伝統薬
活東庵公開日:2009.1.31
やはりテレビの情報番組の特集で得た話なのだが、薬事法の改正で日本の伝統薬が存亡の危機に立たされているという。薬の通信販売が禁止され、直接薬について説明のできる対面販売しか認められなくなるらしい。
薬局が近くにない地域(地方)に住む人や出歩くのが大変な障害者などが、困ると改正を求めているという。
伝統薬業者も地方に多く、全国各地の長年の顧客から電話で注文を受け郵送するパターンが多いらしい。その薬棚には、それこそHomeopatheticの医者やアユルヴェーダの店と同じように、小さい引き出しがびっしりと並んでいた。伝統薬もそういうタイプの薬が多いようだ。
ある業者は、自分たちは厚生省のできるもっと以前から、明治政府よりもさらに前から、薬を郵送などの手段で各地へ送って売ってきた、それのどこがまずいのか、という。
確かに禁止されている薬や日本では買えない薬をネットで買ってしまう人もいるし、通販で買って自己流で注射したり飲んだりして問題になることも多い。
でもミニHomeopatheticのような伝統薬が無くなってしまうのも勿体ない気がする。将来何かで役に立ったり、何かのきっかけで参考になる可能性もある。
沖縄
活東庵公開日:2010.5.6
だいぶ昔、テレビタックルにハマコーが出ていた頃のこと。
何かの拍子にハマコーが「日本の立場は非常にあやうい。日本は本当にあやういところにいる、かわいそうな国なんだ・・・」としみじみ言ったことがある。
おそらく敗戦以降の世界の枠組みと、アメリカ、ロシア、中国がらみと思われるその話は、そのままうやむやになり、ハマコーもいつのまにかテレビタックルに出なくなった。
が、あの言葉がずっと気になっている。
最低でも県外移転、トラストミー、5月に決着をつける、腹案がある、等々から、結局この状況か、やっぱりね、というのは誰もが思っていることと思うので特に触れない。(近衛細川のように嫌になって投げ捨てないところがまだましな程度)
基地が沖縄にある、というのは、別に日本政府が本土は嫌だから沖縄に、と頼んでいるわけではない。アメリカが沖縄がいい、と言っているのだ。それをはねのけるには、1.日本に強くなってもらう 2.沖縄が独立し沖縄自身が強くなる 3.中国の庇護下に入る のいずれかだろう。
独立する場合、独立しただけではだめで、軍事力は絶対に必要になる。話し合いで・・・というのは、非現実的。絶対に話し合いでは払いのけられない。軍事力ぬきで基地がなくなるケースがあるとすれば、アメリカの衰退か、世界情勢の変化で、極東に基地を置く必要性がなくなった場合くらい。
中国領になれば、確実に米軍基地はなくなる。その代わり、中国軍の基地が来る。
沖縄問題
活東庵公開日:2010.6.8
鳩山政権のおかげで、沖縄分離フラグが立った気がする。さらに過去最大の借金財政で”ちかじか日本経済終了”フラグも。
沖縄の人の書いた沖縄の歴史に関する本を見ていると、琉球処分前、王府守旧派と薩摩派の暗闘があったことや、米軍占領下でも独立派、日本復帰派、親中派とあり、一人の人間の中でも揺れ動いていた様子がよくわかる(後者については『美麗島まで』与那原恵著がわかりやすい。その他『琉球王国衰亡史』嶋与志津など)。
日本は少子化と経済力後退で確実に衰退する。10年後か20年後には、沖縄は中国領か中国の保護国になっている可能性も高い。歴史上よくある国土の伸縮、日本、沖縄、中国、それぞれ栄えるときもあれば衰えるときもある。
基地は日本を守るためにあるのではない。そんなこと明々白々、誰でもわかっている(と思うのだが)。”抑止力”、て、アメリカにとって必要だから置いているだけで日本を守るためではない。日本を守るための基地を沖縄に押し付けている、ということを書いたりしゃべったりするマスコミもおかしい。なぜこういう論法が流れるのか不思議だ。そういうことにしたい人たちがいるのだろう。
アメリカの国防ラインを維持するための基地が地理的に沖縄の位置に必要だから置かれている。日本(や沖縄、その場合基地でなく離島含む沖縄そのもの)が攻撃、侵略されたとしても、それがアメリカの国益と一致しない場合、米軍は確実に動かない。基地の理由からいって動くわけがない。
”基地は日本を守ってくれている”、でもその基地は迷惑施設でもあり自分のところには置きたがらない、とマスコミはいう。それなら自国の軍隊をおいて自分たちで守れるようにすればいい。だって守ってほしくはあるわけだろう。軍隊がないと、”抑止力”がなくなって不安なわけだろう。自国の軍隊のほうが隊員が事件を起こしても治外法権にはならず、国内法で対処可能になる。
九条を守ろうという人たちにもおかしい。いろいろな立場の人がいるので全員ではないが・・・。
九条を守り米軍も出てゆくべきとするなら筋は通る。しかし九条があるから私たちは軍隊を持てない、持たない、米軍は必要悪、日本にいるなら彼らに守ってもらおう、というのは、自分たちの手だけは汚さない、汚れ仕事は他人にやらせる、結局軍事力に頼っているわけだから論理的におかしい。
九条を本当にやるなら、まず正規の軍隊である米軍出てゆけをやるべきになる。次に自衛隊の解体。でもその勇気のある人は少ない。
(実は九条にはまっている知り合いがおり、会うとパンフ持って薦めたり結構うざい。”自分は正しいことをやっている”と信じている様子だが、正直一種良心のアリバイ作り、集会ばかり、それでちょっと何かやった気で満足している感がある。)
日本もキルギスもアメリカの勢力範囲の最前線の防波堤、沖縄はその重要拠点のひとつ。東京周辺に基地が多いのは、もとは日本軍解体のため、その後は防衛兼見張り目的もあるはず。
鳩山は最低でも県外と言っていたのが、結局アメリカに何を言われた、もしくは歴代担当者らから何を知らされたのかね。どうせ辞めるならあらいざらいぶちまけちまえばいいのに。”国民の皆さん、日本は本当はこういう状況にあり、沖縄はこういう状況にあるのです”と。
他国のために血を流す若者のための”思いやり予算”とか笑えるし、「じゃあなくてもいいです」あるいは「自分でやります」と言っちゃいけないようだし。
大城将保氏が書いていたが、明治に創設された日本軍は侵略のために作られた軍隊だった、という。つまり国防軍ではなかった。確かにそのとうりで、それがいろいろと間違いの元だった。アメリカが日本を捨てる日が確実にくる。そのとき初めて”国防軍”ができるのかもしれない。遅きに失する感はあるが。
戦前戦中という時代
活東庵公開日:2010.7.12
戦前、戦時中、そしてせいぜい昭和20年代頃までに作成された戦争関連映画を20編ほど見る機会があった。今までも当時書かれた文献や、体験者が戦後書いた文章を読んだり、体験者から当時の話を聞く機会があったが、当時の映像を見て感じたことがいくつかある。
映像のリアルさ
まず、あの時代の雰囲気は、やはり当時を体験した人でないと出せない、とつくづく感じる。
特に映像で顕著だ。「ひめゆりの塔」や「ビルマの竪琴」は何度も映画化されているが、やはり最初の作品が(黒白ということもあるかもしれないが)一番よい。ひめゆりなどは、風俗考証的には後の作品のほうが正しいのだろう。当時沖縄はアメリカ領だったため、ロケも本土の風景と家屋で行われている。視点も本土側からのもので、沖縄から見た意見や考えは反映されていないだろう。それでも、兵隊の口調、女学生の感じ(しゃべり方、仕草、ちょっとしたはにかみの表情その他)、21世紀を生きる俳優には絶対に出せないものがある。「ビルマの竪琴」や「野火」、初期の二等兵物語シリーズの兵隊たちも、皆実際に兵隊経験のある人たちが演じているわけだから、目の光、ケンのある顔つき、痩せこけた体、そして口調、動きが全然違う。
はっきり言って、ここ20年くらいに作られた戦争関連映画はまったく別物だと感じる。
兵隊になるのは赤紙が来たときか
戦時中については、当時の日記を引用して語るケースも多いが、そうした文章を残す人はエリート層か、文章を書くことが好きな人(苦でない人)に限られる。そうした文章家の文献を読むだけでは、当時の雰囲気を見誤る可能性が高いと感じる。
兵隊になるのは赤紙が来たとき、と思っている戦後生まれの人は多い。
しかし基本的には二十歳で徴兵検査があり、これに合格すると現役兵として6ヶ月訓練を受け、一期検閲後に兵隊になった。日中戦争だけだった頃は2年で満期になり、除隊して故郷に戻った。そして在郷軍人として予備役に編入された。乙種などの人は補充兵役でやはり在郷軍人だった。
赤紙が来るのは、こうした予備役、補充兵役の人たちに対してだ。つまりもともとは、若い甲種合格の現役兵が基本だった。その他志願兵制度もあり、その制度にもさまざまなルートがあって、どういう経路で兵隊になるかは複雑、色々な立場の人がいた。全員が赤紙でしょっぴかれたわけではない。
しかし戦争が激しくなり兵隊が足りなくなってくると、第一国民兵役(37歳5ヶ月から45歳までの人)や第二国民兵役(丙種合格)にも赤紙がくるようになった。家庭を持ち子供もおり、職業に従事している生産年齢の人々に赤紙が来た。これが戦後、さまざまな作品で悲劇として描かれている。
確かに人数的には戦争末期に赤紙で兵隊へ行った人も多い。一方、22歳以上の兵隊でも、戦争が長引き激しくなってくると、2年過ぎても満期除隊即日召集で現役兵からそのまま何年も軍隊にいる人も多くなってくる。映画にしろTVドラマにしろ文学にしろ、このへんのサンプルに偏りがあり、こうした戦後作品だけで当時の一般的な雰囲気を掴むのは難しい気がする。また、作品を作るのは表現産業に従事している人たちで、そうした人たちの体験は一般とは若干ずれがあるとも感じる。いずれにせよ、戦争を知らない世代が軍隊には全員赤紙で行った、という印象を受ける状況は気になる。問題だと思う。
戦前、多くの日本人に海外経験があった
戦前戦時中、侵略か進出かはともかく、大勢の日本人が海外に出ていった。ある人は兵隊として、ある人は植民地の役人として、ある人は商売するために、ある人は開拓団として。当時満州、上海や山西省、朝鮮、台湾、樺太、シンガポール、サイパンその他南洋諸島に多くの在留邦人がいた。玉砕したり残留せざるをえなかった人々も出たが、日本の敗戦によりその多くは帰国した。つまり、当時、海外体験のある日本人が、兵隊だけでなく一般人にも大勢いたことになる。実際、70代以上の人と話すと、サハリンで育ったとか、子供の頃台湾にいた、などと言う人も結構いる。
これはその後の日本の発展に、実は結構大きな影響があったのではないか、という気がしてならない。
日本が高度成長期に入ると、企業の海外進出が始まり、どこへ行っても日本人がいる、と言われるようになる。1980年代に台湾や韓国へ旅行したとき、当時50代くらいの韓国人や台湾人と話していると、1950年代から商船などで世界中を回ったが、どこにでも日本人がいた、アフリカにもいてびっくりしたよ、韓国人や中国人はあまり見かけないのに、という話を聞いたことを思い出す。
おそらく1960年代70年代の日本人は海外に一人で飛び込んで市場を開拓することを億劫に思わなかったのだろう。実際、元兵士から戦後の話として、企業戦士となりアフリカ奥地へ原料を求めて入っただの、アフリカや南米、ソ連から機械の受注を獲得、納品、そのメンテナンスに飛び回った、などの話をよく聞く。その背景には、兵隊として海外へ行った体験、子供のころ海外に住んだ経験、あるいは移住した親戚の話をしょっちゅう耳にしていた経験などがあったのではないだろうか。
1990年代前半頃までは、海外で東アジア系を見ると日本人と思われることが多かった。
それがここ10年ほど、日本人(特に若者)があまり海外へ出てゆきたがらなくなった。一方で、韓国や中国をはじめアジアの若者がどんどん海外へ出てゆくようになった。アフリカでも韓国や中国のほうが人も出てるし企業の勢いもある。
数年前インドの地方都市へ行ったとき、現地の日本女性から
「最近日本人見かけないんですよね。韓国の若者は結構来るんですけど。みんなここまで(遠くへ)来ないのかなあ」
と言っていた。
このへんにも国力の衰退を感じる。
どの話が歴史として残るのか-歴史の闇
活東庵公開日:2010.10.16
戦争に関する戦後の映画や文芸作品で、気になることがある。
たいてい悲劇性を高めようとするためか、戦争末期に赤紙で召集された予備役や補充兵役の人たち、仕事をもち子供や家庭のある年齢の人々が主人公になっている。志願兵や、徴兵検査で合格し20歳の現役で行った人たちは、戦後価値観の中では主人公になりにくい。このため、戦後生まれの大多数が、戦争とは「赤紙」が来て行くものだったと誤解する原因にもなっているし、何より現役で行った人たちの話が残りにくい。
現役兵には農村出身者が多い。都会の高学歴者は戦後物を書くしあちこちでしゃべるので、話がよく残っている。しかし田舎の人はしゃべらない。こうした話は永遠に埋もれてゆく可能性がある。
こうしたことは戦争関連に限らない。イルカ漁を扱った映画の是非が問題になったとき、ある識者がTV解説で漁師自身も自ら発信して説明するべきだ、このグローバル化社会、自ら発信できない人は生き残れない、という意味のことをしゃべっていた。
