雑感  東日本大震災(2011/3〜)


    2011.3.19
  1. 計画停電
  2. 買いだめ
  3. 帰宅難民
  4. ワーストシナリオ

  5. 2011.4.12
  6. 最低レベルの上昇
  7. 貧民テクノロジー
  8. 終了感
  9. 医療と限界
  10. 電気
  11. 雨水・自立電気システム
  12. クーラー
  13. トモダチ作成
  14. 遺骨収集
  15. 東京も安全でない

  16. 2011.5.13
  17. 生活水準を落とす
  18. 外国人観光客激減
  19. 山一と東電
  20. 東電解体
  21. 政府の対応を見て
  22. 結局嘘だった
  23. どうするつもりなんだろ
  24. 戦艦大和と福島原発
  25. 家庭の電力は自然エネルギーでK


    2011.6.17
  1. P.F.ドラッカー

  2. 2011.7.26
  3. どうするつもりなんだろ・その2
  4. 花火工場の補償
  5. 韓国の支援
  6. 電気は携帯のようになる
  7. 漁業復興、仮設老人
  8. 種々陰謀の噂

  9. 2011.10.7
  10. 無関心というが
  11. 山道整備
  12. 風評被害というが

  13. 2011.11.8
  14. 二重遭難
  15. 震災ボランティア
  16. 政府の嘘
  17. 震災後調査の調査でNHKの信頼が増したって?
  18. 原発動かすなら現状回復してからだ

  19. 2012.6.19
  20. ベクレル検査
2015年7月以降は過去ログページにまとめて掲載
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(2007年5月以降)

計画停電

活東庵公開日:2011.3.19

 「計画停電」という言葉を久しぶりに耳にした。以前、ミャンマーやシッキムで聞いたのだ。これらの国や地域では計画停電を行っていた。しかし時間がはっきりしており(少なくともシッキムは毎日定時から定時できちんとしていた)、周りもすべてその予定で動いており、計画もたてやすかった。
 今回の関東のように、毎日停電時間が変わる、やるかやらないかわからない、発表された地域だけでなく周辺も停電する可能性がある、という曖昧さだと、計画をたてにくい。さらに、大規模停電の可能性があるから、と急に電車が間引かれたり止まったりする不安定さだ。
 これでは安心して出かけられないし予定もたてられない。工場もいきなり電力が止まったら困るだろう。

 バングラデシュに行ったとき、現地の人から「バスの運行事情が悪いからあまり遠くへ行かないほうがいい。行ったはいいが帰って来られなくなる可能性がある」と言われたが、まさにその状態だ。なんだかミャンマーやシッキム以下、1980年代のバングラレベルの後進国のようになってきたなと感じる。


計画停電その2   3.21
 TVで外食して節電&景気浮揚に貢献しよう、と言っていたが、自宅近くの店ならともかく、見当違いで無理な気がする。TVに出ている人たちはみな車で移動しているのだろうか?この交通機関の不安定さでは、とても寄り道する気にはなれない。明日(22日)から企業活動が再開しても、新橋や新宿で飲食する余裕は(近場に住んでいない限り)とてもないだろう。
 だから交通機関や病院、(市町村レベルを含めた)役所、といった公共機関は計画停電対象からはずすべきだ。技術的にどうこう言っていたが、たとえば戦争のような非常事態になった場合できないことが露呈したわけで、これはかなり問題だ(戦争になる、なんて考えるほうがおかしい、そうなる前に話し合いで解決しよう、という人もいるだろうが、ワーストシナリオは冷徹に予想し備えたほうがいい。今回の原発騒ぎから見ても)。逆に、電力が足りないなら23区特別扱いはやめるべきだ。23区内に国の機関、大企業の本社などが多いことがあると思うが、国の機関は上の基準で外し、それ以外は一律やったほうがいい。
 地方の交通機関、たとえば吾妻線などは止まりっぱなしだ。利用者は少なくても使っている人には大問題。地方のバスも燃料不足で平日土日ダイヤか間引き運転。さらに大停電の可能性があるとなれば、地方の電車から先に運行停止となる。これでは怖くて畑にも山仕事にも行かれない。
 さまざまなイベント、集会、ボランティアその他活動の定例会も中止になっている。災害を悼んでの自粛というより、みな交通機関、足が確保できないことを恐れて開けないのだ。このほうが余程、経済に影響が大きいと思うのだが。
 少なくとも動き始めたらその1日は決められたスケジュール通りに動く、という確実さを保証すべきだ。

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買いだめ

活東庵公開日:2011.3.19

 物資不足は”買いだめ”も原因の一つだと言われている。しかし、お昼に小さい飲食店に入ったとき、店主とバイトの女性がAスーパーに行ったがクリームがない、Bスーパーにもなかった、コンビニも見たがない、午後どこそこへ行ってみる、と話していた。米を何袋も買う人がいた云々の話もあるが、買いだめというより飲食店の可能性もある。チェーン店や大型店は一斉仕入ルートを確保しているだろうが、個人経営の飲食店はガソリンも足りず仕入が大変だろう。
 さらに、牛乳配達も止まった。ということは、毎日配達で牛乳を得ていた人たちがスーパーに買いに来ることになる。こうしたもろもろが、さらにスーパーから物が消える現象に拍車をかけている気がする。

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帰宅難民

活東庵公開日:2011.3.19

 新聞の投書欄に、地震でJR私鉄各線が止まったとき、京王デパートが暖かいデパート内部を提供してくれ、椅子を出したりパンを配っていた話が出ていた。小田急でもデパートの階段を提供してくれていた。おそらく包装用だろう、「下に敷いてください」とビニールのプチプチを配ったり、暖房も効かせていた。駅に停車中の電車も待合室として開放します、と放送していた。

 地震直後、町を歩いていても建物が被害を受けた様子は見受けられなかった。阪神淡路大震災では発生後まもない現地へ行き、建物の損壊が半端でないのを見ている。それに比べれば今回は建物も道路も普通に見えた。これはまもなく復旧するだろうと思ったし、逆になぜこんなに止っているのか不思議でもあった。
 万が一今日中に復旧しなくても、阪神淡路との差はあきらかで、翌朝には動くだろう、数日も動かないとはとても思えなかった。ダッカやバンコク(古い空港時代)の空港にゴロ寝して泊まった経験もあるので、ここは暖かいしそれでもいいや、と思っていた。小さい子供や介護対象者のいる人はともかく、寒風吹きすさぶ中無理に歩いて帰っても疲れるだけだと思うのだが。
 毛布をもらっている人もいたが、私は幸い新聞を持っていたので太ももと体に巻いた。これですっかり寒さは感じなくなった。食事も一週間断食やったことがあるので、水さえあれば一週間くらい食べ物なしでも異常ないことはわかっている(パワーは落ちるが歩き回ることすらできる)。夜朝ぬいても死ぬことはない。

 JRはシャッターを閉め帰宅難民を追い出したと聞く。寒空の真夜中、外に放り出されたら死活問題になりかねない。JR近辺をうろうろしなくて幸いだったが、一方、小田急や京王のぷちぷち代だのパン代、暖房費など、持ち出しも多かったろう。毛布だって使えばその後洗う必要があるだろう。助かるが、誰かが負担してくれていることにもなる。とにかく、小田急京王には感謝だ。

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ワーストシナリオ

活東庵公開日:2011.3.19

 地震直後、名古屋、九州など西日本や台湾などから「大丈夫?」と連絡があった。それから4,5日すると、原発事故、物資不足、計画停電実施など不穏な感じがするのか、今度は東京在住の知人、親戚などから「みなさん、大丈夫ですか?なんかいろいろあって怖いです」的なグループ向けCC送信メールが増えてきた。
 みな、なんとなく不安なのだろう。為替株価も揺れ、計画停電でまともに仕事もできない。数日ならともかく数ヶ月この状態が続けば企業活動、生産活動もストップに近い。

 イギリス大使館の会見について、ニューメリカルテクノロジーズ株式会社の代表取締役社長鳥居秀行氏がツイッターに綴った記事がある、と知人がメールで知らせてくれた(http://togetter.com/li/112284)。
 以下、そのコピー:

以下に3/15に行われた英国大使館(東京)の会見の内容を記します。
この会見は英政府主席科学顧問
Sir. John BeddingtonがChief spokesmanを務め、
数名の原子力に関する専門家が参加。

英大使館会見(2):
会見についてはここ http://bit.ly/gKVOBK
内容についてはFacebook http://on.fb.me/ektldrがソース。
翻訳は私が行いましたので真偽は別途ご確認願います。

英大使館会見(3):
起こりうるワーストケースシナリオ。
放射性爆発に続き原子炉1基の完全なメルトダウンが起こる。
健康被害防止に必要な待避範囲は最大50km。
もっと悪い 2基ないしそれ以上の原子炉喪失の状況でも、
被害が1基喪失シナリオに比べて遙かに大きくなることはない。

英大使館会見(4):
現在の待避範囲20kmは現在の放射能レベルに対しては適切。
もし海水注入による原子炉冷却が維持されるならば
ワーストケースシナリオ回避の可能性が高まる。
もし新たな大規模地震と津波があれば
冷却作業が中断されるので
ワーストケースシナリオ実現の可能性は高まる。

英大使館会見(5):
結論を言えば
東京の住民に健康被害が起きる可能性はないと考える。
そのためには放射能レベルが現在の何百倍も高まる必要がある。
我々の意見ではそうした事態は起きない。
この評価は妊婦と子供を念頭に置いている。
健常な成人が被害を受けるのはさらに高い放射レベルである。

英大使館会見(6):
風向きは関係ない。
東京は十分に遠いからだ。
海水注入が10日間維持されれば
原子炉コアが冷却され状況はかなり良くなる。
日本側が提供した情報は
独立した複数の機関によってモニターされており、
放射能レベルに限り情報は正確と判断されている。

英大使館会見(7):
今回の状況はチェルノブイリ事故、
つまり
被覆されていない炉心がメルトダウンを起こし、爆発し、
何の制御もないまま数週間にわたって火災が続いた
状況とは大きく異なる。
同事故さえ待避範囲50kmで
健康被害防止には十分であった。

英大使館会見(8):
チェルノブイリ事故の被害を拡大したのは
食物の放射能汚染が測定されず
また人々に警告もされなかったために、
人々が汚染された食物、穀物、牛乳、水を
その後何年にもわたって摂取したからである。
事実が隠蔽された同事故に比べて
情報が公開されている福島の事故は対照的である。

英大使館会見(9):
ブリティッシュスクールの校長が
休校を続けるべきか質問した。
専門家の答え。
放射能が理由であれば休校を続ける理由はない。
他の理由、
建物の被害や余震、があれば別であるが、
たとえ子供が対象であっても
科学的には放射能の危険は肯定できない。

英大使館会見(10):
ヨウ素剤の摂取について。
これは待避区域内にいたとか原子炉区域内で働く作業員など、
放射性物質を吸収した人か、
汚染された食品や水を摂取した人のみが必要とする。
ヨウ素剤の長期摂取はどんな場合でも健康に良くない。
[完]

すばらしい。
日本政府と東電もまずワーストシナリオを提示し、
論理的に被害予測し、
そして対応を説明すれば人々も安心しよう。
買い溜めするな、放射能レベルは意味がない、
と言い続けるだけでは人々の疑心暗鬼は晴れない。
どう弁解しようが日本の原子力行政は隠蔽と虚偽の歴史なのだから。

 こういう説明を見ると、日本は買いだめ非難など情緒的なモラルに訴え、理路整然とした説明が下手だと感じる。これは日本だけでなく、韓国中国など東アジアの政府に共通する。民は上の言うことを聞けばいい、下手に知らせるとパニックになる連中だから、という感じがある。状況を正しく伝えた上でチャーチルのように国民向けメッセージをするならわかるが、東日本はつぶれる、と言ったり大丈夫だと言ったり(原発事故に際し最初の頃はさかんに大丈夫と言っていたのに、朝起きると状況が悪化しているの繰り返しだった)、”上”がパニックになっている、ぶれている感じがある。

 悪いが民主党は素人の集まりだった。政治家がいないと感じた。やはり何とかチルドレンやタレントを選んではまずいのだ。非難で人が動くだろうか。必要なのはワーストシナリオの提示と、対処への道筋。これは、巨額赤字の財政問題でも同様。愚民政治はうんざりだし、一方そういう連中を選んできたという選挙民側の問題もある。ワーストシナリオを見聞きすることを恐れてはならない。

