でなくてはできない聞き取りになっている。
こうした古い消えつつある社会を知る人々へのインタビューも、政治的な内容とは別にとても重要で、ぜひ残してほしい。
『闇の子供たち』
−最近見た映画から 公開日:2008.8.21
タイの児童売春と児童臓器売買に関する映画。最後まで甘い終わり方を拒絶している。これが映画としてよいかどうかは微妙だが、(まずは大勢に届かせようと思ったら、主人公をヒーローとまではゆかずとも、弱さも併せ持ち苦しむ正義派程度にはするだろう)、逆にあの終わり方によって、一時期ヒットしても忘れられる映画ではなく忘れにくい映画にはなっている。
原作がよいのだろうが、映像でも死んで蝿のたかった子供、あるいはその直前に同じ子が脚が硬直した状態で這って山の家へ戻る様子などに、インドなどで見た光景を思い出し、あの干からび方、硬直した脚、本当によく再現したと思った。
男児を選んで個室へ向かう太った白人男性に、手もみして「happy、happy」と笑いかける売春宿の雇い人。現地の人のこうした表面的な卑屈な愛想笑い。確かによく目にする。
NGOで活動するタイの若い女性も、ミャンマーの山岳民族の子供を売春や臓器売買の生贄にする男性も、ともに児童売春被害と虐待された過去がある。一方、NGOに日本から飛び込んだ若い女性は頭で考えた理想や自分探しの甘さを併せ持ち、告発するカメラマンや記者もそれぞれ自分探しと男児買春癖がある。
ただ、やはり手術する金のある病気の子供を救うために健康な子供を殺して臓器を提供させるのは、あまりにおかしい。
『敵こそ、我が友』
−最近見た映画から 公開日:2008.8.21
戦後も東西冷戦により、CIAの支援を受けつつ活動を続けたナチスの戦犯のドキュメンタリー。最後にボリビア、つまりアメリカから用済みとなり、フランスの訴追を受け終身刑となる。アメリカもベトナムやアフガニスタンに対してナチスに変わらぬ戦争犯罪を行っている、とするベトナム系弁護士が彼の弁護を引き受けている。
本人は無罪を主張、最後にイギリスのジャーナリストが、彼は”当時はみなそれを望んでいた、自分はみなが望んだことを行っただけだ、それなのに自分だけが罰せられる、不公平だ”と語ったが、自分も同意すると結ぶ。
映画としては短めだが、詰めの甘さを排したインタビューの連続で凝縮された内容。
何やら731を連想させるが、破綻した巨大企業エンロンの内情を告発した映画『エンロン』もそうだったが、こうした自他に手加減しない、真実追求に徹するドキュメンタリーは、なかなか日本では(さらに東アジアでは)生まれない。
動物農場
−最近見た映画から 公開日:2008.12.14
最近U政公社に長年勤務する知人から
「今では全部監視カメラで取られているんですよー。手元なんか24時間。金庫へ行ってもとられている」と言っていた。
以前、会社のPCの(権限のない人による)モニターで怒ってここにも書いたが、それどころではない。いまやあちこちの職場、特にお金を扱うようなところでは監視カメラで24時間モニターされているらしい。嫌な世の中になったなと思う。
地域の安全や不正防止の名目であちこちで監視カメラが記録をとっている。携帯を持っていればGPS機能で移動先がモニターされるし、SUICAなど電子マネーを持っていればいつどこからどこまで乗車したか、いつどこで何を買ったかすべて記録に残る。みな便利、安全とする人が多いが、なんとなく危険な気がする。
U政の知人は、今職員がどんどんバイトに置き換わり正社員が減っている、バイトは時間給だから時間になれば帰る、その残りやミスのやり直しを数少ない正社員で片付けることになり全然余裕がない、いつも遅くまで残業し(でも残業代はほとんど出ない)帰って寝るだけ、と言った。
すると10年同じところに貿易事務で派遣で仕事をしている別の知人が、正社員の派遣差別がすさまじい、頭にくる、と話し出した。
彼女からは10年間、仕事の話を聞いているが、最初の頃は派遣も正社員も含め同じ部署の女性たちみなでディズニーランドへ遊びに行っただの、和気藹々系の話が多かった。それが昨年あたりから「正社員の女性たちの派遣に対する侮蔑がすさまじい、仕事できないくせに」と怒りをあらわにするようになった。
彼女は自分でどんどんクライアントを開拓するなど、かなり仕事ができる。開拓した客を男性正社員に譲るよう求められたこともあったが、強気に断りそれでも切られなかった。部署の稼ぎ頭でもあったからだ。一度(以前状況の良かった頃)正社員にならないかとの話もあったが条件や家庭状況その他から断ったことがある。当初の和気藹々系の話から次第にそうした仕事での強気の話が多くなり、そしてここ最近は派遣に対する正社員の女性たちの「派遣のくせに」という視線に対する怒りの話が多くなった。
今日付け東京新聞の本音のコラムで堤美果氏がオーウェルの小説「動物農場」の話を書いている。小説も映画もまだ未読未見だが、その内容は「搾取されていた動物たちが革命を起こし人間を追放、動物だけの農場を始めたが次第に情報操作や監視社会化が進み、気づいたときには一部の特権階級の豚の下、再び搾取されていたという有名な寓話」だという。
今や自分たちの住む社会が「動物農場化」している、富と権力が一部に集中し、大量の労働者は這い上がれない仕組みの中使い捨て、その仕組みを作る政策は教育・情報格差により一部の豚にしか理解できず、政治に無関心な動物たちは知らぬ間に決められた法律に従う社会、半世紀たって豚たちの顔ぶれは変わったが、再び言論や選挙などの武器を手にすべきときだとする。
大枠の話はおいおいゆくとして、同一仕事内容は同一賃金とすべきだと思う。派遣正社員バイトに関わらず。ヨーロッパ諸国ではそうなっていると聞くが、なぜ日本でそれができないのだろう。
読んでいたけど・・・『警告!!2008年破綻する家計生き残る家計』
活東庵公開日:2009.1.31
年末に本を整理していたら、ダイヤモンド社から出ている荻原博子著の『警告!!2008年破綻する家計生き残る家計』が出てきた。なんと2005年1月7日発行、帯には「あと3年で私たちの生活に大地震がやってくる!」とある。
当時この本、読んでいたんですよねえ。でもすっかり忘れていた。というか聞いても頭にあまり入らなかったのだろう(なんだが開戦当時の一般ピープルみたいだ)。
あれ、と思って読み返すと、ビシバシ当たっている!荻原氏は金子勝、松原聡、武者陵司などにインタビューし、彼らの言っていることもそっくり当たっている!やはりわかっている人にはわかっていたのだ。
深夜のテレビ番組でも、アメリカのサブプライムローンの危険性を特集していたものを見た記憶もある。でもまだ先だろう、何とかなって大丈夫なんだろう、と気にかけなかった。
大した額ではないがドル預金をしていた。それがご多分にもれず下がってしまった。去年7月に売っておけば、と思いつつ、オバマ祝儀で上がるかと期待したけど上がらないので、もうドル覇権は終わりだと売っぱらった。トホホだけどしょうがない。