この論には疑問がある。いわゆる”表現”能力に長けた人が回りから理解を得られ有利だと言っている。しかし”表現”能力に長けた人が正しいことを言っているとは限らない。職人や農民や漁民は自分の専門の技術はあるがプレゼンテーションに長けていなかったり、どのメディアが有効でどの表現手段が有効かなどの知識もないだろう。”自ら発信して説明する”こと自体を仕事にしているプロが自分の土俵でやっていることに対し、別の業種のプロも相手の土俵にあがって同じように戦うのは不公平だし、圧倒的に不利な話だ。
そもそも、語らない人のほうに理のあることは多い。”表現”には表現者の主観が混じり技術によるまやかしが入る。古い果物や野菜に薬やワックスを塗って新鮮に見せかけるのと同じですな。表現方法やお話の作り方には十項目程度の基本技術、「暗いところから明るいところを見せろ(後者のすばらしさの印象づけ方)」だの「恋愛をまぶせ(食べにくい素材を食べやすくする)」だのがあって、これによってつまらない話が劇的に変わることは、マスコミ講座や小説・漫画の書き方などを少し学べばすぐわかる。誠実な”表現”もあるが、大半は技術でカバー、中身は疑問。何度も書いているが、ディベートなどその最たるもの。ディベートなぞで勝っても、その場だけで意味などない。相手は心服なぞしていない。
歴史に残るのは映像や文章などの”表現”作品なので、このことは注意して見る必要がある。そしてこうして残った”表現”ものよりも、生きた人間のほうがよほど確かだったりする。”表現”は作品作ったら終わりでその後については結構無責任だったりするが、人はその後も生き続けなければならない。
もう一つ、沖縄関連の話になるが、沖縄に戦争の話を聞き取りに行った人が、現地の協力者から「沖縄のことはウチナンチューにしかわからない、沖縄戦の話の聞き取りもウチナンチューにしかできない、ヤマトの人にはできない、だから自分たちでやる」と言われた、と言った。このため沖縄はかなり閉鎖的なところかと予想していた。ところが実際行くと会えば普通に話してくれることが多かった。この話をした人はさらに「沖縄戦では日本兵にひどい目にあった、暴行されたと随分言われたけれど、アメリカ兵にそういうことをされた、という話はあんまり出てこないんですよ。本当にそうだったのかなあ?」と聞くので、「いや米兵の話は『いくさ世を生きて』などにも随分出ているはず、一体どういう人たちと話たの?」と言った。その後、大城将保氏が『沖縄戦』の中で、米兵による戦時強姦は地域の例外なく多発、公然の秘密だが共同体のタブーで表には出にくい、いずれ歴史の闇へ消えてゆくだろう、と書いていた。捕虜収容所でも米兵によるムスメハンティングがあり、酸素ボンベを鐘代わりに叩いたり指笛で知らせたなどの話もある。大城氏は、日本兵による被害の話が多く米兵の話が出にくいのは、米軍支配下の心理的圧力、敗戦国だというあきらめ、そして戦闘時における米軍による被害は心理的にさほどでなく、むしろ協力したのに友軍からスパイ呼ばわりされたり裏切られて受けた被害のほうが心理的にショックだった、と書いている。
性被害は平時でも表に出にくい。満州や朝鮮引揚者も、日本に上陸した港でかなり堕胎をした、中には母娘で手術台に並び無言で涙を流していたという話も昔読んだことがあるが、これらも多くは語られることなく歴史の闇へ消えてゆくだろう。
トップが不健康だと国は滅ぶ
活東庵公開日:2010.12.2
以前、イザベラ・バードの『朝鮮紀行』を読んだことがある。彼女の日本の東北地方・北海道旅行記である『日本紀行』とあわせて読むと非常に興味深く、明治初期の頃の両国の雰囲気がよくわかる。
新しい息吹と活気にあふれた日本に比べ、朝鮮(現在の韓国も含む)は農村に活気はなく、家々も貧しく汚ならしかった。彼女はそれを朝鮮人の資質によるものとはしていない。というのは、その後ロシアに足を伸ばした際、ロシアに住む朝鮮人が勤勉で活気にあふれ、成功しているようすを見ているからだ。朝鮮の農民に覇気、やる気がないのは、過重に課せられた税とその上にのっかる無能な官僚群が原因だとしている。いくら働いてもお上にとられてしまうので、やるだけ無駄と感じてしまう状況にあった。
つまり、当時の朝鮮は国家として金属疲労を起こし、終焉期を迎えていた。すべてのものには寿命がある。生き物だけでなく、品物や制度などの制作物でもそれは同じ。いつまでも不変で通用するわけではない。
日本の江戸幕府も終焉期を迎えていたが、自らの手でその死を介錯し、新しい政府を作ることに成功していた。
イザベラ・バードは朝鮮国王の巡幸も目撃している。その際、青くむくんだ不健康そうな国王について描写している。この場面も印象に残った。というのは、大城将保氏の『琉球王国衰亡史』でも、琉球王国が滅ぶ最後の国王は健康状態がすぐれず、引きこもりがちで、実質政務を行えない状況にあったことがわかるからだ。
1700年代のスペイン継承戦争も、近親結婚の影響でスペイン国王が病弱で子孫を残せない体だったことから、ヨーロッパ各国が利権を狙いイギリスとフランスの連合軍に分かれて戦争が始まった。
作った当初は時代にあった斬新な制度で活気にあふれていても、やがて時代にあわなくなり、各所にオリもたまって活動を阻害するようになる。(王朝制度だと)なぜかそういうときに、不健康な人がトップにつくことが多い。これは国家死亡フラグだ。
今、韓国は非常に活気がある。
1980年代に、韓国語を学んでいた頃、韓国人の先生が「かつては日本にやられた、ひどい目にあった、とばかり言う人が多かった。しかし今では植民地になったのは、自分たちにも原因があったからではないか、と思う人が多くなった」と話していた(1980年代当時の話)。
その当時は海外援助型NGOの活動がさかんで、物資の援助や学校を建てるなどの支援が民間レベルでもよく行われていた。いわゆる”第三世界”の国々の人たちも「発展するために、もっとお金をください」と要求し、欧米や日本など開発国の若者らもそれを疑問視しない時代だった。インドで会った欧米のボランティア青年らも、自分たちの享受する生活とAA諸国との落差に後ろめたさを感じ、その贖罪意識もあって、欧米の搾取が原因で第三世界が犠牲になっている、基本的に彼等に非はないと考えていた。しかし、そうした雰囲気の当時、この話を聞いて、このほうが本物だな、こうして人々が覚醒するほうが将来怖いだろうな、と感じた記憶がある。
『朝鮮紀行』にはもう一つ、面白い描写がある。イザベラ・バードが夕方暗くなってから出発しようとすると、朝鮮の人たちは「虎が出る」と怖がって外へ出たがらなかったという。実際に虎を見たという話はその当時でももう聞かれなくなっていたにもかかわらず、虎に対する強烈な恐怖心がまだまだ残っていたという。
今では思いもよらないが、明治の頃の朝鮮には、まだ虎が山野をかけめぐるイメージが生きていたのだ。
内が乱れれば外からの侵入で国滅ぶ
活東庵公開日:2010.12.2
日中戦争のころ、中国大陸は内乱状態だった。あちこちに軍閥が割拠し、政府と呼べそうな政体も蒋介石の国民党、汪兆銘政権、共産党、満州国などなんでもありだ。それらの影響すら及ばない地域も多く、軍閥、土匪などが入り乱れていた。
日本も中国が強固だったら入っていかなかっただろう。やはり国内が乱れてくると、外から入ってくるの典型である。侵略が良いか悪いかは別にして、歴史上、世界中でその興亡が繰り返されてきた。
内憂外患は、必ず内憂が先にある。これは日本の将来にもあてはまる。そのとき「侵略はよくないことだ」と”正論”を言っても、相手には通用しない。1930-40年代、中国に入ってきた日本軍に中国人が命乞いしても通用しなかったように。
侵略してくる側は、その時代の”常識”として、侵略される側を”劣等民族”と疑問なくみなす状況にあるから、そういう”劣った”人たちの声など、聞かないのです。
置き換えて考えると
活東庵公開日:2010.12.2
第二次世界大戦に関する資料を見る際、いつも「これがこうだったら」と置き換えて考える癖がある。これは戦争に関する事柄に限らず、どのテーマであろうと全般にそう考える癖があるのだが。
たとえばフィリピン戦やニューギニア戦に関する本を読んだり話を聞いたりすると、これ、てたとえば日本にインドとブラジル(別にどこでも良いのだが、できるだけ良し悪しのイメージの少ない国とする)の軍隊がやってきて、お互い戦争しているような状況だろうな、と考える。日本の農村や地方都市にも軍隊が展開し、お互い”宣撫工作”をやって、自分のほうにナツくようにしている。やがてどちらか(たとえばブラジル)の戦況が悪化する。彼らは日本の山岳地帯にたてこもり、戦闘を続けるが食糧の補給もなく、餓死者が出てくる。食糧を得るため、山村や里山の農村に出没して畑のものを取るようになる。それを嫌った日本の農民が、強いインド軍に「なんとかしてくれ」と通報する。
宣撫工作をかなりやって物も与え、ナツいたようだったのに、通報された、裏切られた、というのは、置き換えて考えればこういう状況だったろうと思う。自分がその立場だったら、やはり通報するだろう。なぜ、て、両方とも自分たちとは関係のない軍隊だから。はっきりいって、どうでもいい。じゃま。早く終わって出て行ってほしい。それだけだろう。
日本軍が特殊だったのか
活東庵公開日:2010.12.2
中国戦では、戦闘員と非戦闘員の違いがはっきりせず、攻撃を受けた日本の兵隊が疑心暗鬼になる話が多い。『生きている兵隊』などでは、「よし、支那人という支那人をみんな殺してやる」という気持ちになる過程がよく出ている。
もし戦争当時の日本が本土決戦でゲリラ戦法を採用していたなら、今の戦後日本では「国民をゲリラに仕立てた政府」と非難する人も出てくるだろう、という確信がある。では便衣隊を採用した中国の各政府(特に共産党)に非はあるのかないのか。人民だか国民だかが自らの意思で行うとしたのなら、ないのか。
ベトナムでもゲリラ戦が採用され、民間人に多大な犠牲が出た。民間人を虐殺したアメリカ軍に対する非難の声が高まったが(同じく参加した韓国軍の関わる件についても、おおっぴらには言われていないが同様)、これも中国大陸での日本兵の心理とまったく同じ状況から起こったことだろう。
その後もイラク、アフガニスタンでも民間人に対する攻撃がさかんに暴かれ(Wikileaksに限らず普通のメディアでも)報道され問題視されているが、戦闘員と非戦闘員の違いを明確にしない(非戦闘員の中に戦闘員が隠れ潜む)戦法をとる限り、必ず起きてくる問題ではある。ただし、自国が戦場にならない限りとれない戦法でもある。つまり、外から入ってくる軍隊に対して地元がとるか、地元内が割れて争うケース以外はありえない戦法だ。
日中戦争のとき、中国で女性を股裂きにした話(近藤一氏の証言)を読んだとき、これと同じ話を昔読んだな、とすぐに思った。高校生の頃読んだ歴史書なので題名を特定できず詳細も不明だが、パリに雪崩れ込んだ外国の軍隊によってパリジェンヌが同じ被害にあった話を読んだことがある。やはり馬に四肢をしばりつけて鞭打ち、裸の女性を八つ裂きにした、とやり方もまったく同じ。時代はナポレオンがらみだったような(ナポレオン追放後進駐した外国軍?)記憶がある。いずれにせよ、中世ではなくルネッサンス以降の比較的最近の話で、こんな最近でもまだこうしたことをやるのか、と思った記憶がある。
なんだか発想が似ているなあ、という印象と、結局興奮して手がつけられなくなった軍隊はどの国だろうが何人(何族)だろうが同じなのだと感じる。
旧日本軍の初年兵教育では、人を殺すことに抵抗がなくなるよう、藁人形を銃剣で突き刺す訓練を行い、中国大陸で訓練が行われた場合は実際に捕虜を相手に行った話は有名だが、第二次世界大戦の際、前線における兵士の発砲率が実は20%以下であったことを知り問題視したアメリカ軍では、その後初年兵教育を改めたという。つまり人を殺すことに抵抗がなくなるよう、丸い的への射撃訓練を顔写真付人形に変更した(2010年8月19日朝日新聞『加害の記憶は残らない』森達也)。
これは旧日本軍の教育をそのまま採用したのと同じではないか。
米軍と戦った日本兵のほとんどが、米軍の非人道性を語らないのに対し(むしろ物量の豊かさに感心し、捕虜になったときの待遇に感激している)、ベトナムやイラク、アフガニスタンでは民間人も捕虜になった現地の兵士もアメリカ軍の非人道性に対する怨嗟のオンパレードだ。この差は、米軍の変質にある気がする。ノーマン・メイラーの『裸者と死者』は戦後ベストセラーになった名作だが、これを読んで米兵の戦場での微妙な心境に頷き、アメリカ人の兵隊も日本人と同じだと共感した人は多かったろう。しかしベトナム以降、前線での攻撃効率が2倍になったアメリカ兵はマシーンになるしかなく、中国の日本兵と同じ恨みを買うことになった。ただし敗戦国ではないので、おおっぴらに非難されたり損害賠償請求される状況にないだけだ。
その他旧日本軍のだめな点としてよく挙げられる「糧秣は現地物資に頼る」制度も、もともとはナポレオンが行軍スピードを速めるために初めて採用した制度だったことも以前書いたことがある(現地調達・・・)。
戦場になったアジア諸国はもとより、旧日本軍の日本人元兵士らも、旧日本軍は特殊な非人道的な軍隊だったようなことをよく語る。