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貧民テクノロジー

活東庵公開日:2011.3.19

この項については雑感−歴史/地方/農業編


最低レベルの上昇

活東庵公開日:2011.4.12

 敗戦直後の東京の様子をアメリカが撮影したフィルムを見たことがある。”太陽を信仰する古風な民族云々”のナレーションをバックに、一面焼け野原で瓦礫の残る中、トタンを斜めに被せただけの三角の掘っ立て小屋が建ち、子供や大人が出入りしていた。昭和二十年代の映画作品で古川緑波が子供と露天のドラム缶風呂に入る場面も見たことがある。
 いま、トタンで掘っ立て小屋を作る人はまずいない(追記で補足)。

 昭和三陸大津波の映像では、集落の人たちが人海戦術で黙々とがれきを片付ける場面が記録されていた。姉さん被りの女性達も混じっていた。
 いま自然災害の瓦礫の撤去は基本的に行政が行う。今の家の作り、家具・運搬具のがれきは量・重量とも人間の手に負えなくなった。近所の普通の家すら重機を使って建てている。撤去も重機で行うしかない。行政主導になるのはそういうこともあるのだろう。

 三陸地方は、明治時代以降だけでも明治三陸大津波 昭和三陸大津波、チリ地震大津波、今回と4回大津波が来ている。明治のとき30m近い津波の来た跡があるというから、今回規模の津波がありうることは昔からわかっていた。津波は明治以降のみならず、江戸、鎌倉、縄文時代から来ていたろうし、それでも人は住んでいたわけだから、そういうところだと折り込みずみで住んでいたことになる。
 明治や戦前あたりまで、庶民の家に大した家財道具はなかったろう。家だって、”何百年ももつ立派な梁を使った古民家”なぞというものは御大尽の家くらいで、たいていは藁葺き草葺の掘っ立て小屋レベルだったはず。茨城や群馬、栃木の70代80代の老人からよくそう聞くから、よそでもそう違いはあるまい。地震、津波や火災にはあっけないが、復興も早かったろう。戻るべき生活レベルがそう高くないからだ。がれきの量も今とは比べ物にならないくらい少なかったろうし、基本的に人力馬力で動かせる範囲だったはず。だから津波が来るとわかっていても、日々の生活の便利さを天秤にかけた場合、後者のほうが上と判断されたのだろう。これは江戸(東京)も同様で、しょっちゅう大火があり焼け出されたが、それでも人々はまた家を建て住み続けた。しかし今の生活形態は、いったん災害に遭うとかなりのものを失う。元のレベルが高いので、そこまで戻るのにお金も労力もかかる。

 以前も紹介したが、知人に吉野川流域出身の人がいる。彼女が子供の頃、吉野川はしょっちゅう氾濫したという。大雨や台風到来で氾濫が予想されると、大人たちは一階の家具や畳を二階にあげ、一階の土壁をすべてぶちぬき柱だけにして洪水に備えた。幼い彼女も手伝って荷物を上に運んだが「なんかさあ、動物も洪水察知して二階に逃げてきているんだよねー。蛇がとぐろまいてたりして、”お兄ちゃーん、蛇いるよー”、て」昭和40年代、さほど遠い昔の話ではない。
 今は堤防が完備し洪水はありえないこととされている。家も今風に建て替えられ、家が流されぬよう壁をぶちぬくなんて発想は考えもできなくなった。家財道具の数も増え重くなり、とても二階と上げ下げできまい。

 北関東の農家のお婆さんいわく、子供の頃から数えて3回、家が建て替わったという。最初は藁葺き屋根、戦後しばらくして杉材を使いトタンや瓦屋根の家、昭和の終わりあたりから今の新建材の住宅になった、だから年寄り仲間で集まると、戦死した人が今村に帰ってきたら自分の家がどこだかわからないだろうとよく話す、道も家もずいぶん変わったから、という。

 戦後のように、掘っ立て小屋から始めお金がたまれば徐々に良い家に建て替えてゆく、そういう”発展”の仕方はもうできないのだろうか。
 社会インフラが大規模一括になればばるほど依存も強まる気がする。今回はどこに町を作るかも行政サイドで決めることになるだろう。行政が安全を判断して”くれる”。
 便利だが個人で対応可能な範囲を超えて大型化複雑化した生活と、生活インフラを大規模システムに依存する生活が、自力で作り再生するサバイバル能力を削いでいる部分もある気がしてならない。

 救援活動は基本的に相対的なもの。全体の経済情勢がよければ手厚くやれる。悪けりゃできない。被害が局地的なら集中する。広範囲なら救いきれない。奥尻島と阪神淡路とでは個人に渡った見舞金の額がかなり違ったことが、阪神淡路当時話題になった。今回もおそらく厳しい。東京で大災害が起きたら、復興住宅などとても作りきれないし、助けも全体に行き渡るほど来ないだろう。物理的にできない。その予想に備えたほうがいい。見舞金など出せない数の被災者が出るだろうし、国の機関も被災する。

 "復興"も相対的なもの。全体のレベルが高ければそこまで戻さないと周囲や元と差が出る。誤解を招きやすいテーマだが、復興住宅にあれが仮宅?本宅のようだ(中国)、避難所の食事にさすが日本、質が違うの声が海外にあるのも事実。敗戦直後の日本やスマトラ沖大地震のように元々低ければ、絶対的見地からは低いレベルの復興でもこれまでや周囲と差がないので許容される。
 よく”人間らしい生活”と言うが、何をもって”人間らしい生活”というのだろう。縄文時代のそれと、江戸時代のそれと、今のそれとは随分違う。第三世界(死語か?)のそれと経済発展した国のそれともかなり違う。”貧乏とは相対的なもの”とよく言う。
 「我々年寄りは戦争体験しているから物がなくてもやり方知ってる、風呂など毎日入らなくてもかまわない」という人もいれば、避難所で今一番困っていることはという質問に「毎日お風呂に入れない、16歳女子」という声もある。
 ただ、余力がなければできないものはできない。ないものはない。そうなる時代状況が、震災でなくとも、経済状況の悪化その他の要因によっていずれやってくる。

余談: 2月頃のNYタイムズに、アメリカの大学に中国人留学生が増えている、米大学側も学生獲得の一環として彼らを当てにしている、という記事が載っていた。”中国人学生は応募書類にものすごく凝る、専門業者がいてスターのような写真、本人英語力なくても代筆業者による完璧な英語でパンフレット(冊子)状にして送ってくる、ある女学生は最もタフな中成し遂げたことについて「四川大地震のボランティアに参加しました、毎日歯を磨く水もなくてとても大変でした」と書いてきた、歯を磨く水?、しかも真夜中リクルート担当者に電話をかけてきて「私のレジュメ、どうでした?」、担当者が開口一番放ったせりふは「君、いいからもう寝なさい」。”
 電話が国際電話なら時差を考慮しなかったのだろうが、まあ、豊かに育った世代は世界中でこういう感じなのだろう。(顔を洗う水だったか?ちょっとうろ覚え)

余談その2: 1980年代、韓国の旅人宿の共同水道に塩が置いてあった。何に使うのかと思っていたら、韓国人宿泊客が指を使って塩で歯を磨いていた。なるほど!これはサバイバルに使えるなと思った。
 同じく1980年代のインドのマザーテレサの施設では、食器を洗うのにココナッツの繊維と石鹸代わりに灰を使っていた。水は貴重、ため水で少しすすぐだけ。乾燥させれば大丈夫という。確かにすぐ乾く気候だが、これもなるほどポイントだった。ただし、日本のように何が何でも延命治療ではなく、体力落ちれば自然死の観念が受け入れられる背景がある。

追記 掘っ立て小屋を建て始める人がいない、というのは阪神淡路でも同様で、東京で大災害が起きても同じと思うが、何か勝手に掘っ立て小屋を建ててはいけない雰囲気でもあるのか、とすら思う。
 そうしたら、11日のTVタックルで「このままにしていたら、そのうち掘っ立て小屋でもなんでもみんな建て始めますよ。そうなる前に私権を制限しないと」と言っていた。やはりまずい雰囲気がある(見た目だけでなく)。
 外国人の水源地買収も問題化していた矢先なので(原発事故で逆にこれはしばらく沈静化しそうだが)、これを機に土地の所有権だの私有権を大きく変えるチャンスと思っているかもしれない。

追記2 4/15付朝日新聞に、阪神淡路以降、被災した市街地を自治体が建築制限/禁止できるようになり、今回も建築制限がかけられていると解説があった。雰囲気でなく、実際に法律で建設禁止なのだ。ということはOKになるまで、避難所で仮設を待つか肩身の狭い思いをしつつ親戚知人宅を回るか、貯金崩してホテル住まいするなどになる。
 乱開発を防ぐためというが、自分に置き換えて考えた場合、早く指針示してこちらもアクション起こせるようにしてくれないと、宙ぶらりんのまま置かれて生殺しになりかねないじゃないか、と感じると思う。
 そういう意味で復興構想会議はまずい。6月に一次提言、てなんなのよ、と思う。やはり民主党はダメリベラルの典型。予想はしていたが。理想をしゃべって終わりだろう。”いい人”示すアリバイ作りで現実に動く勇気ない。実際に動きだすと批判されやすい。エコシティとか、急に無理して作らなくても。年寄りも多いし徐々に転換すればいい、被災地だけでなく東京大阪都市部も対象に。限界集落も多いしいずれ廃集落になるところも出るだろう、年寄りは生まれ育った地を望むなら戻してあげればよい。震災復興税より、直接県に義捐金として寄付したほうがましと考える。

疑問:塩害 農地の塩害の話が出ているが、今まで何度も津波に遭っている地だからそのたびに塩害はあったはず。なぜ今回問題になるか素朴に不思議ではある。
@従来農地でなかった海沿いの標高の低い土地を戦後改良して農地化した
A以前は河川の氾濫で洗い流せたが(スマトラ沖津波被災地では数年で塩が流れたと聞く)今は河川整備されそれが期待できない
Bこれまでも塩害はあったが数年待てば使えるようになる、しかし現代の経済サイクルでは数年待っていられない
のいずれかなのだろうか?

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終了感

活東庵公開日:2011.4.12

 とあるネット掲示板の書き込みが、今の気分を象徴していると思うので抜粋を紹介:

「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」。米国家経済会議(NEC)前委員長の
ローレンス・サマーズ米ハーバード大学教授が23日、ニューヨーク市内の講演で断言すると、
会場が静まり返った。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110330/amr11033022470007-n1.htm


みんな知ってるし
みんな諦めてる 

なあに
少々寿命が早まっただけだ

福島とか経済完全終了だしな 

ぶっちゃけ何もなくても破綻寸前だったし言い訳ができてよかったわ

ゲームできればいいよ、もう・・・技術切り売りしてる時点でわかってた 

それほど困らんだろ。平均寿命が短くなるとか、食事が限られてくるとか。
今が過剰なだけだから幾分シンプルでマシになるかもしれん。 

一企業とカネに目が眩んで正常な判断が出来なくなった人たちのせいで日本は終わりました

つーか元々日本って清貧気味でちょうどいいくらいの国民性なんじゃないか? 