この本で、荻原氏や松原氏は「政府が国民への負担を避けてきた面がある」「(国民は)実際にサービスを受けているのに払っていない」「生活水準を維持するため、国が個人から貯金、年金、国債等でお金を資金を集めて使ってしまった」「国民の資産は使われてしまった、財産はなくなっており、1400兆円は実はまぼろしかもしれない」「今後はかなりのスピードで日本から豊かさが失われてゆくだろう」「国は破綻しないが負担が増え、体力のない弱い家計から破綻してゆくだろう」「(払ってこなかった分)郵便貯金、簡保、年金、国債はもう戻ってこない可能性がある」と言っている。
また、「すべての国民に食べ物と安全が約束されていた、こんな国は少ない」、でもそれは戦後の話であり、日本でもほんの一時期だった。これから生活の質は悪化してゆくのだろう。「自分の身は自分で守る」しかないのだ。
New York Times ではリーマンブラザーズ破綻以降の世界同時不況について、アメリカではブルーカラーよりもホワイトカラーがターゲットになっている、と書いていた。この本では1997年の韓国の経済危機にも触れているが、やはりサラリーマンの解雇が問題のことが多く、「微笑みが消えた時代」と言われるほどだった一方、地方に住む人の中にはこの危機のことをまったく知らなかった人もいた、とある。エネルギーと食料はインフレ、物はデフレの傾向の中、金子氏も注目は農業という。
何でもかでも、国に頼みすぎていたかもしれない。それよりも何よりも、”消費者”でありすぎた、”消費漬け”になっていたかもしれない。何でも自分で作らず、お金を出して買う、そのお金のために働く、というサイクルになってしまっている。本当に必要な物など、そんなに多くはない。
以前小笠原へ行ったとき、新住民の生活保護などいろいろ矛盾や問題が山積みになっている状況について、元からの島民は
「一度小笠原はつぶれたほうがいい。そのほうがすっきりする」と言っていた。日本もアメリカも新自由主義も今の世界秩序も、そのほうがいいかもしれない。
沈黙を破る
−最近見た映画から 公開日:2009.5.31
”紛争地域へ行ってきました、記録とってきました”的なドキュメンタリーは数多くあり、印象に残らない内容のものも多いため、正直、当初気乗りがしなかった。知人に勧められ、券をもらったこともあって渋々出かけたのだが、非常に重要なテーマを扱っており、出色の出来と思う。そしてこれは、元イスラエル兵たちの立ち上げたNGO、「沈黙を破る」のメンバーの証言によるところが大きい。地域住民の被害についてはあちこちの紛争地域についてよく報道されている内容に近いため、既視感が否めないが、戦場での心理について証言する元兵士たちの言葉は大変貴重であり重要だ。
個人的に、元日本兵の話を聞く機会が多い。が、こうした客観的で分析力があり、的確な言葉で語れる日本の元兵士はなかなかいない。過去に見た記録映像や本でも、ここまで冷静で感情を排した雄弁な言葉は記憶にない。中○連など、元日本兵で戦争犯罪について語る人は存在するが、どこか感情が混じるため”露悪的”な印象を受けることをどうしても免れえない部分がある。こうした”白状”について、”自虐的”とよく批判されることも、まったく理由がないわけではない。
そして、同じこと、つまり客観的で分析力のある言葉で語れない、ということは中国側にも当てはまる気がする。
イスラエルの元兵士らは冷静だ。感情を交えずに分析し、もっとも深い部分まで掘り下げようとしている。このため、XX人だからという理由に集約されない、普遍的なところにまで到達しつつある。しかも、抽象に逃げているわけでは決してない。
イスラエル兵らの、こうした分析力、思考力の源は西欧文化にある気がする。一方、こうした思考のできる日本人も中国人もなかなかいない東アジアでは、戦争論はどうしても感情的になって、お互いに話す気がますますしなくなってゆく。
先週日曜に開かれた、イスラエル軍元将校の緊急報告会にも行って来た。このときガザでの非人道的行為についてばかり質問、一種責める感じの質問が多かったのは残念だった。戦場でのこうした行為、心理は、大東亜戦争時代の日本兵にも、歴史上世界各国のどの戦場でも必ずあったものであり、私やあなたが戦場に狩り出されたとき、必ず出てくる問題だからだ。その立場に立たされたことのない人が自分は手が汚れていないからと、その立場に立たされた人を正義の味方のように責める姿勢はどうしても好きになれない。このあたりが、戦後の日本的左翼が胡散臭く感じられる要因の一つだと思う。
そしてもう一つ、重要な問題がある。このドキュメンタリーにも出ていたが、そうした兵士たちを送り出した一般の人々、母親や女たちは手を汚していないのか、という問題だ。戦場での兵士らの非人道的行為を知ると、一般の人は非難の声をあげる。しかし兵士たちにそうした行為を暗に強要したのは一般の人たち、女も含めたその社会の人々ではないのか。
私もこの視点に賛成する。自分な無垢な顔をして、時には被害者の顔をして、直接戦場に行った兵士らを非難する資格はないと思う。絶対に”時代の雰囲気作り”に加担している。
イスラエルのNGO『沈黙を破る』
活東庵公開日:2009.6.22
映画『沈黙を破る』をもう一度見た。何人かの元兵士が、例や言い回しは異なるものの、同様に指摘している点がいくつかある。
●平時の常識と戦場(占領地)での常識は異なる:
・たとえば、幼い少女を射殺した事件について:
「死の確認」は兵隊なら当然行うべき基本であり、初年兵として必ず訓練される事柄だ。幼女を射殺した兵士は当然のこととしてそれを行った。一方、市民社会の常識では、それはやってはいけないことだ。軍部は批判を浴びそうになり、この件はあくまで特殊な事例だと言った。しかし、軍隊である限り、それは当然行うべきことであり、このため、いつでも起こる可能性がある。一過性の特殊事例ではない。
・たとえば、陣地構築に際して樹木を伐採した:
陣地を作るのに邪魔だった木を切った。軍隊として当然のことで、深く考えずに行った。一方、農民の側から見れば、祖父の代に植え何十年かけて育ててきた果樹園だった。それがある朝、農園へ行くと、突然すべて切り倒されていた。自分も農家の出なので、今顧みるとその辛さがよくわかる。
●中心メンバーが若者である:
・兵士はみな、10代20代のkids(キッズ)だ。それが占領地での監視任務に当たる。みなやることもなく、手持ち無沙汰、何か起こらないかと期待してしまう。
・あの若い女性兵士も、ふつうなら学校に行ったりおしゃれして町を歩いているだろう。そんなkidsに突然、パレスチナ人の身分証明書所持の確認と、未所持なら罰する権限が与えられる。若い彼らは明らかに、その権限を楽しんでしまう。そして道ですれ違うこの人、あの人にID確認を要求してみせている。
これらの点は、日本で戦争(特に大東亜戦争、太平洋戦争)について語るときにも、心に留めおくべき点と思う。特に高みから断罪する雰囲気になった場合に、「平時の常識と戦場の常識は異なる」、「若者が中心になりやすい」点をもう一度顧みる必要がある。若い頃口癖のように「なんかいいことなあい?なんかいいことなあい?」と言っている知人がいたが、自分もそうではなかったか?