しかし良くも悪くも、旧日本軍がそこまで他国と異質で特殊だったとは思えない。軍隊とは基本的にどこもそんなものだろうという気がする。最強の兵士は感情のない殺人マシーンだろうから、最強の軍隊、効率的な軍隊を求めれば必然的にモンゴル帝国時代のモンゴル兵、旧日本軍の日本兵、現在の米兵のようにならざるを得ない。
記憶−記録するということ
活東庵公開日:2010.12.2
戦争の体験(に限らず昔の話)の聞き取りは、個人的に興味があるので個人単位ミクロの意味ではやりがいがあるが、これが社会など他者に対しても何かためになるのかとマクロの意味で問えばどうなのだろう、という気がしなくもない。
先の大戦は本当に悲惨な戦争だった、という人は多い。しかし、古来から悲惨な戦争の話は数多い。単なる歴史話として読めば「ふーん」で済んでしまうが、リアルに考えれば、つまりこれが自分の祖父母や両親の体験だとしたら、と置き換えて考えればそのひどさがわかる。
モンゴル帝国による中央アジアの西域諸国征服の際には、敗戦国に対し、馬車の車輪を超える背丈の男性は皆殺し、残った女性と子供は奴隷とかある。
中世ヨーロッパでは負けた側の捕虜を千人単位で隊を組ませ、先頭一人の片目を残してあとはすべて目をつぶし、片目の者について歩いて帰るよう命じた話もある。
町を焼き尽くされ、最後塩までまかれて灰燼に帰したカルタゴの滅亡。
その他捕虜を馬につないで引きずりまわしているうち、最後に残ったのは足だけといった類の話も、古今東西よくある。
信長の信徒数万人焼き殺しも、リアルに考えれば大変な事件だ。関係者が生きている頃はさぞかしなまなましい記憶に満ち溢れていたに違いない。しかしそれらはすべて消えうせ、歴史になった。リアルに知ろうと思えば、想像力をめぐらすしかない。
そうしたさまざまな戦争について、いちいち聞き取りの記録が残っているわけではない。時代が古ければ古いほど資料は少なく、事務的な記録として残るのみ。それを目撃した人、生き残った人の肉声はほとんど伝わらない。さらに言えば、あったことすら伝わっていない戦争、虐殺も多いだろう。そうした残らなかった記憶。その悲惨な体験とは一体なんだったのか。でも一方、記録が残ったところで何か違いはあるのだろうか。
『揚州十日記』という中国の古書がある。明が清に攻められたときの民間人の記録で、揚州が清の軍隊に囲まれついに陥落するまでの状況を克明に記した実録(小説ではない)。親思いの中華民族の性質を逆手に取り、明の兵士の父親らを捕らえ清軍の最前線に配置して攻め込み明軍の意気をそぐ戦法や、周囲を清軍に囲まれ今日陥落か明日陥落かという中、夜、清の兵士の歌声が流れてくる様子などがなまなましく記されている。
学生時代、ふと手にした本だが妙に印象に残る。
(ちなみにこのときの市民の犠牲者数も、南京大虐殺と同じく、数十万人だ、いや当時の揚州の戸数からそれはありえない、数万人だという同じ堂々巡りの議論がなされている)。
戦争中の日本映画
活東庵公開日:2010.12.26
昭和初期あたりから終戦頃までに作られたものを中心に、太平洋/大東亜戦争関連の映画を片端から借りて見ている。今まで50本近く見てきたが、あまりメジャーでない映画を中心に、気になった点をざっと記しておく:
木下恵介監督『陸軍』 最後の場面での田中絹代演じる母親など、確信犯なのか自然にぎりぎりのところでやったらこうなったのか不明だが、秀逸な名場面。作られた経緯と題名から戦後はあまり一般に知られていないようだが、葬り去られるのは惜しい。
それ以前に作成された『海軍』という映画もあるのだが(陸軍省はこの手の映画を望んでいたらしい。監督は田坂具隆)、こちらは真珠湾の場面以降が失われている。戦後GHQの検閲により、フィルムをばっさり切り取られ、元のフィルムは残っていないという。アメリカは中国のようにあざといやり方はしないので気がつきにくいが、巧妙に言論統制を行っている。
『不沈艦撃沈』 戦局が悪化した頃に作成された、海軍のためにがんばる若者を描いた映画。何だか既視感あるなと思ったら、文革時代に作られた中国映画『火紅的年代』にクリソツだと感じたのでした。
外国に意地悪されて技術を教えてもらえなくなる → しかし精神論と国産でがんばる → それが成功、高い技術力を示す → XX人はやっぱり偉い、偉大な誰某 という筋書き。実際には『不沈艦撃沈』が先で、文革が戦前戦時中の日本にソックリだったというわけだが。(火紅的−の背景として、当時中ソ対立により中国からソ連の技術者が引揚げていた)。
『野戦軍楽隊』 日本軍に協力し、中国人に対しメガホン片手に宣撫工作する女性が出ていたが、なまりのないきれいな中国語を話していた。もし中国人だとしたら、その後彼女はどうなったのだろう。
これらの戦前映画は、有名な隼飛行隊シリーズなど今でも人気のあるもの以外はDVD化されていない。戦争を知る世代という顧客層がいなくなったら、これらのVHS版の作品はいずれ市販ルートからはずれ、手に入らなくなるだろう。
教師からの訴訟
活東庵公開日:2011.1.27
先日、教師が親に対して訴訟を起こす件があった。この件そのものについては詳細がわからないので言及しない。
ただ、もう15年近く前、モンスターペアレントが話題になる以前に、小学校の先生をしていた友人が、子供は好きだが教師は疲れる、これは都会の学校、特に都会の親とあわないのか、教師の仕事そのものが自分にあわないのか知りたい、と言って、離島に移動願いを出した。離島に移動願いを出す人なぞ滅多にいないから、(普通の移動は何年かかかるところ)一発で通り翌年離島に赴任となった。
彼女はそこで元気を取り戻し、「学校の先生は嫌いじゃない、ただ都会の親と合わない」ということがわかったという。結婚を機に本州に戻ったあとは養護学校の先生になって働いている。
1月24日付東京新聞の「本音のコラム」で、ふだんリベラルよりの発言が多い看護士の女性が、今回の訴訟をふまえて、”患者家族の常軌を逸した苦情”による医者や看護士の自殺について書いていた。誰にでも落ち度はあるとしても「あそこまでするのは許されない」というのが事情を知る周囲の思いだったという。
「子供のために提訴は回避されるべきだという論調に私はくみしない」、なぜなら理想的な解決を押し付けられれば「強者」とみなされる教師が一方的譲歩を迫られる、こうした図式的報道が「弱者-強者の力関係を温存し」「「強者」を黙らせ暴力的な「弱者」を焚きつける不思議な構造が生まれる」とする。企業に対するクレーマー問題も根は同じだろう。
相手と意見を交わす会話ではなく、自分の主張だけ押し通す一方的な話しかしない人が増えている。人と話をしても、実は全く触れ合っていない。
孤族が問題になっているが、一人ひとりのこうした内面もその一因になっている。最終的な孤独の責任もそこにある。
政治経済で冷戦の終了、戦後体制の終了が言われるように、社会生活の面でも、戦後的単純な弱者VS強者の図式が通用しなくなってきている。モンペやクレーマーに対する対処能力欠如は、旧態依然のずれた図式で理解しようとしているためだ。現状にみあった思想がまだ構築できていない。
ところで、ふとある知人女性から聞いた話を思い出した。彼女は小さい子を連れ、約束時間に遅れまいと駅に駆け込んだ。急いで切符を買うが、機械の不具合で販売停止の赤い文字が。焦った彼女は呼び出しボタンを押したが、なかなか駅員が出てこない。焦りと子供は騒ぐしで苛立って、いつのまにか大声で怒鳴っていたという。駅員が出てきてもそのまま怒鳴り続けていた、自分でもどうなったのかよくわからない、コントロールできないのよ、あ、まずいと思っても止められなくて怒鳴り続けていた。
見た目楚々としたストレート長髪で、あつかましいどころか普段は控えめな笑顔の女性である。
「でも、駅員さんには悪かったけど、大声で怒鳴ってなんか気持ちよかったのよね。大声出すことなんて普段まったくないじゃない。あー声出すの、てこんなに気持ちいいんだ、て」
それなら駅員相手にストレス発散せずに市民劇団にでも入って発声練習したら、と言いたくなったが、感じはわかる。
コミュニケーション能力全盛社会への疑問
活東庵公開日:2011.1.27
従来、引きこもりの原因には、病気、本人の甘えがあるとされてきたが、最近国が全国規模で調査を行った結果、その原因として「現代社会についてゆけない人が増えている」ことが新たにわかってきたという。今の企業では、高いコミュニケーション能力が必要とされるが、それがなく適応できない人が増えているためとのことだった。
私も甘えかと考えていたが、これだけ増えてくるとそれだけでは説明しきれないと思わざるをえない。そしてこの原因の説明には納得がゆく。
いま、何かというとコミュニケーション能力、コミュニケーション能力、という。本当の”コミュニケーション能力”は上辺だけの胡散臭いものではないという人もいるだろうが、コミュニケーション能力のある人とは、基本的に言葉を介して人と関係を持つことに巧みな人であり、なんとなくイメージとしてぺらぺらとよくしゃべり、人当たりよく表面さわやかで明るくそつのない人、という感じがある。そんな芥川の『かめさん』に出てくるかえるの国の住民ような人が、本当にすぐれているのかね、とひねくれ者の私は思う。
友人が、事情から土地を離れざるを得なくなり、遠くに移転先を決めその引越し費用を捻出するため慣れない町工場で働き始めたときのこと。担当部署のリーダーはいかにも職人といった風情で無愛想でとっつきが悪く、”動作がトロトロして鈍い私”は怖い人だと最初びくびくしたという。しかしよく見ていると、そのおじさんは、ほかの人のレベルに合わせてやりやすいよう段取りしたり、慣れない人のため目につくところに工具を置いたりしていた、「あ、この人は本当はとっても優しい人だったんだ」とわかったという。それまで”動作がトロトロして”どこの職場でもやりにくかった彼女だが、引越しまでの数ヶ月だったものの、その職場が一番働きやすい職場となった。本人も、それまでは自分から怒ったり閉ざしていた部分もあったのが、その土地最後ということもあり自分のほうでも相手を理解しようという気分が高く、それが相手への理解力アップにつながり、うまくいったと思う、とも言っていた。その後自信がついた彼女は、新しい地で能力をいかして(もともと能力の高い人だったので)専門にしていた分野で働き、自ら音頭をとって勉強会を開いたり、他地域と交流する場を設けたり活躍している。
コミュニケーション能力というと、どうも、いじめのターゲットになることを巧みに避け空気を読む能力に長け、表面的な会話を楽しく続ける能力に長けた、薄っぺらな人物、というイメージが自分の中にはある。安易なコミュニケーション能力礼賛の中では、この職人や友人のような人は見落とされる可能性がある。
今、「人が怖い」と引きこもらされている人々は、実は豊富な能力を持っている人材なのかもしれない。勿体ないかもしれないのだ。
高度成長前の農村社会を調べた本(柳田国男の調査)によれば、昔の山村では家族の間でもほとんど会話がなかった、数えたら1日十数語程度しか話していない、という記録がある。家族関係が疎遠かというとそういうことはない。人との交流を、あまり会話に頼っていない。
畑仕事や山仕事も、漁師も、基本的にそう話す必要のある仕事ではない。そういうなりわい(生業)が昔の社会には多かった。だから対人関係が苦手な人でも、十分普通の人として生活してゆくことができた。対人関係は苦手でも、ほかの能力は高かっただろう。しかし今の雰囲気の社会では、それが認められなくなっている。
貧困と非婚
活東庵公開日:2011.2.21
若者が結婚できないのは貧しいからだという。不思議な気がする。
というのは、途上国の若者は貧しくても結婚しているからだ。かつて高度成長期頃までの日本でも、若者は貧しくても結婚していた。
むしろ貧しいからこそ結婚が早いこともある。何人かのアジアの知人(豊かでない)が結婚したとき、一人よりも二人、寄り添い助け合う目的で結婚する感じだった。貧しい若者同士でも、愛情豊かで助け合って生きる楽しさにあふれ幸せそうだった。
高度成長期は、今は貧しくても将来給与の上がる期待があったから結婚したという意見もあるが、暮らしが今よりよくなる可能性の少ないフィリピンのスラムやそうした発想自体あまりない東北インドの山村でも人々は結婚している。
男性の稼ぎが少ない=共働きという単純なものでもなく、”やりくり上手にするわ”、”服は自分で作るわ”など貧困乗り切り対策のバリエーションもさまざま。実際、自作するとお金は必要ない分、時間はかかる。
今の日本は、貧しいから結婚できないというよりも、寄り添ったり助け合ったりする人間関係がもてないから結婚できないのでは、という気がする。
女性の結婚条件が年収X百万円以上でそれを満たす男性が少ない等々言われるが、それよりもまず、みな恋愛をしなくなっている。他人を好きにならなくなっている。だから結婚するなら条件となる。人と一緒にいて楽しいなら貧しくても結婚する。楽しくないから結婚しない。どうせ(他人なんて理解しあえないし結局一人だし)楽しくないなら、お金による生活保障で結婚するほうがよいとなる。
なぜ困難(貧しい)だからこそ寄り添ったり助け合ったりする人間関係を持てなくなったのだろう?