落ち行く日本にとどめが刺されたような形だな
全くとんでもない世代に生まれてしまったもんだ 

貧しい国になるだろうことはバブル崩壊の時に予想はついた 

阪神大震災と違ってこの完全終了ムードはどうよ?
今回ばかりは流石にやばいんとちがうか。 

もともと兆候はあったけど、トドメが来た感じだよな。

色々余分なものを切るのに大義名分が出来たと考えれば悪くないのでは

これから何年も放射能撒き散らすんだもんなあ。
経済以前の問題だよ。 
あと半年もすれば倒産ラッシュの悪寒 

工場やら売春婦やら、出稼ぎで中国に行かなきゃならん時代が来るな… 

だから「昔はよかった、あの頃へ戻ろう」とか
そんなレベルじゃなく貧しくなるんだって
国全体で貧しくなることを全く理解してねえ

一度落ちても日本人ならはいあがれるという安心感はある
日本が存在してればの話だが 

地震だけならそう思えた
っていうか、実際そうなったと思う

原発事故さえ起きなければなぁ・・・・
東電は1億回死んでも足りねーわ 

鎖国してガラパゴス進化しようぜ 

温室育ちの飼い犬だったのに突然野生に放り出された気分だな 

ゆるやかに衰退するとは思ってたけど一気に叩き落されたよな〜・・・ 

放射能バラ撒きは、
がんばろう!じゃどうにもならない。 

いやガチで韓国未満のレベルになると思うぞ

まあ、日本が沈んだ時に韓国が持ちこたえられるかどうかだな

いよいよダメってなったらアメリカに喧嘩売って派手に散ろうぜ

タイやブラジル並みの貧しさを想像してみると
意外とそれでもいいか、って気分になった 

 確かに終了感はある。衰退を感じていたがそれが一気に来るな感もある。

 十年ほど前、勤務先が赤坂にあった頃、よく渋谷まで歩いて帰った。バブルは崩壊していたものの青山通りにはこじゃれた店が並び、なんとなく「いつまでこうした風景を見られるだろう、いつまでも続くはずがない、いずれ見られなくなるから」と感じ、写真に撮っておこうと思いついた。そこで、イルミネーションやショーウィンドウに灯りのともり始める夏の夕暮れ、通りの写真を撮りながら帰ったことがある。昔は日本がこんなにきれいなときもあったんだよー、と語る日がそのうち来るような気がして。

 石原慎太郎氏の”天罰”発言はわかる、という年配者は多い。戦争体験世代の大半はそうではないかと感じる。彼らはみな「震災に遭った東北の人たちのことを言っているんじゃない」と言う。家人も震災とは無関係に昔から「いつか日本はばちが当たる」とよく言っていた。(これは戦争でアジアに迷惑かけたからとか、そういう視点の話ではないので誤解のないように)
 計画停電騒ぎにも「みんな身の丈にあった生活をすればいいのよ」と年配者どうしで話しているのを聞く。

 人の増えすぎですべて説明できるでも書いたが、常識的に考えて地球上の全人口が今レベルの”人間らしい生活”を望んだ場合、それを支えるに足るだけの資源はもう地球上にはない。
 「今まで科学の発展が不可能を可能にしてきたから大丈夫」という人もいるが、今の人口と生活レベルは、原発レベルの危険なシステム(遺伝子変換だの含め)に依拠しなければ維持できないだろう。(夢物語だが宇宙ステーション宇宙植民の発想など、どこか維持装置が壊れたら大量死必須の危険なシステム)

 震災がなくても、今の方向のままではいずれ必ず破綻するし、各集団の生き残りをかけた奪い合い闘争になる。今の生活形態のままでは、いったん大きな自然災害が起きれば、大規模システム停止という人災がプラスされた現代型大災害になる。

 いまの資本主義では、”新しい””便利”なオプションのついた製品を次々出さねば淘汰される。人は慣れるし、欲望は止めがたい。しかしひたすらこの競争を突き進めるだけで大丈夫なのだろうか。
 いざというときのリスクとコストを考え、持続可能性と長期の視点から、これ以上は求めないという”閾値”の観念が必要になってくると思う。ただ、強制やモラルになると窮屈だ。一方、全体で(抜け駆け許さず)やらなければ意味がない。

 津波の危険性すら世代が替わればいくら語り継ごうが色褪せる。閾値の思想も、繁栄とバブルが数十年続く社会状況になった場合持ちこたえられるかどうか。

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医療と限界

活東庵公開日:2011.4.12

 電力不足になった場合、生命維持装置系の機器はどうなるか。
 東京新聞の「本音のコラム」で、今回の計画停電にあたって、自らも在宅酸素の必要な家族を持つ看護師宮子あずさ氏が、在宅医療は安定した電力供給あってのもの、高度医療は電力依存度が高く、呼吸器、透析、未熟児保育器などの機械抜きに今の医療は成り立たないと書く。そして「今後電力供給の問題は再検討を要する。その場合には、きっちり腹を括ろう。「華美な電飾をやめればよい」といった、表面的な話では済まないのだ」と結ぶ。

 胃ろう、臓器移植、酸素吸入などの方法があるのがわかっているのに、あきらめろ、とは言えない。
 電化製品があるとわかっており使えば便利なのに、がまんしろ、とは言えない。
 人を減らせ、とは言いにくい(中国は抑制しているが。この点は評価している)。

 一方、人は必ず死ぬ。どんなに延命医療を重ねても。
 体力の落ちたアフリカの部族の長老が死期を悟り「食べたものがコトンコトンと喉に落ちるようになった。もう長くはあるまい。だからみなに言っておく」と自分の小屋で語る場面を読んだことがある。民俗学者の対談で見たのだが、臨終の人のいるイヌイットの家を訪問したときのこと。5歳くらいの子供が案内にたち”人が死ぬとはどういうことか”を道々語り、魂を送る際にしてよいこと、してはいけないことを順々と説明したという。こんな小さな子供が死をきちんと理解し説明できることにその学者は驚き、今日本では家庭から死を遠ざけすぎている、病院で死ぬことがデフォになっているが本当は家族の死を家庭に、日常の一環に戻すべきではないか、特に子供に対し「理解できないから」と誤魔化すべきではない、と語っていた。

 あきらめない、がんばる、努力、という思想も大事だが、一方、限界はある、運命の存在を恐れない、受け入れる、という思想も大事と思う。どこに折り合いをつけるかは人によって違うだろうが・・・

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電気

活東庵公開日:2011.4.12

 よく晴れた日
 いつもの青空が広がっている
 ただ、そのうしろにくろぐろと底なし穴が開いた

 風がそよとも吹かないしんとした昼間
 穴のあいた空から降り注いでくる

 住宅の上、葉の落ちた里山の梢、株の残る田んぼに
 音もなく、形もなく、絶え間なく


 いつのまにか随分と電気を使う生活になっていたなあ、と今回の計画停電で感じた。ちょっと前までは電気をまったく使わない生活だったはずなのに、なんでもかんでも電気になっていた。
 子供の頃、エアコンなぞなかった。家庭にも学校にも。昭和50年代でも学校はないのがデフォ。今は東京の公立校のほとんどでエアコンがあるようだが。電車も鈍行にクーラーはなかった。開いた窓から生暖かい風を感じるといかにも夏だなあという感じ。風にあたりながらのんびりローカル線の旅が好きだったが、1995年、久しぶりに山陽本線でローカル線に乗ったとき、すべてエアコン仕様で窓が開かずがっかりした。

 なぜいろいろな活動、家事労働や物作り作業が電気を使う機械に置き換わったのか?そこでちょっと、電気について調べてみた。
 エネルギーの機械動力変換は回転によることが多い。なぜかと思うが直線運動と違い場所をとらないためかもしれない。縄文人もケルト人も回転には何か不思議な力を感じるのか渦巻き文様をよく使う。昔から風力、水力を回転運動に変え動力源にしてきた。やがて燃焼エネルギーを回転に変える蒸気、内燃機関が出てきて、今は電気になった。

 以下、ソースは平凡社の「世界大百科事典」(少々古い版だが、歴史系はそのほうが最近のものより本質をとらえている気がする)。

第一期 水車風車 出力に限度(5HP)あり

第二期 蒸気機関 水流に依存しない、より自立的強力な原動力を求める。1782年ワットにより画期的な複動式回転機関が発明され、蒸気機関に発展、工場運輸などの原動機に利用される。フランスで水力タービン発明、(水車は水に働く重力を利用するが)水力タービンは水の運動エネルギーと圧力エネルギーを利用、水の速度の扱いが重要となる。

第三期 内燃機関、蒸気タービン  蒸気機関の限界が見える。小型化軽量化には内燃機関、高速化には蒸気タービンが適している。19世紀ガス機関ができたが蒸気機関に太刀打ちできなかった。1860年内燃機関の実用化の一歩が踏み出され(下記「内燃機関の歴史」参照)、20世紀になるとガソリン機関とディーゼル機関が発展 蒸気機関に取って代わり内燃機関の世紀となる(特に運輸)。蒸気機関は馬を駆逐できなかったが、第一次大戦後内燃機関のトラクターは馬を駆逐。軽量なガソリン機関により航空機が可能となる。

(古い版なので原子力についても言及はあるものの項目は分かれていない。現在の視点から見れば第四期に原子力がくると思われる−活東庵主注)

内燃機関の歴史: 間欠的に生ずる燃焼によって連続的な機械動力を得ようとする試みは17世紀よりはじまる。18世紀石炭の燃焼熱を利用する蒸気機関完成、かなりの量の機械エネルギーを間接的に得ることに成功。燃焼ガスを直接用いて機械動力を得るガス機関(ピストン機関1860年)正味熱効率3or4%。ディーゼルによるディーゼル機関の発明、軽油重油を使うガソリン機関の発明。

原動機: 風・水のもつ運動エネルギーと位置エネルギー、石炭石油のもつ熱エネルギーなど自然に存在するエネルギーを機械を動かす機械的エネルギーに転化させる機械ないし機械体系

タービン: 蒸気ガス流体のエネルギーを機械的動力に変える、数枚〜数十枚の羽根を高速回転させるターボ型機械
  蒸気タービン/ガスタービン−高温高圧のガス蒸気の持つエネルギー温度圧力を利用
  空気タービン−高圧の圧縮空気の持つエネルギー圧力を利用
  水タービン−水流の持つエネルギー落差を利用

内燃機関: 熱機関の一。熱機関は熱エネルギー(燃焼その他)を機械的エネルギーに変える原動機。燃料の燃焼が機関の内部で行われる内燃機関と外部で行われる外燃機関(蒸気機関)とある。
内燃機関は往復運動形(ピストンの往復運動をクランク機構によって回転運動に変換)と回転形(内燃タービンのように蒸気ガスのエネルギーを直接回転運動に変換)とあるが、普通は往復形のみを内燃機関という。ガスタービンは別

電動機(モーター):電力を受けて回転し、その軸にトルク(回転力)を発生して機械動力を発生する回転電気機械の総称。工業の動力源の大半は電動機によっている。この状態は、各種電動機が発明され送配電網が発達して以来そうなった。その原因は種々の特性をもった発動機の存在(容量に関わらず能率に差異なく種類は豊富)、信頼性がある、制御が容易、保守が容易、電力の輸送が楽、小出力・大出力の電動機いずれも製作が容易などの理由による。

電力の歴史:
1880年代 蒸気タービン実現。蒸気機関では発電機を駆動してもアーク灯のちらつきを防止できなかった。発電機を駆動しうる高速機関が必要となり、蒸気タービンがそれに答えた。
1881年 エディソンがアップルトンに最初の発電所建設
1882年 エディソンがニューヨークのパール街に中央発電所を開設、6、7000個の電灯ともして電力時代がはじまる
1882年 ミュンヘンで57kの遠距離送電に成功
1891年 100kwの復水タービンがケンブリジ電灯会社に電力供給開始
1906年頃より 蒸気機関の出力限界8000HPであることがわかり、蒸気タービンがとって変わる。これにより火力発電所、船舶が巨大化。

19世紀末に電力技術が出現、送配電網確立する。電動機の出現はワットの蒸気機関に匹敵するもので、遠距離送電は地方に偏在する動力源の利用を可能にし、電動機は生産の機械化自動化の基礎となり流れ作業を可能にし、広範な機械動力の使用をまきおこし機械化を推し進めた。

19世紀末の電動機の開発: 家庭用配電網の発達に従い工場動力としての電動機も急速に普及。蒸気タービン水力タービンが発生させる機械的動力は発電送電を経て末端の電動機によって個々の作業機を動かす。

20世紀 電動機はあらゆる分野の入り込む。電力需要は飛躍的に増大。電動機は小は手のひらサイズのものから大は数万HPまで種々の特性のものが製作可能な万能の原動機であり、制御も容易。これにより広範な分野の使用を巻き起こし家庭器具にも使用される。蒸気機関のように工場の作業を拘束せず、電動機は作業工程に応じて機械配置可能。作業機の各操作部分の特性に応じた電動機を付けることにより自動化が可能。

日本の場合:
1883(明治16)東京電灯会社設立許可
1887年一般供給開始 直流25kw
日本で電灯を強く必要とした事情
1.輸入の大半を占めた綿糸の国産に切り替えるための紡績業の勃興とその原価切下げのため深夜業を強行した
2.社会治安が悪く電灯をつければよくなる(東京電灯の創設願に載る理由の一)
3.軍事工場で電灯必要
4.不平等条約撤廃のため

 アメリカでウェスティング会社がエディソンの反対を押し切って交流1000V方式をはじめる
1889(明治22)大阪電灯会社が取り入れ有利なことがわかりすべて交流式になる。その際東京はドイツの50c/s、大阪はアメリカ式の60c/sを取り入れいまだ統一ができず不便不経済を残している。