こうした特徴をふまえ、暴走を止めるには、どうしたらよいのか。
さらに、個人的に重要な意見を述べている元兵士もいる。
●イスラエル社会はcorrupt、腐っている:
映画でさかんに、今のイスラエル社会は腐っている、どんどんこの社会を蝕みつつあり、スパイラルに陥っている。みなこれに気づかないと、社会が本当にだめになる、と語る青年が出てくる。
映画でこの証言の部分を見たときには、今ひとつ、わかりにくかった。インタビュアーは戦場の常識に慣れ、正常な感覚が麻痺してゆき、パレスチナ人に残酷な行為を行っても罪の意識を感じなくなることと理解していた印象があるが、(確かにそうした面を指す側面もある)、このNGOの出している元兵士の証言集『Breaking the silence/Soldiers' Testimonies From Hebron』を読んで、その言いたい内容が理解できた。
映画『沈黙を破る』と証言集の内容は、微妙に異なる。映画では、ガザにおけるイスラエル軍の非人道的な行為に焦点が当てられているのに対し、証言集では、もちろん”イスラエル軍の非人道的な行為”に関する事例の証言もあるが、圧倒的に多いのは、占領地で一体何をしているのかわからない、といった内容のものだった。
多くの兵士が、占領地ではユダヤ人の移住者からパレスチナ人を守っていた、移住者らはパレスチナ人の女性子供に対しひどい仕打ちを行う、と語る。特に多いのが、移住者が自分の子供たちを使ってパレスチナ人に暴行を働く、パレスチナ人の店を襲い商品を強奪する、パレスチナ人の家を文字通り破壊する、といった事例だ。
彼らはcleverだ、子供なら罪に問われないことを知っている、軍隊では扱いにくいため警察に言うが、警察でも扱いづらい。子供は親が見ている前で親の承認のもと、パレスチナ人の店や家屋を破壊する。どうしようもない、移住者がこんなことをするようになるなんて、この社会は根本からcorrupt、腐っている、と口々に言う。
なお、この本では、軍隊の命令の不合理さについて語る証言も多い。
ある家に武器が隠されているということで、夜中に押し入った。しかしあちこち探しても出てこない、そうこうするうち、無線で「間違えた、2軒先の家だった」と連絡が入った。もう最初の家は破壊されているよ、指示する側は「間違えた」で済むが。そんなことが繰り返されると、こっちも感覚が麻痺してくる、と語る。
あるいは、とにかく指示されたとおりに動くしかない。「なぜ」などと考えたらやってられない、なぜ夜中の2時に人の家に押し入る必要があるのかわからない、昼間じゃなぜいけないのか、一度そう言ったこともあるが、その後はもう言っていない。
●It's not your son! It's your fist! It's your soldier!
占領地のパレスチナ人に対するイスラエル兵の残虐な行為が明るみに出るにつれ、ある元兵士の母親が心配して「お前はどうだったの」と聞いた。聞かれた元兵士は「僕は殴らなかった。ただ隣で見ていただけだ」と答えた、それを聞いて私は安心しました、と母親は語る。「あの子には人権がいかに大切かを子供の頃から教えてきました。その教育のおかげであの子は踏みとどまったのです。母として誇りに思います」と彼女はうれしそうにインタビューに答える。
そのVTRをインタビュアーから見せられ、黙って見ていた息子は、見終わると鼻で笑った。
「みな軍隊生活は大変でしょうと言うけれど、肉体的にはそれほど大変はない。でも精神的なほうで大変なことがわかっていない」
「母も誰もみな、安全なところにいてきれいな生活をしている。でも占領地では違うんだ」
「あなた方がそうさせているんじゃないか。It's not your son! It's your fist! It's your soldier!」
(一般人が占領者であるが故の驕りや歪みを見せる様子に)「この社会は腐っている、それがどんどん社会をだめにしてゆく」「(兵士とは)It's not your son! It's your fist! It's your soldier!」という叫びに、後方で安全にぬくぬくしている人々も、耳を傾けなければならない。
軍隊や兵士を糾弾してさえいれば事足れりとする平和運動は間違っている気がする。
『嗚呼!満蒙開拓団』
活東庵公開日:2009.6.22
実際に体験した人が70代後半から80代になろうとしている今、こうして体験者の証言を映像に記録しておくことは、非常に重要だと思う。その活動に敬意を表した上で、この映画を見て、開拓団の周囲にいた中国人や満人は実際どう開拓団を見ていたのだろう、と非常に気になった。
1960年代、70年代に書かれた本には、敗戦後の逃避行で中国人達から襲われた、彼らは満州帝国時代に受けた仕打ちを恨みに思っているから、という話がよく出てくるからだ。
今ではソ連の開拓団への残虐行為のほうが有名になっている感があるし、また日中友好にも水を差すようだが。そしてそれには、そうされるだけの理由があった。
だからこそ、周囲の中国人の証言が聞きたい、と思った。中国政府の顔色を見た意見ではなく、生身の声として。
そしてそれが一番、難しい取材だろう。それが故に、どういう本音の証言を得ても、「中国政府の意向に沿った意見」としてしか扱われないおそれがある。そう思われてしまいやすいことは、中国にとっても不利なのだが・・・。
最近見たテレビから−『家族の歴史』
活東庵公開日:2010.5.6
かなり番宣に力を入れており、期待もあって見たのだが・・・。
好きになれなかった。もともとここで「この番組は一体何?」と酷評しようと思っていたところ、投書その他で好評だったと聞き、さらに「えー、あれがあ?なんでえ?」と疑問符だらけに。
まず主人公が二号という設定。二号は基本的に特殊な形態の専業主婦。自分は働かず、裕福な夫に食べさせてもらっている。一家にあれこれ事件があっても、結局娘や姉に寄生して生きている一家の話じゃないか、と思ってしまう。
当時の話を聞くと、女も買出しや(小平事件とかあった)工場勤務、内職、夫とともに店や畑で働いた人が多い。男も菓子屋をやったり農業やったり、いくつも職種を変え、やっと食えるようになり今は隠居生活、という話をよく聞く。
天海扮する正妻は夫の事業を補佐して働いている設定。しかし、悪い表現のされ方だった。天海は好きな女優なので、その点でも不満、というのもあるが、なんだかなあ・・・。
キャバレー支配人という夫(というか旦那だな、二号だから)の職業も、当時を代表する人々を登場させるため、彼らと出会える機会のある職種として選ばれた感があって、こじつけっぽい。
次にシベリア抑留帰りの元恋人の扱い。あの表現では、抑留帰りはみな共産主義者に見えてしまう。当時も、その偏見でどんなにシベリア帰りの人たちが苦労したことか。実際心から共産主義を信じた人は少なかったにもかかわらず、なかなか仕事につけなかった、公安の尾行がついた、という話も多い。
最初に舞鶴についた人たちの一部が、共産党万歳をやって一般日本人の度肝を抜いた、という話だが、大多数は洗脳されていなかった。さらに、内村剛介のような人もいる(内村剛介は重要なので、次回にでも書こうと思う)。
元恋人の半生を揶揄っぽく描くことにより、「なんで左やってたのが右やったりするの」と言う主人公をバランス感覚ある庶民と示すようで、あざとく感じられてならない。
この元恋人の描き方は元抑留者を傷つけているし、かなり問題と感じる。
安保闘争の描き方も疑問。私も当時の学生運動は教条的、やりすぎ面もある、と思ってきたが、最近は、そういう面もあるが、よく超大国相手に立ち上がったよな、元気も勇気もあるな、と感じている。一般には、今では全共闘はけなされているが、一般と逆を見るのが私の趣味なので、自分の中では再評価しつつある。
それはともかく、あの描き方はあまりに当時の学生らを揶揄しすぎている。そこまで馬鹿にする資格はあんたらにないだろう、と思う。