単純でないだろうが、(最近増えている)精神病関係や引きこもり関連などでよく言われる、自我意識、自己愛、自己全能感の肥大化(ヤマアラシ症候群:一人だと寂しいけど近づくとお互い針を逆立て傷つけあう)も関係あるのでは、と思う。それで傷つくことを恐れ本当の姿をさらけ出さない。一緒にいても楽しくないし、助け合うどころか自我対決の修羅場になりかねない。
お金があればそのへんを覆い隠せる。お互い直接向き合わずに、対外的に役割演じてこなせばなんとかおさまるし自分も納得できる。お金がないとそこらへんを隠せない。
あと、求人が減っているとはいえ、昔に比べれば女性が働ける場は格段に増えた。昔は物理的に職場がなかったから働けず結婚で食べていた人(=永久就職)が多かったが、今は働く場がある。昔は女性が”自己実現”(自分のやりたいこと)を押さえ夫の自己実現を助ける役割を果たしたり、自分は一歩引いて夫を励まし続けたが、今は女性も自己実現したい、自分のほうこそ励ましてもらいたい。励ます一方なんてつまんない、他人のお守りばかり、一緒にいて自分が楽しくないなら結婚しないほうがいいや、という女性も多いと思う。
話せばわかる
活東庵公開日:2011.2.21
「話せばわかる」とよくいう。「暴力ではなく、話し合いで解決しよう」と。言葉の力を信じているのだろう。暴力は人を傷つけるからよくない、言葉はそれがないからオーケー、というのもあるだろう。
しかし言葉も人を傷つける。口のうまい人と口論したときなど思い当たる人も多いと思うし、グサっと傷つく一言を知っていて効果的に使う人もいる。それで深く傷つき、恨みを抱いたり場合によっては傷害事件になることもある。その場合、物理的に傷つけるケースは罪になるが、言葉で傷つけるケースは、それだけでは罪にならない(暴力沙汰の情状酌量に使われることはあっても)。
前回書いた”コミュニケーション能力全盛社会への疑問”とも通じるが、今の社会は言語によるコミュニケーション、言葉を巧みに扱う能力が偏重されすぎる気がする。悔しい思いをしている人や、そこまでゆかずとも何となく納得ゆかないもやもや感のある人も結構いるのではないかと思う。
かといって、暴力がいいとも言えないが。
クレーマー問題(教師からの訴訟)にしろ、戸塚ヨットスクールが必要とされる現状にしろ、従来のリベラル的捉え方と解決法では有効に対処できない。理想が”今や有効でないけれどほかに替わるものがないから使わざるを得ない”と建前化しつつあり、煮詰まってきている。
新しい見方、捉え方が必要だ。
人の増えすぎですべて説明できる
今、あらゆる問題はすべて”高齢化”で説明できる、という本がベストセラーになっている。本を読むとそのとおりなのだが、さらに:
先日、何人かで話していたとき、一人が「結局人が増えすぎたことが原因なんだよ。世界のあらゆる問題はすべてこれで説明できると思う」と言った。
なるほど、と思った。今のイスラムの騒ぎも、若者人口が多く仕事がないことが発端だ。領土問題、水や食料、その他の資源の問題など、地球が養える以上に人間が増えすぎた。
人口増には、生まれる子供が増えるだけでなく、長寿、つまり高齢化も関係がある。平均寿命35歳だったのが70歳になれば、同時に地球上に存在する人数は2倍になる。
人を減らせ、とは誰も言えない。しかしこのままだと、基本的人権、人間らしい生活を営む権利、等々言っていられないくらい逼迫した事態がやがてやってくる。
日本は少子化が言われているが、ある意味、いっとき耐え忍べばよい。団塊の世代を中心とした前後の人口の多い世代が一掃されれば身軽になる。
最近の胃瘻(いろう)など延命のみを目的とした医療に対する疑問も、増大する医療費と介護費という社会負担に対する懸念から表面化させた面もあると思う。
老化は寿命を示す
活東庵公開日:2011.5.13
健康番組を見ていると、これこれの現象は結局老化が原因で、60歳以上ならたいていの人にあるものだ、という結論が多い。そしてその進行をいかに抑制するか、症状を緩和するかという話になる。しかし、老化は老化だ。
昔なら人生50年。60歳ならそろそろお迎えが来てもおかしくない。60歳はちょうど還暦、寿命ということで、人間の大半はそのくらいで自然終了する設計なのかもしれない。
今は栄養状態がよくなり延命治療も進んでいる。が、基本的に自分で食べられなくなったら終わり、自分で動けなくなったら終わり、というのが自然の摂理と思う。
人間には寿命がある、運命がある。いずれ必ず死が迎えに来て戻ってゆく。そういう覚悟は必要と思う。
返還要求
活東庵公開日:2011.9.9
近年、植民地時代に宗主国によって貴重な遺物や芸術作品を持ち去られた国々から返還要求が相次いでいる。
当時植民地となった国々の状況や民度もばらばらで、経緯も武力によるものから放置されていたものを持ち去った、二束三文で地元民から買ったなど一様でなく、一括りにできないが、疑問に感じる点もある。
誤解を招きやすい話題で、日本の韓国中国での行為を正当化するのかと言われそうだが(ちなみに朝鮮王朝のものは返還したほうがよいと思っている)、それでも疑問は疑問なので敢えて書くと:
たとえば返還要求の出ているロゼッタストーン、もともと砂漠の中に半分埋もれていたものを、ギリシャ語と古代エジプト語の併記された貴重な碑文だと価値のわかる人が持ち帰り、研究して古代エジプト語を解読した、と子供の頃に読んだ記憶がある。当時現地の人々はこの石に興味がなかったから、砂漠の中に放置されていたわけだ。
これに限らず、当時現地の人々が無関心で荒れるにまかせていたものを持ち帰り、大英博物館などで保護してきた側面も確実にある。
ロゼッタストーンに関してはさらに、古代エジプト王朝に関わるものだから先住民のコプト系の人々に返還するならまだ理があるが、8世紀に入ってきたアラブ系は直接の子孫ではない。今の基準でいう”侵略者”でもあるから(これでコプト語がアラブ語に置き換わった)、アラブ系に返すのはおかしい気がする。
日本の浮世絵や仏像なども、明治初期にだいぶ海外に流出したが、自分たちが二束三文で売ったものだ。中国も義和団事件その他で略奪されたものもある一方、当時の国力差や価値基準から地元民が安く売ったものも多い。今、金持ちになった愛国的中国人が、オークションなどで買い戻す動きを起こしているが、これはルールにかなっている。
虚業
活東庵公開日:2011.12.23
大学に勤める知人から聞いた話。
大学は少子化対策に大変な一方、世界における大学ランキングにまきこまれ一喜一憂せざるをえない。高度な研究を進めるべきである一方、修士号博士号の取得が仕事の確保や研究内容の社会への還元につながってゆかない。
また最近、全日制や定時制からはじきだされた高校生を受け入れる通信制高校が増えている。低偏差値の大学も含め、居場所(所属先)確保がビジネスになっている。親たちは、子供の次の居場所をもとめて莫大なお金を支払う状況になっている。
自分もこの同じ流れの中におり、最近”虚業”という言葉が頭をかすめるのだという。そして大学教員の自分だけでなく、周囲のさまざまな職種で「かつては誇りをもって取り組んでいた仕事」を「虚業」のように感じる人々が増えているように感じる、と言う。
人はなぜ”所属先”が必要か。かつてのように自作農、個人店主、職人ではいけないのか。いや、かつては”地域”や”親戚縁戚関係(マキ)”に所属していたのだろう。
今の仕事を「虚業」とまでは思わないが、この感覚はなんとなくわかる。本来仕事とは、自分のスキルや完成品をそれを必要とする相手(顧客)と交換することだから、顧客に直接向き合うことが筋のはず。それが効率だのランキング、外部評価だのが前面にしゃしゃり出て、相手(顧客)が見えない。これは本末転倒では、顧客のことを考えたら逆では、と思うことも多い。
この”成熟”の仕方は異常で煮詰まっている、もっとシンプルに基本にたち戻るべきではないかと強く感じる。
発達障害
活東庵公開日:2011.12.23
先日、知人一家が畑に遊びに来た。下の子に発達障害があり特殊学級に通っていると聞いたが、まだ幼いということもあってか一見わからない。他の子供と一緒にきゃあきゃあ遊び、元気いっぱいだ。
聞くと、コミュニケーション能力が弱い、ものごとへの強いこだわりが見られるという。しかし何人か見てきた自閉症の子供達に比べても、コミュ能力不足度、こだわり度、共にかなり弱くみえる。
最近、就活その他の場面で、コミュニケーション能力をやたら云々する。しかし近代以前の社会ではそう高い”コミュニケーション能力”は必要とされなかった。そのことについては以前、こちら(コミュニケーション能力)に書いたことがあるが、抜粋を再度アップすると:
○従来、引きこもりの原因は病気、本人の甘えとされてきたが、最近(2011.1)国が行った全国規模の調査で、新たに「現代社会についてゆけない人が増えている」ことが原因だとわかってきた。今の企業では高いコミュニケーション能力が必要とされるが、それに適応できない人が増えている。
○高度成長期以前の村社会を調べた柳田国男の調査によれば、昔の山村では家族間でそう会話を交わさなかった、数えたら1日十数語程度しか話さない、ということもあった。かといって家族関係が疎遠なのではない。人との交流を、あまり会話に頼らない。
○畑仕事山仕事も漁師も、そう話す必要のある仕事ではない。職人の世界でも、とっつきが悪く無口だが、行動で他人に配慮を示す親方がいた。昔の社会にはそういう生業が多かった。だから対人関係が”苦手”でも、十分普通の人として暮らしてゆくことができた。
知人は、うちは最初から特殊学級でかまわないと考えていたが、人によってはできれば普通学級にやりたい、と考える親御さんもいる、しかし入学前の新一年生の世帯に対し、検査でひっかかった子供は普通学級に行かず特殊学級へ回るように、という趣旨の通達が教育委員会のほうから配られたという。「なんだか、つまみ出そう、つまみ出そう、という姿勢が感じられるのよね」と残念そうに言う。
この話に、社会が”高度化”し複雑になってくると、”正常”な範囲に収まる人間がどんどん狭まってくる気がした。
台湾に残る古い日本
活東庵公開日:2011.12.23
先の大戦体験に関する聞き取りで、台湾人と話していると、当時の感覚や常識がそのまま残っていることに気がつく。
たとえば、日本の植民地時代を知る台湾人は、今でも先の大戦を”大東亜戦争”と呼ぶ。別に右翼でもなんでもない。単に当時そういう呼び方をしていたから、今でもそう言っているまでだ。
一方、日本ではあの戦争そのものが否定され、”大東亜戦争”という名称も侵略云々で否定されている。今日本でこの言葉を使うと「右翼か」と思われる。その割には、それに変わる適切な呼び方がなく、太平洋戦争では中国大陸が入らない、十五年戦争では中国メインの印象になる。
大東亜戦争とフツーに言う台湾人と話していると、戦前彼らにそう教えたのは日本人なのに、今はその言葉は侵略に関わると否定するのは何となく引っかかり感がある。勝手に呼称を変えることで”自分は右翼じゃない、侵略認めない人”ポーズをとるようで、彼らに対し失礼な気すらする。
「大東亜戦争の理想のためにしっかり駆け回ったのに、今の日本は”あの戦争は間違いだった”という。自分は一体何のために戦ったのか!」と怒る台湾人、大東亜戦争の理想は(経済発展で)今実現しているのだ、と満足そうに語る台湾人に出会うと、勝手に名称をタブーにし戦争を否定することで禊をした気になっているが、実のところきちんと振り返り言語化、理論化していないと強く感じる。
先日、高砂族のお爺さんとお婆さんが中国大陸での日本軍の展開について、「あれは演習。事変じゃない。日本が狭いから演習に行っただけ」と言った。
もし、戦後の思想や常識の激変を受ける前の当時の日本人庶民と話すことができたら、同じように言ったのではないか、と感じた。おそらくこれが、当時の庶民の常識だったのだろう。それが正しいかどうかはさて置く。今の日本で戦時中に関する聞き取りをすると、確実に戦後思想のバイアスがかかっている。台湾にはそれがない。当時のまま残っている。
戦後思想の洗礼を受けていない当時の日本人と今の日本人が対話バトルしたら、どうなるだろうと思う。
軍隊の過酷な訓練
活東庵公開日:2011.12.23
兵隊体験の話を聞いているとよく、訓練が厳しかった、びんたくらったり蹴りあげられたりした等々の話が出てくる。そしてたいていお定まりのように「軍隊はひどいところだ」と続く。
確かに非人道的な面はあったろう。ただ、命がかかってくるとどうしてもきつく当たる面もあるのでは、という気もしていた。
以前「ルーツ」(黒人作家が、奴隷としてアフリカからアメリカへ売られた祖先の歴史を調べ小説化した作品。テレビドラマが大ヒット)を読んだとき、奴隷狩りにあう前のアフリカ社会を描写した場面で、集団で狩を行う際、仲間うちに技術のない者や臆病な者が存在すると集団全体が危険にさらされる、という記述があり、印象に残った。団体スポーツでも、特に試合の場合、似たようなことが言えるからだ。ヘタッピがいれば”穴”として容赦なく徹底的に狙われる。海軍の吊床訓練も大変だったと聞くが、映画などで狭い艦内を見ると、この狭い通路でもたもたされたらたちまち渋滞を引き起こし危険だろうと感じる。
先日、ある老人からシベリア送りにされる列車から逃亡した話を聞いた。うまく逃げられたのは厳しい訓練を受けたおかげだったと言った。匍匐前進の訓練は厳しかった、少しでも腰が浮き上がると怖い上官に腰を踏んづけられ大変だった、しかし逃亡時にあの経験が生きた、という。蛇のように平らに這いつくばり真面目に匍匐前進した、それで見張りに見つからずに済んだのだった。
先駆者と官
活東庵公開日:2012.2.2
北海道を訪問し、いくつか感じるところがあった。
北海道にはアイヌ民族や北方民族の資料館がある。場所によっては、民間の施設のそばに町営や道営の施設のあるところもある。
たいてい、最初は個人や民間グループが民芸品などの価値に気がつき、まだ周囲の理解のない中、自腹で収集を始めた。やがて展示施設を設けるようになり、当初はその手の施設はそこだけなので、興味のある人はその民間施設を訪れていた。
その後行政機関がその意義に気がつき観光にも使えるということで、官営の施設を建てるようになる。官はお金があるので施設も立派で学芸員も置く。民間のほうは中心的リーダーシップのとれる人が年をとるなどで活動できなくなると、維持も大変な様子だ。
ある民間施設はすでに閉鎖されており、展示品をどこに寄贈するか検討していたが、結局近くの官営施設になるだろう、と関係者から聞いた。
別の民間施設も、行政施設の開設時に足りない展示品を提供するなど、当初は行政側が分館の形だった。伝統衣装の展示方式、伝統家屋を何棟も建てたコタンの再現といったアイデアはみな民間発のものだが、今ではそれらも含め完全に行政のほうが立派で本館に見える。いずれはここも官に吸収されるのかもしれない。
なんとなく、民間が始めうまくゆくと官が出てきて最後はその苦労した成果物を寄贈などの形で掠め取ってゆくようだ、とある在野史家にしたところ、「まあそうだが、それは仕方がない。何より、散逸させないことが大事だ」と言った。