以上「世界大百科事典」平凡社より抜粋 HP記号が出ないのでH とP を併記して代用した


 つまり電気は、まず電灯を灯すために利用された。そのための家庭用配電網が発達するに従い、工場動力や輸送動力としても利用されるようになってゆき、今やそちらがメイン。
 電気は流動する(ここが磁気と異なる、導体、不導体がある)。おそらく熱などよりもずっと長距離移送が可能なエネルギーで減衰も少ないのだろう。そして電気を通せば磁石が回転する。つまり回転運動が始まる。コンピューターなどはオンオフを0と1に置き換え、まさに電気そのもの。
 電気関連の項によく出てくるのが機械化、自動化という言葉だが、つまり電気によって、人間が手で行っていた作業、家畜が行っていた作業を代わりにやらせることが可能になった。水車や風車も精白作業などを自動化していたが、ごくごく限られていた。電気は洗濯、炊飯、皿洗い、食料保存などなんでも自動化できる。電化製品の名称が”自動XX”、”全自動XX”というのは象徴的。物作り作業、工場作業、運搬作業なども同様。1960、70年代によく機械化、機械化と言っていたのもこういうことだったのだ。コンピューターの出現でさらに会計や計算などデスクワークが自動化した。これはコンピューター化コンピューター化と言っている。

 便利になったものの、機械化自動化であいた時間で何ができるようになったか?さらにコンピューターを発明しますます便利になる、医療技術が発達しより多くの人の命を救えるようになる、金融工学も発達し云々、文化も発達、スポーツも発達、家庭の主婦もヨガやフラワーアレンジメントを楽しめる、などなど。
 ただ、昔人と比べ今人のが精神的にどうか豊かかと言えば結構疑問。可能となったあれこれも、窮極的にはどうでもいいかも、という気すらする。そう言ってしまうと身も蓋もないのかもしれないが・・・

 一方、『お母さんは忙しくなるばかり』(ルース・シュウォーツ・コーワン著 高橋雄造訳 法政大学出版)でも指摘されているとおり、工業化自動化によりかえって主婦の労働は増えた。一例として、19世紀までトウモロコシ粉と全粒粉が主食で変化の少ない食事だったのが、自動化された大規模製粉工場で製造された細粉や上質粉に転換したことにより、主婦の料理とパン焼きに費やす時間と労力が増大したなど、さまざまな例が紹介されている。掃除機や洗濯機の出現は、常に清潔にしていなければいけない状況をもたらし、洗濯や掃除回数が増え主婦の労力は減らない。
 昔はしょっちゅう洗濯などしなかったろう。周りが毎日お洗濯、毎日お風呂が標準の社会で、一人そうでないのは難しい。ただ、物理的に毎日お洗濯、毎日お風呂が不可能な社会になった場合(震災だけでなく、日本が貧しくなった場合)、そちらが標準になる。

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雨水・自立電気システム

活東庵公開日:2011.4.12

この項については雑感−歴史/地方/農業編「貧民テクノロジー」の追記部分

クーラー

活東庵公開日:2011.4.12

 先にも書いたが、ほんのちょっと前までクーラーはなかった。それでも明治、大正、昭和、会社はあったし仕事していた。昨今の異常に暑い夏の一因に、クーラー排出熱があるという。全体でクーラーを一斉にやめたら、都会なら一度くらい下がるかもしれない。
 さらに言うなら、シャーロック・ホームズの時代、電気はなかったはずだが、結構文化的な生活している。あの程度の生活レベルでもいい気がする。

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トモダチ作成

活東庵公開日:2011.4.12

 よくやってくれている、と思う一方、だから米債を売らないでくれ、という裏の約束でもあるのかなと思う。

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遺骨収集

活東庵公開日:2011.4.12

 今遺体捜索を懸命にやっている。日本人は遺体を大切にする、特別な感情をもつため、という。しかし、先の大戦時、日本軍は兵士の遺体を回収しなかった。できなかった、とてもその余裕はなかったとする。敗戦後も遺骨収集団が出たものの、基本的には民間まかせ、かなりの遺骨が残されたままだ。一方、米軍は必ず遺体を回収していた。朝鮮戦争で北朝鮮に残された遺骨、という客観的に回収が難しい地の遺骨もなんとか取り返した。日本の言っていることは、状況次第で変わりやすい。できるときはやる、できなければ普通にやらない。アメリカのが一本筋は通っている。

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東京も安全でない

活東庵公開日:2011.4.12

 東京が安全だと政府はさかんに言っているが、あれはうそだ、本当の状況を隠している、と言っている人は周りに多い。東京全体が逃げるところなどないから言わないだけだ、だから東京の人に逃げろとは言えないのだと。

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生活水準を落とす

活東庵公開日:2011.5.13

『ゴールドマンサックスの真実』(神谷秀樹著 文春新書) 以下気になった部分についてざっと抜粋

 米地方政府の財政は破綻しつつある。カリフォルニア州のある市では自前の警察を維持できず、隣市に手数料を払い請け負ってもらっている。ハワイ州では財政難から学校が週4日に、ニュージャージー州では校長と教頭の二人体制のところは一人にした。このほかゴミ収集日の削減、郵便配達を週6日から5日に減らすなどしている。(注:こうした話は最近のNYタイムズにも出ていた)

 GM、クライスラーはCDSという保険金殺人にやられた。会社が大きく影響が大きいので政府も潰さないだろうというのは幻想だった。CDSを買った人があらゆる再建案に反対、確信犯の殺し屋からオバマ(国家勢力)も企業を守りきれなかった。GM、クライスラーは破産、CDS購入者が儲けた後、再生された。

 アイスランドの銀行アイスセーブはネットバンキングでGDPの何倍もの預金を集めた。このお金をウォール街がインチキ格付けした住宅ローンなどに投資、焦げ付きアイスセーブは倒産。アイスランドの国の資金では救済しきれず、英蘭政府は救済金を立て替えて自国民預金者を救済、両政府はこの立替資金に金利をつけてアイスランド政府に請求。アイスランド国民は国民投票で支払い拒否を選択した。

 ギリシャがユーロに加盟する際、財政赤字をGDPの3%未満にするというのが条件だった。GSはギリシャのアドバイザーとなり債務隠しを指南、手数料を稼ぐ。ギリシャ政府が行き詰まるとGSはギリシャの商業銀行の持分を中国の銀行に売るよう提案、一方で空売り業者と結託しギリシャ国債を空売りして値下がりを進め、CDSで巨額利益を得た。ギリシャ政府は抗議するが時すでに遅し。
 緊縮財政を敷かざるをえず国家予算の25%カット、公務員年金・賃金の大幅カットとなる。
 弱者がターゲットになる。国債入札に札が足りなければ空売りしかけて大儲け、という輩は大勢いる。日本国債も投機の対象となりギリシャポルトガルのように叩き売られれば、それがわかる。財政を建て直し経済を健全化しないといけない。弱ければつけこまれる。

 ポーランド政府も破綻した。破綻した場合の解決策は@借金棒引きA大インフレ(お金を注ぎ込む刺激策)になる。
 借金棒引きにすると借り入れできなくなり、生活水準を相当落とすことになる。しかし堪えれば通常経済の回復は早い。次世代の借金もない。ポーランド政府はIMFの言うことを無視、自分の頭で考え現世代が国難を背負った。
 大インフレ政策は次世代につけをまわす。さらにリーマンショック以降、お金は国債と超優良企業にしか回らなくなった。中央銀行がお金を注入すれば末端まで回るというのは幻想。今は国債か投機に回る。
 大インフレは現在のケインズ派の主張だが、本来のケインズは違う。本来のケインズの主張は「ボールが落ち行くときには止めようとしても意味がない。落ちるところまでまず落とせ。そこからバウンドしないとき、呼び水として政府が支出する。それは穴ぼこを作って埋めるというものでもかまわない」というもの。

 日本はデトロイトのようになるというと、多くの日本人は否定する。もしくは否定したいのだろう。手遅れになる前に実業を再興するしかない。
 生活したいなら、その分稼ぐしか道はない。国債発行で次世代からの移転所得で生産性を上げずぬるま湯につかった生活を維持することなど継続不可能。
 1日も早く現実を直視し心を入れ替え自分たちの進むべき方向を見出すべきだ。
 二番底は来る。身の丈にあった生活と実業で備えよ。



 以上、『ゴールドマンサックスの真実』の中で気になった部分を抜粋してみた。この本は震災前に発行されている。にもかかわらず、今の状況によくあっている。

 今回の震災はややこしい。先の大戦時、米軍が空襲で日本のほとんどすべての都市を焼き払って”くれた”ことは、ある意味平等だった。あるいは逆に、半端な時点でなく徹底的に破壊された時点で終戦したことも。どこもかしこも焼け野原だったので、総体的な不公平感はお互いあまりなかったはず(シベリア抑留など個々のレベルではいろいろあるとしても)。ゼロからの復興はむしろやりやすい。特に若者が多く元気なら、なおのこと。
 今回はややこしい。理不尽だろうが納得できなかろうが、自然災害なのだから運命、仕方のない部分は絶対にある(福島は別で、人災なので当然損害賠償請求すべき事故)。しかし被災した立場から見ると、今の日本で薄い支援は納得いかないだろう。周りが中国インドネシアの農村並レベルならまだしも(復興への道筋も比較的近く感じるだろうし)、大多数の日本人が豊かな生活を享受している今、元のレベルへの復帰もはるか遠いし、自分が被災者だったら、「無事な部分の人たちは衣食住に困っているわけじゃないし、多少こっちに回して助けてくれてもいいじゃない」と絶対感じると思う。

 復興住宅にしろ港整備にしろ瓦礫処理にしろ、新聞やTVインタビューで”国に支援してほしい””国がお金だしてほしい”と民間も地方自治体もよく口にする。しかし何でも国、国、とする発想自体、もはや情勢に合わず、実現不可能になりつつある気がする。もうそんな金も力も、国にはないのではないか。

 米地方政府同様いまや日本の国も地方自治体も借金だらけだ。おそらく世界中でそういう事態になりつつある。なんでも国のせい、というのは全共闘時代の発想だ。また何でも国に頼る、というのはある意味依存で、奴隷的状況に甘んじることでもある。

 自民党時代、ふるさと創生だかで1億円ばらまいたり(あの頃は金があったなあ)、すでに借金まみれの数年前にも一人2万いくらだかばらまいていた。
 民主党は”いい人と見られたい”からリベラルやってる似非だから、”被災者””弱者”から頼まれれば”国がなんとかします”と安請け合いする。芝居がかった「命を守りたい」演説、”国民のみなさんへ”演説、”人から嫌われたくない”オーラ”善玉願望”オーラ感じて気持ち悪い。

 国も地方政府も借金だらけ、国の構成員も年寄りだらけでこの先どうするのだろう。

 思い出すのは、小笠原に行ったときに聞いた、水戸藩士の末裔だという旧住民の老人の言葉だ。最近新住民の若者が、偽装離婚だので生活保護詐取を行っている現状について、「一度小笠原は潰れたほうがいいね。そのほうがすっきりする」と言っていた。
 ある山林山主も林業の現状について「いったん落ちるところまで落ちたほうがいい。落ちきったらそこで安定する。そうしたら考えればいい」と言っていた。

 日本も一度つぶれたほうがいい。最近本気で思う。再生するために。PCもトラブった場合、OSから再インストールしなおしたほうが、本当に必要なソフトだけ入れなおすのですっきり軽くなる。日本全体が破綻したら、ナマポ(生活保護)も年金も介護も各種保護、補償、支援策もすべて吹っ飛ぶ。外郭団体、天下り先、公益法人などもなくなる。行政改革などしなくても不要なものは自然淘汰されるし、頼る先がなくなるので自力で知恵を絞りなんとかするしかなくなる。