そして最後の「感動の場面」という触れ込みの運動会の場面。おそらくこの企画は、平凡社の『われら日本人』5巻本を抜粋したコロナブックス版の運動会の写真からヒントを得た企画ではないかと睨んでいる。
大体、運動会に親が来ることがそんなに重要か、自分自身の記憶と照らし合わせても疑問で、自分にはそれほどこだわりないなと思うと、この程度で893の恩返しという伝家の宝刀抜いちゃうのかよ、と結構引いた(あの写真も、明るく元気だった時代と強固だった共同体の象徴で、子供とは関係ない)。
なんとなく全般に引っかかりのあるドラマだった。そう感じた人は多いと思ったのに、評価する声ばかりと聞いて、なんだかがっかりだ。
ただ、伊藤四郎扮する古川緑波はよかった。伊藤四郎主演で古川緑波の生涯をやってもよいのでは、と思ったくらい。
昭和の家族を描いた作品としては、やはり半村良の『葛飾物語』が好きだ。戦前戦後の下町葛飾の数家族の人生模様を描き、世代が変わったところで戦争体験のある老人が「あの戦争は本当にあったのか」と泣くところなどその感じがひしひしと伝わって秀逸、最後「百転び九十九起き 墓一つ」で終わる。
ところで、文句あるのになぜ最後まで見たのかというと、番宣で使用されていたある音楽による。昭和30年代40年代まで、映画館でニュース映画をやっていた。その始まりの音楽がその曲だった。小学校にあがる前、よく祖父に連れられて見に行ったので、あの曲には思い出がある。確かに昭和のイメージのする曲だと思う。その曲がいつ使われるか、どの場面で使われるか、期待していたのに、本番では最後まで使われなかった。
『内村剛介ロングインタビュー』
廖陶山幾朗 恵雅堂出版 活東庵公開日:2010.6.8
内村剛介は戦前、ハルビン学院に学び、中国人や満州人の同級生たちと学ぶ。このためロシア語が流暢。その後シベリア抑留を経て、帰国後、ソルジェニーツインを紹介するなどした。ちなみにハルビン学院は戦後、スパイ学校と言われたりした。ロシア語ができたことなどから抑留時代はラーゲリに入れられた稀有な体験を持つ。
その内村の経験と知識、物の見方を重要と考えた陶山氏が何度かインタビューを行い、その内容をまとめたのがこの本である。
その中から、気になった部分を抜粋する。完全に原文どおりの文章ではなく、メモから起こしたものなので、完全な文章を見たい場合は原著を参照されたい。
(学院同級生の中国人が語った内容)
「俺は中国人ってやつがわからない。知れば知るほどわからなくなる。それが中国」だから日本を選んだ。「だってお前ら単純明快、底までわかるからだよ」死ぬんだったら単純明快の中で死にたい、不可解の中では死にたくない。
(シベリア抑留について)
ロシアは労働として人間を内部にとりこんできた。これはロシアの体質そのもの。”抑留”という近代的概念ではない。そんな上等なものでない。昔から捕虜・囚人運搬システムが完成している。抑留でなく、とりこんで当たり前のれっきとした労働力。理由はどうでもよい。
一方、捕虜=一級下市民の発想はない。このため、娘を嫁にもらってくれと平気で言う。
ロシア人は人がいい→自分に対しても無限に寛大でもあり始末におえない。この回路に入ると何をやってもいいという一種無政府状態につながる
(ドイツと日本の違い)
ドイツのほうが文化は(ロシアよりも)上。一回二回負けてもそれは揺るがない。ロシア人もそう感じている。「まあ負けることもあるさ」「そう言えばそうだな」その圧倒的優越意識と劣等意識の中、(ドイツ政府は)乗り込んで捕虜をさっさと取り返した。
「民主化運動」にかかわらなかったのもそのせい。日本は大正デモクラシーを通過したため、ロシアに対しておセンチな借りがあった。
(満州、日中戦争について)
帝国主義時代に日本が国家として生き残るには他の帝国主義と組むほかない。それが脱亜入欧。
中国がアヘン戦争でイギリスに負けたのを見て、千年近い文化的先達の中国はもはやあてにならない、欧州を見習って早く一本立ちしないといけない。「アジアよさようなら。ヨーロッパこんにちは」
ヨーロッパと一緒になってアジアから離脱する。そうしないと生きられない宣言。同じ理屈で朝鮮に開国をせまり、それに介入したロシアを総力をあげて追い返したあと、朝鮮を守るため満州を確保する。
他の選択肢があったか?福沢は平和主義者ではなく帝国主義者。
朝鮮、満州を確保し、西欧に追いつき追い越せ、いざ追い越そうとし、これから日本プロパーの政策はどうなる、というところでそれをもてなかった。これが問題。もたもたして守るため北支へ出てゆき日支事変を経て全面戦争となり、手がつけられなくなって対米宣戦布告になった。
一方、中国にとっての満州は化外の地。清が故郷に漢族を入れなかった。蒋介石が孫文の指示で満州視察に行ったときは(清朝が認めないため)密航だった。満州にいた中国人はみな元密航者。彼らが権益を拡大してゆき、匪賊馬賊が生まれる。
日露戦争は祖国防衛戦だった。負けて朝鮮をとられたら日本は一日ももたなかった。昔から地勢学上、朝鮮が日本の防波堤になっていた。
他に選択肢はあったか。ゆっくり時間をかけて話すヒマのない時代、時勢があきらかにある。それを論理的にけしからん、盗賊行為だと非難するが、手法がソフトかハードかを別として一概に悪漢、盗賊の論理で割り切ることはできない。
石橋湛山の「小日本主義」はあくまで経済上のこと、国防が入っていない。
日中戦争はまだ理解できたが、ソ連参戦という要素で混乱した。日中戦争であれば避難民や残留孤児問題は起きなかった。みな満州で起きている。中国内部ではない。国府軍も八路軍も関与していない。ロシアの恥部、悪しき体質。
(平壌で足止めされたときの体験)
このときソ連兵は日本人も朝鮮人もかまわず強姦略奪。関東軍疎開団は両者から助けてくれと言われる。やがてソ連のスメルシュ(ソ連軍防諜特別管理局)が暴徒、犯罪者を射殺するようになる。平壌で新しい政党が乱立するが、やがて金日成など親ソ派朝鮮人が北朝鮮共産党、社会党、保守党を粛清した。
(移民について)
日本人はコトがあるとすぐ逃げ帰ってくる。「移民」という言葉は定着しない。エミグレ、イミグレ、両方とも下手。満州でも、どんなに苛められさげすまされても、石にかじりついてでも少数民族として大陸に残るのが、この戦争の論理的帰結のはず。敗走するのでなく、自治区を作る。朝鮮人ならどこへ行っても必ず自分たちの集落を形成して根付く。大陸の民族は引き上げを命じられても帰らない。いったん出たからには死すとも帰らず、それが彼等の決意。
(左翼について)
わだつみの学生たち、満鉄社員らは、エリートが左翼ががった本を読み左翼がかった言辞を弄している。
なんかおかしい、あんたらが言うべきことじゃない。あんたらは階級のよそ者。田舎から出征した兵士は父か息子が戦死すれば一家壊滅。将校待遇受けながら被害側、丸山真男をはじめとしてみな左翼ぶっていた。いいカッコするなよという不信があった。
満鉄時代、二二六で関係者の弟がみなにあやまった時、「それがお前と何の関係がある、兄は兄、お前はお前、だいたい兄にかわってあやまろうなんて思い上がるな」と言い放った奴がいて感動した。
(60年代安保)
条約改定の是非をめぐるぶつかりあいとなっているが、そもそもコトがあったとき、必ずアメリカが日本を助けるか。「いや、そんなことはありえない。空文、紙切れだ」と若者は本能的に察知した。しかし若者は感性で行動する。だから長続きしない。なぜなら若者はすぐに老いる。だから引いてゆく。そう見ていた。
ただ、運動が引くと、バカなことをやったと敗者を足蹴にかけるのが日本の悪しき思想伝統。こうした「落武者狩り」にはこの国は一貫性がある。
『作家と戦争』
森史郎 新潮選書 活東庵公開日:2010.6.8
森氏いわく、吉村昭には戦後への違和感があったという。
戦後誰もがいうように、周辺の人は
「戦争は軍部がひきおこした」「大衆は軍部に引きずられて戦争に駆りたてられた」と思っていたのだろうか?