いま大雪だが
活東庵公開日:2012.2.2
このところ、日本海側を中心に記録的大雪が降っているが、ある山岳ガイド氏から聞いた話:
日本の冬山は世界的に特殊で、通常世界の高山は岩山が多いが日本の山はロッククライミング(岩登り)技術がなければ登れない山(岩山)は1座か2座程度(剣とせいぜい槍)、あとは必ず歩いて登れるルートがある。そのかわり積雪が半端でなく、2メートルも3メートルも積もるような山岳地帯はほかにはない。
日本の冬山は豪雪の中を進む技術が必要になってくるが、雪がしまらない1,2月はラッセルするのも大変で初心者には難しい(初心者は雪がしまってくる3、4月がよい)。
不思議なのは例の”八甲田山死の彷徨”の軍事訓練で、八甲田なんて名だたる豪雪地帯、一方満州もロシアも雪はそんなに何メートルも積もらない。トナカイが橇を引いて走れる雪原へ出て行くのに、なんであんな胸まで雪に埋もれるようなところで訓練したのだろう、という。
ところで、この八甲田の遭難のとき、捜索隊にはアイヌの人たちが加わっていた。彼らは八甲田は始めてだったが、地形を見ながら「埋まっているとしたらあそことここだ」と予測、それが大いに役立ったという。
また南極探検の白瀬中尉の犬ぞり(樺太犬)隊には樺太アイヌの人たちが参加していた。
あるいは急峻な山岳地帯に線路を引いた飯田線の建設には、川村カネトという旭川アイヌの人が隊長として大いに活躍した。旭川に記念館がある。
沖縄健児隊
活東庵公開日:2012.3.6
1953年の松竹映画「沖縄健児隊」を見る機会があった。当時沖縄はまだアメリカ領だったため、ロケは本土で行われた。女性が沖縄っぽく髷を結うなど努力しているものの、家の中の様子や風俗、しゃべり方など、どうしても本土のままだ。まだ沖縄へ行ったことのない日本人が多かったろうし、沖縄の人は参加できないし、仕方ない面もある。
それでも、この映画は昭和28年という戦後まもなく撮影されただけあって、当時の雰囲気がよく出ている。これは同じ1953年の東映映画「ひめゆりの塔」を見たときにも感じたことで、風俗考証的には誤りが多く沖縄視点も入っていないものの、やはりひめゆりも「ビルマの竪琴」も、最初の作品が一番よいと感じる。兵隊の口調、家族の会話、先生と生徒の会話、声の出し方、仕草、ちょっとしたはにかみの表情など、21世紀を生きる俳優には絶対に出せない味、脚本家には書けない台詞がある。
沖縄健児隊の場合、原作は太田昌秀、外間守善で大元は沖縄側になる。監督は岩間鶴夫。
この映画を見ると、沖縄があの戦争末期、日本を守るため、と中学生女学生も含む島民全員が立ち上がり、或いは巻き込まれ、戦うことになっていった様子がよくわかる。島を脱出する疎開船に乗れるか否か、その疎開船も撃沈されるかもしれない恐怖、必ず援軍が来るという希望と、大和撃沈で援軍は来ないとわかったときの絶望感、どれもこれもあの当時らしさ(というより当時の雰囲気そのもの)とともによく出ている。
ラスト、洞窟から収容所への道で先生が熱く語る場面は戦後イデオロギー色強く蛇足感もあるが、沖縄のこの戦いを忘れてはならない、沖縄に感謝しなければという気が強くする映画だ。
沖縄の基地問題が鳩山発言以降ずっとくすぶっているが、「沖縄」、「沖縄問題」でもそれぞれ2010.5.6と2010.6.8に書いたことだが、基地を沖縄に置きたいとするのは日本政府ではなくアメリカ側だと確信している。
周恩来も日本はやると決めたら必ずやる、と言っていたが、この国の政府にはそういうところがある。成田でもあれだけ反対闘争があろうが、必ず実現させた。原発も地元がいくら反対しようが、汚い懐柔策を使ってでもインチキ討論会を開いてでも必ず目的を成し遂げる。本土移転を決めたら、必ずやるはず。原発ですらそうなのだから、地元の反対程度のチンケな理由で本土移転をしないはずがない。
基地は沖縄にあるのが作戦上ベストだとアメリカが考えているのだ。
ある経済評論家が鳩山は最低でも必ず県外と言った後、何かに怯えたような目をして前言を翻し辞めていったが、あれは一体何があったのかと書いていた。この国の裏には、何か怖いところがあるのかもしれない。
文系学問の重要性
活東庵公開日:2013.3.15
先日、大学で教えている同期何人かと話した。例の仕分け以降、文科省の科研(科学研究費)の認可が厳しい話になった。流用がばれると大学全体に影響が及ぶので(連帯責任制らしい)、某私大では購入したものについて現物を見せないと科研から落とせないという。ただ大学本部は別の場所にあることも多い。そういうときはどうしているのかと別大学の人が聞くと、私大講師は購入したものすべて、消しゴムやボールペンに至るまで本部に郵送して許可をとっているという。「え、そこまでしてるの?郵送費のほうがかかるんじゃないの」と別大の人、「そうなのよ、ばかみたいでしょ。でもね、某国立大(実際は実名)では消しゴムやボールペンもすべて教授会にかけて許可とってるんですって」という。その労力や時間、経費のほうが無駄だよねえ、という話になる。
また助成金が減って私大は大変だという話になる。大学受験の合格者の中からどのくらい実際に入学するかの歩留りを見積もるのが難しく、何度も会議が開かれるという。助成金を出すめやすの一つに、実際に入学した人数が募集人数の0.0?%(正確な数字は忘れたが、一桁台の%数字)を超えたり下回ってはいけない、という条件があるという。その大学の1学部でも募集人数より数%多く、あるいは少なく入学したらその大学への助成金がカットされるのだ。このためどのくらい残りそうか何度も検討するのだが、私大トップクラスでこの話だから中堅、下位はさらに予想が難しいのではと思われる。
国立が優遇されている、重点大学の旧七帝大+4校(東工医科歯科一ツ橋外大)の話になる。でも実質はT大のみだ、他大学は天下り先として言うことを聞けば優遇される、地方国立のY大では学長選挙で選ばれた学長が飛ばされ天下りが来た、地帝Tでは学長選挙そのものが中止になった、などなど。
理系と文系の差の話になる。科研も理系にはどんどん出す、私大でも理工には高額認可が下りる。さらに理系は産学共同も多い。一方、文系はどんどん削られている。この話に、それはまずいのではないか、と私は言った。
「今は世界の情勢が大きく動いているときだ。そういうときこそ、社会や世界をどうとらえ、今後何を指針にするか、何を目指すのか、社会全体の動きを大きく見て新しい枠組みを示す文系が大事だよ。社会学だけでなく哲学、歴史含め。社会全般のその時代における常識、見方の枠組みを作っているのは文系だ。理系は自然界の事象を調べ時に活用するもので、世の中や人間社会のとらえ方認識の仕方を研究するものではない。発明発見の結果世の中が変わるとしてもその作用を見るのは文系で理系が決めるわけではない。今必要な、新しい枠組み、パラダイムを作るのは文系の役割だ」と言うと、一番研究者として優れていると尊敬する知人も「自分もそう思う。今こそ文系が大事なときなのに」賛同した。別の一人が
「理系の首相が二代続いたのが、日本にとって不幸だったと思う」と言った。そういえば中国の朱鎔基も精華大卒の理系で、『中国農民調査』にあった朱鎔基は汚職役人にだまされたが、温家宝はだまされなかったという話を思い出した。朱鎔基も”いい人”だったが実際手腕はあったかどうか。胡錦濤温家宝に対して”失われた十年”と揶揄する勢力もあるが、高度成長を支え天安門のような動乱もなかったのは事実。理系には、正邪をすっぱり割り切れない、グレーな部分の残るどろどろした”汚い”人間社会に我慢できず、きれいに割り切れる世界に言葉は悪いが逃げた(よく数式のことを”美しい”と表現する人がいる)、人間社会嫌い難民のような人も多いと思う(すべてではないが)。人にある裏を読むことができず、性善説というかそれですらなく、単純に解釈する。世の中絶対はないから例外もあるが、基本的に理系が政治家やっても無理だろう。
翌日追記:と書いたら、温家宝も地質で理系だね。でも言いたいことの大要に変わりはなし
パラダイムの転換期
活東庵公開日:2013.3.15
今、世の中が大きく変動し、これまでのとらえ方が通用しなくなっている。世の中をとらえる自動的な装置としてパラダイム(枠組み)や常識などが必要なのは、それがあればいちいち考え判断を下す手間が不要になるからだ。みな生活に忙しい。何か起きるたびにそれは正か邪か善か悪かを判断するのは物理的にも心理的にも負担が大きく現実的ではない。だからその時代の常識に照らし合わせて自動的に判断する。ある程度”脊髄反応”(とネットで揶揄されるが)になっても仕方ない部分がある。世の中が動乱しているときには、物理的な混乱だけでなくそうした判断、常識も大きく混乱する。危機的状況が次々現れ、そのたびに本気で判断を下していかないと生き残れない。世の中がおさまってくると、その時代の常識価値判断も安定し、たいていのことはその時代正しいとされていることに合わせ表面的に瞬時に判断してやりすごし、その一方で経済活動なり文化活動なり、創造、研究などに落ち着いて取り組むことができる。(ただその時代その社会の常識が、他の時代や他の社会の常識として通用するとは限らない。正邪善悪も同様。冷戦時代、ベルリンの壁を乗り越えようとする人は射殺されたが崩壊したら善でも悪でもなくなった。戦前の戦争反対と戦後のそれも似る。文革時代恋愛したという理由で学生が追放されるケースがあったが(連合赤軍の総括にも似たケースあり)、別の時代や社会では恋人いない歴X年のほうがおかしいととられる。未開社会と現代都市生活の常識が異なるのも当然。つまりどの時代どの状況にも通用する絶対的な基準ではないものが大多数だ)
中国語学校同学に元高校教師がいる。愛嬌ある人なので嫌う人はいないが、以前からあまりに中国びいきで見方が偏っているのではと気になっていた。ここでも何度か、2006/03/16
”「チベット問題やる奴、て中国が嫌いだからやっている奴が多いんだよね」と言う。自分たちもアメリカ嫌いなんだから心性は同じでは、なぜ中国が嫌いなのか一度ちゃんと聞いてみては、と思う。”、2009.7.14”日本の親中国派も思考停止で役に立たない。チベット問題について「チベット問題をあげつらう人、で中国嫌いだからやっている人が多い」という言い方をする。では、ベトナム問題をやっていた人たちは、アメリカ嫌いだからあげつらっていたのか?そういう低レベルの好悪からではないだろう。身びいき意識の強い人が多過ぎる。そして批判を封じ込めたがり、聞かなかったことにしたがる。”と書いたことがある。(ソースはこちら 過去ログ中国韓国編、実際本人にもそう言ってきた)
彼は日中友好グループを世話しているが、先日初めてその様子を見て、このパターンはもう古い、現実に対応できないだろうと感じた。参加メンバー、それも以前から会にかかわってきたと思われるコア中高年メンバーの中にも、今の日中関係から内心どこか不満と不安を抱えている人が多いように見えた。そして元高校教師はそれに気づかない。だから彼らの不安不満まじりの質問にも正面から向き合えない。このパターンの人は彼だけでなく、日中関係に熱心に関わる団塊世代前後や70代にときどきみかける。
以前、同じく同学の国民党要人の息子(政治にはかかわらないと学者になった)が元高校教師に久しぶりに会ったとき、怪気炎をあげる彼に対し「まだそうやってアジってるの?」と苦笑まじりに言った。元教師はムッとした様子で「アジってなんかいない」と言ったが、いや確かにアジってる、中国人の彼にもそう見えるのかとおかしく思った。これも今思えばのどかで懐かしい。今はもう、もろもろのことがそういうレベルではない。
彼の日中友好グループで、その後日中友好協会の人を招いて話してもらったというので、どういう内容の話だったかたずねた。結論はと聞くと「まあだから、お互いwinwinの関係に、という話でね」という。ああそれか、でももうそれは駄目だろう、なぜなら中国自身がもはやwinwinの関係など望んでいないから、と思った。そして尖閣列島での中国のさまざまな挑発行為は、日本の関東軍の満州での行為によく似ている、そっくりだと言うと、子供のころ満州引揚組の彼が「俺もちょっとそう思った」とぼそっと言った。
しかしなぜかその手の話は盛り上がらず、今興味があるという江戸時代の女性漢詩家の話になる。富士山に最初に上った女性は誰かという議論があり、その漢詩家と別の女性と二説ある、この人面白くて酒飲みで男装して旅して回ってと熱心に話す。日中友好グループの定例報告会でもこの話をしているという。なんとなく、面倒な話題問題から逃げているように感じた。私に対してだけではなく、もう全般的に。おそらく彼もどうとらえたらよいか悩んでいるか、戸惑っている。今後どういう方向、指針、信条で生きてゆくべきか、自分なりに枠組みを組みなおしているところなのだろうと感じた。だからまだあまり喋れない、その気になれないのかもしれない。その感じはわかる。私自身にも多かれ少なかれ、そういうところがあるのだから。ここに書く気がおきないのも、その一種かもしれないのだ。あるいは組み直し自体をあきらめ、無害な”文化”に逃げることに(無意識的に)なっているのかもしれない。その感じもわかる。そして人と話すとき、特に日中日韓問題について話すとき、数年前の反日デモのときとは異なり、中国を責めるにせよ再軍備を唱えるにせよ、口角泡飛ばして議論が白熱する雰囲気はなく、みな口が重い。それは舌禍を恐れる(何かうかつに言ったらまずいという)重さではなく、戸惑っている、どう解釈し判断してよいか迷っている、という類の重さなのだ。
年配者の中にはあきらめのような口調で、「俺はもう死ぬからいいけどさあ」という人がいる。ここ最近、何度かこの言葉を聞いた。
先日も私が「日本は中国の植民地になるだろう」と言うと、山村の老人が驚いた様子で「あなたもそう思うの?なんで?」と言った。実は自分もそう思っている、まだ若い人がそう言うので驚いたという。そして今後中国はどうなるかな、分裂してくれればいいがというので、分裂はしないだろう、ただ今の共産党政権は汚職のスケープゴートにされてひっくり返る可能性はある、まあこれも中国でよくある”革命”だが、それにあたって後釜に座るのは軍になるだろうと言った。(ところで日本が中国の植民地になったら、いかに日本人は悪い民族かという学習が確実になされるだろうと思っている。老人には言わなかったが。)
この老人も孫の世代が心配だよ、まあその頃には俺ももう死んでいるが、あと10年じゃまだ何もないだろうが30年後はわからないと言う。あまりにも何人かから”俺はもう死ぬからいいが”発言を聞いた後なので少々頭にきて、その頃には死んでるからいい、てかなり無責任じゃないですか、みな多少なりとも考えをその時代に合わせ、生活の中である方向へアジったり抑えたりしてきたんでしょ、少なくとも死ぬまでちゃんと考えてくださいよと言った。