 震災復興税か国債かと議論されるが、国債は次世代先送りだ。「国債を発行し、次世代からの移転所得で生産性をあげず、ぬるま湯につかった生活を維持すること」だ。一方、税金も確実に消費や企業活動を冷やす。ポーランドのように「生活水準を相当落とすことになるが、堪えれば通常経済の回復は早い、次世代の借金もない」やり方が絶対よい。
 それにはばらまかない(敢えて助けないところは助けない)外郭団体公益法人への助成金も出さない行政サービスも縮小する。極論すれば学校だってもともと国力のために始まったもので慈善事業じゃない。電気ガス水道も湯水のようには使えない。公務員給料年金も下げる、どうせ破綻したらIMFが入ってギリシャのように下げられるわけだから同じことさ。
 さらに都市部の電気ガス水道代をあげるなどで都市生活に金がかかるようにする。嫌な人は地方に分散する、それでかまわない人は財政悪化の水道局などの収入に貢献する。水上勉の本で読んだが、故郷福井の原発に近いある村は最近まで無灯火村だった、電気が通ったのは県内でも最後、という(昭和50年代頃の随筆)。都市は優遇されすぎだった、水も電力も遠くから運んでいるわけだし近くの村より高くついて当然のはず。

 しかし日本はこの選択をしないだろうという確信もある。今の政府は”やさしい”。言葉と会議ばかりで実際に行動できなかった、朝鮮王朝の最後、琉球王朝の最後の二の舞にならないことを希望。この国の構成員も、我慢強いが覚悟を決めるのは嫌いだ。決断するより曖昧に何とかなるだろうとずるずる行くのが好き。自ら方向転換できず、敗戦など完全な破綻か”ガイアツ”が来ない限り転換したがらない。
 そして確実に増えるこの国の年寄りは死を恐れる。東洋には不老不死の薬を求める話がよくあるが、西洋ではあまり聞かない。日本の長寿世界一は胃ろう医療によるものが大きいと聞くが、死を怖がる人が多いのか、家族の意向か、医者の自己満足か。人はいずれ必ず死ぬ、という事実から目をそむけ認めたがらない人が多い。”とりあえず命さえあればそれでいい”とか。

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外国人観光客激減

活東庵公開日:2011.5.13

 原発事故で外国人観光客や留学生が激減している、日本の食品や場合によっては工業製品も汚染されていると敬遠され風評被害にあっている、という。福島周辺以外は安全なのだから情報発信して理解してもらわないと、という。

 しかし、スマトラ沖地震の津波でピピ島やプーケットが被災したあと、タイに行く観光客は激減した。特に日本人観光客は大幅に減少。ようやく回復しかけたら今度はバンコクのデモ騒ぎが発生、今も状況はよくない。数年前タイに行ったときも、いまだ日本人観光客が戻らないとガイドが嘆いていた。

 チェルノブイリのときも、千葉産の牛乳がどうこう聞いたから買わなかった、という知人がいる。自分たちもやっている。外国人が来ない、買わない理由も考えればわかるはず。

 旅行は楽しむために行くもので、放射能の影に怯えたり、被災した跡がなまなましいようでは夢が壊れる。旅行で行く楽しい国美しい国はほかにいくらでもある。危険なものは買わない自由もある。自分達が子供に飲ませる水としてミネラルウォーターを買い争っている状況なのに、海外のお客さんに来てくれと勧めるのは厳しい。

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山一と東電

活東庵公開日:2011.5.13

 山一証券がつぶれたとき、正直”やっぱり”と思った。というのは山一に勤めていた友人が会うたびに職場の雰囲気を愚痴るのを聞いていたからだ。
 いわく、職場に自己啓発セミナーにはまっているお局様がおり、周りを誘いまくって断るのが大変だ。しかも仕事そっちのけで会社の電話を使いあちこち勧誘したり、総務の備品の切手を使ってセミナーの連絡を発送しているという(当時携帯はなかった)。それを誰も注意しない、堂々とやっているが気になって見てられない、とこぼすので「上司とかも注意しないの」と聞くと「それがしないのよ、みんな見て見ぬふり」という。それが許されるなんて随分甘い職場だ、そんな会社つぶれるんじゃないのと言った。そうしたら案の定だった。

 東電というとどうしても例の東電OL事件を思い出す。この事件のルポを昔読んだが、院卒の専門職として入社した彼女は、最後の頃よく会社で居眠りしていた、服装もくずれときどき(風呂に入らない人特有の)臭いがすることもあったという同僚の証言がある。やはり誰も注意しなかったという。
 いまどきの院はモラトリアム延長の”でもしか”や大学側学生取得手段の”社会人バブル入学”が多いので、院卒と聞いても評価できない(理系はまだしも、文系は学部新卒入社組のほうが優秀に見える)。それで専門職として年収一千万が確保される一方、毎晩円山町に立ち会社で寝るのを許容、というか放置される雰囲気。
 セミナーにはまった山一女性と、毎晩かつらで変装し円山町に立ったOLは似ている。プライド高く、一方満たされず埋めあわせていたのだろうが、それが許される甘い恵まれた環境でもあった。

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東電解体

活東庵公開日:2011.5.13

 東電に限らず、日本の電力会社すべて、発電と送電を別会社にしてほしい。
 確か電力自由化時に商社だのが絡んで電力会社が作られたはず。計画停電時、そういえばあれはどうなった、と思ってそれらの企業のサイトを見たところ、東電の送電網を使っているので当社の電力も計画停電の対象になります、とあった。

 これでは意味がない。送電が別会社なら、東電の都合とは別になるはず(技術的にどうするのかはよくわからないが)。
 また、原発嫌いな人も、原子力発電を行っていない会社から電力買います、という選択ができる。そういう人が多ければ東電はつぶれるだろうし、少なければ原発認める日本人が多いということでOK。

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政府の対応を見ていて(4月25日時点の内容)

活東庵公開日:2011.5.13

避難民のほうが・・・
 先日、原発避難民に対し政府から直接説明があった。言葉遣いは丁寧だが政府もできるだけやっているからどうこうとキレかける場面も。慇懃無礼という言葉が頭をよぎる。正直、政府要人はマニュアル対応で臨機応変にやれない素人の若造に、避難民のほうが人生経験を積んだ大人に見えた。こういう人生経験の薄い(浅い、でない)人たちが震災復興決めてるのか、と思うと・・・不安。

ステップとか・・・
 最近、社内のちょっとした発表にもパワポ使って吹き出し文字をやたら出現させたりする。正直うざく感じることが多い。以前だったら印刷物一枚配って口頭説明で済んだだけの内容を、延々スクリーンで見せる。何となく立派そうに見える。なかには自分の顔写真さりげなく入れるヤカラも。大学講義もパワポで受けた世代は疑問なく受け入れるようだが、正直無駄、過剰演出に感じる。
 東電の事故収束への工程表で、ステップ1とかステップ2とか言って説明していた。何かパワポと同じにおいを感じる。うまくまとめてるでしょ的な、いかにもそれっぽいでしょ的な。”表現の仕方”にかまけず、実質的にやってほしい・・・。

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結局嘘だった

活東庵公開日:2011.6.17

 3月下旬、原発事故について政府は、NHKのTVニュースを通じて大丈夫だ、放射能も問題ないレベルだ、とさかんに”啓蒙”していた。
 一方、原発事故を受けドイツの援助隊が緊急帰国、アメリカが80キロ圏内を避難対象地域に指定、など外国政府がシビアな反応を示していることに、実は原発事故はかなり深刻なのではないか、日本政府はそれを隠しているだけではないか、東京も被爆しているのではないか、と言っているオバサン、バアサン達は結構いた(男より多かった)。
 その後、3月14日に水素爆発した際、実は翌15日かなりの放射能が関東各地に飛散していたと知らされ(知らずに出歩いてたという人多い)、5月に入ってから実はメルトダウンしてました、その後さらに底も抜けてメルトスルーしてました、と発表。
 結局、勘のほうが正しかった。
 ”情報”は正しくなかった。
 当時それを発表すればみなパニックになるから言わなかった、みなが事態に慣れ驚かなくなったと思われる頃小出しに発表しだした感ありありで感じ悪い。というか、非常事態になった場合、もう政府の言葉は信用できない、と体に染み込んでわかった人も多いと思う。

 あの頃さかんに「大丈夫だ」と”解説”していた教授らは今どうしているか。雑誌で教授批判記事を見かけ、彼らかと思ったら、それほど問題ありとは思えない長崎大の話だった。なぜ当時の解説について問題にされないのか不思議だ。

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どうするつもりなんだろ

活東庵公開日:2011.6.17

 これだけ放射能を撒き散らし、それも初期だけで今は収束しているならともかく、3ヶ月以上たった今もまだ撒き散らし続けている。
 農業、漁業に甚大な影響を及ぼし、
 自分の家に住めなくなる人が続出し、
 子供に関わる学校幼稚園の運営が不自由になり、
 福島だけでなく千葉や東京の公園でも土やアスファルトから高濃度の放射能が検出されるところも相次ぎ。

 これだけ問題おこして、どうするつもりなんだろ。

 きっと、どうもできないんだろう。するつもりもないんだろう。

 どうもできないくせに、TVニュースではアナウンサーが”工程ステップ”だの”循環システム”だのを、図入りでしらじらしく説明している。

 原発はなんとか冷温停止できたとしても、
 壊れてしまった自然、社会は戻らない。

 壊れた自然、社会についてはどうもできないから
 責任とれと言われてもやり方わかんないし
 金で解決するにしてもいくらかかるか見当つかず怖いから
 人々が何も言わなくなり、
 現状が常態化し、
 追認されるのをうやむやに待っている。


 ある工場が川に汚染水を勝手に流して魚が浮いたら、刑事事件になる。処罰される。東電は海に放射能汚染水黙って流しても処罰されない。非常時だもんね。
 まさに、一人殺せば殺人、千人殺せば英雄。

 想定外だろうが何だろうが、実際に事故起こせば普通は処罰されるだろう。花火工場が爆発しても、化学工場がだだ漏れしても、想定外の事態もあるだろうが、それでも事故れば普通は刑事事件として処理される。東電や原子力とは何様。

 みな原発電力の恩恵を受けていたというが、みなが成果物を享受していた車メーカー、家庭用品メーカーが事故を起こせば、みながその恩恵を蒙っていようが何だろうが、その事故の責任は追及される。論理のすり替え、詭弁が多い。

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戦艦大和と福島原発

活東庵公開日:2011.6.17

 文芸春秋2011年7月号「戦艦大和と福島原発」の中から:
 ”日本人は危機に際して「起きては困ることは起こらないことにする」悪癖がある。さらに、実際に起こっているのに「起こっていない」ことにしてしまう。
 「原発は絶対安全」「戦艦大和は絶対沈まない」と技術に完璧を求める傾向があり、完璧だとなった瞬間、破られたときのことを考えなくなる。絶対が崩れたときどうするかのシステムがない。アメリカなどは一定以上の打撃を受ければ損害を受けるのは当然とし、損害が広がらない設計、乗員の被害対応訓練を行う。捕虜は無いとした日本兵は、捕まったときの対応を教育されていないから、いったん捕まるとよくしゃべる。捕まったら名前と認識番号以外しゃべるなと教育された米兵は、捕虜になってもしゃべらない。
 陸大教官ドイツ軍人メッケルいわく、日本参謀の弱点として「現実に立脚しない安易な希望的観測を行う」「物事を容易にできると妄想する」
 根拠のない数字が好き。「対米七割論」「20キロ圏内」など。七割の戦力があれば勝てる、六割九歩九厘ではだめ。「絶対国防圏」も地図に線を引くがどう守るかの中身はない。
 日本社会は上へゆくほど責任をとらない。責任者がはっきりしない。横並びで身内をかばいあう。米軍は真珠湾で調査委員会を設置し責任者を追及した。”


 つまり今回の問題は首相が誰だから、という個別属性の問題ではない。誰が首相でも社長でもこうなった。日本社会の弱点だ。
 絶対XX、不沈XX、無敵XX、というキャッチフレーズは疑ったほうがいい。
 起きてほしくないことは起こらないことにして、対策を考えない。指摘すると怒りだす。今回も汚染水の除去システムはフランス製とアメリカ製。”技術大国”日本に事故った場合の用意はなかったようで。
 そして責任をとらず追求もされず、どうすることもなく、うやむやなまま現状が定着するのをじっと待つことになる予感。

 なおこの鼎談によれば、アメリカの戦略爆撃調査団とは、税金使って戦争したのだから納税者への説明義務としてその影響、効果の調査を行った部分があるという。そして「東電の賠償に国家予算使うなら詳細に知らせる義務がある」と独立機関による事故調査検証委員会の必要性を論じているが、まったくそのとおりだ。