戦後ジャーナリズムの多くは戦争批判の文章を書き、こういった論調で戦前の日本を暗黒の時代、庶民を被害者に仕立てあげた。「嘘ついてやがらあ」というのが実感。
戦争は物心がついてから絶えず続いているもので、時に日中戦争は「だらだら続く長いお祭り」のようなものだった。
戦況が悪化しても、人々の不満は物資の不足や空襲への不安を訴えるだけで、戦争の渦中でほとんどの日本人は最大限の力をふりしぼって働いていた。少なくとも吉村の眼にうつった下町の人々は。
戦後、誰もが戦争を呪い抵抗したかのような口ぶりをする。
戦争中、自分と同じように一心に働いていた人々は一体どこへ消えたのだろう。
戦後の日本人は変わったが、彼らは一時期情熱を傾けて一隻の巨大な軍艦を作りあげた。その民族的エネルギーは何であったか。
無条件に戦争反対をとなえて過去一切を葬り去るよりも、かつてこの国を動かした人々のエネルギーの根幹をたどることに真の歴史的意味があるのではないか。
昭和とは何か。あの時代を懸命に生きた日本人のエネルギーはどこに消えたのか。
私が戦争を書く理由は、自分をも含めた人間というものの奇怪さを考えたからにほかならない。
『オキナワ イメージの縁』
仲里効 未来社舎 活東庵公開日:2010.6.8
(気になった部分を以下に抜粋)
問題なのは、彼(赤松元大尉)自身が「命令」であり、彼の行動そのものが「命令」である状態に当時の島が置かれていたことである。もし赤松大尉が命令を下さなかったなら彼に代わる他の「赤松」が下したかもしれないし、もっと大胆に言えば住民個々の意識の中に命令を下した「赤松」が存在していたかもしれないのだ。(間宮則夫『青い海』1971年9月号)
『あまりに沖縄的な死』友利雅人(『現代の眼』1971年8月号)(事実関係をはっきりさせない島自体の体質について)
赤松大尉とその部下たち、駐在巡査−もちろんこれらの者たちの責任がないわけではない。ただ、村民が自らの背負わなければならぬ重荷を転位させただけ、彼らが過剰に負わされているということは、ありうるといえるだけだ。これを想定することを避けつづけるかぎり何ごとも始まりはしない。この意味において集団自決における責任追求はいつでも二重なのである。この二重性のゆえに、村民の記録も赤松の弁明も相対化されざるをえない。
島共同体と国家の間に存在する<軋み>の極限に、あまりに沖縄的な<死>があるとすれば、個人的な責任追及によってはその<軋み>を透視することはできない。
「集団自決」の沈黙の扉をひらくということは、こうしたいわば明治以降の皇民化でぬいあわされた共同体の<軋み>をあやまたず読み破ることなのだ。そうしてはじめて、沖縄の近代が内面化した天皇の国家への同化幻想と国家を求心する日本復帰運動とが分かちがたく結びついていることの要諦が理解されるということだから。
それはまた中里友豪が『島へ』と『接点としての慶良間』でいっていた「奥深いところで眠らされている傷、その沈黙」や共同体意識の「太い根っこ」と無縁でないはずである。そして『島へ』の中で導き出した「ぼくが渡嘉敷島で考えたことは、ただ一つ、個人がもっと強くなることだ、であった」
中里友豪:那覇出身。劇『島へ』のパンフのことばから
ほんの24時間前まで生きるために山奥へ逃げたのが「死の決意に急変したのはなぜか」「自決の場で一人として死を拒まなかったという事実は何を意味するのだろう」生き残った者たちが、いちおうに教育や政治の強権に責任を負わすことに違和を感じ、「奥深いところで眠らされている傷、その沈黙」を問題にし、「ぼくが渡嘉敷島で考えたことは、ただ一つ、個人がもっと強くなることだ、であった」と結ぶ。
この「あまりに沖縄的な<死>」の二重性と「死に至る共同体」の<軋み>、そして惨劇の後の<沈黙>の意味を見出すためには、なお川満信一の「民衆論」を待たねばならなかった
映画『博徒外人部隊』−それまでの沖縄と日本の幻想婚を棄却し、葛藤のスパークルとして描破
ここでいう日本と沖縄の幻想婚とは、沖縄戦で本土決戦の捨石としたことや沖縄を切り離しアメリカの占領下に置くことによって戦後を築き上げたことからくるヤマトの側の贖罪意識と、そうしたことへの差別告発やそれでも「祖国」とみなして熱く焦がれる沖縄の幻想の結びつきのことである。
その幻想の結びつきが復帰を「民族的悲願」「国民的課題」という擬制の共同体を築き上げていったのだ。
『太平洋戦争』
児島襄 活東庵公開日:2010.5.6
末期、滅びる直前の社会は現実を直視することを避けるため、ばらまきをやる。
たまたま児島襄の『太平洋戦争』を見ていたら、陥落直前のシンガポールの記述があった。それによれば:
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英軍が敗退し、日本軍が近づいてきても町に備えはなかった。映画館、レストラン、ダンスホールは日本軍が入ってきたときまで営業していた。一週間に2日あるはずの肉なしデーも有名無実で、配給もイギリス本土の3〜4倍の量があった。
英軍司令部は、敗北を知らせることにより市民の士気が低下することを恐れ、戦況をひたかくしにし、食料と享楽で敗北をカバーし続けた。
遂に隠し切れず、パーシバル将軍はジョホール撤退を発表した。負けていると知らなかった市民は驚いたが、食糧は豊富だ、援軍は必ず来るとの声明と、実際積み上げられた食糧に市民は再び安心し、日本人が来るにはまだ間がある、と信じた。
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高速道路はいくらがよいか、子供手当てはいくらがよいか、あるいは保育所整備のほうがよいか、といったことが問題なのではない。財政が破綻している事実が問題なのだ。それを直視せず、景気を刺激するだの口実をつけて、実際には選挙対策をやっていることが問題なのだ。(高速道路の新料金システムが実質値上げになるから選挙に勝てない、と待ったがかかったそうだから、財政政策でなく選挙対策だ)。
実際それで、ばらまいてくれる人に投票する人、てどのくらいいるのかね。司令本部は自分たちが今生き延びられるなら日本社会が滅亡してもかまわない、と思っているとしか思えない。
最近見た映画から−『平成ジレンマ』
活東庵公開日:2011.2.21
戸塚ヨットスクールのドキュメンタリー映画。
校長は、ヨットマンとして堀江謙一に競り勝つなど輝かしい実績も実力もある人物。だからもし当初の目的どおり、ヨット技術を学ぶだけのごく普通のスクールにしておけば、普通の人、もしくはむしろ「何か(=ヨット)を極めたえらい人」で済んでいただろう。
不登校児を受け入れるようになってから困難な道を歩むことになった。なぜ起訴、投獄されても投げ出さずに続けているのか、そのへんの理由、信念は直接尋ねる場面はなく、よくわからなかったが、ここまでくると表面的な人助けだの薄っぺらな正義感でないことは感じる。
正直、きれいごとの質問しかできない記者達、今の教育に疑問を持ち校長を講演会に呼びその後の食事会で教育界の現状への不満を述べる親達にはもやもや感があった。前者には、とりあえず今”正しい”とされる物差を使い無難にやりすごし本質に目を背ける狡さというかいい加減さを、後者には、ある有名な在日の学者が指紋押捺で妥協する道を選んだとき「君には貫いてほしかった」と(学者から見た場合)安全なところから”失望感”を表明した活動家と似たものを感じた。自分の理想を、自分自身では実現せず他人に戦わせて実現してもらう、というような。