まあ中には中国になってもよい、というくらいのガチ親中派もいるかもしれないが(さすがにそういう人は見たことない)、基本的に高級幹部や金持ちの子弟の多くが外国で教育を受けている、つまり資産保全目的や保険のつもりで家族の一部を海外居住させ、いつでも逃げだせる準備もしている時点でその国は終わってると思っている。自国の将来を、政府高官高級官僚自身が信じていないことになるので。このへんも、日中友好関係の人は指摘したがらないが。そういう国がよい国とはとても思えない。
今日本人は思考停止に陥っている。日中日韓関係で何か起きても、全般に、自分の立場を主張し反論するだけの気力がなくなりつつあるように感じる。一つには反論すれば必ず”戦争犯罪責任”を持ち出され論点がすり替えられるため、議論が無限ループに陥るからだ。
対馬の仏像の問題にしても、秀吉以前ですらある仏像取得年代に”略奪”されたものだとするのは、日本にある朝鮮のものはすべて略奪されたものとするのが(今の韓国では)正しいという認識(おそらくこれから常識になると思われる)があるのだろう。これでは合法的に、金銭対価を払って取得したものであってもすべて”略奪”されたとし、逆に”略奪”され返すことになる。
ただ不思議なのは、戦争被害世代がまだ現役で大勢生きていた頃にはこうした話は出てこず、むしろ今になってこの手の嫌がらせ的な問題が起こるようになったことだ。それは日本が弱ってきたからで、それ以外の何ものでもない。そしてその”弱り”は、経済や国力だけでなく、先の”俺は死ぬからもういいけど”に代表されるあきらめ感、元教師のような無害な世界への逃げ、嫌な問題からは目をそむけ笑っていたい、何もせず他のことしているうちに自然におさまってくれないかな、といった精神的な面にも現れている。おそらく1960年代や70年代の日本人に、”略奪”されたから返さないと言ったら植民地云々の理屈以前に単純に憤慨する人が多く、つまり怒るだけの元気さ気力もあっただろうと思う。人間も動物だから、そのへんの”生命力”を嗅ぎ付けて、攻撃するかやめておくかを決めるのだ。(ところでこの対馬の問題、フィギュアじみた人形持って会見開いたり寺の前でお経読んでみせたり、パフォーマンスじみて鼻白んだ。義賊でもなんでもなく、単純に強盗だろうと思うのだが。”友好”は今ではもはやパフォーマンス、演出でしかない。手垢のついた言葉でかえって警戒心を呼び起こす。)
結局中国も韓国も強者になれば弱者をいじめる態度をとることに変わりはなかった。だから両国とも、もはやかつての日本のやり方をとやかく言えなくなる日がくるだろう。弱ってくればつけこまれる。今後、脅しに近いやり方か反論しにくい騙し方かはともかく、”合法的”に外堀が埋められたり国土が切り裂かれたりする事態になるだろう。そのとき必ず”侵略側”(と呼べるのは、主権を回復しある程度強くなってからかレジスタンスしているときで、奴隷になったらそうは呼べない)は「お前が悪いからこうなった」「自分でそう認めたでしょ」という理屈を用意してくる。そう押し切ってくるとき、弱弱しく反論したり情けを請うても、木で鼻をくくったように馬鹿にされるだけだろう。
日韓併合も、当時日本の論法では”合法的”だった。中国の租界や当時の帝国主義国家(日本以外欧米も含め)の権益、砲艦外交や武力を背景に当時の清朝政府や現地政権にいやいや同意させた。今それは侵略だということになっている。ということは、もし中国が軍事力を背景に脅してきたら、それは侵略だと指摘してよいことになる。
植民地化や略奪があったことは確かだが、通常に取得したものまで”略奪”だとするのはおかしい。南京事件があったのは確かだが(おそらく3万前後)、30万だの40万だの言うのはあきらかにおかしい。このへんを明確にさばいておかしいことはおかしいと言える資質を持たないといけない。そのために、日中といえば自動的に”友好”でない新たな関係、枠組み、とらえ方、対峙法、何をめざすのか、などが必要になってくるのだ。
先に書いた「反論すれば必ず”戦争犯罪責任”を持ち出され論点がすり替えられる」状況、”戦争犯罪責任”を持ち出せば反論できない今の状況に不安を感じるのは、それが以前書いた、監禁による家族内大量殺人事件の心性に近いものを感じるからだ(詳細はこちら、「心理的操作」の一部分)。AについてはそのとおりだがBについてはあんたの言ってることのがおかしい、と明確に仕分けられないと、際限なくなり奴隷になる。今の思考停止、戸惑い、怒る気力のなさに感じる不安は、そのへんでもある。(これは魯迅が当時、自国民に対して感じたことと同じことと思う。)だからこそ、新たな社会のとらえ方、今後の方針、指針、信条などが重要になってくるのだ。
とこう書くと、「九条改正か」「戦争賛成なのか」と怒る人が出てくるだろうが、逆に言いたい。それが嫌ならば嫌であるほど、ちゃんと考えてほしい。お題目のように戦争反対を唱えるだけのアリバイ作りで満足せずに。反論があると「君は戦争賛成か!」と一喝しそれに拍手が湧き処理してきた、つまり本当には話し合ってこなかったつけが、今回ってきたのだと思う。
私が言っているのはそういうことではない。むしろ、中国や韓国なんて嫌な国だ、嫌いだ、いっそ戦争でもやってしまえ、そのほうがすっきりする、ついでにもろもろのものも吹き飛ばせ(つまり強制的に枠組みを変えろ)、と暴発しないためにも思想の組み換えが必要なのだ。現実が変わってきたのだから。だからこそパラダイムの組み換え、社会/世界のとらえ方の変更、正邪の修正も必要になってくる。戦争が嫌なら、有効に主張し反論できなくてはならない。押し切られたり黙ってしまったり逃げたりせずに。
だから九条の人たちは、本気で非武装を考えているなら、それに代わる手段を本気で考えてほしい。そうでなくただデモだのアッピールだの言っているだけでは嘘だ。現実に動かなければ嘘だと思う。動くといってもデモだの署名だの嘆願だのといった動き方ではなく、もっと現実社会にのっとった行動だ。たとえば、士官学校防衛学校の代わりにディベート学校や交渉術学校を作るとか(NPOのちゃちなものでなく、国家レベルのまともなものを。”やりました”アリバイ作り程度では本当の意味はないので)。こう言うと、「そんなディベートで相手を負かそうなんて邪道よ。誠心誠意当たればむこうだって鬼ではないんだから、誠意をもって話せば伝わるはず」という人が(団塊あたりのオバサンに)いるが、この考え方、て精神論や神風に頼った旧軍と同じではないかと思う。根拠のない精神論というところが。結局この手の考え方、てものぐさ以外の何物でもなく、要するに本当の努力はしたくない、分析して本当の姿を見る手間をかけるのが面倒だから、何か実際に行動を起こすのが面倒だから、精神論になるのではないかと感じる。
それにしても、このテーマで書くのは、結構しんどいんだよね。まだ生煮えの部分もあるし、書き直したかったり書き足したい部分もあるが、今回はここまでにしておきますが、先に書いた”反論すれば必ず”戦争犯罪責任”を持ち出され論点がすり替えられる”に関連して、第二の無垢の取得、という考え方がある。まったく別分野本で見つけた考え方だが、それを次回示すので、うまく発展させてください、頭の良いエロい人。
改憲関連
活東庵公開日:2013.7.22
9条とともに96条が問題になっている。私は改憲に必要な賛成数は従来どおり3分の2でよいと思う。(TV報道によれば)3分の2としているところは世界でも多い。それでも憲法を改正している国は多く、韓国も何度か憲法改正している。つまり3分の2でも改憲は可能で、問題なのは96条ではなく、現行憲法を聖域化して情緒に訴え議論を退けてきたことにあると思う。
以前も書いたが、常備軍を持つ国が日本の右傾化を云々するのは正直論理的におかしい。そして9条派は本当にその理念を信じるならば米国中国韓国北朝鮮ロシアなどに軍隊廃止戦争放棄を迫るべきなのだ。戦争は放棄する、そしてあんたも放棄してね、でなきゃおかしいでしょ、と。しかしそれをやっている人をまず見ない、ということは、いろいろ綺麗ごとを並べても結局は自分は良い日本人ですということを示すための自己満足アリバイ作りに過ぎない、つまり、日本は戦争を放棄したと示すことが戦後世界システムに受け入れられる条件であると本能的に察知したが故の行動であることを示している(つまり心から信じる理念だからというよりも−本人はそう信じていると言うだろうが、戦前の日本人も軍国主義を”心から”信じている人が多かった−、究極的には生き延びる算段−言葉は悪いが−としての行動である、と思う)。
ある戦争関連の集まりにて、外にいたとき話しかけてきた初老の男性がいた。集まりとは無関係な、年齢的に戦争には行っていないが戦前生まれと思われるその人は、「あの戦争で調子に乗って悪いことやった人たちは、ちょっとでも気づいて反省してほしいね。一方、戦後はなんでもかんでも反戦反戦でね、あれもなんだか気持ち悪いね」と言った。このあたりの感覚が一番わかる気がした。
ところで改憲というと、子供たちを戦争に送るのか、戦争に行くのは威勢のよい中年や年寄ではなく若者だと言う意見がある。もちろん今でも歩兵がまったく不要になったわけではないのだが、大量の歩兵と物量作戦で戦う戦争は第二次世界大戦までのもの。今はド素人の歩兵が大量にいてもコストがかかるばかり、RMA軍が中心となりつつあり、前線という概念はすでに崩壊していると聞く。
戦争も車やIT同様時々刻々と変化している。西洋の傭兵や日本の武士のような専門職システムからフランス革命で徴兵制度による国民皆兵へ、各自が干飯だの食料持参システムからナポレオンが現地調達システムへ。第二次世界大戦では日本は日露戦争の感覚で戦っていたが(中国大陸では通用したので日本だけでなく中国などアジアはまだその感覚だった)、ヨーロッパ戦線やアメリカでは空軍の時代に入っており、さらに米軍は大量物資による戦力で優位に立つ戦い方をして新時代に入っていた。その後IT革命が進み、今では上述の状況になっている。
よく徴兵制でしょっぴかれ、もたもたして殴られた話をする人がいるが、それは集団を危険にさらすからだろう。皆兵制ではそういう人も使わざるをえないが、専門集団となると単にはじかれるだろう。ただ社会的地位は下げられ、かつてのような身分制のある平等でない社会となるかもしれない。だからいまだに戦争というと第二次世界大戦当時の戦争を連想するのはどうかと思うし、その観点からの意見は、いつの世も変わらぬ普遍的なものもあるだろうし、ピントはずれもあるだろう。
最近のメディア
活東庵公開日:2013.7.22
最近、メディアがおかしいと感じることが多々ある。特にNHK。以前も書いたがまず、『世界の一等国』の台湾編だが、台湾本省人の特に年配者で(特別右寄りでなくても)あの番組に怒る人が多く、「NHKは中共の影響力が強い」との不満をよく聞いた。今思うに、”日台戦争”などの言葉づかいは外省人で大陸寄りの学者の意見だろうしその手の情報戦に確信犯的に乗ったかそうでなければ安易な正義感から利用された感がある。
NHKの中国関連番組にも疑問を感じるものがある。反日デモ盛んな頃放送されたのであまり話題にならなかったが、昨年秋、中華文明がいかに世界と異なる独自のものか、というシリーズ番組があった(シリーズ名は忘れた)。漢字だの祭祀を軸とした王朝システムだのをとりあげていたが、祭祀版を見た。このとき、古代中国の版図として示された図が、今の人民共和国の範囲だったので驚いた。これ、てありえないだろう。普通の歴史地図では漢も秦も、隋唐ですら、当時の漢民族の支配範囲を示すと黄河流域がメインとなりかなり狭い。今の地図とはまったく異なる。番組の地図だと、紀元前から今のチベット揚子江以南東北地方西域内蒙古すべてが中華帝国の版図ということになってしまう。となると楼蘭などの西域諸国や吐蕃、突厥、北方諸民族の王朝はどうなるのだ?無視するのか、当時すでに漢民族王朝の属国だったという理解か。変な歴史番組だったので見るのをやめた。ある意味中国ヨイショ番組と言われても仕方なく、何か裏の意図でもあるのかなあ、と思ってしまう。
そういえば同じくNHKの大河ドラマでお江を扱ったものがあったが、お江が何かというと「いくさは嫌じゃ、いくさは嫌じゃ」と言うのでいい加減辟易してきて、ここまでやるとこれも一種のプロパガンダだよな、刷り込みか?と当時感じた。むしろ戦で戦乱の世を平定する理不尽だが必要性を語る家康役の重厚な演技のほうが光り、お江が薄っぺらに見えてしまった。マスコミにはどうしても一種の悪く言えばプロパガンダ的要素、ちょっとましに言えば国民を導く、教育する要素がある。悪く言うと世論誘導の役割とでもいうか。
反日デモの際、ニュースなどで中国の国内の事情について説明するのをよく見るが、だから我慢しろ、て?と突っ込みを入れたくなることがある。それはあくまで相手の事情であって、だから殴っていいということにはならないし、こちらにはこちらの事情があるのだから怒るべきときには怒るべきだと思うのだが。この手の”配慮”、”冷静に”という報道には不健全なものを感じるときがある。
NYタイムズも最近おかしい。以前ここでほめたニコラス氏だが、反日デモで中国に同情的に書いたと聞き少々疑問を覚えた。中国寄りでも納得ゆく内容ならよいがかなり事実誤認が含まれるようなので。その後本人が書いた記事から奥さんが中国人だとわかり、あまり言いたくないがそういうこともあるのだろうと感じた。おそらく両サイドに話を聞くという基本を踏まえず、一方の話をメインに書いたのではないか。
温家宝の不正蓄財報道でも感じたが、それが事実か否か以前に、温家宝のみの報道でほかの政府高官についてはない、ということ自体(それはありえないので)、権力闘争に利用されたか加担していることになる(報道するなと言っているのではない、間違えないように)。NYタイムズ自体が中国の情報操作の対象、オルグ対象になっているのだろう。
このように最近、マスコミの言うことも何かに支配されたりオルグやロビー活動された結果ではないか、と感じるようになり、なんとなくつまらないのだ。
(言い訳になるが、こうしたことも、世の中の出来事に対し、あれこれ反応し興奮してここに書く気がうせてきている要因の一つでもある。なんだかどうでもよいというか、そういうことよりももっと基本をめざすべきではないかという。このことも書きたいが長くなるので次回)
消費革命
活東庵公開日:2013.8.23
朝日新聞の昭和史再訪(2013.5.18)によれば、洗濯機や冷蔵庫などの家電製品は当初、なかなか売れなかったという。洗多苦など洗濯の重労働感を打ち出した宣伝を重ねるなどしてようやく売れるようになった。冷蔵庫も、魚は近所の魚屋で買ってきてすぐ食べる、野菜も泥つきなので入れたくないという生活スタイルだったためなかなか売れず、冷凍食品が出たあと売れるようになった。1958年の普及率は洗濯機25%、冷蔵庫3%、1965年それぞれ69%、51%。1960年代から石油ショックの1973年まで消費革命が起きた。
今は生活を電気や家電に頼りすぎとの批判がある。しかしこの記事を見れば、かつて工業製品を買わせようと企業も(おそらく政府も)必死だったわけで、そうやって経済を活性化させ、生活を自力でまかなう知恵や技術のある生活者から、生活を人工的なインフラに頼り金銭で購入する消費者が作り出されていったことがわかる。