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家庭の電力は自然エネルギーでOK

活東庵公開日:2011.6.17

 震災以降、もっとも早く通常に近いニュース編成に戻ったのはテレビ東京のWBS(ワールドビジネスサテライト)だった。他局が震災関連ニュースばかりなのに対し、経済界の動きを報じる内容は新鮮だった。それで(以前もときどき見ていたが)震災後はWBSをよく見るようになった。
 震災後、WBSでエネルギー関連の動きがよく報道されている。以前ここでもソーラーと自動車バッテリーの組み合わせについて書いたが(貧民テクノロジー)、現実社会でそのビジネス版が着々と進んでいる。
 つまりソーラーと蓄電池の組み合わせが住宅業界その他あちこちで実現化しているのだ。さすが日本の企業は動きが早い。さらに待機電力ゼロの半導体とか、震災危機が新たな開発や分野の成長のきっかけになっている。

 自然エネルギーで電力すべてをまかなうのは非現実的、とよく言われる。確かに工場や鉄道など大物はきついだろう。しかし、家庭で必要な電力量くらいは、自然エネルギーによる自家発電で十分まかなえるようになる、という気がする。よくこれこれの電力量をまかなうには、山手線内側の面積いくつ分が必要になるから現実的でない、というが、それこそその何十倍もの”東京砂漠”が首都圏に広がっているではないですか。休耕田を使わずとも都市建造物にソーラー乗せれば十分な面積にある。

 また工場や鉄道会社も自家発電設備を備えるところが多くなってきた。
 とにかく計画停電や、震災数日後いきなり電車が止まり帰宅が混乱した日のあった影響が大きい。独占企業による電力供給について、心のそこで、根本的に信用できなくなった。

 よくスマートグリッドというが、各家庭で小規模発電を行い、工場なども自家発電を行うようになってくると、巨大規模の発電業者は必要なくなる可能性が将来的にある。送電網と、自家発電のない工場企業相手の中規模発電業者(複数)でOKになってくるかもしれない。


 ところで最近ホームセンターに行くと、ホテイアオイが目に付くところに大量に売られている。自宅近く(都市部)でも畑近く(郊外)でも同様、あちこちのホームセンターで見るので一般的状況のようだ。つまり、水を溜めはじめている人が多いのではないか。メダカも一緒に売られている。蚊発生に対する対策だろう。
 電力も水もある程度自給する流れがある。さらにソーラークッカーなる太陽熱でご飯炊いたり芋ふかしたりケーキ焼いたりする方法があることも知った。アルミ箔利用で途上国の薪不足解消に利用されているシステムだが、アメリカのアウトドアでもよく利用されているらしい。専用器具もあるが、ガス台用のアルミ箔やカー用品の日よけ活用も一般的らしい。基礎インフラの自給は、アイデア次第で結構いろいろやれそうだ。

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P.F.ドラッカー

活東庵公開日:2011.6.17

最近読んだ本
『経済人の終わり』P.F.ドラッカー ダイヤモンド社にあります

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どうするつもりなんだろ・その2

活東庵公開日:2011.7.26

 放射能汚染された藁を食べた牛の内部被爆が問題になっている。岩手の藁も高濃度汚染されていたということは、関東を含めた広範囲でかなり放射能汚染されているものとみていいだろう。昨日も栃木産の腐葉土が放射能汚染されていたと報道された。今後もあれこれ出てくるだろう。

 雨水や山の水を飲む、大地で作物を育てる、草を刈り家畜を育てる、外で遊ぶ、外で作業をする、今まで当たり前にやっていたことがやってはいけないことになってしまった。

 影響は甚大で、本当に一体どうするつもりなのだろう。

 前回も書いたが、どうすることもできないから、この状況が常態化し、人々が慣れ受け入れ、怒りがあきらめにかわり、責任追求の声がやむのを、ひたすら待っているのだろう。

 ”今後の日本は放射能と共に生きることをがまんしなければならない”と政府要人などが言う。しかし、そういうがまんなど、したくはないのだが。勝手に汚染しておいて、がまんしろ、はないだろう。

 原発事故直後、実はメルトダウン(スルー)し放射性物質が大量に飛散したことを長い間隠していた。このことは大きい。知らされないままいつもどおり、稲藁や落ち葉を集め、ハウスを通気で開け、外を出歩き外で遊んでいた。このままではどこまで放射能汚染されているかわからぬまま、徐々に被爆を重ねてゆく人が増えるだろう。

 各種放射性物質について土壌、水、食品その他網羅的に調査しようという話もない。楽観派、悲観派の意見は両極で、疑心暗鬼でみな右往左往している。調査しないのは、真実がわかるのが怖いからではないか、とすら思う。問題に正面から向き合う気力が、もうこの国にはないのかもしれない。先送り先送り、現状をなんとかだましだまし維持できれば、と、ただそれだけで。

 電力不足による経済悪化が心配だというが、語弊のある言い方になるが、今の世代の経済がもちこたえられても、将来奇形や病気の人が増えたらこの国も民族も終わり。弱小国になっても健康な人が多い社会と、当面経済大国を保つが被爆し不健康な人が増える社会と、どちらがよいのだろう。健全なら(たとえ植民地になっても)いつかは復活する。遺伝子汚染されたら、現世代は逃げ延びても将来滅びる。

 こうした根本的疑問は、今までも”仕事”と子育て”の関わり(特に男性のわが子への態度)を見てもよく感じてきた。
 生物が存在し命をつなげる”基本の基”は子孫を残すこと、それしかない。それ以外はすべて派生物、人間の脳内で生産されたイメージでしかない。”仕事”は基本的に子孫を育てるための糧を得る手段に過ぎない。それが”やりがい”だの”いきがい”だの、”出世”だの”自己実現”だの、”後世に名を残す”だの”人のためになる仕事”だの言う。
 しかしそんなものは、究極的には付け足し、言い訳に過ぎない。人類が滅びたら”名が残る”も何もないだろう。基本=本能から見れば、いまいまの経済よりも子孫を守ることのほうが優先度が高いはず。しかし人類は本能が壊れているから、経済だの仕事だのを重要と見るのだろう。

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花火工場の補償

活東庵公開日:2011.7.26

 茨城で畑を借りていたおじいさんから7,8年前に聞いた話。
 ”20年前、守谷の花火工場が爆発した。工場を始めた頃は、周りは畑やヤマ(林のある丘)で何もなかったが、花火工場の近くだからと土地を安く買うことができ、どんどん住宅が建っていった。ここ(当時の岩井市)には電車の駅がないが、守谷にはあるので、東京に通う人たちが買っていった。事故で周りの家の窓ガラスが割れた。補償してくれということで支払いはそちらを優先したため、会社のお金が足りなくなり従業員など自分たちの治療費はみな自腹だった。工場長の奥さんはバラバラにふっとんで、何も出てこなかった。”
 おじいさんはこう話たあと、最後、「花火工場はみな、最初は回りに家のないところに建てる」と言って口をつぐんだ。

 震災による津波などの被害に公的資金を投入するのは理解できる。しかし、福島の原発事故に最初から”税金投入ありき”なのは納得がいかない。
 花火工場ですら、事故を起こせば自分たちのことよりも補償を優先させた。また周囲もそれを当然とみなす雰囲気がある。たとえそれが、”花火工場の近くだとわかっていながら安いからと買った人たち”であっても。
 ならば、今回の事故も当然そうであるべきだ。まずは事故を起こした会社が自分たちのことは差し置いてでも、補償を優先させるべきだ。さらに、原子力は利権が絡むからやめられないというなら、その利権で儲けた連中が金を出したらいい。

 今回の原発事故は、震災と津波が原因で想定外だというが、しかし原発が事故を起こしたときの影響は、花火工場などの比ではないはずで、だからこそ万が一の事故も許されないはず。その不安を訴えれば”絶対安全だ”と繰り返し言い”啓蒙”(=オルグ)してきた過去がある。”絶対安全”なら想定外はありえないはずで、それが間違っていたのだから、”税金”に逃げずにまずはきちんと責任をとるべきだ。

 経済界や国は原発を稼動させないと困るという。それならいざ事故が起きた場合は、その補償や事故処理にかかる費用を”原発が必要だ”と言って推進している人たちが払う仕組みにしなければいけない。
 原発で儲けて金は受け取り、事故ったら税金で埋め合わせ、というのは虫が良すぎる。特に以前から原発に反対していた人たちからも原発事故処理の税金をとる、というのは完全に矛盾している。

 大震災&原発事故前、山口の祝島の原発反対のハンストがあった。2月に知人から応援よろしくメールが回ってきて、祝島のことを初めて知った。
 3.11の直前である3月4日、いしだ壱成がブログで「今だからみんなで考えたいこと。」をつづっている。祝島のハンストが衝突にならないことを願いつつ、11歳のときの体験談に続く。彼の母親は原発反対運動をやっていたようで、チェルノブイリ事故直後に行われた四国伊方原発の実験中止を求めて仲間と座り込みに行ったという。この抗議行動には機動隊が出動し、衝突になった。以下一部を転載(ソースはhttp://ameblo.jp/isseiishida/archive1-201103.html)

当たり前だが、生まれて初めてそのときに機動隊を生で見た。

人数は正確には覚えていないがこちら側の約200名から見ると
多勢に無勢なのは明らかだった。

今になったからよくわかるが、怒りのパワーは対象物があると増幅して、伝染する。

(略)
最初は電力会社の方々に訴えていた親たち。

電力会社の方々がどう思ったかはわからないが、おそらくは警察に通報。
それだけでは手に負えないので、機動隊が出動。流れでいうと、そんな所だろう。

実験開始まで、あと数十分。

親たちは、機動隊員にも説得をはじめた。
貴方たちの家族も関係していることなのです、と。

僕も、誰それ構わず隊員に訴えた。

実験開始まで、あと十数分。焦っていた。

学術的云々はわからないが、こわいからやめて、ぐらいは言える。

そのときの機動隊員の方の表情をよく覚えている。

冷徹な目だけで、僕を見下ろしている。勿論ニコリともしない。
そして微動だにしない。

表情一つ変えず。

実験そのものも怖かったが、その顔も、怖かった。

(略)
その瞬間、誰かに突き飛ばされて地面に叩きつけられた。

やはり、武力による衝突が始まったのだ。

急いで起き上がるが、身体の小さい僕は圧倒的に非力だった。

あたりはカオス状態だった。

今度は機動隊員の膝蹴りを喰らった。

また冷たいアスファルトの地面に顔面から叩きつけられた。

ラジ!!と聴いたことのある声が聞こえた。
ラジというのは、僕の洗礼名で、親たちにはこう呼ばれる方が多い。

(略)
全部がスローモーションだった。

自分の母親を探した。

遠くに見えた。騒乱に巻き込まれていた。誰かに殴られたのか、痛そうな顔を
していて、尚且つ機動隊の警棒が母を襲おうとしていた。

助けに行かねば、と立ち上がった。僕がいった所でたいした助けにはならない
のだが、とにかく息子の本能というやつだろうか。

その瞬間、今度は自分が警棒で右肩あたりを殴られてまた倒れた。

このくそがきが!!