話替わって、電車などで優先席に座ったまま、高齢者が来ても杖をついた人が来ても平気で談笑し譲らない若者らがいる。こういうのを見かけると、ふと、よく軍隊経験者が「理不尽に殴られた」「いきなりビンタされた」「胸倉つかんで張り倒された」と話すのを思い出す。理不尽なケースもあったろうが、新人、若者が横着な態度をとり制裁されたケースもあったのでは、と思う。
『ゴールドマンサックスの真実』
神谷秀樹著 文春新書 活東庵公開日:2011.5.13
”東日本大震災 ”のほうに載せています。こちら→ 生活水準を落とす
『経済人の終わり』
P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社 活東庵公開日:2011.7.17
『マネジメント』で有名なP.F.ドラッカーには、『経済人の終わり』(ダイヤモンド社)という全体主義について論じた著作がある。1939年というナチスやムッソリーニが台頭し勢いのあった最中に書かれた本だが、歴史が定まった今でも十分通用する内容だ。気になった部分を、以下抜粋。
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ファシズムに特有の新しい症状は次の三つである。
1.ファシズムは積極的な信条を持たず、専ら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。
2.ファシズムは、ヨーロッパ史上はじめて、すべての古い考え方を攻撃するだけでなく、政治と社会の基盤としての権力を否定する。すなわち、その支配下にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する必要を認めない。
3.ファシズムへの参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなくまさにそれを信じないがゆえに行われている。
全体主義は前向きの信条がないかわりに、おびただしい否定がある。もちろん、あらゆる革命が、それまでのものを否定し、過去との決別を信ずる。そこに歴史的な従属性を見出し、あるいは見出したと思うのは後世の見方にすぎない。
しかしファシズムにおいては、歴史上のいかなる政治運動と比べても、過去の否定がはるかに徹底している。なぜなら、否定がその綱領だからである。しかも、さらに重要なこととして、ファシズムは、理念や存在が相互に対立関係にあるとき、その双方を同時に否定する。
反リベラルであると同時に反保守である。(略)反資本主義であると同時に反社会主義である。反軍国主義であると同時に反平和主義である。(略)
そもそもナチズムのプロパガンダにしてからが、その主たるテーマは、ナチズム自身が説くアーリア人の優越性(略)ではなく、反ユダヤ主義であり、ヒトラー以前の14年間の否定であり、外国の陰謀である。
旧秩序は崩壊したが、新秩序は生まれていない。混沌である。絶望した大衆は、不可能を可能とする魔術師にすがる。(略)
したがって、大衆がファシズムに傾倒するのは、その矛盾と不可能にもかかわらずではない。まさにその矛盾と不可能のゆえである。なぜならば、戻るべき過去への道は洪水で閉ざされ、前方には越えるべきすべのない絶望の壁が立ち塞がっているとき、そこから脱しうる方法は魔術と奇跡だけだからである。
ここで、一つ予告しておきたい。それは、ファシズムは信条と秩序の代役に「組織」をあてはめることによって、問題解決のためのお守りにするということである。もちろん、そのような解決策は成功するはずもなければ、永続するはずもない。
空中からの毒ガスや爆弾、半永久的な失業、あるいは「40では歳をとりすぎ」なる新しい魔物たちは、まさに人の造ったものであるからこそ、恐るべき脅威となった。昔の魔物は、地震や嵐など自然のものだった。だが新しい魔物たちは、逃れようのないことでは変わらないが、自然のものではなかった。彼らを解き放つことのできるのは人間だけである。しかしひとたび解き放ってしまえば、もはや制御は不可能である。
大衆は世界に合理をもたらずことを約束してくれるのであれば、自由そのものを放棄してもよいと覚悟するにいたった。自由が平等をもたらさないならば、自由を捨てる。自由が安定をもたらさないならば、安定を選ぶ。自由が魔物の脅威を招くのであれば、自由の放棄によって絶望からの解放を求める。
大衆が、恐慌となる魔物を招来するものとして企業、利潤、経済発展をみているからには、これらのものを放擲しなければならない。しかし工場管理、財務、価格政策、会計、生産、流通などの外形は維持しなければならない。(略)
政治の領域においても、政治的自由、少数派の権利、世論、主権在民、選挙などにかかわる原則は、すべて放棄しなければならない。しかし、形式的民主主義の外形、すなわち選挙による預託、国民投票、形式的平等は維持しなければならない。
(略)このことは、きわめて重要かつ、前例のない特徴である。形態と標語だけが、全構造を放擲した後の殻として維持されつづける。(略)
ファシズムの本質は、この矛盾にある。ファシズムは、まさにわれわれの生きる時代の根源的な事実に根ざしている。すなわち、新たな信条と秩序の欠如である。(略)
ファシズムにおいては、旧秩序の実態は容赦なく破壊する。そして、形態は注意深く維持する。
全体主義経済の奇跡は、もっぱら労働者階級の犠牲によって行われたとの説がある。しかし現実は違う。(略)(庵主注:当時全体主義国家の経済は、民主主義国より成長していた)
実際は、犠牲を払わされているのは労働者階級以外の階級である。彼らは得るべき利益を強奪され、生活水準の低下を強いられている。(略)
ドイツ、イタリアのいずれにおいても、下層階級の所有するマルクやリラの購買力の低下は注意深く避けている。(略)
しかし、(略)高級食糧は、まったく姿を消すか、ますます高価になっている。
(略)そのうえ、配給制度がある。ドイツとイタリアでは、少しでも高級な品は指定された店でしか買えない。しかも買える量は平等である。
全体主義国においては、ソ連と同じように、紙幣の購買力は持ち主の社会的地位によって異なる。違いは、ドイツやイタリアでは特権階級の紙幣のほうが購買力が小さいことにある。実際、彼らの購買力の低下が消費削減をもたらし、投資のための膨大な資金を生み出した。
そのうえ、さらに大きな投資資金が、上流階級の所得そのものの削減によってもたらされた。資本所得は厳しく制限された。配当は原則6%、例外8%が上限である。これを超える利益は公債の購入にまわされ、やがて資本財の生産にあてられる。イタリアでは、三種類の法人税が立て続けに導入された。両国とも法人税は信じがたい高率である。
法人所得の削減に加えて、上流階級と中流階級の所得が削減されている。所得そのものの削減と、所得税および個人寄付の増徴によってである。(略)ヒトラー前、医師の年収は9000マルクが平均とされていたが、今日では6000マルクを超える分は、自発的に党へ個人献金することが期待されている。
(略)さらに、商店主のほとんどが公務員とされ(略)定額の給与しか支給されなくなった。
(略)こうして全体主義国では、消費を4分の1削減し、資本財生産への投資を倍増させた。ドイツのように資本を食い潰しているとしかみえない国で、預貯金と保険契約金額が伸びている背景は、このような国をあげての消費削減運動がある。
組織が秩序となる