こうして電気ガス水道、すべて大規模システムに頼る方向に誘導しておきながら(井戸水飲んだら保健所が飛んでくる)、今になって震災に備え10日分の水食料を用意せよ自立せよと言い出している。要は大規模災害時、とても全員の面倒は見切れないというわけだ。確かに田舎は震災時、燃料水食料を自給できるので、また共同体も残っており、災害に強いことが証明されている。一方、都市は電気ガス水道の代替がない(以前は近所でも井戸水を飲用に使っていたが、今は許されない)。売らんかな精神、経済成長の都合でシステムに頼れと誘導しておきながら、今度は自立せよとは笑わせる。
中国各地の農村で農民を強制移住させているとの報道がある。最初WBSで見たが、その後他局や新聞でも報じられるようになった。その目的は自給自足生活の農村人口を都市化させ消費者を作り出す、つまり内需拡大、消費革命を起こすというもの。いずれ多くの人口が巨大システムに頼るようになり、そうなった後、上下水道など社会インフラの維持コストの問題、災害発生時の問題などが出てくるに違いない。
この”消費者”という依存状態、しかも便利になればなるほど依存が強まる状況に懸念がある。古代社会の奴隷制度とは異なるものの、便利と引き換えに生殺与奪の権を他者にゆだねることになる。農村移住の続く中国、さらに全世界で、今、同様の事態が進んでいる。
政府の言うこと、その時代でよしとされることは、上記のように簡単に入れ変わる。そしてかつて勧めたことの結末に対する責任を、勧めた側は決してとらない。こうしたことも、前回書いた「世の中の出来事に対し、あれこれ反応し興奮してここに書く気がうせてきた」「そうしたことよりも、もっと基本をめざすべきではないか」と考えるようになってきている理由である。
活東庵公開日:2013.8.23
最近、世の中の変化のスピードが速い。速すぎる。5,6年前までは亀山モデルとしてもてはやされた亀山工場が今は閉鎖、つい先ごろまで成功の象徴とされたサムスンも今よくない話を聞く。
日本の製鉄業の衰退が目立ってきた1990年代、新日鉄八幡工場そばに住む漁師が「百年もたなかったな」と言った、という記事を読んだ記憶がある。今は百年どころか十年ももたない。これほど変化の激しい時代に、”時代に取り残されないようにする”のは至難の業、”常に時代の最先端をめざす”こと自体、長い目で見た場合意味があるのかどうか、もっと別の目指すべき先があるのではないかと考えてしまう。
道徳倫理と生命倫理
活東庵公開日:2013.8.23
”老いる卵子”や他人の卵子による高齢出産が話題になっているが、生殖医療による出産と、昔の側女制度と、どちらが倫理的に”正しい”のだろうか。当人同士の卵子精子による不妊治療はともかく、他人の卵子を使用するケース、他人の子宮を使用するケース(代理母)などでは、そうしたややこしいことをするくらいなら、健康な若い女に普通に産ませたほうが健康な子供が生まれるのではないか、とすら思う。かつて朝鮮には子供を産む目的だけのための側女制度があり、映画にもなった(愛情は無関係なので愛人ではない)。
それを今はなぜ、生殖医療をしてまで避けるのか。今の一夫一婦制では”不倫”になる、つまり婚姻関係にない男女の”肉体関係”によって産ませるのは”道徳的倫理”から避けたい、感情的にも許しがたい、”試験管経由の関係”ならOK、ということなのだろうが、結果的にやっていることは同じだろ、と思う。代理母含め生殖医療は”生命倫理”から見た場合疑問視する意見も多い。日本では後追い調査がなされていないとの報道を見たが、以前NYタイムズで生殖医療によって生まれた子供は統計学的に生殖器に異常のあるケースが多いとの記事を読んだ記憶がある。若い他人の卵子を使っても高齢出産にはリスクが多い。
不妊の原因の半分は男性にあるというが(別の報告では女3分の1男3分の1原因不明3分の1)、女性の生殖可能年齢が男性に比べリミットが低いのも事実。やっていることが同じなら、生殖医療をかませないほうが生命の流れとしては自然だ。要するに道徳倫理を優先させるか、生命倫理を優先させるか、ということなのだろう。
道徳や倫理は時代によって大きく変わる。ときには正反対になる。
活東庵公開日:2013.8.23
夏になると動物番組が増える。たいてい、若いオスメスが主人公でやがてカップルになり子育てして巣立ちまでというストーリー。Aは急斜面を自在に駆け回り天敵を逃れる、Bは急降下技術で獲物をしとめる。しかし、Aもいずれ歳をとり斜面を駆け上れなくなるときがくるしBも急降下できず獲物をとれなくなる日が来る。年取ったライオンはどうなるのだろう。若者が餌を分けるのか。生殖能力のなくなったオスメスはつがいにはなれない、そのときどうするのだろう。ペンギンのように巨大な子育てコロニーに集住するケースでは、単独で混じっているのか。つまり自然界の動物の老後、歳をとったら彼らがどうなるのか、知りたいのだ。速く逃げられず天敵に捕食されるのかもしれない、獲物がとれず餓死するのかもしれない、長距離渡りをする体力がなく冬も残って凍死するのかもしれない。動物の老後を取材した動物番組があってもいいと思う。
NHK会長
活東庵公開日:2014.2.23
NHKの新会長と委員の失言・問題発言などが問題になった。現首相に近い人が選ばれている、ともいう。ただ、最近自分でもネガティブでdisっているとは思うが、こうなったのも結局、NHK自らが招いた部分も大きいんだよねえ、と思ってしまう。
NHKの番組には良質のドキュメンタリーも多い。が一方、「世界の一等国」シリーズの少なくとも台湾編、および中華文明の特殊性を強調する歴史物シリーズについては、リベラル系中国語学校時代の知人達すら「内部にチャイナスクールがいるみたいだ」と言っていたほどだ(中国は今、中華文明の特殊性を強調し、欧米由来の経済/国際関連の法律に従わされるのはおかしい、と世界中で主張している。中国がそう言うのはかまわないが、その内容を注釈なくそのまま歴史番組として流すのは、一体どこの国の公共放送だよという感じだ)。一方中国に詳しくないリベラル系の人たちがこのシリーズに感激していたと聞き、逆に自分の専門性のない分野でもこの手の報道があるかもしれない、その場合それに気づけないのでは、と感じる。
結局、この手の質の悪いリベラルが足を引っ張る形で、日中友好とか反戦とか、格差社会人権その他リベラル的な考えがすべて胡散臭いものになってゆく。
そして、主義主張にも報道にもすべてに懐疑的な気分の今、それを助けたり反論する気もまったくおきないのだ。
九条問題の不思議
活東庵公開日:2014.5.15
昨今、九条絡みの憲法改正問題、あるいは集団的自衛権問題で騒がしい。
正直、集団的自衛権とはなんなのかいまだよくわからない。ので、この件は保留、九条について。
九条絡みで昔から疑問に感じることが3点ある。一つは、押し付け憲法問題、もう一つは憲法で軍隊を認めることが戦前の軍国主義に直結するのかということ。最後もう一点についても後述する。
■ まず押し付け云々だが、押し付けかどうかはともかく、根本的な疑問として、そんなに理想的ですばらしい内容なら、なぜ世界に広まらないのかということがある。「やせがまんの憲法」として、やせがまんでも日本は理想を貫くべきという意見も見たが、他人の理想にやせがまんで付き合う気はないなあ、と思う。かといって、今の段階で九条を改正すべきとまでは思っていない。今までこれでうまくいっていたことも事実で、私も憲法を変えることによる何かの変化が怖いからだ。
また九条派はなぜ、国内での護憲ばかりで世界に広めようと積極的に活動しないのか、という疑問もある。そしてよくベアテ・シロタ氏の話が出るが、それほどすばらしいものなら、彼女もなぜ外国ではなく自国アメリカでその理想を実現しようとしないのか、という疑問もある。ベアテ・シロタ氏の行動には、1970、80年代によく指摘批判された、途上国支援の問題点と同じものを感じる。海外支援NGOが自分たちの住む国や都市ではなく、フィリピンやカンボジアの農村で理想を実現しようと活動(実験)し、失敗したらNGO職員らは自国に戻ることができるが、フィリピンなどの農村の村人は失敗した地に取り残される、はしごをはずされた形で、というものだ。彼女が自国アメリカでも戦争放棄の憲法を作ろうと活動しなかった、という一点によって、私は彼女を信用していない。
■ また昔から不思議に思うのは、憲法で軍隊を持ったからとそれだけで軍国主義の国になるのか、ということだ。これは昨今の中国の帝国主義化とは無関係に、2003年にすでにここに書いているのだが(農地解放の記憶からの追記)、世界には軍隊を持つ国がほとんどだが、大半は攻撃的ではないし軍国主義でもない。アメリカはともかく、イギリスフランスあたりが普通の国でないという人はいないだろう。
尖閣問題で考えたことの「尖閣問題以降考えたことその2」項の「対米関係」でも書いたが、人間の体にもウイルスや細菌など外部からの攻撃を受けるとそれと戦う免疫機能がある。基本的にはこの世に存在し生きるためには自分を自分で守る機能が必要だと思っている。
「農地解放の記憶から−追記」でも書いたように、日本人が戦争放棄に異常にこだわるのは、軍隊を持ったら暴走するだろう、そしてそれを自分たちには止められないだろう、とどこかで不安に思っている、自分自身を信用していない、という軍国主義云々とはまったく別の問題があるからではないか、と思っている。そしてこのあたりが、潜在意識の本音ではないかと思うので、九条とは切り離すべき問題だと思っている。
追記: 先に「憲法を変えることによる何かの変化が怖いからだ」と書いた。この怖いというのは、中国アメリカなどが怒ってどうこうではない。戦前の陸軍のような存在、ナチス台頭のような流れ、国内変質が怖いのだ。九条とはまったく別問題、他国はこの不安なしに軍隊持つのになぜ不安があるのか気になる。
■ 最後の一点は、これは中国の帝国主義化とは関係なく、以前から感じていたことで、こうなる前にいつか書こう書こうと思ってきたことなのだが、なぜ戦後日本人は一斉に戦争反対絶対平和になったのかということだ。敗戦国として世界から非難されそのポーズをとらないと許してもらえないというのもあったろうが、結構本気で戦争反対絶対平和を口にする人があの世代には多いので、ずっと気になっていた。時代の雰囲気もあるだろうが、先の大戦で最後が悲惨な負け戦だった、ということがあるだろう。もうこりごりだと感じた、しかも大きな犠牲を払った結果がこのざまだ、ずっと騙されていたのだ、という。(”結果=勝利”が伴っていれば、騙された感は皆無とはいえなくても薄かったり、自分で自分を納得させる心理が働くのではないかと思われる)。
そうなると、勝っていたら大多数の人は戦争反対にはならなかっただろう、と予測される。たとえもし、最後は原爆投下や大空襲玉砕戦が続いたとしても、最後が勝ちだったら戦争反対は言われなかったにちがいない。勝っても遺族は今と同様つらい思いをしているはずだが、それを口に出せない雰囲気もあったろう。
そう思うと不思議な気がする。おそらく戦勝国でも戦死したり悲惨な状況はあるはずだが、戦争放棄絶対平和はうたわれない。どんなに日本の体験者が「戦争は悲惨だ」と言い「戦争はいけない」と結論づけても、それはやはり負けたからの感想では、と思ってしまう。というのは、台湾その他他国の兵士は、(日本兵として戦った場合でも)割とあっけらかんと「戦争に行ってみたかった。若かったからね」等々語る。最後に必ず「戦争は絶対いけない」という一言を付け加えることもない。「戦争はなくならない。やらないにこしたことはないが、やってしまったものは仕方ない。勝つか負けるか。日本は負けた、それだけだ」という人もいる。
『チャーズ』(遠藤誉著 朝日新聞)という30万人が餓死したといわれる共産軍による長春食糧封鎖(中国共産党に対するものだが市民巻き添え)を生き延びた日本人の記録に、「日本人は戦争の負け方を知らない」「負け方を知らない人間は死ぬ。ここ(胸に手を当て)を使ってはいけない。ここ(頭を指し)を使わないといけない」と中国おばさんが語る場面がある。「何千年とこの地で戦争をしてきた中国人はどちらにつくかいつも考えていなきゃ生きてゆけない。どちらにもつかない人間はこうしている(布靴の内底に金の延べ棒を縫い付ける)」。絶対平和戦争放棄などというナイーブな理想よりも、戦争は勝つだけでなく負けるときもある、いかに負けるかという負け方の研究をしたほうがよほど現実的で正しい(=生き延びる)生き方ではないかと思える。こう書くと、やせがまんでも理想の元に死んだほうが高等だ、という人が出そうだが、中国には何としても「活下去」、文革の迫害に遭おうが戦乱に遭おうが生き延びるのがもっとも尊いのだとする価値観がある。
戦争は勝っても負けても悲惨だ。やらないにこしたことはない。でも皆万が一には備える。放棄まではしない。
それにしても戦前の軍国主義から戦後の戦争放棄と極端だ。どっちにしてももう少しマイルドにやれないものかと思う。そしてそれに順応してしまえる人たち。順応性は高い。
朝日新聞誤報問題
活東庵公開日:2014.9.28
従軍慰安婦問題の吉田証言が虚偽だったことに端を発し、朝日新聞が慰安婦報道は誤報だったと掲載、その後朝日新聞バッシングがはじまり、さらに原発の吉田所長証言の解釈問題も加わり騒動が大きくなった。
これについて書かなきゃ、と思っているうち、大体私が言いたいことは発言している人も結構いるので、わざわざ書く必要もないかなと思い、しばらく控えていた。
つまり、原発の吉田調書については誤報と言えるか疑問で、解釈の問題ではないかという点(命令していない段階で第二に移動していたことは事実だからだ。それを吉田氏は咎めなかった、というか、善意に解釈し問題視はしなかったという話だ)。これは斉藤美奈子氏その他も書いている。
また従軍慰安婦の強制連行吉田証言が嘘だった話も、国益を損ねた国会喚問すべしと大騒ぎするなら、戦時中のさまざまな報道についても大きく国益を損ねたものだったはずという意見、原発報道についても初期報道や現在コントロールできているかなどについて誤報・疑問が多く曖昧なままだという意見も、すでに多くの人が指摘している。戦前戦時中の報道については、新聞社独自の自己検証はあるものの、いわゆる国に対する”検証委員会”だの”喚問”だのはされていない。
ただ、騒ぎ方がかなり恣意的な気がする。
はっきり言って何かあったのかな、と思う。つまりこのままだと社の存続や利益に関わる脅しを国(か今の政権)から受けたのではという。おそらく今の社長で禊をすませよ、次から新たな形で、といったような。週刊誌の叩き方も今の社長に収斂する書き方なので、処理した後彼が辞任すれば潮を引くように報道もなくなり、牙を抜かれた形で残るのかなという。