と聞こえた。地面に丸くなって防御体制に入っていた僕の横腹を何人かの隊員
に蹴られた。息が出来なかった。そうか、僕はくそがきなのか。そんなこと、
初めて言われた。

(略)
終わらないカオス。

痛みは、感じなかった。

身体の痛みより、喧嘩も嫌いだったし、親にも決してぶたれたこともなかった
から、正直、殴られたということへのショックの方が大きかったんだと思う。

基本的に大人は子供を殴らない。

そう思っていた。

言い方が正しいかどうかわからないし、そのとき自分が居た場所も衝突のカオ
スの中心でよくなかったのだろう。
だが、自分が今その大人にぼこぼこにされて、踏みつけられて、蹴り飛ばされ
ている。

これが、日本という国なのか。

と、徐々に襲ってきた身体中の痛みに耐えながら思った。なんで大切な人たち
がこんな目にあうのか。なんでだ。

政治的云々は当然よくわからない。

自分たちにとって邪魔な存在であれば、その子供でも、あんなに狂気じみた笑
みを浮かべて殴りまくっていいという法律があるのかと思った。

勿論、今考えればそんな法律などないのだが、それが負のパワーの連鎖という
ものだろう。

実は、誰も望んでいない負のパワーの連鎖。機動隊員だって、本来であれば、
冷静であれば、子供を殴る蹴るなど、したくもない筈だ。負のパワーは人をお
かしくさせる。

そして、実験開始時刻。

突然、騒乱は収まった。

収まったというか、親たちが動きを止めて皆、一斉に地面に伏せたのだ。

無言の祈り。無音の時間。

そして実験は成功し、爆発は起こらなかった。

これが、僕が原発、というものに本格的に興味を持ったきっかけだ。

何か、矛盾していると。
なんで、あんな殴り合いまでして作らなければならないのだと。

(略)
また、先日話しを聞かせていただいたジャーナリストの方は、それもそうだが
、もっというと政治家の方も、テレビ局の方も、単純に知らないだけなのだと
言っていた。特に操作したりされているのではないと。

だから、決して彼らをせめるべきでは無いと。僕もそうだと思う。

誰かをせめるのは、もう止めたい。負の連鎖を起こさずとも、変えて行ける時
代になって来たのだ。みんながみんなの立場を考える。それで、考えて変えて
いく所は変えていく。いける。少なくとも、そう感じた。

誰かが誰かをせめるのではなくて、双方皆で解決策を提案しあいたい。
(引用終わり)

 こういう人たちにも、原発を暗黙裡に認めた責任やら、享受した罪とやらがあるのだろうか。

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韓国の支援

活東庵公開日:2011.7.26

 東日本大震災が起きた直後、ヨンさまが億の義捐金を出したと報道があった。個人的に韓流ファンではないが(中学高校の頃は韓国のラジオ番組をよく聞いており、80年代には韓国語を勉強していたが)、そんなに出して大丈夫だろうか、老後困ったりしないだろうか、と逆に心配になってしまった。
 5月19日付東京新聞でも、韓成禮氏が「隣のいとこへ」という文章を寄稿している。そこで、韓国の作家たちが韓国国内で発表した悼みと励ましの言葉を訳して載せている。

 韓国や台湾は、今回、かなり日本を支援している。隣国だから混乱されては困るという利害関係があるからさ、と冷たく見る人もいるが、具体的に支援していることに変わりはない。
 そのことを言及する人やメディアがあまり多くないので、いちおうここで言及し、感謝していることを述べておく。

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電気は携帯のようになる

活東庵公開日:2011.7.26

 経済界や評論家は、自然エネルギーによる発電は微々たるものだから主力にはなりえない等々、言っている。
 しかし、住宅や車などで太陽光を利用して小口に発電し、蓄電する動きがますます広がっている。
 現時点で太陽光は高価だが、いずれ普及が進めば単価が下がるとも言われている。
 薪などの燃料が足りないアフリカの一部や難民キャンプではソーラークッキングが導入されているが、これと同様、まだインフラの整わない途上国こそ、自然エネルギーが入る余地がある、と話す企業もある。

 この流れに、電話回線網がまだ未発達の途上国や中国でこそ携帯電話が爆発的に普及し、固定電話はもう必要ない状況となっていることを思い出した。太陽光など自然エネルギーによる小規模発電と蓄電の組み合わせも、おそらくそうなるに違いない。
 電気はいずれ、少なくとも生活レベルでは大規模発電に頼るのではなく、個々人で発電蓄電利用する流れになってゆくだろう。

 また、さかんに埋蔵電力として各企業のもつ自家発電について言及されるが、なぜそれを東電が買う必要があるのか。東電が買うから高くなるというなら、各企業自身が余った電力を自由に売ればいいではないか(今売れる仕組みにないことをわかった上で書いてます)。

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漁業復興、仮設老人

活東庵公開日:2011.7.26

 漁業の共同化や企業参入が云々されている。今漁業に従事している人たちの大半は高齢だ。後継者のいる人もいるが、そう多くはない。子供の大半は町や都会に出て勤め人になっている(釜石の知人によれば、震災前、お兄さんが東京から戻り漁師を継ぐと決まったとき、珍しい、と近所でも大喜びされたという。ちなみに知人の実家はさっそく復興に向けて動き始めた。若い跡取りがいるから動きも速い。スレート石で有名なK産業の知人も同様)。

 高齢の父親が、網も漁船も流され個人では復興できない、とTVカメラの前で語っている。それでも、いずれ継ぐからと、(あるいは継がなくても親を助けて)お金出す、という子供は(きつい言い方だが)いないようだ。
 つまり、いまの高齢漁師がいなくなれば、震災がなくても十年二十年後には自然消滅するところも多かったのではないか。

 仮設独居老人の孤独死問題が言われている。知り合いもおらず一日中誰とも話さない、とTVカメラの前で老人が言う。しかし、単身者の多い今の3,4,50代がこのまま高齢化したら本当の意味で身寄りのない独居老人が増えそうだが、あの世代に子供のいない人は少ないはず。家族全滅でもない限り、どこかに親族のいる人も多いはずだ。

 昔読んだインタビュー記事で、雑誌名も名前も忘れてしまったが、アラブの有名な外相(だったと思う)が、忙しい日々だが毎日必ず母親に電話をするという。その国ではみなそうだ、家族のつながりが強いという。たとえ海外からでも、必ず電話をしてほんの一言二言でもお互い声を聞く。
 中学か高校生の頃読んだのだが、その当時ですら日本の家族と随分違うな、と感じた。このほうが本当なんだろうな、とも。
 日本の家族は、昔はともかく、今の家族はなんとなく冷たい。淡白だ。そしてちょっと重たくなるとたやすく崩壊する。自分だけでなく、知人やまわりの家族を見ていてもそう感じる。台湾の知人の家族と比べても、家族間の人間関係の密度が全然違う。日本では家を出るとほとんど電話をしない、ほとんど戻らない人も多い。忙しいという。特別に話すこともないと。しかし台湾の知人らは忙しくてもしょっちゅう家族と電話をしているし、生身でも行き来がある。

 話しかわって、先日知人から「病院で”検査結果で異常がありませんでした”、と言われた人が『じゃあ病気じゃないから検査費払わない』と言っているのを聞いて驚いた」と聞いた。モンペ世代か若者かと聞くと「お爺さんだった」という。その世代から変な人が多いのか(団塊ももう年寄り世代になったし)、最近のクレーマーモンペばやりで、誰もがゴネ得行動に出るようになったのか。

 この何でも誰か(=”おおやけ”)がなんとかしてくれるだろうという感覚、実は依存ではないのか。

 根っこの部分が弱ってきている気がする。松本元大臣は叩かれたが、本来はまず自分が、そして最小の共同体単位である家族が、次に地域で立ち上がり始めてゆくのが筋と思う。それがもうできないのだろう。生命力が弱っている。滅びるべきものは、いくら延命措置を施してもいずれ滅びる。

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種々陰謀の噂

活東庵公開日:2011.7.26

 管首相について、夫人同士のつながりでG.カーチス氏と関わりアメリカの言いなりだという人、原発利権構造を壊そうとしている、そのため原発利権絡みの連中が退陣を画策しているのだという人、さまざまな噂、意見がある。一般人には本当のことはわかりようがない。ただ、原発事故そのものの責任は、現政権ではなく、これまで推進してきた以前の政権や省庁にある。

 こんな大事故を起こしいまだ汚染が続いているのに、政府は原発反対関連記事をモニターし、最近はネットの個人ブログ/ツイッターを監視しているという(東京新聞、7/24)。それはこのサイトのアクセス解析をしていてもそれは感じられる(敢えて組織名は書かないが)。

 アメリカが原発を安全に稼動させる技術提供云々言ってきたという。ここまで広範囲に放射能汚染を広げ日本全体に影響与えているのに、各国さまざまな思惑が絡みあいまだ原発を推進しようとしている。巨額な金が動くのだろう。

 なんだかこの国はいったん滅んだほうがいい、とすら思うのが、滅んで次ができても、どうせまた矛盾だらけだろうと思うと。

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無関心というが

活東庵公開日:2011.10.7

 まだポーランドが社会主義だった頃に書かれたショパンの伝記を児童書で読んだことがある。中学生だったので社会主義の状況はある程度知っていた。
 その中で、ショパンが友人から、当時属国だった母国を解放するための反政府活動に誘われる場面がある。ショパンは悩むが、政治活動も大事だと考える一方、それと同じかそれ以上に音楽や芸術も大事だと感じた。そして活動そのものへの直接参加は断る。
 社会主義には政治活動を最重要とし、それ以外は”革命に奉仕するもの”とするイメージがあったため、この解釈にあれ?と思った。(当時の)中国とは違うな、でもこちらのほうが本当だろうという気がした。

 人はそれぞれ関心のある分野が違う。ある人は政治に、ある人は音楽に、ある人は経済活動に、ある人は林家経営に、ある人は子供の成長や家族の幸せに。専門でない分野については正直わからない。知識もないから判断も下しがたい。”こうこうだ”と強調されたりアジられれば、そうかもしれない、と思うしかない。
 またこうも考えた。一人の人間がすべてについて専門知識を持つことは不可能だ。わからないことはわからない。それぞれの専門フィールドで自分なりの判断を下せるところから少しずつ地道によくしてゆこうとするしかない。

 今原発について無意識のうちに受け入れてきた一般人にも責任があるという意見がある。そういう側面も確かにあるだろう。しかし、原子力や核分裂など、わからないことはわからない。どんなに理解しようと勉強しても理解できないことも多いに違いない。

 みなそれぞれの専門分野で間違いを犯さぬよう勤めつつ、その組み合わせで社会が成り立っている。電車の運行で事故を起こさぬよう、遅れが出ぬよう勤める人々がいて、物流で供給が途切れぬよう配送が滞らぬよう勤める人々がいて、それら個々のパーツの組み合わせ全体として社会が成り立っている。
 たとえば、地元商店街でなく郊外型大店舗を選択している消費者も問題あるかもしれない。その結果引き起こってくる不具合に無関心なのは問題なのかもしれない。しかしさまざまな職業についている人々が原子力から買い物難民、途上国の搾取その他、今問題とされていることすべてについて学んだり活動する時間をとるのは難しい。
 買い物難民については、たとえばコンビニ業界が新たな顧客掘り起こしのビジネスチャンスとして動くなどあるが、そこにニーズがある限り補正が入る。やはり該当業界から動くしかない。

 すべての人が一定のことに関心を持て、学べ、というのは逆に壮大な無駄ですらありうる。だから政治家は政治をきちんとやってほしいし、原発担当者は原発をちゃんと管理してほしいのだ。想定外だろうが、原発が現実に事故を起こしたことに違いはないのだから、原発関連に従事する人たちは、その業界の責任とプライドでもって、きちんと事故処理と対処をしてほしいのだ。

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山道整備

活東庵公開日:2011.10.7

 山道を歩いていると、マイナーな山では、水源林保全のための巡視路や送電線の鉄塔保守のための巡視路が登山道を兼ねていることが多い。
 あまり人の歩かない踏み後程度の箇所にくらべ、そうした巡視路はよく整備されており歩きやすい。関東の場合、送電線鉄塔用の巡視路は東京電力によるものだろう。
 東電でも原子力関連業務に携わる人もいれば、山中の鉄塔保守に関わる人もいる。送電網整備は、地味だが重要な仕事だ。東電のリストラの話を聞くたび、送電部門でなければよいがと思う。無駄な事務系高給取りが多そうな会社だから、現場系と事務系とで意識の違いや格差もありそうな予想がある(あくまで勝手な推測だが)。
 送電部門と発電部門の赤字黒字はどうなっているのだろう。送電網維持にはコストがかかりそうだが、別会社なら対価を払うことになる。分離すると価格競争となり質の悪い送電網を安く供給するところが出て事故が増えるだろうか。

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風評被害というが

活東庵公開日:2011.10.7

 最近、祭りで岩手産の木を燃やすかどうか、福島の物産展を開くかどうか、工事に福島産の物品を使うかどうかなどについて、住民の不安の声からとりやめになる話が相次いで報道されている。特に西日本で多い。
 これらを風評被害だ、放射能汚染をむやみと怖れる住民も問題だとたしなめる声もある。しかし周りでは「”放射能が怖い”というのはわかる」という声が多い。東京ではもう一種のあきらめがある。数値は高くないものの、東京にも放射能が降りセシウムだのが検出されている。だから今更騒いでももうしょうがない感はある。
 ただ福島原発の放射能は関西や九州までは飛んでいない。だからこそ気になるだろう。それはわかる。