崩れ去った秩序、価値、信条に代わるべきものをつくり出せないことが、ファシズムとナチズムをさらに全体主義へと駆りたてる。(略)
つまるところ、組織そのものが、自らを正当化する社会的秩序であるとしなければならない。社会組織の外殻はあわゆる社会実体に勝る。容器としての形態こそ、最高の社会的実体である。こうして組織が信条そのものとなる。
旧秩序の魔物たちとの闘いにおいて、ファシズムが提示した唯一の答えが新しい悪魔の存在だった。しかし、(略)組織のための組織では、(略)新しい秩序をもたらすことはできない。
したがって、新しい秩序への要求が強まるほど、ファシズムは組織を最高のものとして強化し、(略)組織がすべてとなる。組織よりも優れた目的となりうるあらゆる秩序の痕跡と遺物を抹消しなければならなくなる。
ファシズムは、組織の名のもとに個人のあらゆる自由を抹殺し、既存のあらゆるコミュニティ、社会的有機体を破壊する。家族、青年団、学生団体、職業団体、政党を破壊する。(略)
(略)それらのものが親ファシズムであろうと、反ファシズムであろうと関係ない。
(略)ところが、組織の有効性にとって、組織自体を目的とするほど、危険なことはない。
その結果もたらされるものは、構造的にも技術的にも最も深刻な種類の組織過剰である。(略)小さな歯車が一つ狂っただけで、極度の混乱が引き起こされるようになっている。
(ラスト)
ここでわれわれは、経済そのものは、完全雇用をはじめとする非経済的な目的に従属させるべきものであることを明確にしておく必要がある。
たしかに経済的な窮乏は悪である。(略)しかし(略)自由の喪失ほどの悪ではない。
このことを知り、受け入れることこそ重要である。しかるに今日、西ヨーロッパの民主主義国は、全体主義化への防禦策として採用している社会政策を、経済発展にも役立つものであるかのごとく扱うことによって、その社会的な効力を大幅に減じている。もちろんそれらの社会政策は、(略)経済発展を妨げざるをえない。しかし(略)経済的にも正しいという自己欺瞞ゆえに、経済的にさえ耐えられないほどの不要な害をもたらしている。そのうえ、守るべき自由まで危険にさらしている。
(略)社会政策というものは、経済的費用を使わざるをえないとの認識をもつことによって、初めてその社会的な効果を社会的な犠牲との比較において評価することができる。そのとき初めてそれらの社会政策が経済にとってもよいことであるかのごとき態度をとることもなくなる。さらには、社会的に必要な経済資源の破壊が、あたかも経済的に無害であるかのごとく、「購買力理論」や「消費理論」の手品によって説くこともなくなる。
もちろん、これらはすべて前提であるにすぎない。これらのことでは、新しい社会を創造することはできない。新しい社会は、基本的な圧力によって生じる根源的な力がなければ創造されない。「経済人」の袋小路から抜け出させてくれるそのような力をヨーロッパが見出せるようになるか、それとも、全体主義の暗黒の中を手探りで進まざるをえないことになるかは、ごく近いうちに決まる。
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「ファシズムは積極的な信条を持たず、専ら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する」
「ファシズムにおいては否定がその綱領」
否定的気分が蔓延した場合、時代背景も異なるのでかつてのようになるとは思わないが、何か危険だと感じる。
「戻るべき過去への道は洪水で閉ざされ、前方には越えるべきすべのない絶望の壁が立ち塞がっているとき」
「新しい魔物たちは、まさに人の造ったものであるからこそ、恐るべき脅威となった」
「新しい魔物を解き放つことのできるのは人間だけである。しかしひとたび解き放ってしまえば、もはや制御は不可能である」
これは今回の原発事故そのものではないか。
「ファシズムは、まさにわれわれの生きる時代の根源的な事実に根ざしている。すなわち、新たな信条と秩序の欠如である」
「ファシズムは信条と秩序の代役に「組織」をあてはめる」
「ファシズムにおいては、旧秩序の実態は容赦なく破壊する。そして、形態は注意深く維持する」
新たな信条と秩序の構築に苦しんでいるとき、何がその穴埋めをするのか、新たに生まれてくるのか、注意深く見ていかなければならない。
全体主義経済の部分は、震災後の復興についてどのような道筋をとるのか気になり、抜粋に入れた。
「こうして全体主義国では、消費を(略)削減し、資本財生産への投資を倍増させた。ドイツのように資本を食い潰しているとしかみえない国で、預貯金と保険契約金額が伸びている背景は、このような国をあげての消費削減運動がある」
こういう状況になったら要注意ということだ。
ところで6月14日付東京新聞に出ていた奥山忠信氏の、アメリカ国債を売ることができないなら、日本が保有する米債を担保に新たな通貨発行の案、どうだろうか?
「社会政策というものは、経済的費用を使わざるをえないとの認識をもつことによって、初めてその社会的な効果を社会的な犠牲との比較において評価することができる」
これは財源のあてのない、安易な支援の安請け合いによる、その後の悪影響が気になって抜粋に入れた。
ドラッカーはさいご
「ルネッサンスにおける自由の概念と「知性人」の社会が生まれたのは、十三世紀の学者たちが、社会における自らの役割を放棄し、隠遁して思索の道に入った後のことだった。同じように、「経済人」のブルジョワ社会における自由の概念は、クェーカー教徒とその「聖職者」たちが社会から隠遁した後に生まれた。」
と書く。原発、金融資本主義の次の社会の概念も、そうした現社会から隠遁、離脱した人々から生まれてくる可能性がある。
『ピダハン』
ダニエル・L・エレヴェット みすず書房 活東庵公開日:2013.8.23
アマゾンの原住民ピダハンとの生活を書いた民族学のフィールドワーク本。現代の生活常識を再考させてくれる。以下気になった部分を抜粋。
(マラリアに苦しむ著者の家族を町へ輸送する際、マッチや毛布を持ってきてくれと叫ぶピダハンたちについて)
「ピダハンたちが(略)窮状にさして同情を示してくれないことに傷ついていた。
当時(略)この程度の苦しみはピダハンには日常茶飯事であることなど思いもつかなかった。(略)ピダハンは一人残らず近親者の死を目の当たりにしている。(略)(ピダハンは)母親が死んでも、子供が死んでも、伴侶が死んでも、狩りをし、魚を獲り、食料を集めなければならないのだ。誰も代わってはくれない。ピダハンの生活に、死がのんびりと腰を落ち着ける余地はない。」
「ピダハンたちには、西洋人が彼らの二倍近くも長生きできると見込んでいることなど、知る由もない。見込んでいるどころか、(西洋人は)それが権利だと考えているくらいだ。(略)とはいえ、ピダハンが死に無頓着だというわけではない。(略)私自身、夜中に思いつめた目をしたピダハンの男に起こされたことは何度もある。すぐに来て、病気の子供や伴侶を見てやってくれないかと。(略)だがピダハンが、必要なときは世界中の誰もが自分を助けるべきであると言わんばかりにふるまったり、身内が病気か死にかけているからといって日課をおろそかにしているところを見たことがない。冷淡なのではない。それが現実なのだ」
(難産で苦しみつつ息絶えた女性を周囲は遠巻きに見守り誰も助けなかったことについて)