まあ、自分はリベラル系だと思うが、それでも某ルポ作家や九条の某ノーベル賞作家は昔から嫌いだった。ルポ作家氏については80年代に南京事件関連の本などを読み疑問があった。知り合いの老ジャーナリストから、外部に出ない文筆業の(作家協会か何か)名簿録があるが、それにすら絶対住所を載せない、写真不可の話を聞き、やはりそういうタイプかとがっかりかつ得心した(ある老ジャーナリストに簡単に書いたことがある)。ノーベル賞作家については、九条の会そのものが嫌いだったということもあるが(この件についてはここでも何度も書いているので、いちいちリンク張らないが過去ログ読めばわかると思う)、なんとなく”いい人立場を演じている”と、胡散臭い気がしていた。ある名物編集者の回顧録に、彼の一貫しない言動に不信感を抱いていると書かれているのを読み、やはりそう感じる人がほかにもいるのかと思った。沖縄のある問題については、某大尉に申し訳ないと証言する地元民もいるので彼より曽野綾子氏のほうが正しいと以前から思っていたこともある(沖縄戦における集団自決のすべてが嘘だったと言っているのではない。この件は軍による明確な強要があった、この件は当時の教育風潮による暗黙圧力からそうなった、と正確に見てゆく必要があると考える)。
なぜこうしたことを書いたのかというと、一時期この手の言動や人々がもてはやされたからだ。あまりもてはやされたり”いい人”報道されると、天邪鬼なので自分の中で”ちょっと待てよ”ストップがかかり、この人は信頼できるこの人は胡散臭いと判断していた(たとえば中帰連も疑問はあるが、館支えている女性は根性座っているので評価している)。
つまりこの手の言動を、勝ち馬的に、嵩にかかって報道できる時代があったわけだ。これが質の悪化を招いたと思う。それは戦時中の右も同じだったわけだが。
話を戻して、朝日誤報問題、そこまでの大問題なのか、という根本的な疑問がある。従軍慰安婦報道や原発事故直後逃亡報道で日本の評判が下がった、国益が損なわれたと騒ぐが、そもそも終戦のタイミングを読みまちがえた点、原発事故そのものを引き起こした事実自体のほうが、はるかに大きく国益を損ね日本の評判を落とした出来事だ。慰安婦報道吉田証言報道どころでない。それがまず先にあって、根本であり元凶だ。そこを、問題をすりかえてはいけない。
さらに、朝日の報道が単体としてどれだけ国益を損ねたかについても疑問だ。70、80年代そのものが『三光』や南京事件関連から『悪魔の飽食』といった作家活動にいたるまで、戦時中のさまざまな問題が掘り起こされる時代風潮にあった(時に露悪的に)。それは別に朝日に限らず、さまざまな分野、出版社も雑誌テレビなど報道機関でもそうだった。そしてそれが売れたし良心的番組・報道として評価された。決して朝日だけではない。探して数えてみればいい。
満州研究の第一人者である山室氏が、あるインタビューに答えて「日本が過去の歴史を正しく把握することができなかった理由の一つに、多くの当事者たちがこれまで公の場で思うように発言できなかったという事実があります。終戦直後から1980年代にかけて、(中略)加害的な事実が洪水のように報道されることにより、(中略)かつての当事者たちは長年沈黙せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。もっと当事者達の声が聞かれていたら、(中略)認識なんかも変わったのではないかなと私は今思っています。もっとバランスのとれた歴史認識ができたんじゃないかと」と語っている。山室氏は決して右よりではない。むしろ逆である。その彼がこう語る。戦争体験者へのインタビューなどでも、必ず「あの戦争は間違いでした」「平和が一番」とお題目のようにつなげなければならない雰囲気(これに対する疑問もここでかなり書いたので、リンクは張らないが過去ログ見ればわかる。本気でそう思っている人はそれで構わないのだが、いちおう最後にそう言わないといけない、と暗黙の圧力感じるなら、”中国共産党万歳”と最後に加えるのと同じだ)、そう語らない内容については、反省してないのかと居丈高に責め資料価値が低いと判断する雰囲気があった(今でもある)ことは、非常に残念だ。
思うに、朝日新聞誤報騒動は、その反動なのだろう。
だから、天邪鬼としては、今こそ朝日にがんばってもらいたい。
そもそも慰安婦も南京事件も無かったと主張する人もいる。それは7、8、90年代でも同様で当時からさまざまな本が出ていた。ルポ作家の南京関連本の写真が誤りだの、慰安婦がみな強制連行だったわけではないことは当時から言われていた。そして、そうした情報へのアクセスも禁止されていなかったので読むことができたし、そのため当時から全員強制連行は大げさと思っていた。だから、朝日の誤報訂正に、「裏切られた、購読やめる」と言う”読者の声”には、「どんだけナイーブなんだよ」と正直感じてしまった。意見には両方あるし、両極あるんだよ、と。
自分自身は、南京事件がなかったとは思っていない。外国人宣教師も手紙に記録しているのでスパイ容疑その他でかなり殺戮される事実があったと判断している。慰安婦もシステマチックな強制はなかったと思うが、人集め業者による員数合わせ的な強引な件はあったろうと判断している(それは現在の世界中特に発展途上国といわれるところで売春システムに送られる人々にその手の例があまた見られることからみても)。
そこで思うのは、どこぞの新聞社が南京事件は無かったと報道したら、それは誤報となるのだろうか。本で出すならば、OKなのか。本は個人の主張、新聞雑誌は”メディア”という半公共性のあるものだから、ということなのか。宗教団体の新聞なら、事実関係を無視した妄想記事を載せることもありうると思うが、それに対しいちいち誤報指摘だ謝罪要求は国も社会もしないのではという気がする。どうせ一部の狂信者、同じ土俵で話が通じないとあきらめ見逃されるわけか。その線引きは何か。規模の問題なのか”影響力”なのか。”影響力”といってもかなり恣意的な気がする。報道の自由、良心を標榜するリベラルならそこを突かれると弱いので、報道の自由を奪った、嘘を付いたと攻撃するのか。とすると、本当にその理由でいけないことだからと責めているのではなく、相手が痛いと思うから攻撃しているわけで、つまり攻撃そのものが目的といえる。
朝日が文春や新潮の広告を無修正で載せるかどうか、池上氏の連載を掲載するかどうかで叩かれた。新聞社といえども営利団体なのだから自分に不利な広告は載せなくてもいい、断っていいと私は思っていたので、この件でなぜ朝日が叩かれたのか今でもよくわからない。今でも嫌なら載せなくていいと思う。よく質の悪い(詐欺などの)広告は載せない、スクリーニングする話があるが、それと同じだと思うのだ。
保守とされる新聞が誤報を出し、それをリベラル系雑誌が責めたてた場合、その新聞はそうした雑誌広告は載せない気がする。そしてそれを世間的に問題視する人もあまり出ないだろうと思う。保守系ならそれもありうるだろうと暗黙の了解がある。右が言論の自由を保障しないことは皆知っている(左も独裁なら保障しない)。リベラルは言論の自由を標榜する。だからそこを利用される。そういう意味では非常に損だ。右優勢時代は他の意見が発禁/アクセス禁止になる。左優勢時代だとそれはない。慰安婦強制連行と言っても、それは違うという意見を本にできるしメディアにも書ける。右優勢時代だと右の誤報に対しそれは違うという意見を発表することができなくなる。
池上氏の連載については、その後掲載されたが、ごく普通のまっとうな内容だったのでなぜ断ったのか疑問だった。これは完全に朝日の判断ミスだったと思う。
従軍慰安婦問題
従軍慰安婦問題で、昔から不思議だったことがある。従軍慰安婦といえば朝鮮人慰安婦(もしくは中国人インドネシア人など現地の人)ばかり、と思っている人が結構いる。しかし日本人慰安婦ももちろん大勢いた。将校相手は日本人が多かったので、一般の兵隊には朝鮮人慰安婦も多かったということもあるだろうが、従軍慰安婦報道が特に朝鮮人(韓国人)に偏っている影響もあると思う。なぜ日本人慰安婦は問題にならないのか。日本でも親による娘の身売り、いいものが食べられるとだまされて、などの話は多い(『からゆきさん』などには朝鮮人労働者相手の日本人売春婦の聞き取りもあり、痛めつけられた人々がさらに弱い少女をいたぶる−10代の日本人売春婦に水を飲ませトイレに行くのを禁じ泣きながらおもらしする様子を笑って楽しむ−話もある)。身売りやだまされて話は、東南アジアやネパールなどで今現在でも行われている。中には物理的にさらわれる人や子供も今でもいる(軍隊の慰安婦ではなく売春システムに、だが)。朝鮮人日本人何人というより、従軍慰安婦という存在そのものについて考えるべきと思う。なぜ必要なのか。必要だが、普通に考えたら誰もやりたがらないなら、誰が担当すべきなのか。そもそも”担当すべき”と考えるべきなのか。米軍ではどうなっているのか、ドイツ軍イギリス軍中国軍韓国軍オーストラリア、ブラジル、インド、南アフリカその他では。それも、第二次世界大戦当時と現在について。
なぜ日本人慰安婦は問題にならないか昔から不思議だったと書いたが、さらに今では韓国やフィリピンで謝罪するなら、日本人慰安婦に対しても謝罪すべきではないのか、なぜ謝罪しないのかと思う。満州などからの引き揚げ時、日本人集団をソ連兵の攻撃から守るため、女性を何人か差し出した話をよく聞く。愛親覚羅浩の『流転の王妃』にも引揚列車の日本人を守るため、花柳界出身の女性たちに身代わりになってもらった話が出てくる。ここでも以前書いたことがあるが、ある著名人の新聞に載った半生記に(名前を忘れたが、タレント俳優系ではなく経済人か学者だったと記憶している)満州時代近所に霞がかかったように美しい少女がいた、敗戦後ソ連兵から大多数の日本人女性を守るため数人に身代わりになってもらおうと話し合いで決まった、その少女も敗戦の混乱で孤児になっていたため説得されソ連兵相手になった、ある日街中で偶然彼女を見かけたが腰周りは膿にまみれ老婆のように腰を曲げヨタヨタ歩いていた、という内容だった。彼は懐かしくも哀しい思い出として書いていたが、この手の話を聞くたび、その日本人グループは身代わりになってくれた彼女らに感謝してその後の面倒見たのか、敗戦時はその余裕はなかったならば今彼女らに謝罪しないのか、と思う。なぜ人身御供が孤児や花柳界かという問題もある。敗戦後米軍がやってくる、街中の一般女性に手を出されぬよう性の防波堤として赤線地帯を作って云々と国家レベルで計画が練られたことは周知の事実だ。その一方で彼女らはパンパンと蔑まれた。
この、必要だが蔑まれる存在について、昔読んだアメリカ人作家の短編集をいつも思い出す。(フォークナーだったように思うが記憶が定かでない)。大恐慌により父が職を失い、娘が働きに出た。娘の仕送りで家族は生活、売春だが親には隠している。親も気づいているが何も言わないし近所に隠している。ある日娘が久しぶりに実家を訪れた。短編は全編娘のモノローグで、久しぶりに会うのに親はよそよそしい、表玄関から入れず近所の人に見られぬよう裏口から入れた、なぜ久しぶりに会うのに喜んでくれないの、おみやげいっぱい持ってきたのに汚いものに触るようにするの、私が座った椅子をアルコールを染ませた布でいちいち消毒して歩くの、と続く。
従軍慰安婦について、韓国のネットで「日本軍慰安婦=強制連行された被害者、米軍慰安婦=金稼ぎに行ったビジネスウーマン、韓国軍慰安婦=存在を認めてはいけない人々、これでOK?」と書き込む人がいた。こうした発想のできるこの韓国人の柔軟性や言論自由度に感心するとともに、日本軍米軍韓国軍はさまざま状況について入れ替え可能と考えると、なかなか意味深な世間の認識方法を示していると思う。
追記2: 慰安婦報道の元記者らが勤務する大学に脅迫があり、退職したとの話に唖然とした。リベラル優勢期は右の意見を馬鹿にしたり言いにくい雰囲気にしたりはするが(それはリベラル側が作為的に行うのか回りに合わせる人々の側が自主的に行うのかは謎だが)、右よりの学者をやめさせろという”脅迫”は行わない。右シンパは匿名の脅迫をする。爆弾を仕掛けるだの学生を人質にどうこう言う。この違いにも、リベラルは損だと感じる。守れない大学も大学だ(勤務認めた時点で主義主張はわかっていたはず)。森戸事件のようだな。帝大だから騒ぎになった、私立なら問題にすらしてもらえない、と当時指摘した人もいた。今まで”いま戦前のような雰囲気になりつつある”と言う意見に、”何を大げさな”と思っていたが、やはり大正デモクラシーの反動があったような感じになりつつあるのか。
南京事件はなかったという学者がいてもいいように、30万人虐殺説、従軍慰安婦強制連行説をとる学者がいてもかまわないと思う。私自身は同意しないが。竹島を韓国に譲るという日本人がいても別にかまわない。私自身は嫌だが。別に売国奴とは思わない。納得しないし、好きにならないだけだ。韓国にも独島は爆破してなくしてしまえばいい、と言う学者だか議員だかがいる。それぞれ右から左まで、さまざまな人がいる。それを廃刊にしろだのやめさせろだの、どうかしている。こうなるなら、リベラル優勢期に右派新聞社出版社テレビ局みな廃刊廃止しておけばよかったね。それはスターリンや文革と同じか。(2014.10.6)
文系学部廃止案
活東庵公開日:2015.3.29
昨年(2014年)から、文部科学省が国立大改革案として、文系学部(教員養成系、人文社会科学系)の廃止や転換を各大学に通達したという報道がされている。企業の求める理系に特化しよう、学術研究よりも社会のニーズにあった職業教育を重視、理工系か医療系に力を注ぐという動きで、技術革新に遅れをとらないためらしいが、この政策は将来必ず悪影響があるだろう。
文系は人間社会の認識の仕方捉え方、枠組みの構築に関わる学問。何を指針に何を目指すのか、分析して示す役割もある。マルクス主義が示されれば”連帯”して権利を主張し運動して勝ち取るやり方が促されるし、軍国主義や重商主義など、これまでもその時代の指針となる生き方が分析され示されてきた。高度成長を促す/父権社会で安定させる/核家族化を促す/消費を奨励するなども、理論付けしてその時代時代に示されてきた。
社会学哲学歴史学などから総体的に、その時代における常識、見方の枠組みを示し作ってゆく。この研究に従事する人たちがいなくなれば、よそが作った思想を借用するしかなくなる。たとえば他国がある理論を作った場合、それこそ中国や韓国、あるいはアメリカやロシアの言い分に対し有効に反論論駁できなくなり、その理論にからめとられることになる。消費社会や管理社会、使い捨てなどに何かおかしいと感じてもそれを言語化し問題として切り出し対処方法を考える手助けが周りになく、どの方向に進めばいいのかわからない場合は、個人テロで不満や不安をぶつけるしかなくなるかもしれない。
文系をないがしろにする社会は必ず、将来その報いを受けると思う。まあそれでもいいというなら、それでもいいですが。
[時事] [地方農業] [中国] [よもやま] [読書/映画] [パソコン] [インタビュー] [エッセイ] [創作]
| モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 |
| マザーテレサ | シッキム | ハワイ | タイ | クルーズ | アメリカ | ドイツ | キプロス | スイス | イタリア |
|
小笠原 | 四国へんろ | 国内 | 島 | 里山 | 震災 | 雑穀栽培 | 林業 | 就農 | 銭湯記 |
| 時事/創作 | ミャンマー歌手 |
北京放送 |