 がれきの処理で、国が全都道府県の担当者を呼んで各県で処理を分担するよう要請した。東京都はすでに受け入れている。反対運動がほとんどないのは、どうせもう汚染されているというあきらめもあるだろう。
 知り合いのお婆さんが「関西の言い分はわかる。なにも汚染されていないところにまで、低レベルとはいえ放射能が出ているものをわざわざ持っていって汚すことはない。そのほうが少なくとも日本の半分はきれいなまま残る」と言った。
 原発事故周辺の土地はどうせもう使えないのだから、そこにがれきを集めればいいのに、と言う人もいる。それを聞いてそれもそうだなと思った。年寄りは放射能汚染されていようが故郷に戻りたがるだろうが、子供のいる世代は確実にもう戻らない。名張で飯館からの避難者の話を聞いてそう確信した。低レベルでも本来ないはずのもの(有害物質)があるのは怖いという。生物としてそれは本能で仕方ないし責められない。

 なんとなく報道や政府の話に欺瞞を感じる。”原発事故周辺の土地はもう使えない”とおおっぴらに言ってはいけない感じだが、でも実際そうだろう。”がれき”と言うなというが、がれきはがれきだろう。”死の町”はきついというが、実際死の町だろう。
 すぐに”傷つく”、”傷つけちゃいけない”、というが、生きている限り傷つく場面のあるのは大前提。それを怖れては何もできない。傷つくのを恐れて現実を直視できない弱さのほうが怖い。
 仮に自分の家がぐちゃぐちゃになって他人がそれをがれきと呼んでも、私はそりゃそうだろと思うだけだ。自分にとっては思い出の品でも、他人にとってはがらくたというのは、別にがれきになる前でも多々ある。思い出の写真ですら、自分が死ねば他人には何の意味もない。

 それにしても今の生活は物が増えた。明治三陸大津波などかつての津波被害では、これほどまでにがれき処理が問題にならなかったはずだ。自分自身も含め、今の生活、物が多すぎる。がらくたを貯め込み過ぎている。

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二重遭難

活東庵公開日:2011.11.8

 家族や近所の人を救おうと津波の迫る中家や集落へ戻り、津波にまきこまれて亡くなった人の話が美談のように語られている。
 しかしこれは山でいう”二重遭難”にあたる。山では二重遭難は絶対に避けるべきことで、救助に当たる人たちが危険にさらされる場合は救助しないことが常識となっている。だから、こうした行為が美談のように語られるのには疑問がある。救助者が危険にさらされる場合は救助しない、ということが常識化されたほうがよい。

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震災ボランティア

活東庵公開日:2011.11.8

 先日、初めて震災ボランティアに参加したという知人(会社員)から聞いた話。
 彼は初めて参加したのだが、大半のボランティアはもう何回目かで、
「なんか普段仕事がない感じの人も多い。こっちへ帰ってきても結局居場所がないみたいで、ああいうところにいれば非日常で高揚感もあるし、役に立ってる感もあるし、それでまた何度も震災ボランティアに戻ってきてる、て感じの人が多い」という。以前、ボランティアは食糧やテント持参でと聞いたが、と言うと、前はそれが前提だったが、今は寝場所と食事は与えられるよ、と言う。そして「何だかあれはあれで問題あるよね。あっちにしか居場所がない、てのも」と言っていた。
 この話に、かつて”謝ってよ厚生省”運動に参加していた、元はリベラルに近かったゴーマニズム宣言氏が、運動に参加していた若者たちに”日常へ帰れ”と言ったところ総スカンを食った件を思い出した。私の考えでは、あの一件以降、ゴー宣氏は右っぽくなっていったと思う。(質の悪いリベラルに)絶望、がっかりしたのだろう。

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政府の嘘

活東庵公開日:2011.11.8

 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」を読むと、政府は放射能値の異常を把握しながら「パニックに陥るから」と公表しなかった、その結果原発周辺町村の住民が高濃度汚染地に放置された経緯がよくわかる。
 当時から「本当の状況はもっと悪いんじゃないか。パニックになるから、などの理由で、本当のことを言っていないのではないか。政府の発表は信じられない」と言われていた。この勘が本当だったわけだ。中国のこと、言えないな、と思った。中国政府も嘘をつくが、日本政府も嘘をついていた。基本的に政府の言うことは信用できないし信用しない、という中国人の処世は正しいわけだ。
 当時、自国民を引き揚げたフランスや救助隊を数日で引き揚げさせたドイツのことをどうのこうの言ったが、他国のほうがよほど正しく状況判断を下していたわけだ。その根拠となる正確な数値も得ていたのだろう。

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震災後調査の調査でNHKの信頼が増したって?

活東庵公開日:2011.11.8

 先日の調査で、震災後に信頼度を増したメディアとして、NHKのニュースが一番になっていた。これは驚き。それこそ原発事故直後、さかんに「大丈夫だ、問題ない」と繰り返していたではないか。アナウンサーに罪はないものの、パネルだの使ってしらじらしく”説明”していたではないか。
 一度、原発事故直後の頃のニュースを無編集でそのまま流してほしい。安全だ、大丈夫だ、と言っていた学者や、当時TVがどういう報道をして”沈静化”に勤めていたか、一種プロパガンダ張っていたか、よくわかる。
 新聞など紙のメディアは後からいつでも読み直すことが可能だが、TVは難しい。だからなのか、新聞のように自らの報道姿勢について検証する特集を組むのを見かけない。TVは言いっぱなし、流しっぱなし。ぜひとも、原発事故当時の報道について検証してもらいたい。

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原発動かすなら現状回復してからだ

活東庵公開日:2011.11.8

 あちこちで市民や幼稚園の保育士、学校の先生らが自ら除染を行っている。これ、て本当は東電がやるべきことだろう?
 東京の山でも放射能値の高いところがある。おかげで山へ行く人が減っている。今日も栃木でキノコの出荷が制限された。事故を起こしたなら、当該事故により被害を蒙った人は賠償請求してください、だけではなく現状回復すべきだろう。放射能で土が汚染され農産物が出荷できなくなった、その分請求があれば補償します、だけでなくて、放射能で汚染された土を元に戻すべきだろう。
 原発を動かしたり作ったりする、というなら、まずこの事故による汚染を、完全に元に戻してからにすべきだろう。山の除染なんて物理的に無理、というなら、無理なこと、結局責任とれないことを引き起こすようなことはもうすべきではない。

 これまでみな電気の恩恵を受けてきた、原発の電気を使ってきたというが、通勤電車が脱線事故を起こした場合、普段通勤で恩恵受けてきたのだから少しはがまんしろよ、と言うだろうか?事故は事故で徹底的に叩かれるし責任問われるし追求されるではないか。それで鉄道会社が潰れたら、仕方ない、ほかの方法で移動する。東電がもたないなら、仕方ない、ほかの会社か別の手段で生活する。

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ベクレル検査

活東庵公開日:2012.6.19

 少々古い話になるが、秋に区内のある畑で、地表の土を薄く剥ぎ一箇所に集めているところを見かけた。これ、って除染ではないだろうか?このあたりでも除染しているということは、今借りている上野原と東京西部の畑は大丈夫だろうか、と急に気なり始めた。以前お世話になった栃木にある農村指導者養成学校でベクレル検査を安く行っていると聞き、春に畑を開始するにあたり、気になっていた畑の土と、ついでに自宅の庭の土の放射線量を測ってもらうことにした。

 検査結果が出るまでに時間がかかるので、知人を訪問して話を聞いてまわった。学校は西那須野にあるのだが、西那須野といっても場所によって随分違う、4号線沿いに高い一帯がある、まだらでこの畑は高くても隣の畑は低かったりするという。
 那須は高い、セキヤも高い、今でも1マイクロシーベルト以上出ているところがある(2012年3月時点)。大体このあたり(西那須野駅の東側)は0.4MS、大田原へ行くともっと低く馬頭、烏山まで行くとさらに低い。宇都宮は震災前の値に戻り0.05MS、普通だという。

 学校の職員で、放射線量について詳しく話してくれる人がいた。
 ベクレルというのは、そのものが持っている放射線量のことでワットと同じ。シーベルトは受ける放射線量のことでルクスと同じ、同じベクレルでも近ければシーベルトの値は高く遠ければ低くなる。
 日本が震災と原発事故に見まわれたとき、これは大変だということで海外のキリスト教系援助団体が続々と寄付してくれた。まずドイツの団体が、10万する線量計をいくつも送ってきた。非電化工房の人たちと同一地点で値を合わせ、あちこち測ってまわった。学校を訪れる人が持参している市販の安いカウンターとは、やはりかなり値が異なるという。ドイツのカウンターは県の発表値とほぼ同じなので、県もいい器械を使っていることがわかると言っていた。ただ市販のものでもこのあたりは高い、低いということはわかる。土や農産物の放射線量を測る器械は、やはり海外の団体が300万するものを寄付してくれた。公的機関が証明に使う計測器と同じものだが、ただし認可を受けていないので検査結果を公的証明に使うことはできない。このほか、別の海外の団体が大口の寄付をしてきた、いつもと桁が2桁以上違うので某省庁からマネーロンダリングではないかと電話がかかってきたという。

 もらった計測器で片っ端から測ってみたところ、最も高い値が出たのは養魚場にいた魚で100ベクレル出た。お茶はセンシティブで高い。果物も高い。最初柚子に高い値が出たので、常緑樹だから葉に積もりそれがうつったのかと思ったが、キーウィや柿からも高い値が出た。これらは落葉樹なので葉からうつったのではない。まだまだわからないことが多い。きのこ類も高い。
 一方、野菜は低い。穀物(米麦)からはほとんど出ない。藁からは出る。じゃがいもなどイモ類も出ない。福島の米から500ベクレルを越える値が出たとあったが、あれは土の値が何万ベクレルなど相当高いはず。そうでないと穀類から500なんて値は出ない。
 ただ、どんなに放射線量が低くても、灰にすると濃縮されて高くなる。おそらく東京あたりの里山でも、薪を灰にすればかなり高くなるはず。だから有機農業で草木灰を使う場合は注意したほうがいい。学校では昨年今年と西日本の灰を買っているが、放射能は出ない代わりに重金属が出た。草木灰といっても市販のものは何を燃やしているかわからないし、黄砂の影響もあるのかもしれない。
 牧草に放射性物質が積もったので牛を売った。昨年と今年は牧畜をやめる。放射能についてはいろいろわからないことが多い。最初、牧草からどのくらいうつるかわからなかった。1000のうち100出ると言われていたが、そんなにはうつらないようだ。

 原発事故後、農産物から出る放射線量の国の定めた安全基準は、2011年は500ベクレル以下とされた。現在は100ベクレルまでになっている。学校ではいろいろ調べた結果、ベラルーシの乳幼児の安全基準が37ベクレルだと知り、チェルノブイリから25年経過しているからこれならほぼ大丈夫だろう、と安全基準を独自に37ベクレルと定めた。
 昨年は基準が500ベクレルだったので、西那須野の周辺の農家はまったく気にせず野菜を作って出荷していた。500なんで普通出ない。500の場合は計測器の最低検出値を20に設定して測ることになる。学校では2に設定している。3時間より24時間計るとより正確な数値が出る。(この話に、国が最初500に設定したのはそれが確実に安全だからというより、絶対出ないわけではないが出にくい値ということで−例のパニックを避ける目的で−設定したのだろうと感じた。)
 放射性物質は地表に薄く積もる。だから剥ぐか、鋤き込むと散る。一番作物から高い数値が出た畑は、不耕起栽培の畑だった。散らしたほうが薄まり、作物にうつりにくくなるようだ。
 またPHは6から7に保つとよい、酸性になるとセシウムが水に溶け、吸着しやすくなるという。だから(酸性を好む)ブルーベリーは難しいだろう。

 以前学校で教えていた夫妻にもお会いした。当時から夫妻は反原発運動に参加していたという。「よく行ったわね、夜行で行って夜行で帰ったりとか、青森にも四国や九州にも」と遠い目をしていう。当時興味をもっていなかった私は申し訳なく思う。大病をして活発に活動できなくなった今、ご主人は「今は騒ぎすぎ。もうね、日本人は放射能とともに生きることを学ばなければならない」と達観したようすで語った。

 検査結果が出た。上野原市の畑の土は理想的、いたって健康、東京西部山岳地帯に近い畑は上野原に比べ若干高いが全然問題ないレベル、野菜を作っても大丈夫。最も高かったのは23区内の自宅の庭の土だったが、それでもここらに比べれば全然問題ないレベルだという。検査数値をいただき、安心して帰った。

 ところで最近、原発事故直後の3月15日に、ある国会議員の家族が海外に逃げていたという話を本で読んだ。やはりね、今年3月6日の本欄真実の公表で書いたとおりだったでしょう。

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