「ピダハンが、人は強くあらねばならず、困難は自分で切り抜けなければならないと信じているがゆえに、死にゆく女性に手を差し伸べず見殺しにすることもあると知ることができる。」
「誰であれ自分で自分の始末をつけることの大切さが、それがたとえ命に関わる場面であっても、手出しはしないことの価値が、言葉ではなく目に映る行動そのもので示されていた。」
「飢え死にしそうになっているピダハンや苦しんでいるピダハンを目にしたら、できるものなら見過ごしにしたりはしないが、そのためには助けられる側のピダハンがまぎれもなく助けを必要としている状態でなければならない。(略)かつ手助けがあれば助かる(手遅れではない)状態にあることだ。それ以外の場合は、誰もが自分のことは自分で始末をつける。」
(この女性の死は、その後、ピダハンの歌となって記憶された。つまり無関心で見殺しにしたわけではない。その詩を見ると、いわゆる神話系の詩(うた)は、こうした形で生まれてくるのか、と感じるものがある。)
”必要なときは世界中の誰もが自分を助けるべきであると言わんばかりにふるまう”現代人への疑問、古い社会の”自分の始末は自分でつける”何者にも頼らない(頼れない)自立した生き方など、筆者の観察眼は鋭く印象深い。このほか、ピダハンの狩猟採集活動にかける時間は、一人当たり一週間に15時間から20時間という考察もある。アフリカのピグミー族の狩猟採集活動も実働時間はかなり短い、狩猟採集生活は文明社会の予想に反しかなり余裕があるという内容の本を以前読んだことがあるので、同じ結論である。
追記: 中国韓国編のつれづれの思いの項の最後でも、この本について言及しています
『モンサントの不自然な食べもの』
活東庵公開日:2015.3.29
2012年日本公開時に見たフランス人女性監督による映画なので遅れた話題で恐縮だが、遺伝子組み換え(GMO)種子で90%の世界シェアをもつモンサント社に関するドキュメンタリー映画。大豆やコーンなど食糧品から綿に至るまで遺伝子組み換え種子を扱い世界の農業市場を支配しつつある巨大企業モンサントと、それに疑問を感じ調査する人々の話。
いまや政府VS市民ではなく、企業VS市民の時代に入りつつある、と感じた。企業も”永遠のトラベラー”となれるクラスの大金持ちも、さまざまな方法でマネーフライトして国家に税金を払わず、国民国家の支配下からはずれたところで世界を支配しつつある。国家の管轄範囲外の事由が富をはじめとして増えている。
『海角七号』
活東庵公開日:2015.3.29
2009年末から2010年にかけて公開された当時見た台湾映画。日本統治時代の台湾における、日本人教師と台湾人女学生の淡い、しかし時間を経ても消えることのなかった恋が軸となる物語。現代の台湾の本省人外省人問題や調子のいい客家人などが生き生きと描かれる一方、日本統治時代の台湾が平井賢(台湾で人気)のモノローグとともに挿入される。
シューベルトの「野ばら」が効果的に使用されテーマ曲のように流れるが、野ばらを聞きながらふと、老台北(日本統治時代に育った老人)の一人が、日本の童謡はいい曲が多い、今でも懐かしい、台湾には台湾人自身による昔を懐かしめるよい童謡がない、それがとても残念だ、と語っていたことを思い出した。韓国には、日本の童謡に影響を受けた韓国人の作詞作曲家による、よい童謡がたくさんある。「故郷の春」や「春が来た」「半月」その他、日本人の私でも楽しみ懐かしさを覚える良い曲が多い。
ちなみに『海角七号』の監督ウェイダージョンは、その後霧社事件を扱った『セデック・バレ』を監督し、現在公開されている戦前の嘉義農林高校の甲子園での活躍を扱った『KANO 1931海の向こうの甲子園』にも関わっている。
『無言歌』
活東庵公開日:2015.3.29
2010年末から2011年にかけて公開された当時見た中国映画。当時、中国国内では上映が許可されなかった(おそらく今でも)。文化大革命の前に起こった反右派闘争により収容所に送られた人々の様子を淡々と描く。毎日の強制労働と足りない食糧、薄汚れた収容所の室内。無言の強制労働の連続と、倒れた人々の土饅頭の並ぶ光景に、シベリア抑留を連想した。凍てついたシベリアの凍土と、土漠地帯の荒涼たる光景の違いはあるが、なぜか妙に共通しているように思えてならなかった。告発調でないだけに、やるせない一方、そのような中でも尊厳を感じる瞬間があり、印象に残る。
『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』
宮本常一・安渓遊地著 みずのわ出版 活東庵公開日:2015.3.29
2008年に出版、書評に紹介され読んだ本。
聞き取り取材に行くと、以前も取材を受けいろいろ聞かれたが、その後どう使ったか連絡がない、という話をたまに耳にする。ある人は、○HKが来て資料を持っていった、あとで返すと言っていたがまだ返してくれない、その後も同局の人とXXを再訪した、そのときカメラが壊れたとかで自分のカメラを貸した、あとで返すと言ったがまだ返してくれない、と語った。
台湾の原住民に詳しい日本人ルポライター氏も、学者や著名な作家が台湾の山岳民族に対し、取材したいからどこそこ(その地方の中心都市)まで出てきてくれと平気で要求すると嘆いていた。年配で体の調子のよくない人も多い、山奥からバスで何時間、下手すると往復数日がかりになる、交通費代だってかかる、原住民は人がいいから出て行くが、やはり快くは思っておらず、あとでルポライター氏に愚痴るらしい。それで彼もそうした事情を知るところとなり、当然のように被取材者に対し取材しやすい場所へ出てくるよう要求する学者や作家氏に対し、怒りを感じるという。なぜ自分で交通費代を払い自分の時間を使い、自分から出向かないのかと。
アイヌの人について紹介を受けるとき、「謝礼は出るのか」と確認されることが多かった。誤解のないよう明言しておくがアイヌの古老自身が謝礼を云々することは一切なかった。行政その他の人いわく、ちょうど話を聞く対象がいわゆるアイヌプリ(アイヌ風の生活)の体験世代と重なっており、とにかく学者から卒論レベルの学生までさまざまな人が話を聞きたがる、聞くだけでそれきりの人も多い、今はみな年寄りだがかつては仕事もあり忙しい中時間を割いて取材に応じてくれていた、貧しい人も多い、このアンバランスは疑問に感じる、可愛そうで今では簡単に紹介はしないのだ、と言った。金銭の謝礼はないが、この形で残すとフィードバックしていると説明したが、そうした疑問と不審を抱くのは当然だと思う。
『調査されるという迷惑 フィールドに出る前に読んでおく本』では、そうした調査に関わるさまざまな重要な問題を指摘しており今でも印象に残っている。なるほど、と思ったのは、アフリカなどではフィールドワークや調査取材の許可を取る際、英語や仏語日本語韓国語など取材者の母語や掲載雑誌の言語による論文だけでなく、地元の言語にも訳して発表することを義務付ける国が多くなったという。つまり調査結果取材結果の地元への還元を必須事項とするようになった。調査の結果どのように書かれているのか、調査された人々がアクセスできないのは不公平ではないか、という議論が高まっているためで、これは当然の措置と思う。
このほか、返してもらう約束で学者に渡した資料を返してもらえない、という問題も指摘されている。海外だけでなく日本国内でも多く発生しており、旧家の古文書などを返してもらえないという。最低限のモラルは守るべきと感じる。
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